前エントリーの「谷沢川vs九品仏川」河川争奪戦でアースダイビングした範囲を歴史的農業環境閲覧システムからKMZファイルをダウンロード、Google Earthに明治の「迅速測図」をオーバーレイしてみた。多少テクスチャマッピングに時間が掛かるが、嘗ての下野毛村、等々力村、奥沢村の田園風景と国分寺崖線の様子が良く解る。(地図を上から見る。足跡はniijimaさんによるGPSの記録。)
この「迅速測図」で県境をみると、想像していた通り川崎市高津区下野毛は東京府に含まれていたことが分かった。尤も、1893年(明治26年)に東京府に編入されるまでは三多摩地域も世田谷の岡本、狛江も神奈川県であった。調べてみると多摩川で分断されていた下野毛村の南側が神奈川県に編入されたのは、それより19年遅れて1912年(明治45年)の事のようだ。最近では町田市(東京)と相模原市(神奈川)の都県境を流れる境川の河川改修整備によって蛇行していた都県境を改める動きもあるらしい。