写真1(+)
kawaさんから1960年代初頭の善福寺川流域の様子を伝える貴重な写真を送って戴きました。この頃は未だ橋も木造でしたね。
追記:と云うことでkawaさん立会いの元、現地で撮影場所を確認しました。
写真2
いいですねぇ〜長閑ですねぇ。兄弟揃って、お父さんと一緒に散歩するのが楽しくてしょうがない様子が伝わってきますね。(と、勝手に妄想してますが、、)3人とも長靴を履いてるのが良いですね。
善福寺川も未だ護岸工事されてなく川底も浅いことが良く解りますね。
写真に添えられたkawaさんのメールを紹介させて戴きます。
私が小さい頃には、川沿いがずっと河岸段丘になっていて、土手からすぐは、畑や田んぼ、学校のグランド、公園や釣り堀、養豚や資材置き場、廃品回収の置き場になっていました。
もう一段上がった所から住宅が並んでいました。
松の木の縄文遺跡、縦穴式住居も川からは一段あがった丘の上にあります。
田んぼを埋めて、川沿いに建て売り住宅が並びだした時には、こんな所に建てていいのかなと子供心に思いました。
少し大人になって、人口が増えるばかりの時には川沿いに家が建つのも仕様がないと思いました。
しかし、これから人が減る事を考えれば、土手の外も何年かに一度ぐらい川があふれてもいい公園等にしておくのも出来ない話ではないと思い始めました。
区は住宅の並んだ私有地を買い上げて低いグランドやテニスコートを作って増水時に備えているようです。
何年かに一度あふれてもいいと考えれば、コンクリートの土手以外のもっと素敵なウォーターフロントの可能性も出て来ると思います。
下の写真は昨日その「写真2」の撮影場所を検証しているところです。風景は昔とすっかり様変わりしていました。そんな訳で往時を振り返って記念の再現写真を撮りました。
こんな時代でした。
姉たちから聞いた古山家の昔話。
私はバブバブなので直接は知らない。
(実話なんだろうけど、人情話など参考に脚色してあると思う)
玄関が開き、母が出てゆく
「あなた、○○さんて方,、、」
父が出てゆく。しばらく話をして来ると母に
「おい、1000円出してくれ。」
「だって、あの方、、、」
「いいから出せ。」
父が戻ってくると
「あんたあの人500円って言ってたのが聞こえたけど、何なのよ。」
「そんなに付き合いが有ったわけじゃないのに、俺んとこに来るなんて、
あいつもよっぽど困ってるんだ、どうせ帰ってくる金じゃなし、
2000円と言ったって、皆1000円しか出さんだろう、500円なんて、
こじきみたいだけど、出してくれるかもしれんと思って言ってるんだ。
今、俺たちは1000円の金をなくしても、死にはせんだろ。
まあ、落としたと思って我慢してくれ。」
「きーっ、あんたがそういうお人好しのええ格好しいだから、
うちはいつまでたっても貧乏なのよ。」
がらがらっ、ばしゃん(台所のガラス障子が閉まる)
がっちゃん(土間に思い切り茶碗を叩き付ける音)
歳を取ってしまった容疑。
1960年代ではなく、奈良時代へいってきました。
http://www.tcp-ip.or.jp/~ask/dh07/nishiura/nishiura.html
ん〜、何の容疑かなぁ〜、、、
Posted by: iGa at March 23, 2007 03:22 PMのどかな田園風景ですね。
3人が歩いている写真、向かって左側がkawaさんなのかしら、なんだかみんな犯人みたいですね。