3.11以降活動を控えていたJEDIですが、そろそろ...と云う声もあり『JEDI:多摩を行く...』と称して開催します。メインは多摩川と玉川上水ですが、近現代から溯り江戸時代までの土木・建築等の人工物が造り出した風景を俯瞰的に眺めたいと思います。と云うことで出発地は人工都市・多摩ニュータウンの多摩センター、そこから多摩モノレールに乗り、乞田川、大栗川、浅川、そして多摩川を渡り、残堀川の河口を眺め、立川断層上の立川基地跡に造られた都市施設を横目にし玉川上水駅まで行きます。玉川上水駅から羽村まで玉川上水の流れは約12キロありますが、途中電車も利用しながら、無理をせず行きたいと思います。
と云うことで日時は2012年5月26日(土曜日)の正午に多摩センターのパルテノン多摩の正面階段を昇った広場を集合場所とします。そして最後を玉川上水のほとりにある福生の田村酒造場(見学10名以上・要予約)で〆たいと考えています。そんな事で反省会は立川界隈でしょうか...
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昭和30年代までは都内23区に対して都下と云われた時代もあった三多摩地区ですが、殆どの都民がその区別も付かないようです。恐らく「川の地図事典・多摩東部編」も書名をどうするか迷ったのではと推測しますが「多摩東部」と云う言い方は気象庁の天気予報等で使われることがありますが、住民は「多摩東部」とは何処だろうかと悩むくらいに恣意的に曖昧に使われている様です。嘗ての郡制の名残として地理的名称の範囲を示す南多摩、北多摩、西多摩は有っても、東多摩は有りません。明治29年まで現在の中野区と杉並区の地域が東多摩郡と云われていた様ですが、南豊島郡と統合され豊多摩郡となり、東多摩郡は廃止されています。ざっくりと三多摩を区分すると多摩川中流域の右岸が南多摩地域で地形は多摩丘陵で構成されています。多摩川中流域の左岸が北多摩地域で地形は武蔵野台地で構成されています。そして支流の秋川流域と福生からの多摩川上流域を西多摩地域と呼び、武蔵野台地西端と秋留台地と山間部で構成されています。
武蔵野台地を造ったのがその下を流れていた太古の多摩川が運んだ砂礫等の堆積物とその上に降り積もった火山灰のローム層...と云われていますが...もしかすると...玉川上水は太古の記憶を求めて武蔵野の上を流れているのかも...知れません。
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いしはらともこ様
お楽しみ戴きましてありがとうございます。
人も万有引力により下流に流されるのは簡単ですが、上流に向かうには強い意志と忍耐力も必要なので...何かの機会がないと...まず行かないものですね。僕も羽村の堰は小学3年生くらいの時...父に連れられて父の職場の花見に来て以来です。
Posted by: iGa at May 28, 2012 09:48 AMiGa様、初参加ながら大変楽しませて頂きました。
ありがとうございました。
羽村から江戸に向かってひたすら下る流れを脇目に長距離を歩いたことで、『玉川上水』が知識としてだけでなく体にインプットされた感じです。
それにしても凄い事業だったのですね。まいまいず井戸、ふせこしも併せて先人の知恵と技術に敬服。いや〜楽しかった!
どうもお疲れさまでした。
最後に田村酒造場の玉川上水側の門と取水口に船着き場跡を見せてもらえたのが良かったですね。交渉し甲斐がありました。
こんなに慣れ親しんでいたつもりの玉川上水が
まるで生き物のように動いて見えました
本当にありがとうございます
400年前の土木上水事業が継続されている事に
誇りと感慨を持って接することができました
明日は天気が回復して午後から晴れ、夏日になるようです。
Posted by: iGa at May 25, 2012 12:06 PMりりこ さん、それは残念です。
玉川上水は東京郊外の風景を構成している一つの要素ですが、以外と上流の羽村の堰までは...知らない...人も多いと思われるので...企画しました。
Posted by: iGa at May 11, 2012 09:29 AMうわぁ、そこは調整のつかない予定が!玉川上水は好きな場所なので、残念無念。みなさまの報告を座して待つ!という感じでしょうか。ほどよい天気になることをお祈りしています。
Posted by: りりこ at May 10, 2012 05:39 PM