なんだかんだと、8カ国が残りました。手元にある1998年のワールドカップの年に発行された昭文社の世界地図帳には戦争・紛争、ミリタリーバランス、EU、発展と緊張の東アジア、国際航空路線網、高速列車、F-1グランプリ、サッカーワールドカップ、等々の世界地図情報があり、その1998年のワールドカップ当時の日本のFIFA世界ランキングは9位というもので、何かの計算違いではないかと、誰しも思っており、結果は思っていた通りでした。それから20年、随分成長したものと実感してます。
このメルカトル図法では矢鱈とロシアが大きく見えてしまい、なんだかですが、それ以上に日本を中心に置いた世界地図ではワールドカップの背景も捉えられないのでないか考え、日本を極東に置いた世界地図に改めることにしました。
と云うことで改めてBest-8の世界地図を...。
こうして見ると、西アフリカの対岸にあるブラジルに奴隷市場が設けられていたことや、イギリスとアルゼンチンのフォークランド紛争等、位置関係から理解できます。
そして、サッカーワールドカップが汎大西洋の大会でもあり、アジア・オセアニアの国々はお客さんでしかないことが分かります。
ガヤトリ・スピヴァクの言葉を借りれば『ポストコロニアリズムとは強姦から生まれた子どもだ。』と云うことですが、四年に一度のサッカーワールドカップは彼等にとって理不尽な宗主国である「父殺し」の絶好の機会なのでしょう。一方、抜け目ない宗主国は移民を傭兵に組み込み、父の面子を賭けているようにもみえます。