February 27, 2009

今夜のタモリ倶楽部・国分寺崖線を行く

之潮の川好きonnaさんから情報をいただきました。放送はテレビ朝日・今夜24時15分「ガケで感じる10万年の歴史、世田谷で地形に大興奮、歩いて発見」

『さて、また川好きotokoが、2月27日「タモリ倶楽部」出演、「桃・栗3年、崖10万年 国分寺崖線を行く」がテーマです。「川の地図辞典」と「帝都地形図」も紹介される(はず)です。うちは国分寺崖線の上に会社兼生活場ですが、世田谷区を歩きます。ご都合つけばご覧下さい。ご批判なども、お願い致します。』
追記:ロケ地は世田谷区野毛三丁目、野川が多摩川に呑み込まれた先の上野毛、第三京浜・多摩ICの西北側付近のようです。『「崖線」と「三日月湖」
世田谷区:砧地域玉川地域明神池

明治14年(1881)と昭和4年(1929)の明神池周辺の国分寺崖線(クリックで拡大)

昭和14年(1939)と昭和30年(1955)の明神池周辺の国分寺崖線(クリックで拡大)
上記地形図にも凸凹地図にも見られるデベソは大塚古墳です。そういえば以前、タモリ倶楽部で、同じ崖線のもう少し下流域の多摩川台公園・亀甲山古墳を特集してましたね。(2007/6/9放送のようです。)
参考資料:川の地図辞典 江戸・東京/23区編  232頁
参考資料:東京の凸凹地図 102頁「谷沢川と九品仏川の河川争奪の跡」
成城三丁目緑地

野毛は『のぎ 【芒 】』に同じ、イネ科の植物の花の外殻にある針のような突起。のげ。
崖地や土手に生えるイネ科の植物が群生している景観から派生した地名と云うことで崖地がある土地に付けられた地名、横浜桜木町駅の山側が「野毛」で同じ意味。(昔々、子供電話相談室で聞いた地形と地名に関する話。)
上野毛は世田谷で下野毛は川崎市高津区、昔、雑誌(たぶん?ビックリハウス)の投稿(珍・看板)に「下野毛美容室」というのがありました。妄想無用。

因みに世田谷区岡本の崖の上の静嘉堂文庫美術館では『古地図の楽しみ―江戸時代の町を歩く―』が3月22日まで開催されています。


大きな地図で見る

と云うことで放送された国分寺国分寺崖線のロケ地点をGoogleMapにプロットしました。
成城三丁目緑地→岡本三丁目・富士見坂→明神池→龍神様→ゴルフ橋→等々力渓谷→等々力不動尊
そういえば川好きotokoさんはiPhoneではなく本物のクリノメーターを使ってました。

最初のロケ地・成城三丁目緑地で国分寺崖線からの湧水が紹介されていました。上記の図は旧建設省関東地方建設局京浜工事事務所と財団法人河川環境管理財団による多摩川誌の「図 2.4.11 地下水面等高線図1980年11月」です。この図と図 2.4.12 世田谷区における湧水の集水域に成城三丁目緑地の湧水(図の8か?)が示されているようです。数値地図による凸凹地図と見比べると分かりやすい。

前回のタモリ倶楽部・石神井川の跡を歩くで問題提起された人工説と自然説の『河川争奪戦』を今回は等々力渓谷を自然説の例にあげ「谷沢川の谷頭侵食」が九品仏川まで達し、結果として谷沢川が九品仏川を奪ったと云うことを、成城三丁目緑地の崖線からの湧水をツカミにして説明したようです。

Posted by S.Igarashi at February 27, 2009 01:23 AM
コメント

川好きotokoさん、コメントありがとうございます。
前回のタモリ倶楽部で話し足りなかった『河川争奪戦』の続きを見ているようで楽しめました。これで江川氏も納得したでしょうね。
多摩川土手の背景にみえる工事中の高層マンションは二子玉川ですね。高層マンションは右岸の川崎市側だけと思っていたら、いつの間にか...

>河川争奪よりも地下水強奪の方が怖い・・・
こちらでも圏央道の工事で高尾山の清滝と琵琶滝も...同様な運命です...。

Posted by: iGa at February 28, 2009 10:52 PM

等々力渓谷に下りる階段のところで、地元の方がタモリに声をかけてきて「(番組で)言ってくれよ」と。
東急の大井町線地下化計画で、湧水が涸れる惧れが出てきたためで、確かに二子玉川駅周辺のビル工事と人出を見ていると、杞憂とも思えませんね。
河川争奪よりも地下水強奪の方が怖い・・・

Posted by: 川好きotoko at February 28, 2009 10:28 PM

放送内容をGoogleMapに落としてみました。

Posted by: iGa at February 28, 2009 10:52 AM

実はこの地図の辺りはちょっと懐かしい場所です。高木慈生建築設計事務所で最初に担当した住宅がこの辺り世田谷区中町、等々力の駅を下りてゴルフ橋を渡り画家の生沢朗の家の前を通り環八に出る手前、近くには等々力渓谷に沿って蔵田周忠による等々力ジードルンク計画の古仁所邸や旧金子邸等がありました。そんな環境に敷地200坪で老夫婦の為の平屋40坪弱と云う住宅(現存せず)。GoogleMapで見ると既に敷地も分割されているようです。因みにこの住宅はTBSドラマ・片平なぎさの「白い...」シリーズで司葉子の家(玄関周りと庭に面した居室を外からのみ、室内はセット)として使われたそうですが、残念ながら私は一度もドラマを見てません。30年以上も昔の事です。

Posted by: iGa at February 27, 2009 02:24 PM

時代の経過を地図で見るのは楽しいですね
デベソへ昭和4年には民家が集中しているのにはビックリ
やはり南向きの貝塚の上あたりが住みやすかったのでしょう
谷戸・ハケ・崖線・段丘....想像の宝庫です

Posted by: shin at February 27, 2009 01:05 PM

明治14年(1881)、昭和4年(1929)、昭和14年(1939)、昭和30年(1955)の明神池周辺の国分寺崖線を示す地形図(等々力渓谷まで含む)を追加しました。

Posted by: iGa at February 26, 2009 10:28 PM

shin さんどうもです。
そういえば何かの用事で世田谷区役所に行った時に、資料室で買った明治14年、昭和4年、昭和14年、昭和30年の世田谷区の地形図がありました。明治14年の地図は多摩川の堤防もなく崖線まで荒れ地になってますね。明日、タモリ倶楽部で取上げる「明神池」付近は、その頃はもっともタフな場所でしょうね。

Posted by: iGa at February 26, 2009 06:51 PM

ここを無理してマウンテンバイクで走破しました。ともかくこの崖線は大変おもしろく「エッジ」という言葉がぴったりです。上りが面白く、上野毛から立川までダートありドライありで結構タフです。

Posted by: shin at February 26, 2009 05:05 PM