October 11, 2016

豊橋の水上ビル

昭和三年発行の五万分の一地形図の豊橋の市街地を流れる農業用水路(牟呂用水)の青く塗った部分に戦後闇市から派生した小規模店舗の移転先として1964年(昭和39年)から1967年(昭和42年)に掛けて造られた幾つかのビルを総称して水上ビルと呼ばれているそうだ。ん〜…これは三原橋の銀座/傳八のあった三原橋センターと三原橋地下街に似たような話である。そんな訳で「あいちトリエンナーレ 2016」の会場にも使用されている水上ビルを見たいと思った。

と云うことで、築50年を過ぎようとする建物は名誉ある?「既存不適格建物」となり、ここも御多分に洩れず、シャッターが閉まったままのテナントが多いようですが、どことなく戦後闇市のDNAが香り立つようです。そういえば、建替え中の渋谷東横百貨店も渋谷川の上に造られていますね。好き勝手に法律を解釈する官僚上がりの強盗慶太のDNAは今も健在のようです。

橋の欄干だけが残っている。あたしん家の地名は谷戸の地形から狭間町ですが、ここは何なのでしょうか。

ブラジルのラウラ・リマによるインスタレーションですが、小鳥が逃げたり死んだり、問題もあるようです。
問題:中日新聞・小鳥、逃げたり死んだり 「あいちトリエンナーレ」豊橋の展示
対処:鳥の保護活動/TSUBASAみらくる日記・「あいちトリエンナーレ2016」のご報告

屋上も無法地帯に…これも戦後闇市のDNAを伝えるものでしょうか。

関連:ミツカン水の文化センター機関誌『水の文化』47号 つなぐ橋 
川がない橋が秘めた東京の履歴 斉藤 理 

Posted by S.Igarashi at October 11, 2016 04:30 PM
コメント

この水上ビルの入居者は戦後闇市の商売人や大陸や半島からの引き上げ者が多かったようですが、建築物の耐用年数とシンクロするように廃業して、身内からの後継者は居ないまま、ガラガラとシャッターが閉められた状態ですね。

Posted by: iGa at October 11, 2016 11:05 PM

浜松でも1961から始まった耐火建築物の「ショッピングセンター」が、バブル崩壊で地上げ屋も来ず、いったいどうなるんだ、という雰囲気です。

Posted by: Fumanchu at October 11, 2016 09:07 PM