昔の浅川種畜場跡地(地図)、長い間、更地となっている。最近まで消防署の訓練地と使用されたり、駐車場として使われていた。南側半分は今でも駐車場として使われているが、京王高尾線高架橋に面した北側半分は駐車場を閉鎖してから放置されたままである。
種畜場には小学生の頃、授業で見学に行った他、何度か遊びに行ってヒヨコをもらってきたこともある。敷地内に主に鶏と豚の繁殖の為の鶏舎と豚舎が規則正しく並んで建てられ、敷地内に大きな縦穴が掘られていた。そこには孵化しなかった無精卵や、孵化の途中で死んだ卵が捨てられ、異臭を放っていた。種畜場があった時代は写真右側の町田街道に面して八重桜が植えられ長閑な風景が続いていた。
町田街道、狭間町交差点から北側の京王線ガードとその先の中央線ガードを望む、右手先が種畜場跡地。町田街道に直交する道は昭和30年代後半に区画整理で建設されたもの。当初の計画では東八道路の終点となる予定であった。この種畜場跡地と京王線狭間駅前の林業試験場跡地(廿里の他に、ここにもあった)に八王子市は美術館等の文化施設を誘致したい考えがあったが、バブル崩壊後のハコモノ行政への批判もあり計画は頓挫したままである。
子供の頃は、この町田街道の坂上から乳母車の車輪を付けたソープカートで、カウンターステアリングをあてながらスピードを競って転がり落ちるという遊びをしていた。現在では町田街道は甲州街道から舘ケ丘団地まで渋滞するときもあって考えられないだろうが、昔は浅川から大戸経由、相原行のバスが90分おきくらいに通るのと、同じような間隔でダンプかトラックが砂ぼこりを立てながら通るぐらいの交通量であった。
Posted by S.Igarashi at September 3, 2004 10:06 AM | トラックバック