August 22, 2017

銀杏の木は残った...


今月5日に竹橋の国立近代美術館「日本の家 1945年以降の建築と暮らし」を見た際、最初の展示コーナー「日本的なるもの」の丹下自邸の庭で遊ぶ近所の子供達の写真を見ていて、50年前の1967年、高校三年生の夏休みに丹下自邸の塀も門扉もない庭先にちょっとだけ進入して外観を見たことを思いだした。Streetviewで丹下自邸のあった現地を確認すると三本の銀杏の木は残されていた。

その日は豪徳寺住む級友と中野区南台に住む級友と小田急線・鶴川で待合せ、三人で高台の新興住宅地に造られた原広司設計の慶松幼稚園を見学、小田急線で成城学園前に行き、丹下健三設計のゆかり文化幼稚園を見学し、そして最後に丹下自邸を見たのだった。

丹下自邸が取り壊されたのを知ったのは、1975年の7月、高木滋生建築設計事務所で設計を担当していた山中湖のK氏山荘の竣工祝いの席に於いて、その別荘地を開発した業者からであった。詳しいことは憶えていないが、更地にして建売り住宅を三棟造る予定だとか...聞いた。
その別荘地には吉村順三・設計による「山中湖の山荘A」(作品集の表記による)があり、その山荘の下に丹下山荘が建築される予定だったが、前夫人との婚姻関係を解消されたので、成城の丹下自邸も山中湖の山荘予定地も、前夫人の所有となり、山中湖には吉村順三・設計による山中湖の山荘Cが建築された。上図の1975年の空撮写真には既に丹下自邸は解体され三本の銀杏の木の影が敷地を覆っている。
国立近代美術館の「日本の家」の図録では丹下自邸の庭で子供と戯れる家族写真まで掲載されているのが...以外であった。プライベートな経緯もあって人知れず、解体撤去されてしまった丹下自邸であったが、願わくば小金井公園に移築された前川国男邸の隣辺りに移築保存し、子弟競演となれば良かったと思うのは私だけではないだろう。

tangehouse.jpg

恐らくは此の辺りは風致地区の指定を受けていることだろうから、この配置図にも描かれている三本の銀杏の木は残されたのだろう。

Posted by S.Igarashi at August 22, 2017 04:32 PM
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