August 01, 2012

"underground" or "underpass" or "underbridge"

銀座シネパトスのある三原橋地下街は"underground"と云うよりも"underpass"或いは"underbridge"と呼ぶのが相応しいかも知れない。「明日のジョー」の丹下ジムは思川に架かる泪橋の橋の下を想定しているが、いつの時代でも橋の下は流れ者のイメージが付きまとう。三原橋地下街は三十間堀川の三原橋の橋下に敗戦後の瓦礫処理による埋め立て工事に併せて地下街が建設されている。晴海通りの"underpass"にもなっている三原橋地下街通路は嘗ての堀川...紛れもなく低湿地そのものの通路にへばり付く店舗が漂着物に見えるのは幻想ではなく...現実そのものだ。三十間堀川の河川敷地内利権を巡っては当時の衆議院でも問題となったようだ。
第019回国会 地方行政委員会 第83号 昭和二十九年十月三十一日(木曜日)
そんな経緯をまとめて元地図屋さんによる「ハマちゃんのがらくた箱・三原橋地下街の謎」と云う良く調べられた記事がネット上にあります。

『川の地図辞典 江戸・東京/23区編』と『川の地図辞典 多摩東部編』を執筆した菅原健二氏の「川跡からたどる江戸・東京案内」の「第三部 水の都・江戸の面影を求めて」「第五章:水路が張りめぐらされていた街をたどる」「三原橋が架かる三十間堀川」によると...

三十間堀川は、家康が江戸入りした当時の江戸前島東側の海岸線で、この沖合に護岸を設けて東側に埋立地を造成したのだが、その際、海岸線際を埋め残して作られた水路だ。
と書かれている。そうすると当時は下図の様になっていたのだろう。

嘗ての海岸線に造られた三原橋地下街は新しい耐震基準に合わない耐震不適格建造物として解体撤去される運命となった訳だが、地権者である東京都にとって...また貸しされたテナントを追い出すこれ以上の口実は考えられないだろう。
そういえば、高木滋生建築事務所に在籍していた時に映画興行主の物件(映画館跡地利用)を数件計画したことがあったが、いやはやどうして...若手事務所(当時)が対等に渡り合える相手ではありませんでした。


1980年代に傳八が開店した当時、三原橋地下街の映画館は、いわゆるエロ映画専門で、傳八の入口付近にエロ映画の看板があると云う状況でしたが、銀座の街並を眺めながら呑める居酒屋として客足が増えた所為か...三原橋地下街の映画館も名画座となり...入口付近の如何わしさが払拭された。これを傳八効果と云う。
関連:aki's STOCKTAKING・三原橋・銀座/傳八

Posted by S.Igarashi at August 1, 2012 04:43 PM
コメント

あたしの生まれた足立区も店舗の前の堀割に桟橋を掛けて、店舗面積を増やしている...なんてのはざらにありましたね。
堀割が暗渠化され官民境界を確定するときは...一悶着も二悶着もあったでしょうね。

Posted by: iGa at August 2, 2012 03:27 PM

全国各地で昭和30年代、どさくさ紛れにお堀の上に桟橋を架け、その上に建てられたビルなんての、がそろそろ限界を迎えているのではないでしょうか。静岡市鷹匠町北街道沿いとか、、、

Posted by: 古山惠一郎 at August 2, 2012 03:11 PM