March 12, 2007

手掛かりを求めて

akiさんから『天狗様、お願げえしますだ。』のメールを頂戴したので「水無瀬の町家」の所在地発見までの事の顛末を取り上げます。それは2月10日のこと、akiさんから電話で「水無瀬の町家」の場所を知らない?と尋ねられた。そういえば水無瀬橋の傍にある位の知識しかなく、その水無瀬橋も浅川に架かっているのは知ってるがその場所は知らなかった。坂本一成氏の教え子である河さんが以前「水無瀬の町家」をエントリーして、そこで『、、、信じられない程綺麗な水無瀬の町家を見る事ができて、凄く嬉しかった。』書いてあったので、「きっと河さんが知っているんじゃないかな。」と答えた。程なく「河さんも行ったことないらしい」とakiさんから電話がきた。なんだ河さんも自分と同じ講釈師だった。それならば"GoogleEarth"に頼るしかない、手掛かりを求めて古雑誌を調べはじめた。

そういえば「水無瀬の町家」はTOTO通信のF森教授の連載「原・現代住宅再見」に近況が出ていた筈と探したがこういう時に限って見つからない。確か雑誌・都市住宅に出ている筈と書棚から都市住宅7109臨時増刊・住宅第1集を引っ張り出した。ネットでも「水無瀬の町家」についての情報がないか調べてみた。都市住宅には旧道沿いの町並に建つ「水無瀬の町家」の写真があった。ネットからの情報では南南西に向かって建っているらしい。一番の手掛かりは都市住宅の町並が写った写真である。旧道が浅川の堤に向かって緩い勾配の上りになっていること、「水無瀬の町家」の左隣の家は角地でそこが四つ辻になっている。この写真とネット情報から浅川の南側にあるらしいことが推測される。地形と建物の形状、銀色の屋根にはトップライト、それらを手掛かりにして水無瀬橋の付近を"GoogleEarth"で調べた。そして浮かび上がったのがこの地点。
< 35°39'42.15"N 139°18'40.70"E >
それらの条件に該当する場所は此処しかない。座標情報をakiさんにメールすると『、、、なんだか軒が出ていて影が落ちている感じだし、ちょっと大きいという感じがしますが、、、』の返事。
翌日の2月11日、車で買い出しに、運転の途中で、そうだついでに水無瀬橋まで行ってみようと思い立つ。目的のスーパーを行き過ごし、甲州街道に出て千人町の交差点で左折する。この道は八王子市役所に行く時に通る道だ。その道を陣馬街道の手前で左折すれば、この道の右手に「水無瀬の町家」がある筈だ。ゆっくりと車を走らせると右手前方に銀色に輝く建物が、、、『やったね!(^o^)』、生憎とカメラを持たずに出たので証拠写真はないが、家に戻ってから『へへへ、、、、』の一行メールをakiさんに送信。
aki's STOCKTAKINGのコメントにも書いたが、「水無瀬の町家」を手掛けた建築家・坂本一成氏の処女作「散田の家」は中央線の車窓から工事中の段階から注目していた。尤も、その段階では誰の仕事かは知る由もないが近隣に点在する住宅と異なる文脈で造られている事は理解できた。完成した姿から建築家・篠原一男氏の影響を受けている住宅であることは予想できた。それから、後に新建築に「散田の家」として発表されたのを見て坂本一成と云う名がインプットされた。昭和30年代初めの西八王子から高尾(浅川)までの中央線の南側は、一面に畑が広がり、曲がりくねった農道の両側には桑の木が植えられ、雑木林の丘陵の山裾に人家が点在するような風景であった。散田(八王子市側)または三田(旧南多摩郡浅川町側、現・東浅川)と云う同じ読みの地名が付けられてはいたが水田は見たことがない。散田から東浅川の一帯が工場誘致の為に区画整理されたのは浅川町が八王子市に編入合併された後の昭和30年代も後半になってからである。1969年(昭和44)の「散田の家」も周囲は畑ばかりで、野中の一軒家と云う様相であったが、いつの間にか人家が建込み中央線の車窓から姿を消してしまった。
GoogleEarthで「散田の家」を探す手掛かりは方形屋根とトップライト、それにGA HOUSE No.4に掲載の図面であった。何よりも正方形のプランに側室の出張りが決め手となった。
< 35°39'4.66"N  139°18'17.44"E >

北側の前面道路に沿って附属棟が増築され建物全体を伺う事は叶わない。築40年近く経っているがメンテナンスも良い、やはり庇の存在によって建物の傷みも押えられているのだろう。

どうも、右側のサイディングの家はOMっぽいのだが、モスバーガーの駐車場からなら確認できるでしょう。その奥の建物が散田の共同住宅ではとfuruさんに指摘されました。やはり教え子の力は違います。
東京工業大学・坂本一成研究室

Posted by S.Igarashi at March 12, 2007 08:04 AM
コメント

どうも、講釈師さま。
やはり「水無瀬の町家」への思い入れが文章から伝わってきますから、てっきり見ていたと思ってました。
「散田の家」と「散田の共同住宅」も併せて、聖地「西八詣」して下さいませ。

Posted by: iGa at March 12, 2007 06:12 PM

講釈師です。TOTO通信を見て、という話に終始している積もりでした。
さも見て来たかのように、書いた積りはなかったのですが、誌面で、と訂正をしました。

Posted by: 講釈師 at March 12, 2007 05:47 PM

fuRuさんどうもです。
もっと若い人の仕事かと思いましたが、確かにその様ですね。
益々、教え子としては西八詣でしないといけませんね。

Posted by: iGa at March 12, 2007 03:53 PM

追記
一番下の写真の、奥の右手に見えるのは
おなじ坂本先生による「散田の集合住宅」ではないでしょうか?

Posted by: fuRu at March 12, 2007 02:22 PM

あれ?
散田の家も西八王子駅からそれほど遠くなかったんですね。勘違いしていました。
それよりも、こういういきさつあって、私も長年会いたかった建物をこの目で見ることが出来たかと思うと感謝であります。
高尾の天狗様はやはりすごい!

Posted by: fuRu at March 12, 2007 02:20 PM

AKi様、どうも、どうもでごぜーますだ。

やっぱり手掛かりが、多いか少ないかが問題ですね。
あたしの場合はスピリチャル系のパツ金の黄色いドレスを着た人とか和服をお召しの小デブ系オヤジと違い霊感は使えませんので、想像力というか妄想力を働かせるだけです。
「水無瀬の町家」の場合は山間部から平坦な盆地に流れでた川には氾濫を防ぐ治水の為の人工的な堤が設けられているので、川(橋)に向かう道は上り坂になると云う地形的特徴がポイントでした。

Posted by: iGa at March 12, 2007 10:51 AM

いや、いや、天狗様、ご苦労様でごぜーますだ。

やっぱり、検索大魔王のiGaさんの検索手法もオーソドックスにして正当的なものであることが理解できました。やっぱり最初は資料だったんですね。99%の努力に1%の霊感というような気がしますね。

今後ともよろしくお願げぇいたしますだ。天狗様。

Posted by: AKi at March 12, 2007 08:08 AM