と云うことで3月28日のJEDI・春だから荒ぶる川の桜と水門...では正しい稲付谷の谷頭付近の北耕地川(稲付川)の川跡を確認し損ねてしまったので、4月4日に再調査ダイブを行い姥ヶ橋から下流の川跡を確認した次第である。写真の突き当たりの階段を登ったところが環状七号線・姥ヶ橋交差点となる。その階段のフェンスには「稲付の小径」の案内板が取り付けられている。今回は姥ヶ橋からの川下りと決め込んだのであるが、途中早々に川下りを切り上げ、坂道への....誘惑に負けてしまったのである。
凸凹地図と東京都の1/2500デジタル地形図を元に谷の入り江と台地の岬が解るように合成。(縮尺は適当)
(写真左):川上より川下を見る。
(写真右):川下より川上を見る。Y字路の左が川跡、右が3月28日に川跡と間違えた道。
暗渠化される以前、北耕地川(稲付川)が流れていた時代、その右岸は写真のような土手が続いていたそうである。
水車坂・坂上より稲付谷とどんぐり山を望む。その麓辺りに料亭・游鯉園があったらしい。
因みに荷物を背負った馬が坂を下って水車小屋に向かう途中で坂から落ちる事故もあったとか、隊長好みの噺だが、游鯉園で川魚料理だけでなく桜鍋も出したかは定かでない。
>子供の間だけの符牒ではなかった
一昨日、ブラタモリを見ていたら...名所江戸百景虎の門あふひ坂に描かれた溜池のどんどん(滝)があったことが紹介されていましたが。
八王子の西外れでも「どんどん淵」とか「いちどん淵」とか云われた場所(川の流れ)があって、地形とかから共通する名称があるんだなと思い、それも子供だけの符牒ではなかったようです。
Posted by: iGa at March 6, 2010 06:43 PMそれにしても、わが地元のことをこのように教えていただけるのはうれしい限りです。これからも楽しみにしております。
Posted by: いまどき at March 6, 2010 05:24 PMどんぐり山という名前、子供の間だけの符牒ではなかったのですね。私は線路の東側の稲田小学校の出身です。
昭和40年代、虫捕りで線路を越えてどんぐり山へ遠征していました。どんぐり山と呼ばれていたクヌギ林の丘は3か所くらいあったと記憶していて、今日は「第1どんぐり」に行こうとか「第2どんぐり」とかで会話をしていました。実際、秋にはクヌギのどんぐりがごろごろ落ちていたし、夏にはカブトムシやクワガタが捕れたんです。稲付川は私の小学生時分には西口では既に暗渠になっていましたが、国鉄の線路をくぐるあたりはまだ流れているのが見えましたし、数珠玉がたくさん生えていて実を採ったり、赤まんまの背丈の大きいのもたくさん生えていましたね。ザリガニも捕れました。稲付川は更に東に向かって、稲田小学校の体育館裏でも、神谷公園脇も汚いどぶのようでしたが、姿を見せていました。
今では、北本通りの都バスの北車庫の辺りから隅田川に向かってなんとか姿をとどめていますね。
KOさん、コメントありがとうございます。
上記地図の「游鯉園の坂」の辺りに「どんぐり山」と書かれた駐車場の看板がありましたので、写真をテキストにリンクしました。
現在は駐車場とその東側にマンションが建っている場所が「どんぐり山」ではないかと思います。ここで幼少時代を過したと云う事ですが、子供にはこの谷と山そのものが遊び場になっていたのでしょうね。
ひとつ教えていただきたいのですが、
「水車坂・坂上より稲付谷とどんぐり山を望む。その辺りに…」とありますが、「どんぐり山」という名称をどこで得られましたか?私が子供の頃(70年代前半)秋口になると確かに山頂(?)は一面どんぐりが敷き詰められてました。昨秋久しぶりに赤羽の実家に寄った際、どんぐり山のことを思い出し、山頂(?)まで行ってみたのですが、大きなマンションがあるのみでどんぐりどころか椚の木等1本もありませんでした。「どんぐり山」って呼んでいたところはただの妄想だったかな、と自分を納得させていた矢先御サイトにて「どんぐり山」という記述とフォトを見つけ、なんだかエキサイトしとります。宜しくお願いいたします。