March 25, 2009

岩淵・水辺と崖線...『JEDI・春だから荒ぶる川の桜と水門...』

と云うことで週末(3/28)の天気予報も概ね問題なさそうである。

私は東北本線に乗ることは殆どないが、たまにJR京浜東北線で荒川の鉄橋を渡るとき、河川敷の一部と思われる場所に墓地と寺があるのが目に入る。何故こんな場所に寺がと思っていたが、masaかその場所が広重・名所江戸百景に描かれていたとは想像もしなかった。それは日光御成街道の最初の宿場・岩淵本宿側から見た安藤広重・名所江戸百景「川口のわたし善光寺:安政四年(1857年)」である。上図はその絵が描かれてから27年後の明治13年(1880年)地形図である。これを見ると文明開化の足音は江戸東京周辺の岩淵には未だ届いてないようだ。
ところで地名である岩淵の意味をiPhoneの大辞林で調べると、成程と合点できる。やはり荒川の蛇行によって、円弧の外周部は川底が深く侵食され淵と成ったのだろう。そういえば、子供の頃に川遊びをした山里の川も淵には「どんどん淵」とか「いちどん淵」といった名が付いていたことを思い出した。
岩淵の地名も赤羽に吸収統一され消えてしまう危機もあったそうだが、住民の反対で地名が守られたと云うことである。水の力で地形、そして風景がつくられているとすれば、やはり岩淵は荒川があっての地名である。歴史から消してはいけないのだ。


1921年(大正10年)
北足立郡横曽根村大字浮間が横曽根村から分離し、東京府北豊島郡岩淵町に編入されたのは1926年(大正15年)10月1日とのことである。荒川大橋が完成するのは昭和3年(1928) 、この地図の橋は未だ「舟橋」である。特徴的なのは武蔵野台地には陸軍関係の施設が多く造られていることである。


1955年(昭和30年)
戦後10年経った地図では陸軍被服本廠の跡にブリジストンタイヤ、兵器庫跡に日本製鋼の工場が、そして兵舎の跡は学校や病院となっている。


1981年(昭和56年)
工場は移転し、ブリジストンタイヤの工場跡に出来た赤羽台団地は昭和37年(1962年)の完成と伝えられている。


1995年(平成7年)
日本陸軍の兵器庫は日本製鋼の工場と成り、やがて工場移転に伴い西が丘のサッカーグランドや国立の施設や官舎や団地へ替わり、それらも建替えが行われているようで、GoogleMapにある建物もストリートビューでは無かったり、工事中だったりする。官から民、民から官へと目まぐるしく所有権が移動している。そこには国家百年の計もグランドプランも何も存在しない。唯々、欲望の成すまま、自然を土地を切り刻んでいるように思えてならない。


凸凹地図
水が風景を作るとは云いますが、それにしても武蔵野台地の北東端の崖線は奇妙なカタチです。私にはフランケンシュタインの頭のように見えます...(^_^;)

AkabaneIsekiMapS.jpg

東京遺跡情報2000から北区の指定史跡地図(©東京都教育庁)を調べてみましたが、やはり岬の先端に古墳があります。そして台地には集落、低地には貝塚とか...ですね。
4:包蔵地・貝塚(縄文・弥生・古墳・奈良・平安)
5:集落(旧石器・縄文・弥生・古墳・奈良・平安・中世・近世・近代)
6:赤羽台古墳群(古墳時代)
7:赤羽台横穴墓群(奈良時代)赤羽八幡神社の辺りです。
8:集落(旧石器・縄文・弥生・古墳・奈良・平安)
9:集落(縄文・弥生・古墳・奈良・平安)赤羽台団地
12:集落(旧石器・縄文・平安・近世)
13:集落(縄文・弥生)
14:大塚古墳(古墳)
15:集落(古墳・奈良・中世)
49:集落(縄文・弥生・古墳・奈良・平安・近世)赤羽台団地


大きな地図で見る

追記:地図上の赤い線は当日歩いたルートに変更してあります。

そんなこんなで、3月28日に『JEDI・春だから荒ぶる川の桜と水門...』を計画している。埼京線・十条駅に集合、午後一時頃から、いつものようにダラダラと歩き始め、商店街(十条銀座)を抜け、台地を巡り、崖線から低地に降り、荒川放水路岩淵水門までユルユルとダイビングして桜を愛でる予定なのである。因みに荒川放水路は1965年(昭和40年)に正式に荒川の本流とされているので、岩淵から下流も正式に荒川で良いのだが、放水路流域の低湿地帯に生まれた者には人工的な河川である荒川放水路の方が耳に馴染むのである。
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『JEDI・春だから荒ぶる川の桜と水門...』
開催日時:3月28日(土)午後1時〜5時、その後いつものように反省会
集合時間:午後1時 埼京線十条北口
岩淵水門:午後3時30分〜4時頃までには到着 
     荒川治水資料館(無料、9:30~17:00、入場は閉館の30分前)
反省会 :午後5時30分〜赤羽駅東口界隈にて、場所は未定
雨天の場合は当日午前9時頃までに中止等を判断し、ブログ及びメールにて告知します。

参照サイト赤羽駅東口:御菓子司・喜 屋赤羽時間旅行
赤羽の地形
赤羽歴史年表

Posted by S.Igarashi at March 25, 2009 10:28 AM | トラックバック
コメント

masaさん、どうもです。

私も、ちょっと前々日くらいにヤバイと葛根湯を飲んで、どうにかこうにか、誤魔化しましたです。昨日は出だしから高田馬場での人身事故で埼京線もストップし、30分くらい遅れてのスタートとか...隊長は富士見銀座で合流とか...ありましたが、商店街を抜け環七を渡り住宅地に入ったところで、変則的十字路の壱品に遭遇...その変則的十字路手前の不思議な総菜屋さんで女子二名(光子さんに松浦さん)は釘付け....(^_^;)

今回は調査ダイブも行なわず、いきなりのダイブだったので...見逃した処も多かったです。低地にでるのも「パラボロイド@赤羽」から星美学園の裏から荒川へ...と考えてましたが...時間の関係とか...体力...で....(^_^;)
「東十条と十条界隈」とか「赤羽台地と谷戸」とか、それだけのミニダイブでも....奥は深そうです。

Posted by: iGa at March 29, 2009 08:12 AM

iGaさん、折角こうして周到な準備をしてくださいましたのに、何のお役にも立てなかったばかりか、自己の体調管理の悪さから参加すらできなくなり、たいへん申しわけありあせん。後日、iGaさんが配布なさった資料をもって、後を追うつもりです。

Posted by: masa at March 28, 2009 06:55 PM

shinさん、おはようございます。

それは大変、お大事にして下さい。

Posted by: iGa at March 28, 2009 08:14 AM

すいません急用(母大腿部頸骨の骨折)で、東京山間部へ急行しています。荒川はお休みとなりました。

Posted by: shin at March 28, 2009 07:24 AM

玉井さん、どうも残念です。

夕日に映える真っ赤な岩淵水門をしっかりと見ておきます。

それにしても花冷えというのか、気まぐれな寒の戻りのような日が続いて咲き始めた桜も戸惑っているようですね。

そういえば今日、出版社に打合せに行きましたが...ここにきてiPhoneもtouchも売れているみたいで、関連図書の売れ行きもよいみたいです。

Posted by: iGa at March 27, 2009 11:19 PM

残念ながら、今回ぼくは参加できないのです。
iPhoneを手にしてからは、初めての本格ダイビングなのにね。
相変わらず、充実の資料を前にしながら参加できないのは残念至極。
好天を祈ります。

そういえば、テレビのCMにも大辞林の、鯵の図入りの画面がでていましたね。

Posted by: 玉井一匡 at March 27, 2009 09:18 PM

shinさん、どうも大歓迎でございます。

そうですね、海退期後の江戸東京北東部の地形を創っているのは荒川ですね。八幡神社の下に東北新幹線を通しちゃうのも、何だかですが、京浜東北線から見ていた、あの台地は気になっていた場所でした。

Posted by: iGa at March 16, 2009 12:44 AM

いままで一度も伺って無いのですが3/28参加できそうです
荒川は非常に興味があります
何か東京の北東部を形成している原点のような....そんな気がしてます

Posted by: shin at March 15, 2009 11:42 PM