Comment: 今夜のタモリ倶楽部・国分寺崖線を行く

川好きotokoさん、コメントありがとうございます。
前回のタモリ倶楽部で話し足りなかった『河川争奪戦』の続きを見ているようで楽しめました。これで江川氏も納得したでしょうね。
多摩川土手の背景にみえる工事中の高層マンションは二子玉川ですね。高層マンションは右岸の川崎市側だけと思っていたら、いつの間にか...

>河川争奪よりも地下水強奪の方が怖い・・・
こちらでも圏央道の工事で高尾山の清滝と琵琶滝も...同様な運命です...。

Posted by iGa at February 28, 2009 10:52 PM

等々力渓谷に下りる階段のところで、地元の方がタモリに声をかけてきて「(番組で)言ってくれよ」と。
東急の大井町線地下化計画で、湧水が涸れる惧れが出てきたためで、確かに二子玉川駅周辺のビル工事と人出を見ていると、杞憂とも思えませんね。
河川争奪よりも地下水強奪の方が怖い・・・

Posted by 川好きotoko at February 28, 2009 10:28 PM

放送内容をGoogleMapに落としてみました。

Posted by iGa at February 28, 2009 10:52 AM

実はこの地図の辺りはちょっと懐かしい場所です。高木慈生建築設計事務所で最初に担当した住宅がこの辺り世田谷区中町、等々力の駅を下りてゴルフ橋を渡り画家の生沢朗の家の前を通り環八に出る手前、近くには等々力渓谷に沿って蔵田周忠による等々力ジードルンク計画の古仁所邸や旧金子邸等がありました。そんな環境に敷地200坪で老夫婦の為の平屋40坪弱と云う住宅(現存せず)。GoogleMapで見ると既に敷地も分割されているようです。因みにこの住宅はTBSドラマ・片平なぎさの「白い...」シリーズで司葉子の家(玄関周りと庭に面した居室を外からのみ、室内はセット)として使われたそうですが、残念ながら私は一度もドラマを見てません。30年以上も昔の事です。

Posted by iGa at February 27, 2009 02:24 PM

時代の経過を地図で見るのは楽しいですね
デベソへ昭和4年には民家が集中しているのにはビックリ
やはり南向きの貝塚の上あたりが住みやすかったのでしょう
谷戸・ハケ・崖線・段丘....想像の宝庫です

Posted by shin at February 27, 2009 01:05 PM

明治14年(1881)、昭和4年(1929)、昭和14年(1939)、昭和30年(1955)の明神池周辺の国分寺崖線を示す地形図(等々力渓谷まで含む)を追加しました。

Posted by iGa at February 26, 2009 10:28 PM

shin さんどうもです。
そういえば何かの用事で世田谷区役所に行った時に、資料室で買った明治14年、昭和4年、昭和14年、昭和30年の世田谷区の地形図がありました。明治14年の地図は多摩川の堤防もなく崖線まで荒れ地になってますね。明日、タモリ倶楽部で取上げる「明神池」付近は、その頃はもっともタフな場所でしょうね。

Posted by iGa at February 26, 2009 06:51 PM

ここを無理してマウンテンバイクで走破しました。ともかくこの崖線は大変おもしろく「エッジ」という言葉がぴったりです。上りが面白く、上野毛から立川までダートありドライありで結構タフです。

Posted by shin at February 26, 2009 05:05 PM