こちらで話題となった浮間の水塚(みずつか、みづか)ですが、凸凹地図で見ても敷地に盛り土が施されているのが解ります。やはり岩淵の酒屋のオバチャンの助言に従い、来年の桜の季節は浮間から岩淵までダイビングするのが良さそうです。因みに浮間は現在は東京都北区ですが、荒川が蛇行していた大正時代までは埼玉県でした。
大きな地図で見る
水塚は関東平野の利根川水系、荒川水系の流域の農村部に多く見られるものですが、この様にGoogleMapのストリートビューで、屋敷地内の蔵を水害から守る水塚の特徴がはっきりと見られるのは珍しいでしょう。
志木市宗岡地区の水塚
群馬県板倉町の水塚
東工大・社会工学科:小貝川下流右岸側流域における水塚に関する研究(PDF-4.4MB)
実は『JEDI・春だから荒ぶる川の桜と水門...』の時も「浮間・岩淵水門」の平坦コースを考えていたのですが、やはり十条と赤羽の台地は外せないと、些か欲張った内容となったのでした。
Posted by S.Igarashi at May 1, 2009 08:30 AM | トラックバック大井川の流れ橋、然り、サバイバルとは自然に抗う事で無く...災害をやり過ごした後の復元力を優先させることなのよね。
Posted by: iGa at December 1, 2011 04:45 PM大井川周辺では並んで、でなく一軒のみで「舟形屋敷」というものを形成していた様です。舳先を大川上流に向けています。
Posted by: Fumanchu at December 1, 2011 04:32 PMいまどきさん、どうもです。
昔の漫画では台風と云うと判で押したように「大水で屋根に避難する住民と救助に向かう小舟」が定番になってましたね。
河川の氾濫は大地を肥沃にするというプラス面もあり、昔の農家はそうした自然を抗うことなく受入れて生きていたのでしょうね。まぁ...それも都市化によって...過去のことですね。
Posted by: iGa at March 7, 2010 12:27 PM水塚という言葉、知りませんでした。勉強になりました。しかし考えてみると、家の近所の岩淵、志茂、神谷辺りに今でもこうした地面を高くした家、何軒もありますよ。岩淵の古い家には、軒下に木船を吊るした家もありました。なるほどなるほど。
Posted by: いまどき at March 6, 2010 10:07 PMわきたさん、こんばんわ。
市街地化された地域での、この水塚は見事ですね。この水塚の前は道路を挟んで埼京線と東北・上越新幹線の高架ですが、新幹線からは見難いと思いますが、埼京線上りの進行方向左側の車窓からは見えそうな気がします。
iGaさん、こんばはん。
う〜ん、見事ですね。はっきり見ますね。なんだか、海に浮かんだ島のようです。で、実際の水害のときには、本当に「島」になったんだろうな。関西にも、こういう場所があるのをひとつだけ知っています。木津川のそば、近鉄電車で通勤しているときに、いつも見ています。でも、実際に電車をおりて、お住まいの方に確認はできていません。確認したくなったな〜。