December 09, 2003

「JR中央線の復古神道的解釈」に思う

秋山氏から講談社現代新書「鉄道ひとつばなし」が面白い、かくかくしかじか、なんたらかんたらで、これから啓文堂に行って買うようにとのお薦めがあった。その日、夕刻に知人の親族の通夜があり、その帰り京王線高尾駅前の啓文堂に立ち寄ったが「鉄道ひとつばなし」は置いてなかった。その翌日、大学の帰りに啓文堂に立ち寄ると「鉄道ひとつばなし」があった。
その第一章「天皇と鉄道」に「JR中央線の復古神道的解釈」という節がある。JR中央線の起点と終点の何れもが天皇に深く関わっているという話だ。東京駅が天皇の生を、高尾が天皇の死を象徴すると神道的解釈を試みている。私も勤めていた高木滋生建築設計事務所が京橋にあったとき、高尾から東京まで、つまり起点から終点まで中央線をフル活用していた時期があった、その上、私の祖父までは会津の鎮守・伊佐須美神社の神職をしており、本来ならば神道に縁が深いのだが、その祖父は神職の株を売り払い、東京に出て、家族を省みず死ぬまで自分の趣味に生きた人である。その子である父も伯父も既に他界しているが、神道で葬儀を出したのは長男である伯父のときだけで、伯母は戦争にも負け、夫と息子を立て続けに亡くしたことから神道は国も家族を守ってくれはしないと神道を捨てた。父にいたっては基本的に信仰心のない人である。従って私も神道に関する知識は持ち合わせていない。であるから「JR中央線の復古神道的解釈」にも「あっそう」程度の感想しか持ち合わせていない。ちなみに著者は触れていないが高尾駅は新宿御苑で行われた大正天皇の大喪の礼で使用した施設を移築したものである。皇居から見れば多摩御陵のある地は日の沈む西方であるから御陵を造るには最適であろう。荒井呉服店の娘・ユーミンが唄う中央フリーウェーでは黄昏が西に向かう車のフロントグラスを染め、その先の八王子恩方では夕焼け小焼けで日が暮れると山のお寺の鐘が鳴る。山並みに沈む太陽が人を感傷的な気持ちにさせるのか、八王子はやんごとなき御方の御陵から下々の霊園まで、あの世に旅たってから世話になる所も、老人ホームや老人病院等、あの世に旅発つ直前に世話になる所も数多くある。何も「復古神道的解釈」でこじつけなくとも、この地は真言宗高尾山薬王院有喜寺もあり、霊界とは縁のある土地なのである

Posted by S.Igarashi at December 9, 2003 03:21 PM | トラックバック
コメント

小学生の時、社会科見学と称してクラス全員で高尾駅に行ったことがある。駅長の案内で一番線ホームの北側にある引き込み線の端にある車両庫に格納保管してある皇室の御召列車を見学したことがある。オープンデッキの付いた小豆色の車両には菊の紋章が付き、内装には木材とゴブラン織のクロスが施され洋館のサロンのようなしつらえであったと記憶している。これもたぶん、大正天皇の大喪の礼で使用された車両ではないだろうか。「鉄道ひとつばなし」に書かれていた皇室専用の東浅川駅の駅舎は現在は市の集会施設・陵南会館となっている。ちなみに此の辺り甲州街道沿いの古い地名は「原宿」と呼ばれていた。山手線原宿駅には現在でも皇室専用のプラットホームがあるが、これは偶然の一致であろう。

Posted by: S.Igarashi at December 10, 2003 10:40 PM