玉井さんズ、どうもです。
藤野駅まで送って行く時に淵野辺二人連れに「フアンですか?」と尋ねられたので『赫々然々で、ヴォーカルの…※Φ〜#×≒〇¥±〄m(。≧Д≦。)m♪ヽ(^-^ )♪v(*'-^*)^☆m(_ _"m)※Φ〜#×≒〇¥±〄m●〜*(◎_◎;)』と答えたら…二人で声を揃えて『あの子綺麗だし可愛いし、歌も上手いわね。』と…誉めてくださいました。しかし、遠路遥々、電車とバスを乗り継いで来て下さるファンの存在は有難いですね。
ひょんなことから、おいでくださり、まことにありがとうございました。きっと振り返るとこの日はまた、私達メンバーにとって記憶に深く刻まれるライブになったのだろう と感じます。渋さ知らズにいれてもらってからは、その度ごとに記録が塗り替えられて、アルバムが足りません。一瞬一瞬、皆全力で、ああ楽しかった!と家路につきます。五十嵐さんにとってのこの日は どうだったかなあ。と、はらはらしていました。懲りずにまた、よかったらお越し下さい。ありがとうございました。
Posted by 玉井夕海 at May 12, 2015 01:53 AM 一昨日は、ありがとうございました。
五十嵐さんがシャワーとおっしゃる渋さ知らズのライブのあとに、ぼくはいつも熱い風呂から上がったあとのようだと感じます。
そして、渋さ知らズとはなんなのだろうと思うのです。
この日のライブは渋さ知らズの通常の時からすれば1/3たらずでしょうが、あれほどの数を長年動かし続けるし、東京フォーラムで毎年開かれるクラシック音楽の祭典「ラフォールジュルネ」では、クラシック畑以外で唯一の招待者ですからね。
nozawaさん、どうもです。
なんか、福島支援のイヴェントも人が集まりにくくなっているみたいですね。
昔、第一回冷やし中華祭りと云うのが有楽町の読売ホールであって、それに山下洋輔トリオの演奏に中華鍋で拵えた甲冑を付けた大駱駝艦の麿赤兒による暗黒舞踏のパフォーマンスを見た事があります。渋さ知らズに参加しているのは大駱駝艦をルーツに持つ山海塾の舞踏家とか…吉祥寺の追っかけオジサンが言ってました。あの…三人は中央線車内でも...渋さ知らズで盛り上がっていたかも…ですね。
地震の翌年、僕もつくばで渋さ知らズのイベントに行きました。
白塗りとダンスありの懐かしい感ありの軽快な混沌でしたが、やはり空席ありと学園都市らしい静かな客層だったように思います。
ファンが遠くまで足を運んで、車のなかに交流が.....いいですね。