October 29, 2006

善福寺川・調査ミニダイブ

と云う事で昨日はこのコメントの通り、善福寺川の調査ミニダイブしてきた。スタート地点は上図右上の丸ノ内線・東高円寺駅、ゴール地点は阿佐ケ谷テラスハウスだ。ゴールでmasaさんと落ち合う予定で、先ずは蚕糸の森公園を通り抜けて環七に出る。妙法寺入り口の信号で環七を横断して、妙法寺の前を通り荒玉水道通りに出る。この道は青梅街道から善福寺川に向かって緩やかに下ってゆく。そして済美橋から善福寺川沿いの遊歩道を歩き調査ミニダイブの開始だ。歩き始めて感じたのは、善福寺川流域の自然と緑を守ろうとする行政の意志である。流域の空き地やぽつねんと取り残された廃屋に、既存の公園や緑地帯を更に拡幅整備して善福寺川流域をグリーンベルトにする構想が読み取れる。杉並区21世紀ビジョン・答申書を読むと、その目標の1に「水辺をよみがえらせ、みどりのまちをつくろう」とある。全体構想が実を結ぶまでは長い年月が掛かるであろうが、未来の人々に共有の場所としての緑の流域を残せたら素晴らしいことだろう。
反省:帰宅してからもう一度地図を見て気付いたが、スタート地点は丸ノ内線・方南町駅(上図右下のGoogle)にした方が良さそうだ。因みに方南町から阿佐ケ谷テラスハウスまでのルートでは約4.19キロの距離で歩きが一時間+道草ロスタイムでミニダイブに適した距離だろう。

GoogleEarthでは建造物が撤去された跡があり、緑地は整備されてないが、現在は緑地となっている。なだらかな起伏が嘗ての地形を彷彿させる。( 35°41'19.00"N 139°38'40.97"E)
対岸上流の川べりに建つ廃屋( 35°41'12.78"N 139°38'40.26"E)の周辺は空き地(原っぱ)となっている。


和田堀公園( 35°41'4.70"N 139°38'24.27"E)の池の周囲は鬱蒼とした緑に囲まれている。


和田堀公園付近の善福寺川、左手は大宮八幡宮の森、鬱蒼とした緑は想像以上であった。現在はシートパイルと間知石積みの護岸工事がされている。水害対策と親水性、相矛盾する目標も、流域に運動公園に転用可能な多目的な調整池を整備するなどして両立させられるような気もする。


明治13年(1880)の善福寺川流域、公団・阿佐ケ谷住宅の敷地は水田であった。水田や畑の他に杉林や楢(ナラ)の森や林が多い。


大正10年(1921)の善福寺川流域。未だこの時代は、中央線の中野駅と荻窪駅の間に駅はなかった。集落は街道沿いにある程度。


昭和30年(1955)の善福寺川流域。中央線沿線から青梅街道沿いに市街地化が進んでいるが、まだ公団・阿佐ケ谷住宅の敷地は水田であった。



東京都遺跡地図情報インターネット提供サービスにある遺跡地図は生憎とこの善福寺川流域が継ぎ目となっていたので遺跡地図四枚分を貼り合わせ善福寺川流域だけを切り抜いた。尚、遺跡名称等は杉並区-遺跡一覧を参照。
ダイブ中に怪しいと思っていた済美橋南側の小高い丘は済美台遺跡(No.62)だった。
因みに公団・阿佐ケ谷住宅の敷地は低地(水田)なので、当然遺跡はみられないが善福寺川対岸の台地縁辺には縄文集落の熊野神社遺跡(No.62)がある。

数値地図データによる善福寺川流域の地形図。公団・阿佐ケ谷住宅付近の海抜が38m、青梅街道・南阿佐ケ谷駅付近が海抜44mである。


Posted by S.Igarashi at October 29, 2006 09:55 AM
コメント

かんさん、どうもです。
以前の事は知りませんが、たぶん、その頃とは変わっていると思います。
公衆トイレの整備が行き届いていて、遊歩道沿いに一定間隔で設置されているので「さっきトイレに行っておけば良かった。」ということもないですね。善福寺川に沿って荻窪まで足を延ばして「本むら庵」でせいろで一杯なんてのも乙ですね。
http://www.honmura-an.co.jp/index.shtml

Posted by: iGa at October 30, 2006 01:42 PM

iGaさん、テラスハウス増築部分の、あの申し合わせたような傾き、実に納得です。これからは、ダイビングの際に、地形だけではなく地質の声にも耳を傾けなきゃな〜なんて思わされました。その視点を加味すると、低湿地帯ダイブが益々面白くなりそうです。

Posted by: masa at October 30, 2006 01:11 PM

結婚前、中野富士見町駅近く(住所は杉並区和田)に住んでいたので善福寺流域もぶらぶらしていたのですが、その頃と比べると随分変わっちゃったみたいですね。機会があったら行ってみようかな。

Posted by: かん at October 30, 2006 12:30 PM

masaさんどうも、GoogleEarthもplusにグレードアップするとGPSのデータを表示できるようですね。僕はどちらもないのでアナログ体内GPSです。(^_^;)
それから遺跡地図を追加しました。
善福寺川流域の台地には多くの縄文遺跡があります。因みに公団・阿佐ケ谷住宅は昭和30年の地図では未だ水田ですから、農地を宅地転用した後、盛り土して建設したのでしょう。TOTAN GALLERYの南側木造増築部分だけが、あれだけ地盤沈下しているのは、あの敷地が水田だったからですね。補強コンクリートブロック造のテラスハウスは地業工事がされて沈下しないから、余計にその差が生じてますね。

Posted by: iGa at October 30, 2006 10:43 AM

おお、iGaさんは体内GPS受信機(トラック記憶装置付き)を備えていらっしゃるようですね(^^; このトラックは実にきれいですね〜。
ところで、例の三層重ね地図では、さすがに阿佐ヶ谷は江戸の外…表示されませんでした。気になっていた地図まで見れて最高です。1955年の地図では、現在の阿佐ヶ谷住宅の敷地の形がおよそ浮かび上がってきていて興味深いです。

Posted by: masa at October 30, 2006 04:28 AM