36年前くらい高木事務所に入って一年ほどは八重洲のジャノメビルの裏通りにあるビルに通っていたので、京橋は目と鼻の先の行動範囲であったが、この欄干親柱・柱頭をまじまじと見つめたのは初めてのことだ。そう云えば36年前にはこの建物は無かった。だから意識することもなかったのかも知れない。ところで、この親柱・柱頭のデザインリソースは何から引用したのだろうか。もしも、欄干親柱の柱頭が普通に擬宝珠 (ぎぼし)だったら、相似形はあり得ないだろう。因みに北側の橋詰跡には擬宝珠付き親柱も復元保存されている。(京橋川:川の地図辞典56頁参照)
ほんとだ、そっちですね。
Posted by: kawa at April 24, 2008 06:49 PMkawaさん、どうもです。
そうなんですよね。堀口捨己の紫烟荘とか分離派とか、思い浮かぶのですが...、そうした影響を受けた土木技師によるものでしょうか。
万世橋とか明治神宮の神宮橋とかの親柱はしっかり整合性のあるカタチですが、京橋のこれは...曲線をモチーフにしているだけに、あらぬ方向に..妄想が...。
大正末から昭和初期、分離派の影響を受けた建築のなかにこの手の細い放物線状のモチーフがよく見られる様に思います。万世橋も似た所がある様に感じますが、如何でしょうか。
Posted by: kawa at April 24, 2008 01:41 PMM.Niijimaさん、どうもです。
土木学会の戦前土木絵はがきライブラリにも何故か京橋は無いのですね。
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/card/01_image_list13.html
何をデザインリソースにしたのか?やっぱりこのカタチはヘンですよね。これは「川の地図辞典」を持って京橋図書館に調べに行くのが一番かも、サインして戴くのも忘れていたし...。
以前、iGaさんがご紹介されていたかしら、国立国会図書館の電子アーカイブを見ても、
(http://www.ndl.go.jp/scenery/data/133/index.html)
一部しか写っていないのですが、相似形のものは見当たりませんね。いったいどこからきたのでしょうね。