October 29, 2014

赤瀬川原平の芸術原論展・初日

展覧会初日に行くなんて初めてのことではないだろうか。昨日、午前中は市ケ谷、用事を終えて西側に帰らず、そのまま東側に向かった。行き先は千葉…目的は昨年、川瀬巴水を見に行った千葉市美術館で開催される赤瀬川原平の芸術原論展である。
去年と変わらずJR千葉駅は工事中で東口改札に抜けるには迷路のような通路を通らなければいけない。その上、小便臭い…う〜ん「これって罰ゲームなの」と言いたくなる。
美術館受付でシニア割引で…と告げると、「市民の方ですか?」の返事…「いいえ」と答えると「それでは一般料金でお願いします。」の返事。あらら...都美術館ではそんなこと聞かれないぞ...わざわざ他県から来る高齢者に冷た〜い千葉市なのであ〜る。残念!
憎まれついでにもう一言、美術館までのアクセスマップに方位がないこと、方位を表示しない場合は原則として北を上にするのが常識であるが、最近は地図を読めない者に向けてか、方位を無視して出発地を下に目的地を上にしている案内図も増えている。そんな案内図を一度目にしてから子午線を縦軸の座標に基づくGoogleMap等で確認すると…そのギャップに眩暈を憶え、思わず「ここは何処?私は誰?」と呟いてしまいそうになってしまうのである。

会場に入ると目に付くのは赤瀬川克彦10代の習作…どこかゴッホの「馬鈴薯を食べる人々」を思わせる「貧しい家族(図録不掲載)」が目を引く…カフカやアフリカに影響を受けていた10代の頃…そしてネオダダの時代…7月の『戦後日本住宅伝説ー挑発する家・内省する家』でも取り上げられた新宿ホワイトハウスがその活動の拠点だったのだが、磯崎新と新宿ホワイトハウスの吉村益信と赤瀬川原平の関係は高校一年の一学期半ばまで住んでいた大分から続くものだったのだと…図録で再確認…なるほど、そうだったのか。愛知県出身かと思っていたが、それは高校時代だけのようだ。
参照磯崎新オーラル・ヒストリー 2012年4月1日
最近、NHKでもシリーズ1964 と称した番組で「ガロ」創刊の頃をアーカイブ映像から振り返っていたが…この展覧会も赤瀬川原平の目で捉えた「1960年代から現在まで」のニッポンの姿なのだろう。私の場合は時代的に櫻画報以降の活動に親しみを覚えるが、トマソンが巨人に入団した時のスポーツ紙一面の写真に「へぇ〜、こんな顔していたんだ。」と妙に感心してしまった。展示品に思わずニヤリとしたり、つい声を出して笑ってしまったりと…変な風に愉しめる美術展である。
昨日は展覧会初日と云うことでメディアへの内覧会も兼ねていたようで...多くのプレス関係者が会場内をウロウロしていた。中には美術館の展覧会担当者に『御奨めの一点は何かありますか?』と尋ねている女性記者が居た。まったくバカ者である。脇で聞いていて『居酒屋じゃねぇよ!』とツッコミを入れたかったが押さえた。会場内で我が物顔で写真を撮りまくるプレスの腕章を付けた輩等々、メディアの劣化ぶりはこの美術展でも証明されたようだ。
と云うことで、劣化したメディアの記者さんでなければ、行って見て損はない…かも。
追記
墓活論:自分の墓を考えていたようです。Amazonのユーザー・レビューではウィットがないと評判悪し...

四年前に撮影されたニラハウスの前のストリートビューです。屋根の上のニラは枯れ...既に屋根はトタン張りで修復されたとか…
日経ビジネス:赤瀬川原平「ニラハウス」

Posted by S.Igarashi at October 29, 2014 10:21 AM