と云うことで昨日の土曜日、旧・藤野町の廃校跡の体育館(牧郷ラボ)で行われた『いのち感じろ!渋さ知らズオーケストラLIVE―福島生きもの応援チャリティーイベントーライブ』を見て聴いて来た。イヴェントを知ったのは今回のライブにヴォーカルで参加している夕海さんの前日のFacebookでしたが、肝心な日程の記入漏れがありメッセージでダメ出しをして、「うわっ明日かよ!」と分った次第です。藤野は中学の夏休みの林間学校で一度行っただけでしたが、最近は色々と工房ができたりとか、ちょっと興味があった場所なので、家からどのくらい時間が掛かるのかも確かめたいとも思っていました。家からは町田街道を経由して浅川トンネルから甲州街道(20号線)に入り、久しぶりに大垂水峠越えで相模湖ICの先を左折して橋を渡り、右折して日連から牧野に向かい神奈川C.C.の案内看板を確認して右折、なんとか迷わずに現地に行き着いたと思ったら、目立たない廃校入口をオーバーラン…ちょっと先で車を切り返して廃校入口のアプローチの狭い坂を登って校庭に到着…所要時間35分くらい。車の走行距離が往復で48kmだから片道24km、渋滞はなかったけれど、ワインディング‐ロードの山坂道を平均時速41.1k/mの安全運転でした。
追記:Torino Jazz Festival 2015 - Shibusa Shirazu
旧・藤野町の公演から略三週間後、北イタリアはトリノのジャズフェスティバルでのライブ。
渋さ知らズオーケストラを聴くのは今回が初めて…まぁフリージャズと暗黒舞踏のコラボは70年代から...見て聴いてるが…観客やミュージシャンを巻き込んでダンサーに仕立てる処が「渋さ知らズ」の由縁なのかも…そんな訳で快適渾沌状態の音のシャワーを浴び続けた2時間余りでした。
ライブが終わって車で帰ろうと取付道路の坂道を下っていると、バス停まで歩いて帰る人がいたので声を掛け、藤野駅まで送って行くことに...二人連れの女性は淵野辺から、一人で来た男性は吉祥寺から来たということで、皆さん「渋さ知らズ」のフアンだそうで、東京フォーラムのライブは満席になるのに、今日は空いていたけど、これはこれでまた良かったとか…で、フアン同士の交流が…そんな三名を無事に藤野駅まで送り届け…あたしは一路大垂水峠の山越えへ...。
玉井さんズ、どうもです。
藤野駅まで送って行く時に淵野辺二人連れに「フアンですか?」と尋ねられたので『赫々然々で、ヴォーカルの…※Φ〜#×≒〇¥±〄m(。≧Д≦。)m♪ヽ(^-^ )♪v(*'-^*)^☆m(_ _"m)※Φ〜#×≒〇¥±〄m●〜*(◎_◎;)』と答えたら…二人で声を揃えて『あの子綺麗だし可愛いし、歌も上手いわね。』と…誉めてくださいました。しかし、遠路遥々、電車とバスを乗り継いで来て下さるファンの存在は有難いですね。
ひょんなことから、おいでくださり、まことにありがとうございました。きっと振り返るとこの日はまた、私達メンバーにとって記憶に深く刻まれるライブになったのだろう と感じます。渋さ知らズにいれてもらってからは、その度ごとに記録が塗り替えられて、アルバムが足りません。一瞬一瞬、皆全力で、ああ楽しかった!と家路につきます。五十嵐さんにとってのこの日は どうだったかなあ。と、はらはらしていました。懲りずにまた、よかったらお越し下さい。ありがとうございました。
Posted by: 玉井夕海 at May 12, 2015 01:53 AM 一昨日は、ありがとうございました。
五十嵐さんがシャワーとおっしゃる渋さ知らズのライブのあとに、ぼくはいつも熱い風呂から上がったあとのようだと感じます。
そして、渋さ知らズとはなんなのだろうと思うのです。
この日のライブは渋さ知らズの通常の時からすれば1/3たらずでしょうが、あれほどの数を長年動かし続けるし、東京フォーラムで毎年開かれるクラシック音楽の祭典「ラフォールジュルネ」では、クラシック畑以外で唯一の招待者ですからね。
nozawaさん、どうもです。
なんか、福島支援のイヴェントも人が集まりにくくなっているみたいですね。
昔、第一回冷やし中華祭りと云うのが有楽町の読売ホールであって、それに山下洋輔トリオの演奏に中華鍋で拵えた甲冑を付けた大駱駝艦の麿赤兒による暗黒舞踏のパフォーマンスを見た事があります。渋さ知らズに参加しているのは大駱駝艦をルーツに持つ山海塾の舞踏家とか…吉祥寺の追っかけオジサンが言ってました。あの…三人は中央線車内でも...渋さ知らズで盛り上がっていたかも…ですね。
地震の翌年、僕もつくばで渋さ知らズのイベントに行きました。
白塗りとダンスありの懐かしい感ありの軽快な混沌でしたが、やはり空席ありと学園都市らしい静かな客層だったように思います。
ファンが遠くまで足を運んで、車のなかに交流が.....いいですね。