April 16, 2009

A地点からB地点へ


午前中で授業が終り、その後、A地点からB地点へGoogle御推奨の車によるルートではなく神田川に架かる橋を見ながらミニダイブを...B地点に辿り着きそして赤い扉を開けると...

店内に入ると渋谷の店では剥き出しだったスピーカーも主張せず隠されている。マッチのデザインに用いられていたイラストが額装されターンテーブルの上に飾られていた。昼間は主に控えめな音量でCDを掛け、夜はLPを掛けることもあるそうだが、そのへんは客の好みに従って柔軟に対応しているとのことである。そういえばDexter Gordonの"GO"はGeniusで初めて聴いて自分でも買ったLPだった。

Geniusは嘗て渋谷の道玄坂小路は台湾料理店・麗郷の斜向いにあったModernJazzを聴かせる店、所謂Jazz喫茶だった。いつ頃だったろうか麗郷に行った後でGeniusに寄ろうとしたら其処はピンク系のサービスを売り物にする店に変わっていた。1970年前後には人気の絶頂にあった日野皓正や山下洋輔のライブを売りにしていたJazz喫茶Oscarが、いつの間にかストリップ劇場に変わってしまったこともあったので、渋谷の繁華街での店の推移や興亡は驚くに当ることではない。Geniusもその例なのだろうと思い込んでいた。ところが、shinさんの麗郷を読んでコメントを書いた際、改めて渋谷のGeniusをGoogleで調べてみると、どうやら店は中野新橋に移転して今でも営業をしていることが分かった。中野新橋なら大学から歩いてゆける距離である。と云うことで前期の授業が始まった昨日、Geniusへと...である。店内は明るく軽い食事もできJazz喫茶特有の重苦しさもない...これならリピーターになれそうである。神田川流域の地形を感じながらのミニダイブの楽しみも付いているし...。
追記:渋谷のジニアスが閉店したのが1988年(昭和63)の8月、中野新橋に開店したのが1989年(平成1年)の5月と云うことのようです。スイングジャーナルでも読んでいれば何かの情報があったと思うが、この頃はJazzの雑誌も読まなくなっていたので知らぬままであった。写真はマスターの許可を得て撮影したが、他の客も居たので室内全体を写すのは遠慮した。

Posted by S.Igarashi at April 16, 2009 07:23 AM | トラックバック
コメント

shinさん、どうもです。

>飲食の寿命は20年といいます
体力勝負ですから、個人営業で長く続けるのは大変ですね

山下洋輔を初めて聴いたのは日野皓正のステージに乱入してきた山下トリオでした。日野皓正はポケットトランペットで応酬していたけど、今は無い、昔のサンケイホールでした。そうですね40年くらい前ですね。

Posted by: iGa at April 20, 2009 01:32 AM

iGaさん、みんな消えてしまったのに、Geniusが中野に残ってだけでも凄いです
栄華盛衰....オーバーでなく、飲食の寿命は20年といいます
ことし山下洋輔が40年リサイタルだそうです、山下の廻りが残ってませんね

Posted by: shin at April 20, 2009 12:01 AM

りりこさんどうもです。
>百軒店って、制服女子の行くところじゃなかったけれど。

ですよね。(^_^;)

そーいえば、道玄坂小路のGeniusのあったビルの地下に降りる階段入口に、なんちゃって制服女子のオネーサンの写真があったような...(^_^;)

移転したGeniusは中野新橋から下流へ一本目の桜橋のたもと神田川左岸にあります。

Posted by: iGa at April 16, 2009 10:39 AM

えっ、Geniusがあるの?

一番無責任だった頃よく行っていた。
Genius2だったかもしれない。地下。
百軒店って、制服女子の行くところじゃなかったけれど。
カレー食べたりライオンでバッハ聴いたりブラックホークでひそかに飲んだくれたりした。

Posted by: りりこ at April 16, 2009 09:54 AM