April 21, 2009

嘗て粗忽者も...


先週、A地点からB地点へ歩いたとき、その面妖な地形にJEDIの血が騒いだ。明治十三年十一月一日測量と記された『東京府下武蔵國東多摩郡高圓寺村』の地形図複製を見ると確かに其処には神田川の支流の小川が流れていた。しかし神田川に注ぎ込む辺りの低地は河川改修と共に区画整理された様子で川跡は確認不能である。(訂正:合流地点は自然の流れではないが、整理された区画の裏に路地として川跡の暗渠が残っている。)

明治十三年測量の地図にある池は現在の梅里公園にあたる。その辺りが谷頭となり川は東に向かって流れ、女子美のある台地の南側を流れ、恐らくは富士見橋と寿橋の中間辺りで神田川に注ぎ込んでいたのだろう。JEDIのforceを以て、川の地図辞典にも無い小川の川跡を探せねば....
因みに妙法寺落語『堀之内』のお祖師様で知られている寺、嘗て参拝客は青梅街道の鍋屋横丁から堀内道を通って行ったそうだから、落語に出るような粗忽者は道中、此の川に架かる橋から落ちるようなことがあったかも...
追記:本日(4/22)川跡を歩いてみました。やはり川跡特有の湿気と臭いがあります。因みに環七から中野富士見町の神田川合流地点まで約1.5キロでした。

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Posted by S.Igarashi at April 21, 2009 07:45 AM
コメント

kawaさん、どうもです。

今日の午後、真盛寺から神田川の合流地点まで小沢川・川跡を歩いてみました。池は半分くらいの大きさみたいですが、茶室等もあって、随分と立派な寺だと思ったら真盛寺は越後屋(三井家)の菩提寺でした。納得...(^_^;)
元々、寛永年間に湯島の地に創建され、元禄元年に押上小梅村に拝領地を得て移転、大正十一年の水害にあい、杉並村に移転してきたと云う事で明治十三年の地図には未だ真盛寺がないと云う理由も分かりました。
「お檀家以外の方は山門内に入らぬよう御遠慮下さい」の看板がありましたので、不審者と間違えられないよう寺務所に「小沢川」の源流の池を見せて下さいと...お願いしてから見せてもらいました..です。
と云う事で、庶民的なオソッサマと何もかも対照的なお寺様のようです。

Posted by: iGa at April 22, 2009 06:41 PM

失礼しました。誰より近くにいる私が調べてくれば良い話でした。埋められたと思っていた池は境内の木立の中に小さくなって残っていました。これが今でも新鏡ヶ池なのでしょう。
蚕糸試験所脇の参道に残る銅製の灯籠は明治36年に木製が建てられ、その後明治43年に銅製に立て替えられたとありました。こちらが本来の参道なのだと信じていました。明治の地図にも載ってないし、意外に新しいものなんですね。
鍋横からの堀内道が本来の参道だなんてこの機会が無ければ気が付きませんでした。有り難うございました。

Posted by: kawa at April 22, 2009 05:36 PM

kawaさん、どうもです。

明治版地図の池は真盛寺の池で、現代版地図の池は蚕糸の森公園の池です。GoogleMapでみると真盛寺の池は東側半分だけ残されているようです。現代版地図は1/2500の地形図に5mメッシュの数値地図を重ねたものです。もしも1mメッシュの数値地図があればもう少し微妙な地形の凸凹が分かると思いますが、今のところ5mメッシュだけが販売されてます。堀内道の橋の痕跡がないか、明日出講日なので午後にでも探ってみます。神田川合流地点も地形図から判明しました。

Posted by: iGa at April 22, 2009 12:40 AM

真盛寺は環七の外側です。ひきがえるの卵だらけの池でしたが、埋められた様に思っていました。地図の池は蚕糸試験所跡の公園に作られた池じゃないかしら、公園の池を新鏡ヶ池と呼んで名前を残したということでしょうか。真盛寺の池と公園の池の関係についてもう少し教えてもらえれば幸いです。
鍋横からの堀内道が参道だったのですね。蚕糸試験所の脇にも青梅街道からの参道入り口が残っています。オソッサマは毎月3の付く日に縁日が立ちます。子供の頃は楽しみにしていました。

Posted by: kawa at April 22, 2009 12:03 AM

HONDAさん、情報ありがとうございます。
そうですか「小沢川」ですか、神田川合流地点は対岸の右岸から暗渠からの注ぎ口を確認するつもりです。近いうちに探訪して地図をアップデートします。

Posted by: iGa at April 21, 2009 11:22 PM

こんばんは。この小川は「小沢川」と呼ばれる流れで、現在でも源流から神田川合流地点まではっきりとした暗渠が残っています。ぜひ御探訪を。なお、地図の池は真盛寺の池で、現在でも「新鏡ヶ池」の名前で残っています。

Posted by: HONDA at April 21, 2009 09:29 PM