6月3日付けの東京新聞・多摩版に『高尾駅に「南北自由通路」22年度開通へ』の記事では計画概要が不明なので八王子市のHPにアクセスして計画概要のPDFをDownloadしてみた。IllustratorでPDFを開き、上書きしてあるオブジェクトを取り除くと既存の駅舎を取り壊さなくても「南北自由通路」は成り立つであろう。恐らく計画立案の段階では駅舎を保存してリノベーションする選択肢も検討していたのではないか。「南北自由通路」と駅舎保存を両立させることは可能であるが、特に駅舎の保存運動も起きていない事から解体移築が既成事実として住民に浸透していると見做され計画が進められているのだろうか…。しかし、地元住民は「南北自由通路」は求めていても駅舎の解体までは求めていないのが実情のようである。JR中央線始発駅の東京駅丸の内口駅舎も竣工当時の元の姿に戻された。同じJR中央線始発駅の高尾駅北口駅舎も大正・昭和の時代を残す建造物である。駅舎だけを移築静態保存しても、それは建築としての機能を失ったモノでしかない、駅構内に動態保存するのが筋だろう。高尾駅北口駅舎は高尾駅1・2番線のホームと同じレベルにあり、足腰の弱った人には優しい駅舎である。主要な駅改札機能を橋上駅に移動しても一つくらいの改札口は残すべきであろう。
現在の高尾駅は嘗て皇室利用の為にあった貴賓室や団体改札口をリノベーションして島根県の石見地方に本社を置く会社がカフェとブティックを運営している。石見銀山と八王子とを関係付ける人物としては大久保長安の名が真っ先に浮かぶだろう。更に高尾駅駅舎と出雲の大社駅の設計者が曽田甚蔵と云う共通点も見られる。(訂正:近年、小屋裏から棟札が発見され設計者は鉄道省技師の丹羽三雄であったことが解った。)JR中央線下り始発駅の東京駅丸の内口駅舎も建設当時の姿に復元されたことだし、JR中央線上り始発駅の高尾駅・北口駅舎も解体移築して静態保存するのではなく、現在の場所で動態保存すべきであろう。「南北自由通路」との共存も可能な筈であるし、歴史的にも大正期から昭和への時代を表わす観光資源としての駅舎活用の道もあるのではないだろうか。取り壊してから後悔しても遅いのである。
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Posted by S.Igarashi at July 12, 2014 10:41 AM