October 24, 2006

TOTAN GALLERY

昨日、授業の前に阿佐ケ谷テラスハウスTOTAN GALLERYに行ってきた。同行者はブログで私の行動を嗅ぎつけたsimple pleasureのりりこさんである。丸ノ内線・南阿佐ケ谷駅から適当に南に向かって住宅街を抜けると団地が現れる。団地内の周回道路の南端は芝生広場の向うにTOTAN GALLERYのある公団阿佐ケ谷住宅25号棟がある。『道に迷われた方から、電話で道順を尋ねられますが、駅から迷わず真直ぐ来るよりも、少し迷子になってから、ここを見つけたほうが楽しいようです。』と、TOTAN GALLERYのTさんは言う。それはそうだ、散歩の楽しみは普段と違う道を歩いて迷子になることなのだ。

29日まで展示のhana写真展『全窓全開』はGRによる作品ということである。hanaさんは田中長徳さんらによるGR DIGITAL BOXに作品を載せている10人の1人だ。
これはGRのユーザーは必見でしょう。誰とは言わないけれど。

階段のディテールを見ると、前川国男邸と共通の印象を憶える、骨太のディテールが前川さんらしい。壁には団地の地図が、、、これも作品だ。


築48年の建物は雨漏りもするが、ステンレスのボウルもここではアート、かな?

と云う事で、昨日は残念ながら雨降りの上に、朝から中央線の人身事故で30分も時間を無駄にしたので、授業の準備もあってゆっくりする間もなくギャラリーを後にした。晴れているときに又来よう。
南阿佐ケ谷駅前でりりこさんと分かれる際、彼女はこのチラシを大学に置くようにとのミッションを残し、いそいそとランチへとむかった。私はあたふたと地下鉄に飛び乗り、大学に急いだ。結局、授業の準備でランチを食べる暇はなくなり、恐怖の三コマ(90分×3)授業へ突入したのであった。

追記:因みに女子美祭2006が10月27日から29日まで開催されます。杉並校舎の最寄り駅は東高円寺で、南阿佐ケ谷とは二駅離れているだけ。
Kai-Wai 散策:阿佐ヶ谷テラスハウス

Posted by S.Igarashi at October 24, 2006 09:28 AM | トラックバック
コメント

>転落防止柵が付くんですか。

太郎さん、それは解りかねますが、全駅に設けて欲しいですね。

Posted by: iGa at July 23, 2008 02:51 AM

中央線にも山手線に少し前に1部の

駅に出来た、転落防止柵が

付くんですか。

Posted by: 太郎 at July 21, 2008 07:33 PM

わきたさん、どうもです。
どうも、町づくりまでが市場原理をプライオリティにしてしまったら、歴史も、美しい何やらもあり得ないだろうが、バブルが忘れられないのか土地本位制による錬金術よ再びと思っている連中が市場を支配している限り、建築が生き延びるのは難しい世の中ですね。

Posted by: iGa at October 25, 2006 10:31 PM

りりこさん、昨日はどうも。
>団地がうらやましいと言っていました。
当時は団地生活がモダンだったのでしょうね。ステンレスの流しが付いたダイニングキッチンに三種の神器、昭和30年代を象徴するアイテムですね。

Posted by: iGa at October 25, 2006 10:11 PM

雨の中ありがとうございました。
わたしの住んでいた横浜の篠原団地は
すでに取り壊されて開発が終わっているようです。
6畳、4畳半、6畳のDKという小さな家。
友達の家に行くと広くてうらやましかったのですが、
友達のおかあさんは、
団地がうらやましいと言っていました。

Posted by: りりこ at October 25, 2006 08:12 AM

iGaさん、おはようございます。「どうなんでしょうか、」ってのは…?多くの団地、高齢化していますよね〜。それに団地だけでなくて、郊外の一戸建てを中心にした新興住宅地も高齢化しています。「コミュニティの再生に可能性があるのか、土地にもコミュニティにも帰属しない人々が主流になるのか、…」とのこと、コミュニティの研究も仕事の範疇にはいっているのですが、なかなか明るい材料がありませんね〜。もちろん、うまくいっているところもあるのですが…。一時的に再生の機運がみえても、それが持続しないパターンが多いです。地域社会の人と人との信頼関係や何かあったときに問題の対処に人びとが動けるような関係のネットワーク( social capital 社会関係資本)は、ゆっくり育んでいくしかないんですけど。

Posted by: わきた・けんいち at October 25, 2006 08:11 AM

どうなんでしょうか、昔は団地自治会の活動もあって、それなりのコミュニティが形成されていたのでしょうが、高齢化も進み、分譲住宅であっても次世代に受け継がれることも、新陳代謝することもなく、コミュニティが崩壊していった現場にも見えますが、コミュニティの再生に可能性があるのか、土地にもコミュニティにも帰属しない人々が主流になるのか、何か日本中至る所で似たような状況に置かれているように思えます。未だ生活の痕跡が残っている今のうちに記録だけでも残しておくだけで、この団地も一つの昭和遺跡として記憶から消されてゆくのでしょうか。

Posted by: iGa at October 25, 2006 02:14 AM

子供達の遊ぶ姿や声が団地中に聴こえていたのでしょうね>iGaさん。そうです、そうです!!僕たちの世代ですよ。というとは、この阿佐ケ谷テラスハウスがまだピカピカしていてた頃にここで育った人たちは、もう50歳前後になっているということですね〜。

Posted by: わきた・けんいち at October 25, 2006 12:30 AM

わきたさん、どうも。
この和室は増築部分です。ですからテラス側に一間半(九尺=2.73m)継ぎ足していることになります。広く感じるのは当然ながら増築していること家具が少ない事、壁と天井をオフホワイトに塗っていることが影響しているでしょう。それでも、天井が低いですから床にそのまま座るのがこの家で寛ぐときのベストポジションですね。
以前の住人は壁を濃いめのペッパーミントグリーンに塗っていたそうです。その名残が階段脇の洗面所入口扉にあります。
今は静かですが、この団地が出来た昭和33年当時は子供達の遊ぶ姿や声が団地中に聴こえていたのでしょうね。

Posted by: iGa at October 24, 2006 10:49 PM

iGaさん、こんばんは。なんだか、広々していますね〜。人が写っていないし、家具がおいていないからでしょうか。僕がテラスハウスに住んでいたのは、幼稚園で、もう本当にチビだったのですが、それでも我が家は狭いな〜と思っていました(^^;)。

Posted by: わきた・けんいち at October 24, 2006 09:36 PM