探し物をしていたら、シミだらけのサルトルの「嘔吐」(白井浩司・訳 人文書院)が出てきた。何気に頁を捲ると29頁目に傍線が引かれていた。傍線の箇所を書き出すと...『いま演奏されているのはジャズである。ここにはメロディーがなく、音そのものの連続であり、無数の小さい振動の反覆である。その振動は休むことを知らない。それを出現させ滅びさせる頑固な一つの秩序があって、勝手に再びあらわれたり停滞したりする暇を与えない。振動は、流れ押し合い、そして行き過ぎながら乾いたひびきで私を撃ち、消えて行く。私はそれを止めたいと思う。しかし私は知っている。よしんば私が一振動をとらえることができたにしても、それは私の指の間に、つまらない、すぐに衰えて行く一音としてしか、残らないだろうということを。だからそれらのものが滅びて行くのを、承認しなければならない。その死を<欲し>さえもしなければならない。私はこれほどきびしい力強い感銘をあまり体験したことがない。』
どうして傍線を引いたのか記憶に無いが、Eric DolphyのLP/LAST Date に刻まれたDolphyの言葉「When you hear music,after it's over,it's gone in the air. You can never capture it again.」と重なって見えてきた。「嘔吐」が書かれた1930年代とLAST DATE が吹き込まれた1964年とではジャズの様式も違っているが、その底に流れるモノは変っていないと...いうことだろうか。
ロカンタンもジャズを聴いているときは吐き気から逃れることができたようだ。50年前の自分もジャズを聴いて日常的な不条理が齎す吐き気を回避していた。
Eric Dolphy MISS ANN
MILES in NEWPORT JAZZ FESTIVAL 1969から四ヶ月後、1969年11月4日のライブビデオをiTunesStoreで見つけた。タイトルは"MILES DAVIS: LIVE IN COPENHAGEN 1969 "、いわゆる”ロスト・クインテット” と呼ばれている最後のマイルス・ディビス五重奏団、マイルス・ディビス以下、ウェイン・ショーター 、チック・コリア、デイヴ・ホランド、ジャック・デジョネットのメンバーである。「So What「マイルス・デイヴィスの生涯」」で調べると1969年は年頭の日本公演が流れた後、2月に"In A Silent Way"(1969)のレコーディング、6月からは"Bitches Brew"(1969・1970)のレコーディングも始まり、その合間を縫ってNEWPORT JAZZ FESTIVAL のライブやヨーロッパツアーを行なっていたようだ。このCOPENHAGEN LIVEも"In A Silent Way"や"Bitches Brew"から選曲されているが電化楽器はチック・コリアのエレクトリックピアノだけで、デイヴ・ホランドはウッドベースのみでボーイング奏法も行なっている。この後、マイルスのグループはライブでもパーカッションやエレクトリック・ギターを加えた編成となっている。エレクトリック・マイルスへの過渡期である。新宿のJazz喫茶DUGの壁に飾られたNEWPORT JAZZ FESTIVAL 1969のマイルスの写真を見て日本で彼らの演奏が聴ける日が来るのか…当時、二十歳の私は半ば諦めていた。その時代の自分に聴かせてあげたいライブである…。
チックは流行に敏感でありますね。
昨年公開された映画「ストックホルムでワルツを」のモデルとなったモニカ・ゼタールンドのザ・ロスト・テープである。レナード・フェザーのプロデュースにより1960年3月10日〜14日に掛けてN.Y.のスタジオで録音されたスタンダードナンバーをメインにしたジャズボーカルのアルバムであるが、その後、レコードレーベルが倒産、30数年の間、行方不明になっていたテープからCD化されたのが1996 年と云うことで、アルバムタイトルもそのまま『The Lost Tapes @ Bell Sound Studios NYC 』となっている。米語を母国語としない歌手の性か、逆に丁寧に唄われており聴き取りやすく、空耳のつけ入る隙がない。
一般にジャズのスタンダードナンバーとして取り上げられている曲と云えば本来のジャズボーカルからブルース、ミュージカル・ナンバーにポップスと米国発の曲が殆どだが、中には「枯葉」等シャンソンも混ざっている。Miles DavisやJohn Coltraneも演奏しているDear Old Stockholmは元々はスウェーデンのトラディショナルソングであるが既にジャズのスタンダードナンバーと言って良いくらい、多くのジャズミュージシャンに演奏されている。しかし、今までこの原曲をあまり聴く機会がなかったが。このアルバムでモニカは「Dear Old Stockholm」をスウェーデン語のタイトル「Ack, Värmeland du sköna」のまま母国語で唄っているのである。
Ack, Värmeland du sköna
7月7日に他界した菊地雅章が45年前にフィリップス・レーベルに残したLP-アルバムが追悼盤・CDとしてUNIVERSAL MUSICから纏めてリリースされた。『Re-confirmation(再確認そして発展)』と『POO-SUN』は僕が買った最初のPoo-SunのLPだと思う。「Re-confirmation」のカバー写真は僕の記憶に間違いがなければ銀座・千疋屋の隣のビルにあったジャズクラブ・銀座ジャンクの店内だろう。当時、僕がライブを聴きに行ったジャズクラブは渋谷Oscar、新宿ピットイン、そして銀座ジャンクが多かった。銀座ジャンクでは菊地雅章の他に渡辺貞夫、Gary Peacock を聴いた。銀座ジャンクは楽屋が他のフロアにあるらしくエレベーターホールはミックスゾーンの体を成し、ミュージシャンのシャイな素顔を垣間見ることもあった。と云うことでPoo-Sunこと菊地雅章を偲びDancing Mistを聴いている。
JazzTokyo:追悼 菊地雅章
月刊『ジャズ』1970<インタビュー>菊地雅章/杉田誠一(1970年)音楽は人間の“生”のすべてじゃない
2015年6月18日にAmazonに注文しておいたBill EvansのTrio '64が9月30日に届いた。注文してから3ヶ月以上経っていると、すっかり忘れて『そういえば、注文していたなぁ。』と思い出す始末。
タイトルは「Trio '64」であるが、レコーディングは1963年12月18日、Gary Peacock(b)が参加しているBill Evans Trio 唯一のアルバムだ。CDジャケットもオリジナルLPを踏襲。「FreeJazz」も台頭し、公民権運動もピークを迎え、「Modern Jazz」も熱かった時代、耽美的に落ちる事もなく、アブストラクトに走ることもなく、大衆に迎合することもなく…自(おのず)からに由(よ)る音楽をしている。
AppleMusicの開始に合わせたように、NHKクローズアップ現代でも『あなたは音楽をどう愛す? 〜新・配信ビジネスの衝撃〜』のタイトルで放送されたストリーミングサービスだが...。
そのAppleMusicの9月30日までのトライアル期間を試して10日程になる。上図は、一応貴方に合わせてセレクトしてみたけどどうよ!と云うことで、Serendipity(セレンディピティ)にも配慮したインターフェースなのだろうが、還暦過ぎの爺には…「はじめての….」は遠い昔のことで...
それでもAppleMusic内に音源があれば検索機能を駆使して「遠い昔の45年前に買ったLP」を久しぶりに聴くことも可能で使い勝手もそれほど悪くない。
と云うことで、念の為に一応、iTunes Store から届いた「Apple Music個人メンバーシップ 購読開始のお知らせ」のメールから「購読の編集」にアクセスして「自動更新をオフ」しておいたのだが…翌日になると。
どうやら、iTunesを立ち上げる度に購読を促すアラートが表示される様で…まぁ、キャンセルをクリックすれば良いのだが、一手間増えるのが困る。
追記
Amazonから届いたメールの「おすすめ商品」もAppleMusicで全曲視聴も…う〜む。
今年五月のGary Peacock・80歳の誕生日にリリースされた彼のトリオによるリーダーアルバム『Gary Peacock Trio NOW THIS』である。彼が日本に住んでいた1969年から72年の間に残したEASTWARD等、2枚のリーダーアルバムに収められた曲もある。録音は昨年七月、オスロのスタジオ、79歳と云う年齢を感じさせない演奏である。Gary Peacock と云えば、近年は Keith Jarrett(p)とJack DeJohnette(ds)によるStandards Trioのメンバーとして知られているが、その立ち位置はFreeJazzにあり、1964年にはAlbert AylerTrioのアルバム・Spiritual Unityや、Bill Evansのアルバム・Trio 64など、方やフリージャズ、方やメインストリームに参加するなど柔軟性の高さを示している。それはベース奏者の特質なのかもしれないが、形式に捕らわれないフリーなジャズの人とも云える。2004年のGary Peacockへのインタビュー「今とは何か」に彼の音楽への姿勢が述べられている。
フィドルとウッドベースに二十五弦箏と弦楽器奏者三人によるユニットによるアルバムだ。多くの曲はフィドル奏者であるLena Willemarkによるヴォーカルがフィーチャーされているが言語はスェーデン語、スカンジナビアのフォークロアにルーツを求められそうな音階は聴き慣れた西洋音階のそれとは異なる。むしろ地理的歴史的に見れば西洋音階の方が特殊なのかも知れない。其処に日本人である二十五弦箏・奏者である中川かりんが加わっても何の違和感も憶えないのは僕らの世代は西洋音階と和音階、それにJazzのブルースコード等を聴いて育っているからかも知れない。
国内盤のリリースは今月末のようだが、既にiTunesStoreから音源がリリースされている。
YouTube:Trees of Light
リアストゥライニ LYÖSTRAINI
因みに、かりんさんの二十五弦箏の演奏を初めて聴いたのは2008年12月1日明治百話の公開通し稽古だった。その数日後、玉井さんの事務所に大阪から訪ねてきた光代さんと玉井さんとで神楽坂の五十番で軽い食事をとっていたとき、舞台をはねた後の、夕海さんとかりんさんが偶然やってきて同席したことがあった。詳しいことは憶えていないが、かりんさんのおとうさんがメンバーだった富樫雅彦カルテットを聴きに何度か芝の増上寺ホールに足を運んだことがあることを話したりしたが、かりんさんが食い付いたのは、その年にリリースされたばかりのiPhoneとアプリのBrian EnoによるBloomでした。余談であるが、その時、玉井さんが二人に謝罪したと云うエピソードは御自身のブログに詳しく書かれている。
関連
MyPlace-明治百話
もんしぇん
Psalm Dark Sky
と云うことで昨日の土曜日、旧・藤野町の廃校跡の体育館(牧郷ラボ)で行われた『いのち感じろ!渋さ知らズオーケストラLIVE―福島生きもの応援チャリティーイベントーライブ』を見て聴いて来た。イヴェントを知ったのは今回のライブにヴォーカルで参加している夕海さんの前日のFacebookでしたが、肝心な日程の記入漏れがありメッセージでダメ出しをして、「うわっ明日かよ!」と分った次第です。藤野は中学の夏休みの林間学校で一度行っただけでしたが、最近は色々と工房ができたりとか、ちょっと興味があった場所なので、家からどのくらい時間が掛かるのかも確かめたいとも思っていました。家からは町田街道を経由して浅川トンネルから甲州街道(20号線)に入り、久しぶりに大垂水峠越えで相模湖ICの先を左折して橋を渡り、右折して日連から牧野に向かい神奈川C.C.の案内看板を確認して右折、なんとか迷わずに現地に行き着いたと思ったら、目立たない廃校入口をオーバーラン…ちょっと先で車を切り返して廃校入口のアプローチの狭い坂を登って校庭に到着…所要時間35分くらい。車の走行距離が往復で48kmだから片道24km、渋滞はなかったけれど、ワインディング‐ロードの山坂道を平均時速41.1k/mの安全運転でした。
追記:Torino Jazz Festival 2015 - Shibusa Shirazu
旧・藤野町の公演から略三週間後、北イタリアはトリノのジャズフェスティバルでのライブ。
渋さ知らズオーケストラを聴くのは今回が初めて…まぁフリージャズと暗黒舞踏のコラボは70年代から...見て聴いてるが…観客やミュージシャンを巻き込んでダンサーに仕立てる処が「渋さ知らズ」の由縁なのかも…そんな訳で快適渾沌状態の音のシャワーを浴び続けた2時間余りでした。
ライブが終わって車で帰ろうと取付道路の坂道を下っていると、バス停まで歩いて帰る人がいたので声を掛け、藤野駅まで送って行くことに...二人連れの女性は淵野辺から、一人で来た男性は吉祥寺から来たということで、皆さん「渋さ知らズ」のフアンだそうで、東京フォーラムのライブは満席になるのに、今日は空いていたけど、これはこれでまた良かったとか…で、フアン同士の交流が…そんな三名を無事に藤野駅まで送り届け…あたしは一路大垂水峠の山越えへ...。
WALTZ FOR DEBBY(Monica Zetterlund / Bill Evans)で極く一部のJazz-Maniaには知られているモニカ・ゼタールンド(Monica Zetterlund )の伝記映画が明日から公開されるらしいですよ。それにしても、なんとなく1960年代を意識しているような映画タイトルのロゴであります。因みに再版されたアルバム(ワルツ・フォー・デビー+6)はオリジナルに6曲追加されたものです。
Hamburg '72
42年前のラジオ放送の音源がECMよりアルバムとしてリリースされた。ECMのプロデューサーであるマンフレート・アイヒャーが録音に関与していない音源がリリースされるとは希有なことだろう。今年、7月11日に息を引き取ったCharlie Hadenへの追悼の意味が含まれているのか、アルバムの為のリミックスは翌日の7月12日、オスロのレインボー・スタジオで行なわれている。チャーリー・ヘイデン(b)とポール・モチアン(ds)によるKeith Jarrett Trioでは"Life Between the Exit Signs"(1967)と"Somewhere Before"(1968)が残されているが、それらのアルバムと本アルバムとの四年の間、キースはマイルス・デイビス・グループ への参加やGary BurtonとのコラボレーションやJack DeJohnette とのデュオやソロ・アルバムFacing You (1971, ECM)等を残し、ジャズのイディオムに拘泥されないマルチ・プレイヤーな活動をしている。そして、本アルバムのピアノトリオにオーネット・コールマン・スクールのデューイ・レッドマン(ts)を加えた「アメリカン・カルテット」による活動も開始している。私がその「アメリカン・カルテット」を生で聴いたのは、このアルバムの二年後、40年前のことである。う〜む。
Live at the 1963 Monterey Jazz Festival
見ての通り、1963年の"Monterey Jazz Festival"に於ける"The Miles Davis Quintet"のライブ音源である。この時期のMilesはCBSと契約しているので、こうしたライブ音源は海賊盤も多く、不正な手段で録音されたものなのか訝しく思っていたがiTunesStoreで視聴した処、まともな音源なのでAmazonから取り寄せてみた。ライナーノーツを見た処、コンサート主催者による正規なライブ音源であることが解ったが、恐らく独占契約を結んでいたCBSと折り合いが着かずに2007年までお蔵入りになっていたのだろう。と云うことで"Miles In Europe"の略二ヶ月後の録音で、実質、Autumn Leaves、So What、Stella By Starlight、Walkin'の4曲で曲が"In Europe"と被さっているのはAutumn Leaves、Walkin'の2曲だけだが…。"Monterey"でのAutumn LeavesとWalkinではロン・カーターのボウイング(Bowing)奏法によるソロがフィーチャーされているのが野外コンサートでは珍しい処でしょうか。音質的には"In Europe"よりも"Monterey"の方が音が前に出ている印象かも。
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MILES DAVIS The Complete Columbia Album Collection
So What「マイルス・デイヴィスの生涯」2004年出版のこの本の付録のデスコグラフィーには当然ながら当アルバムは出ていませんです。
岩波書店の8月14日の今日の名言はブレヒト『ガリレイの生涯』から
『科学の目的は、無限の英知への扉を開くことではなく、無限の誤謬にひとつの終止符を打ってゆくことだ。』
成程、腑に落ちる言葉である。ブレヒトについては無知同然で劇作家くらいの知識しか持ち合わせおらず、ブレヒトの代表作「三文オペラ」にしても音楽家・クルト・ワイル作曲による Mack the Knifeが最初で、その後ソニー・ロリンズがMack the KnifeをモダンジャズにアレンジしたMoritatを聴いて知ったくらいであり、クルト・ワイルが凄いと思ったのはそれから10年以上の歳月を要している。私としてはこのアルバムを再版してもらいたいと願うのである。
いけない、ブレヒトから脱線したが、こんな時代だからこそ『ガリレイの生涯』を読んでみようと思う。
発売前にAmazonから予約案内のメールが届いた時、そのタイトルに何か考えさせられるものを感じた。Last Danceは2010年にリリースされたKeith JarrettとCharlie Hadenとのデュオ・アルバム『Jasmine』と同じ2007年3月にKeith Jarrettの自宅スタジオで録音された音源を用いたアルバムである。アルバムタイトルの「LAST DANCE」とアルバム最後の曲「Goodbye」が暗示しているかの如くCharlie Hadenは7月11日ロサンゼルスで息を引き取った。両方のアルバムに別テイクの「Where Can I Go Without You」と「Goodbye」が収録されていたのも最後のデュオ・アルバムであることを表象する曲であろう。嘗てKeith Jarrettは彼のアメリカン・カルテットの時代にCharlie Hadenがドラッグの問題をかかえていたことを明かしている。C.Hadenはキースがリスペクトしていた音楽家だけにもうアメリカン・カルテットを続けることに限界を憶え、ECMのレコーディングで何度か共演していたゲーリー・ピーコックとスタンダード・トリオを組むことなったようだ。だから、『Jasmine』で二人が数十年ぶりに邂逅しスタンダード中心のデュオ・アルバムを制作したことに驚きもしたが、其処には何か蟠りのようなものを昇華する時の流れもあったのだろう、旧友同士による演奏は自然である。録音から7年の歳月を掛けてリリースされたこのアルバムの終章とも云える三曲の曲順にKeith JarrettとCharlie Hadenに加えてManfred Eicherからのメッセージも含まれているようだ。
Where Can I Go Without You. / Every Time We Say Goodbye. / Goodbye!
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LIBERATION MUSIC ORCHESTRA
Song For Chè
先のエントリーで書いたようにSony Music系レーベルの洋楽がiTunesStoreにラインナップされたことで、2009年12月28日のエントリー「著作権切れ...?」で取上げた際、音楽業界に詳しいM.Niijimaさんに教えてもらった「著作隣接権の保護期間を過ぎた録音物」から借用したアルバムと、CBSレーベルのオリジナルアルバムがこうして並ぶことになった。どれがオリジナルかはジャケットデザインの質で分かると思いますが、特に酷いのが右上のアルバムでMilesのNEFERTITIのアルバムジャケット写真をそのままパクってますが、何だかですね...。
The Dave Brubeck QuartetのTime Outはオリジナルジャケットに使われた抽象画をそのままパクっていますが、これもデザインも色合も貧相でいけませんですね。LP時代は雑音の混ざるラジオ放送やマニアが録音したジャズクラブでの音源から作られた海賊盤が、それなりに輸入されていましたが...そうした後ろめたさの有る禁制品とは異なり...デジタル時代の安易なフェイクは...あっけらかんとしたものであります。
1970年代のBitches Brewや1950年代の'Round About Midnight等、Miles Davisの主要なアルバムを占める米CBS時代の音源が静かにiTunesStore-Japanにラインアップされています。これらのアルバムは米国では2003年10月にiTunesStoreが立ち上った時からラインアップされていましたが、日本ではCBSの音源を管理するSony Music Entertainment Inc.やSONY BMG MUSIC ENTERTAINMENTとAppleとの交渉が座礁したまま...2005年8月にiTunes Music Store Japanがオープン...その後、他の主要レーベルを抱えるEMIやUNIVERSAL MUSIC等が音源を提供して...残る主要レーベルはSONY系列だけでした。それが...漸く2012年にSony Musicがラインアップと云うことで...本体のSONYのお家の事情もあるのでしょうか...あまり騒ぎ立てないのは...国内録音盤は含まれていない事もあるようですね。ともあれ、衝撃のWeather Reportのデビューアルバムや、Herbie HancockのHead Hunters等、1970年代を代表するアルバムのさわりだけでも試聴できるようになったのは喜ばしい。他にジョブズが影響受けたBob Dylanとか、Simon & Garfunkel、Blood, Sweat & Tears、Wynton Marsalis、等々のCBS時代のアルバムも...あの人のこのジャケットも...
今年の春先にMILES in NEWPORT JAZZ FESTIVAL 1969がリリースされたり、その後もAmazonから未発表レコーディングがCD化されたとの案内が届くので、もしやと思いGoogleで調べると没後20年という訳で、命日の9/28を挟んでNHKアーカイブスでも特集番組を組むようだ。しかし...「ジャズの帝王」とか云う形容の仕方は好きじゃないなぁ...マイルスはマイルス... 純粋に音楽を愉しみたいのなら...二次情報を元に拘りを以て変に分析し、占いの類いの持論を押し付ける評論家モドキの話には耳を塞いだ方が良いかも...
まぁ、9月30日深夜に放送される「マイルス・デイビス・イン・トーキョー1973」は新宿厚生年金会館でのライブであるが...聴衆の一人として...客席に私も居たので楽しみなのだ。
因みにW.A.モーツアルトは没後220年とか...調べてないけどタモリ倶楽部でそう言っていた。
日曜日はNHKと「JC」でマイルス三昧
So What「マイルス・デイヴィスの生涯」
MILES DAVIS The Complete Columbia Album Collection
Ray Bryantの訃報を夕刊で見た。1950年代からMiles Davis、Sonny Rollins、Max Roach、Art Blakey等々のミュージシャンと共演したり、自身ののピアノトリオで活動していたが、やはりRay Bryantの再評価は、この1972年の"Montreux Jazz Festival"でのピアノソロアルバム"Alone at Montreux"による処が大きいだろう。私が彼の名を知ったのもこのアルバム、如何にも骨太な黒人らしい演奏が新鮮に聴こえたものであったが、 39年前の演奏か...Cubano Chantを聴きながら...合掌。
My Back Pagesと云えばBob Dylanが1964年に作詞・作曲した曲だが、私にとってはAtlantic Label系のVortexからリリースされたKeith Jarrett Trioの1968年のアルバム・Somewhere BeforeのA面一番の曲として聴いたのが初めてであった。
昨日の篠田博之氏による東京新聞のコラム「週刊誌を読む」に『「古傷」映画化 なぜ大宣伝/深謀遠慮、風化...朝日の思惑は...』と映画『マイ・バック・ページ』が取上げられていた。この映画も川本三郎の原作も(金を払ってまで)見るつもりも読むつもりもないが、原作の素材となった事件は...確かそんな事があったと...記憶に残っているが、その当事者の一人が川本氏であったことを知ったのは数カ月前に読んだ雑誌の記事ではなかったかと思う。それにしても週刊朝日3月25日号でも原作のタイトルに使われたBob Dylanの詩のリフレインについて言及されていないし...。まぁ、こんな手垢に塗れた紋切り型の括り方を読むと...やっぱりマスメディア側(マスコミ村)にいた人間だなぁ〜と白けてしまうのだが...。
Bob Dylan - My back Pages
Keith Jarrett Trio - My Back Pages
追記:数カ月前に読んだ雑誌とは3/15発売の週刊朝日・緊急増刊「朝日ジャーナル」の川本三郎と中森明夫の対談でした。とかげの尻尾にされた川本氏に対し弁解の機会を与えるのはマスコミ村・大字朝日新聞の損失補填でしょうか。
Bitches Brew: Live
1969年7月5日、ニューポート・ジャズ・フェスティバルにおける未発表ライヴと翌年1970年のイギリス、ワイト島フェスティバルのライヴを納めたアルバムである。1969年と云えば未だ1ドル=360円の固定相場制に外貨の海外持ち出しも700米ドルまでの制限があった時代。1971年9月の都市住宅・臨時増刊・住宅第1集「東長崎の家」で登場したジャズ喫茶DIGとDUGのオーナー・中平穂積氏の本職は写真家。新宿紀伊国屋書店裏口の並びのビル地下にあった旧DUGの壁には氏が撮影した1969年ニューポートのマイルスの写真が飾られていた。その写真のマイルスは上下共デニム地で誂えた上着の召し合わせは紐で編上げられ、パンツも同様にサイドを紐で編上げられていた物を穿いていた。それまでの細身のネクタイを締めたクールなスーツ姿からスタイルは一変し、トランペットも二色のグラデーションで塗り分けられ徹底してイメージチェンジが計られていた。そしてニューポート・ジャズ・フェスティバル翌月のスィングジャーナル誌の表紙はもちろんニューポートのマイルスであり、グラビアでも新生マイルスバンドがその中心だった。その年の初めに予定されていたマイルスの日本公演が中止なったこともあり、ニューポートのマイルスはジャズファン関心の的であったが、其処で行なわれた演奏は42年の歳月を経てようやく日の目を見た訳である...。期待に耳を集中し...聴いてみるとマイルスもプロデューサのテオ・マセロも封印していた訳が解るような気がする。ライブ会場の録音がベストとは言い難い...映像があればそれで補填できるのだろうが....。アルバムのアートワークもいま一つ、昔は内藤忠行とか石岡瑛子とかを採用して...とんがっていたのだが...これも残念。
内容
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NEWPORT JAZZ FESTIVAL July 5,1969
Miles Davis, (Wayne Shorter), Chick Corea, Dave Holland & Jack DeJohnette
1:Miles Runs The Voodoo Down [Live]
2:Sanctuary [Live]
3:It's About That Time/The Theme [Live]
The Isle of Wight Festival August 29,1970
Miles Davis, Gary Bartz, Chick Corea, Keith Jarrett, Dave Holland, Jack DeJohnette & Airto Moreira
4:Directions [Live]
5:Bitches Brew [Live]
6:It's About That Time [Live]
7:Sanctuary [Live]
8:Spanish Key [Live]
9:The Theme [Live]
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1969年のNEWPORT JAZZ FESTIVAL と同じメンバーによるパリツアーのライブ映像がありました。こちらはWayne Shorterも演奏に間に合ったようです。
YouTube:Miles Davis. Jazz-Festival Newport in Paris, France (1969)
ワイト島フェスティバルの様子はこちらから
YouTube:Miles Davis - Isle of Wight 1970 - 1/4 ~ introduced by Keith Jarrett
YouTube:Miles Davis - Isle of Wight 1970 - 2/4
YouTube:Miles Davis - Isle of Wight 1970 - 3/4
YouTube:Miles Davis - Isle of Wight 1970 - 4/4
てことで、MacのモニターではなくOSをアップグレードしたAppleTVでこれらを視聴するのも....良い。それにしても、ベースのDave Hollandは未だ少年の面影を残していて若いなぁ。ニューポートではアコースティックなコントラバスだがワイト島ではフェンダーのエレクトリックだ。
そうか、ECMとのコラボは四年前だったのか。と云うことで今度はBLUE NOTEとのコラボですね。Somethin' Elseも良いけど、Cool Struttin'はBLUE NOTEの定番なので外せないかも...。
そういえばiTunesStoreでも100 Best of Blue Noteとか50 Best of Blue Noteのコンピレーション・アルバムがそこそこ売れているようです。
と云うことで16日はJR中央線・高尾駅舎内のIchigendo・群言堂高尾駅店で開かれたジャズミュージシャン坂田明氏による『音楽とミジンコから見えてくる世界...』を聴きに行った。と書くと、わざわざ...そんな遠い処...と思われそうだが山里に棲む私の地元に...はるばる坂田明(以下敬称略)がやって来たのである。はるばる...と云えば、イベントを主催している『Ichigendo・群言堂』も島根は石見の石見銀山生活文化研究所による石見の「アンテナショップのようなもの」なのである。何故...石見銀山が高尾に...と云うと東京進出の際、JRから東京駅と...それに高尾駅にもスペースがあるけれども...と提案され...迷うことなく高尾駅を選んだそうだ。理由は...東京駅は色々と出店の条件やらなにやら...縛りが多いが...高尾駅は...もう少し...面白いことがやれそうに思えたそうで。それでミジンコとフリージャズが高尾で繋がるらしい...。
ミジンコについては氏の『ミジンコ図鑑』を読んでいただくことにして、当日、アルトサックスでソロ演奏した曲目は山下トリオ時代に「ゴースト」の間奏曲に取込み不動の地位を確立したフリージャズ版『赤とんぼ』に始まり、氏の故郷である呉の民謡『音戸の舟歌』、映画音楽から『ひまわり』、最後に季節柄『ホワイトクリスマス』で締めくくった。
折角の機会なので、持参した左の山下洋輔トリオ時代(1976)のLPアルバム(MONTREUX AFTERGLOW)と坂田明のリーダーアルバムのこれとこれとこのCDにサインして戴いた。
今では山下洋輔トリオのアルバム"MONTREUX AFTERGLOW"を聴いてフリージャズに目覚めたと云うヨーロッパのミュージシャンも多くいて、彼らにとってもこのアルバムは一つのメルクマールになっているようです。レコードジャケットの坂田明の着ているTシャツは演奏旅行の途中、ドイツで購入したもので、今でも持っているとか。因みに"MONTREUX AFTERGLOW"はDVDで発売されるらしく、モニターに34年前のモントルーの映像を映し、孫にレコードジャケットのTシャツを着させて記念写真を撮ったとか言ってました。それを聞いて思わず...私...お孫さんは似てますか...と尋ねると『似てないよ...女の子だよ...』...失礼しました。いやぁ〜クローンの様な男の子だったら...爺ちゃんとジャムセッションする姿を想像すると...可愛いと思った次第です...。
此の処...円高とネット通販の影響か洋楽の日本先行発売が新たな潮流となりつつあるようで、昔とは偉い違いである。因みに本日は人気のNorah Jones・国内盤新譜と実力のCassandra Wilson・国内盤新譜がリリースされるが輸入盤がAmazonからリリースされるのは一週間から二週間後である。輸入盤と国内盤の価格差が1000円となると、もはやボーナストラックの特典と日本語ライナーノーツによる差別化だけでは長期化する洋楽販売不振の打開案がないと云うことでしょうね。
6月に発売された7月号を以て"Swing Journal" 休刊となったが、その後、同じ編集スタッフで新たなジャズの雑誌が8月に創刊されると聞いていたがすっかり忘れていた。ふとしたことから思い出し自分のエントリーで確認しネット検索してから、昨日の夕方買い物ついでに本屋でJaZZ JAPANを買ってきた。雑誌のスタイルも執筆者も"Swing Journal" と殆ど同じ、発行がヤマハミュージックメディアに変わったことくらいでしょうか。相変わらず広告は少ないようで、往年の"Swing Journal"と新建築は本文よりも広告の方が多かった...なんて若い人には信じられない話でしょうね。そんなコンサバティブな紙媒体に大した変化はありませんが...変わったのは見ての通りiBookに対応した"JaZZ JAPAN"の電子書籍版(ePub-File)と紙媒体の併存です。無料の電子書籍版はインタビュー記事とCDレビューの一部、それにコンサート情報だけですが、広告が既存メディアからネットに移行している現在、これから無料の電子書籍版に如何にスポンサーを付けるか経営手腕が問われそうです。
先日、CD-Shopに立ち寄った際、EMIによる「JAZZ名盤 999 BEST & MORE」シリーズが999円で発売されているのを見て、どんな物があるか...物色しながら...さて...これはCDを持っているのか...その記憶があやふやで...結局は何も買わずに店を後にした。新譜ならばそんな事はないが、昔々...LPで聴いていたアルバムは...後からCDを買ったことを...よく憶えていなかったりする。特に最近はCDを買ってもリッピングしてiTunesで聴く事が多く、LPジャケットを手に取り、ライナーノーツを読みながら聴く事もないので、その傾向が顕著である。そんな訳で昨日...メールマガジン『EMIミュージック・リリース情報』が届いたので、リリース情報とiTunesのLibraryを照らし合わせてから買うかどうか考えることにした。
「JAZZ名盤 999 BEST & MORE」のキャンペーンに併せてiPhoneAppの「Best&More1」もリリース(無料)されている。ところでiPhoneに画面表示されたArt Pepperの'The Return of Art Pepper"は"CD"は10曲で999円だが"iTunesStore"では15曲で900円と格安となっている。まぁ...アトムにするかビットにするかは消費者の自由で選択肢が増えたことを素直に喜びたい。
明日から日本公演の始まる"Keith Jarrett Trio"であるが、それを記念してなのか定かではないがiTunesStoreで6枚組のアルバム・Keith Jarrett At the Blue Note - The Complete Recordingsが驚くようなお買い得価格で販売されている。ブルーノートでの3日間のライブは38曲合計7時間3分23秒の演奏である。因みにAmazonではこの値段...
Keith Jarrett At the Blue Note: The Complete Recordings
と云うことでブルーノート3日間のライブで全38曲を演奏し、同じ曲は二曲だけですから36の異なる曲を弾いた訳ですね。これは3日間ブルーノートに通い詰めた人もいるでしょう。明日からの日本公演で東京、神戸、横浜と全コンサートを聴きに行くタフな人はどの位いるのでしょうか。
考えてみると、もう40年以上に亘ってKeith Jarrett を聴いてきたことになる。それにベースのゲーリー・ピーコックは私が初めて聴いた外国人ジャズミュージシャンだった。彼が未だ日本に住んでいた頃の話。今は無き銀座のJunk、千疋屋の隣にあったビルの4階、菊地雅章のピアノ、村上寛のドラムのトリオによる演奏だった。1960年代末は世相も騒がしかったし、コルトレーンが亡くなったり、エルビン・ジョーンズもコカインか何かで捕まり日本国内の刑務所に服役...マイルスの日本公演も入国管理局の審査が降りず中止になったりとか...日本では...このまま永久に外国人ジャズミュージシャンによるジャズが聴けないじゃないかと...思ったりもした。
Keith Jarrettの招聘元の鯉沼ミュージックも前身のアイミュージックを鯉沼氏が立ち上げた時から知っている。(もちろん一方的だが...)青山通りと骨董通りの交差点のGSの隣にあった青山共同ビルの地下、原信夫とシャープ&フラッツの楽器置場に間借りしていた頃、電話予約したマッコイ・タイナーのチケットを取りに行った事がある。未だ電話予約が一般化していない頃、プレイガイドでチケットを買うのが普通だったが、駄目元で電話したら...「いいよ」...の返事。チケットを取りに行くと...まさかこんな所に...というような楽器置場を兼ねた倉庫の様な一室に鯉沼氏が一人ぽつねんと立っていた。ここはアイミュージックですか...と言うと。「そうだよ」の返事...電話予約した者と名前を告げ代金を支払いチケットを受け取ると...床に丸められたポスターが転がっているのが目に付いた。「これ貰っていいですか。」と訊ねると。「いいよ、持っていきな。」....何年か経ってから氏が日本橋の生まれと分かって...納得。
鯉沼さんにはサイト内のコラム"KOINUMA'S NOTE"を上梓して一冊の本にしてもらいたいと願っている。其処にはジャズや音楽に関する宝のような話が詰まっているに違いないのだが、江戸っ子のシャイな性分が...嫌なんだろうな。
"Keith Jarrett At the Blue Note"の"If I Were a Bell"を聴きながら...
と云うことで"Swing Journal" 休刊である。1960年代後半から1970年代の後半くらいまでは、ほぼ毎月読んでいたが、最近はたまに立ち読みするくらいで買うことはない。先々月、広告収入の不振で休刊することが新聞で報じられても、残念と思う気持ちもなく、よく此処まで続けられたと思うだけであるが、それでも一応最終号となる7月号は買ってみた。表紙を見ても判る通り最終の7月号は十年一日の如く、7月17日のコルトレーンの命日に因んでの特集である。まるで進歩がない。その上、興味を持って読みたくなる記事はなく...休刊も当然だろう。相次ぐ雑誌の休刊を見ていると、どれも広告収入の不振を謳っている。結局は雑誌が売れないのは面白くないからだろう。景気が良いときは広告収入で補填することも出来ようが、景気が後退し広告媒体としての価値がなくなれば広告主は去り、雑誌は廃刊に追い込まれるのだが、そうすると広告主の為に雑誌を作っていたのか、読者の為に作っていたのか、何だか良く判らない。何れにせよ編集者自身が面白いと思える雑誌を作っていないのでは...
まぁ...iTunesStoreでの売れ筋ジャズアルバムをみると..."Swing Journal" が休刊に追い込まれるのも判る気がする。
残るはJazzLifeとジャズ批評の二誌だけか...どちらも地味であるが、コアな読者層が付いているのだろうか...
追記:スイングジャーナル、「JAZZ JAPAN」に生まれ変わり8月創刊へ...だそうである。iPad対応の電子書籍版も検討中とか...
JAZZを巡る旅と称した特設サイトがiTunesStoreに置かれている。元スィングジャーナル編集長(と云っても45年以上も昔だが...)でジャズ評論家・岩浪洋三氏によるオーディオブックを販売するのが趣旨の様である。その販売促進アイテムとして『マイルス・デイヴィス総括』が7/27までの期間限定で無料となっている。300円だったら買わないけど無料なのでダウンロードしてみた。米CBSに残されたマイルス・デイヴィスの主要なアルバムはSONYMusicが排他的独占使用権を持っていて、敵対するiTunesStoreには卸してないので、残念ながら「マイルス・デイヴィス総括」とはいかない。従ってジャズの初心者がオーディオブックを聴いてみて紹介されている楽曲を一点買いすることは難しく、(尤も著作隣接権の保護期間を過ぎた録音物としてリリースされているものもあるが...)初心者へのシナジー効果は望めそうもない。ラジオ放送なら楽曲を掛けることが可能だが、ポッドキャストやオーディオブックの場合は著作権の関係で語りだけとなり、中途半端で微妙である。iTunesStoreオリジナルのコンピレーションアルバム位は必要だろうし、その附録としてのオーディオブックなら納得であるが、一度しか聴かないモノにしては300円は高すぎる。
因みに岩浪洋三氏の話は至極真当である。40年昔、FM放送やスィングジャーナルで聴いたり読んだりしていたときは、総花的啓蒙的で印象にも記憶にも残らず面白くもなかったのだが...今は85%位は同意できそうだが...
奇しくもKeith Jarrettの65歳の誕生日である5月8日にCharlie Hadenとのデュオ・アルバム『Jasmine』がAmazonから届いた。二人が略三十年ぶりに邂逅し制作されたアルバムはスタンダードナンバーによるものだ。アルバム冒頭の"For All We Know"や"Where Can I Go Without You"等はNat King Coleのヴォーカルでも良く知られた曲である。アルバムを締めくくる"Don't Ever Leave Me"はキースが病から回復し最初に録音したアルバム"The Melody at Night, With You"にも収録されている。その"The Melody At Night, With You"を録音したキースのニュージャージの自宅スタジオでアルバム"Jasmine"は2007年3月に録音された。そしてアルバムの構成に三年の歳月を掛けて熟成させ"Jasmine"は日の目を見た。『...ジャスミンは夜に花開く、美しい香りを漂わせる花だからこそ、この作品に注がれた注がれた努力を聴きとって欲しいと思う。...』
iTunesStore:Jasmine
そういえば、僕は"Vintage"の意味をワインからではなく、このベニー・グッドマンのLP(因みに左の図版と昔CBS/SONYからリリースされたLPのジャケットデザインは異なる...)から知ったのだった。まぁ...四十年も前の事だから、その頃はワインを飲む習慣もなかったし、偶にワインを飲むようになった今もでも"Vintage Wine"にはあまり縁がない。このLPはAmazonで検索しても引っ掛からないし...CD化された様子もなく廃盤になっているようで、Googleでもヒットする確率は低く、Yahoo!オークションで漸くその存在が確認できた。恐らく、このiTunesStoreの音源もCBS/SONYが所有していた原盤の排他的独占使用権が切れた事によって、廃盤とされていたものが日の目を見たのでしょう。このThe Vintage Goodmanを探した目的はA面2曲目の"Jack Teagarden"(ジャック・ティーガーデン)のヴォーカルによる"Basin Street Blues"を聴きたくなったからです。このバースから始まる退廃的でやる気もなく怠いヴォーカルが何とも云えず味わいがあるんですね。
Basin Street Blues / Jack Teagarden with Benny Goodman & His Orchestra
iTunesStore:The Vintage Goodman
iTunesStoreでAtlantic Labelがプライスダウンされて...500円だったコルトレーンのMy Favorite ThingsとミンガスのPithecanthropus Erectus(邦題:直立猿人)が、なんと400円、そしてオーネット・コールマンのThe Shape Of Jazz To Come(邦題:ジャズ来るべきもの)が700円とお値打ち...である。何れも、これを聴かずしてモダンジャズを語れないと云う名盤。
因みに画面左下のキース・ジャレットのSomewhere Beforeはオリジナル盤とは違うジャケットデザインですね。そのオリジナルLPはA面最初の曲がBOB DYLANのMy Back Pagesで、フォークロックからフリージャズ、ラグタイム、あれもこれもと...まだまだ若い23歳のキースである。
やっぱりこれしかないでしょう、と云う訳でiTunesのPlaylistに"My Funny Valentine" を...もちろんFunnyなChet Bakerの演奏も...Playlistに...
iTunesStoreを覗いて見ると"Miles Davis"の"'Round About Midnight"がある。SONY MusicとiTunesStoreの契約が成立した訳ではなく、レコード会社は聞いた事もない"Revolver Records Limited"となっている。最近、矢鱈と昔だったら海賊版として取締対象となるモノが数多く出ているが、調べてみると音源は50年以上経ったもので著作権切れとなったモノの様である。Kind of Blue 50th Anniversaryと云う事で米国下院が功績を讃えられた結果がこれだった。もちろん"Kind of Blue"もあるのだ。ブルーノートが創立70周年記念企画として1100円の廉価版CDを限定リリースしているのもそういう事か。
"'Round About Midnight"も"Kind of Blue"もオリジナル・レコードジャケットがないと音源が同じでも贋物にしか見えないのが痛々しい。
考えると、こうした状況に対応する為にMILES DAVIS The Complete Columbia Album Collectionがリリースされたのかも知れない。CBS-SONY Musicも50年を超えた分に対しての著作権料は節約できるだろうし...
そういえば先日のCBSドキュメントでデッド・セレブのタレント事務所の様なモノを経営しているエージェントを紹介していた。要するに亡くなった有名人の肖像権やら何やらを遺産相続人に代わって、メディア等と交渉する訳である。それにしても...金のなる木に人は群がり...デッド・セレブはあの世に行っても...ゆっくり休む暇もなく働かされるのだ。そのうえ...本人の遺志は無視されたりとか...。まさに「死人に口無し。」まぁ...デッド・セレブでは新人のM.J.も辛いだろうね。
MILES DAVISの'Kind of Blue"が 50th Anniversaryと云うことで米国下院が功績を讃える決議をしたとか... の記事が夕刊の片隅に...恐らくMilesが生きていれば"So What ?"と...つぶやくだろう。
The New York Times:House Honors Miles Davis' ''Kind of Blue''
MILES DAVIS The Complete Columbia Album Collectionに収録されている"Miles In Tokyo"を久しぶりに聴いた。音源は1964年のMiles初来日公演のライブであるがLPがリリースされたのが1969年、つまり40年前である。ライブレコーディングを発掘し米CBS本社と交渉しレコード化したのは、ゲイリー・ピーコックのEASTWARDをプロデュースした伊藤潔氏である。こちらのサイトにある伊藤潔氏のバイオグラフィーを読むと、氏が大学を卒業しCBS-SONYに入社した年の仕事である。会社が若いと新人でもモチベーションがあれば何でもやれる典型である。実力とか実績なんてものはその後勝手に付いてくるのだ。
SONYが音楽業界に進出し米CBSレコードの国内販売権を獲得してCBS-SONY(現・Sony Music )を設立したのは1968年のこと、それまでCBSレコードの国内販売権を持っていたのは日本コロムビアであったが、レコードジャケット等は原盤に忠実でなくMilesの"Milestones"などは、文字を主体としたジャケットデザインで、海賊版と勘違いされそうな恥ずかしい代物であった。いつ販売されるか分からない国内盤を待つのではなく、ジャズコレクターを標榜するものは高くても輸入された原盤を手に入れるのが常であった。CBS-SONYの音楽業界への進出は国内音楽業界の洋楽部門の奇妙な風習に一石を投じるものであった。MilesのCBS原盤に忠実なオリジナルデザインによる国内盤を手にするようになったのはCBS-SONYになってからであった。それだけにこの"Miles In Tokyo"がローカルな国内盤だけに終らず、MILES DAVIS The Complete Columbia Album Collectionに加えられた事の意義は大きい。
近年、些か更年期障害の傾向が見られ、独善的に思えるSony Musicであるが初心に戻って、音楽ファンが何を欲しているか考え直して貰いたいものである。
追記:余談ではあるがコンサートのメンバー紹介(まだ声が若い)は故・いソノてルヲ氏、嘗てNHK-FM「ジャズ・フラッシュ」でエンターテインメント系のジャズを担当していた。
と云うことで漸くAmazonから予約していた"Miles Davis"のThe Complete Columbia Album Collectionが届いた。その中身はこれだけ、アルバムが52セットにDVDが一枚という構成だ。一部にCBSに残された音源を元に後からリリースされたアルバムの中にはLPとCDで、音源は同一だがタイトルや構成が異なるものもある。特典附録として付けられたDVDの"MILES DAVIS QUINTET LIVE IN EUROPE '67"は、Wayne Shorterが参加していた60年代中期の"Miles Davis Quintet"というリアルタイムで見たかった貴重な映像である。
iTunesに二日がかりで無事インストール。
収録アルバムのリスト: LP・CD:私の所有アルバムを色分。(W)=二枚組
No.01:In Paris Festival International De Jazz - May 1949(1949)
No.02:'Round About Midnight(1955〜57)
No.03:Circle In The Round(1955・1958・1961・1967・1968・1970)(W)
No.04:Miles Ahead(1957)
No.05:Milestones(1958)
No.06:1958 Miles※(1958)以前、LPでリリースされたものとタイトルと一部の楽曲が異なる。
No.07:At Newport※(1958)"Miles & Monk At Newport"のLPではモンクと片面づつ分け合っていたが、これは全てMiles。
No.08:Porgy & Bess(1958)
No.09:Jazz At The Plaza(1958)
No.10:Kind Of Blue(1959)
No.11:Sketches Of Spain(1959・1960)
No.12:Directions(1960・1961・1963・1967・1968・1970)(W)
No.13:Someday My Prince Will Come(1961)
No.14:Friday Night-Miles Davis in Parson At The Blackhawk※(1961)(W)
No.15:Saturday Night-Miles Davis in Parson At The Blackhawk※(1961)(W)
LPではFriday NightとSaturday Nightで二枚組みアルバム。
No.16:At Carnegie Hall(1961)(W)
No.17:Quiet Nights(1962・1963)
No.18:Seven Steps To Heaven(1963)ここから、Herbie Hancock、Ron Carter、Tony Williamsのリズムセクション。
No.19:Miles Davis in Europe(1963)
フランス語のメンバー紹介、あたしにはアラビアンコック・キアノ(Herbie Hancock piano)としか聴こえない。
No.20:My funny Valentine(1964)
No.21:Four & More(1964)
No.22:Miles in Tokyo(1964)
No.23:Miles In Berlin(1964)ここからWayne Shorter加入
No.24:E.S.P.(1965)
No.25:At The Plugged Nickel(1965)(W)
No.26:Miles Smiles(1966)
No.27:Sorcerer(1967)
No.28:Nefertiti(1967)
No.29:Water Babies(1967・1968)
No.30:Miles In The Sky(1968)
No.31:Filles De Kilimanjaro(1968)
No.32:In A Silent Way(1969)
No.33:Bitches Brew(1969・1970)(W)
No.34:Big Fun(1969・1970・1972)(W)
No.35:A Tribute to Jack Johnson(1970)
No.36:Live At The Fillmore East : It's About That Time(1970)(W)
No.37:Black Beauty -Miles Davis At The Fillmore West(1970)(W)
No.38:At Fillmore(1970)(W)
No.39:Isle Of Wight(1970)伝説のワイト島フェスティバルのライブ
No.40:Live-Evil(1970)(W)
No.41:On The Corner(1972)
No.42:In Concert(1972)(W)
No.43:Dark Magus(1974)(W)
No.44:Get Up With It(1970・1972・1974)(W)
No.45:Agharta(1975)(W)
これは大阪公演のライブであるが、日本公演初日の新宿厚生年金会館で植草甚一を見掛けた。masaにファンキー爺さん...
No.46:Pangaea(1975)(W)
No.47:The Man With The Horn(1981)
No.48:We Want Miles(1981)(W)...あたしも其処にいたのだ。
No.49:Star People(1982・1983)
No.50:Decoy(1983)
No.51:You're Under Arrest(1984・1985)
No.52:Aura(1985)
No.53:MILES DAVIS QUINTET LIVE IN EUROPE '67 (DVD)
●持っていた筈なのに見つからないLPもあるのだが...
そういえば"Miles Davis"のライブを聴いたのは1987年のライブ・アンダー・ザ・スカイ(よみうりランド)が最後
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Box Setが流行りのようだが、ベスト盤とかコンピレーションアルバムの類いではなく、遂にMiles DavisのThe Complete Columbia Album Collectionである。CD70枚+DVD1枚で29,690円也、DVDはおまけと考えてCD一枚あたり424円となる。MilesがCBSに残した30年間で52のアルバムのCompleteな集大成であり、masaにモダンジャズの歴史そのものでもある。これは嘗てジャズ喫茶に入り浸りMilesのLPを聴きまくったオヤジ達にはCBSの全CDを揃えるチャンスかも知れない。
The Official Miles Davis Site
Sony Music / Miles Davis
追記:当初の出荷予定より遅れて12月2日に届いた。
MILES DAVIS The Complete Columbia Album Collection
"ティーンvsアラフォー"と云うことで二人のジャズシンガーの国内CDデビューである。
一人は1994年2月8日生まれと云うから、未だ15歳のジャズシンガー"Nikki Yanofsky"である。どうも...この年代の妙に大人びた歌手は...カナダのお嬢(美空ひばり)の様に...見えてしまい、子供にしては上手いなぁと感心するのと同じくらい"ある種の痛さ"も感じてしまう。さて、ショービジネスの世界で彼女は10年後はどう成長しているのか.....まぁCDを買うのは...彼女が25歳になってからでも..と、業界とは縁のない爺は考えてしまうのである。有り体に云えばこれは「青田買い」ではなかろうか、将来性のある才能を囲い込んで金を生む木に成長させる、それが目的だろう。お嬢のご機嫌を損ねないよう...ショービジネスもつらいよ...かな。
そして、もう一人は1970年4月18日生まれ、正規の音楽教育を受けているジャズシンガー"SOFIA FINNILA"(ソフィア・フィンニラ)である。流石大人ですね、落ち着いたジャズクラブで聴いてみたいものです。スウェーデン生まれのジャズシンガーは古くはモニカ・セッテルンドや、最近ではフレドリカ・スタールがいるが、フィンランドのジャズシンガーは聴いた事がなかった。それにしても、何故か最近はカナダとか寒い国から白人系のジャズシンガーが多く出ているような気がする。逆に云えば、アメリカの黒人系シンガーは既にスタンダードなジャズに拘泥していないのかも知れませんね...。
EVERYTHING I LOVE
と云うことでデビューアルバム(2004年)・Sophie Milmanが"iTMS"のJazzChart一位(2006年)を記録したソフィー・ミルマンの3枚目のアルバム"Take Love Easy"である。因みに国内版の「テイク・ラヴ・イージー」はおまけが2曲付いて1ヶ月先の発売だそうだ。デビューアルバムを聴いたとき女性だけに与えられた天性の演技力と云うか表現力を持ったシンガーと云う印象であったが。このアルバムで「おやっ!」と思ったのはジョン・コルトレーンとジョニー・ハートマンがインパルスに残したアルバムでも知られた"My One And Only Love"である。この曲はF・シナトラが元々唄っていたように男の唄である。女性ではカーメン・マクレエ等が唄っている。そのカーメン・マクレエのフレージングに影響された笠井紀美子もアルバムタイトルにしてCDを残している。そんな"My One And Only Love"をどう演じたのか気になった。ギターのイントロにソフィーのちょっとハスキーな低い声が被さるのだが、ここでは女優というよりハードボイルドな男役を演じているように聴こえる。他にジョニ・ミッチェル、ブルース・スプリングスティーン、ポール・サイモンと云った個性的なシンガーの曲にもトライしている。3分間夫々の役を演じているのだが、ソフィーは意識下で既に女優になり切っているのだろう。演じてはいても素である。
それにしても、このジャケット写真からアルバムの曲想全体...それに地声も...想像するのは...難しい...。
更新:iTunesStore Japan で先行発売されました。
たぶん1973年前後に来日公演したときのクインシー・ジョーンズ・オーケストラを新宿厚生年金会館で聴いた事がある。"Ironside"のテーマに始まり、当時の定番"Smackwater Jack"やスティービーワンダーの"Superstition"まで、観客を満足するまで楽しませ、これがエンターテインメントなんだと思わせるステージであった。
その後、1982年に音楽プロデューサーとしてマイケル・ジャクソンの『スリラー』を手掛ける等、自身の演奏活動から遠ざかっていたクインシー・ジョーンズが今から20年前の1989年に8年ぶりに満を持してリリースしたクインシー自身のアルバムがこのBack on the Blockである。1990年度グラミー賞の"Album Of The Year"の他"Best Rap Performance By A Duo Or Group"も受賞、Billboard 200(年間9位)Jazz Albums1位、Top R&B/Hip-Hop Albums1位、等々ブラックミュージックの過去と未来を写し出す合せ鏡のようなアルバムであった。アルバムにはWeatherReportのJosef Zawinulによる"Birdland"を収録、ソリストにMiles Davisを迎えている。これが二人の1991年7月8日モントルージャズフェスティバルでの共演に繋がり、マイルス最後のライブアルバム"Miles & Quincy Live At Montreux"として結実している。
Words From Quincy(翻訳...「私は今日、小さな弟を亡くした」)
そういえば、クインシー・ジョーンズは『We are the world』のプロデュースと指揮で参加してましたね。ちょっと懐かしいビデオクリップがYouTubeにありました。
CD-Shopでちょっと見"Holly Cole "の新譜かと思ってCDを手にしたら顔も体つきも名前も違っていた。"Holly"と云うと男を手玉に取る「ティファニーで朝食を」の高級娼婦。ヘップバーンが演じていた"Holly"はほんとは悪女だけどそんな風に見えない。"Hilary"と云えば元大統領夫人の元民主党大統領候補で人気が今一つ、やっぱりほんとは悪女かも...。と...アルバムには何の関係もない話題でした。しかし...名前って過去に出会った人物によって...結構イメージが左右されてしまうもの...なのですね。で...Hilary Koleのアルバム。いや、ほんとに唄の上手い人ですね。ジャズスクールの優等生のイメージ...。でも...人間って勝手なもので...ちょっと癖があったり、ファニーな方が...感情移入できたりして...優等生と同じ名前が...
金子雄生 solo vol.1@「七針」
2009. 5. 27 (水)
開場:19:00/開演:19:30
料金:2000円
於:八丁堀「七針」
東京メトロ日比谷線八丁堀A4出口より徒歩3分
ご予約・お問合せ:金子音楽工房
昨年、山里で行われた「ことばとからだのインプロビゼーション」に高橋さんと来られてポケットトランペットで飛び入り参加した金子さんのライブがあります。さて、堀割に囲まれた低湿地にDIGするパツラの響が...
会場はこのビルの地下みたいです。因みに5月10日のストリートビューは母の日バージョンでした。
午前中で授業が終り、その後、A地点からB地点へGoogle御推奨の車によるルートではなく神田川に架かる橋を見ながらミニダイブを...B地点に辿り着きそして赤い扉を開けると...
店内に入ると渋谷の店では剥き出しだったスピーカーも主張せず隠されている。マッチのデザインに用いられていたイラストが額装されターンテーブルの上に飾られていた。昼間は主に控えめな音量でCDを掛け、夜はLPを掛けることもあるそうだが、そのへんは客の好みに従って柔軟に対応しているとのことである。そういえばDexter Gordonの"GO"はGeniusで初めて聴いて自分でも買ったLPだった。
Geniusは嘗て渋谷の道玄坂小路は台湾料理店・麗郷の斜向いにあったModernJazzを聴かせる店、所謂Jazz喫茶だった。いつ頃だったろうか麗郷に行った後でGeniusに寄ろうとしたら其処はピンク系のサービスを売り物にする店に変わっていた。1970年前後には人気の絶頂にあった日野皓正や山下洋輔のライブを売りにしていたJazz喫茶Oscarが、いつの間にかストリップ劇場に変わってしまったこともあったので、渋谷の繁華街での店の推移や興亡は驚くに当ることではない。Geniusもその例なのだろうと思い込んでいた。ところが、shinさんの麗郷を読んでコメントを書いた際、改めて渋谷のGeniusをGoogleで調べてみると、どうやら店は中野新橋に移転して今でも営業をしていることが分かった。中野新橋なら大学から歩いてゆける距離である。と云うことで前期の授業が始まった昨日、Geniusへと...である。店内は明るく軽い食事もできJazz喫茶特有の重苦しさもない...これならリピーターになれそうである。神田川流域の地形を感じながらのミニダイブの楽しみも付いているし...。
追記:渋谷のジニアスが閉店したのが1988年(昭和63)の8月、中野新橋に開店したのが1989年(平成1年)の5月と云うことのようです。スイングジャーナルでも読んでいれば何かの情報があったと思うが、この頃はJazzの雑誌も読まなくなっていたので知らぬままであった。写真はマスターの許可を得て撮影したが、他の客も居たので室内全体を写すのは遠慮した。
春なのである。山里では雀やら、なんやら野鳥の囀りで賑やかである。既に啓蟄 から十日を過ぎ、雀たちも餌にも困らなくなったのかも知れない。と云うことで「鳥たちの囀り」を聴いていたら"Conference of Birds"を思い出した。昨年10月からiTunesStoreでもECMレーベルを扱うようになり、ちょっとマイナーな"Conference of Birds"も一曲買いできるようになっていたのだ。
マイルス、ロリンズ、コルトレーン、モンクにパウエル.............等々とジャズのレーベル・Blue Noteの歴史が凝縮されたコンピレーションアルバムは70周年記念と云うことでドーンと一日分(7.2時間)70曲が1500円なのである。70曲中で自分がCDで持っていたのは14曲で20%、残りの80%は持ってなかった。まぁちょっと....昔のジャズ喫茶の雰囲気に浸りたい向きには御誂えのアルバムである。但し835.6MBあるのでダウンロードには些か時間を要する。
と云うことでiTunesStoreのJazz売り場の陳列棚の中心に"Cassandra Wilson"の新譜が置かれていた。恐らく今まで"Cassandra Wilson"はiTunesStoreのJazzAlbumTop100にランクインしたことはないと思われる。Jazzを聴き込んでいる担当がiTunesStoreでJazzの楽曲を買う顧客の傾向と対策から実力のある"Cassandra Wilson"をもっと聴いてもらいたいと考えたのだろう。やっぱりiTunesStoreで売れている女性ジャズボーカルの面子を見ると「見た目」と「身贔屓」が優先され、「話題性」が後から付いてゆく感じを否めない...まぁ...それでもよいのだろうが...それだけでは本当にワクワクするような出合いや面白さはないような気がするのである。因みに私はマイルスへのトリビュートアルバム"Traveling Miles"が好きである。
:Cassandra Wilson - Traveling Miles
追記:そういえば映画"My Blueberry Nights"のサウンドトラックでアルバム"New Moon Daughter"に収録されている"Cassandra Wilson"が唄った"Neil Young"の"Harvest Moon"が使われていましたね。ライブバージョンのHarvest MoonがYouTubeにありました。
2007年は没後40年、2008年は生誕80年、そして2009年はキューバ革命50周年、それらに合わせるようにテレビの特集や雑誌の特集や映画も公開されている。そして今週、漸く火曜、木曜と一日置いて前編「チェ/28歳の革命」と後編「 チェ/39歳 別れの手紙」を見終わった。映画の印象の前に先ずは前から気になることから...
40年前の1969年、キューバ革命から10年目の年にチャーリー・ヘイデンによってリリースされた一枚のアルバム"LIBERATION MUSIC ORCHESTRA"、その中の一曲に"Song For Chè"がある。もちろんチェ・ゲバラに捧げられた曲だ。チャーリー・ヘイデンの4分ほどの長いベースソロが終るとカルロス・ブエブラによる哀愁ただよう"Comandante Che Guevara"の歌声がコラージュされ...ドン・チェリー、デューイ・レッドマンのソロと続く...フリージャズが展開する。
:Charlie Haden - Liberation Music Orchestra - Song for Ché
さて、"Song For Chè"にコラージュされたカルロス・ブエブラの唄が気になったのはNHK-ETVで放送された戸井十月による「チェ・ゲバラ/革命への旅」の挿入歌に使われていたからである。しかし聴き取れるのは"Comandante Che Guevara"だけ曲名も分からない。そうなったらGoogleにYouTubeそしてiTunesStoreの検索機能を駆使して探し出すしか方法はない。なにしろカルロス・ブエブラで検索を掛けてもMADCONNECTIONがトップにでる始末、先ずはYouTubeで"Song For Chè"から調べる。検索された曲を片っ端から聴いてゆくと、次第に絞り込まれてゆき、リストに似たようなスペルが並ぶ、どうやら曲名は"Hasta Siempre - Comandante Che Guevara"、"Hasta siempre Comandante"、"Hasta siempre"と長いのから短いものまである。次にGoogleで歌詞を調べるとHasta siempre Comandante(mp3ファイル有り)と和訳された(アスタ・シエンプレ)が見つかり、カルロス・ブエブラのスペルも分かった。"Carlos Puebla"のスペルでiTunesStoreで探してみると...。
:Carlos Puebla - Casa de los Babys - Hasta Siempre Comandante
:Pierre Barouh - Itchi Go, Itchi É - Hasta Siempre
カルロス・ブエブラも良いがピエール・バルーの唄も中々...味わいが..."Hasta Siempre Comandante"とはキューバを離れたゲバラに「ごきげんよう司令官」と別れの挨拶...
YouTubeにもオリジナルのカルロス・ブエブラやブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブの曲がある。
Carlos Puebla - Hasta siempre
Hasta Siempre Commandante-Buena Vista Social Club
こちらは生前の映像もコラージュされている。
ドラマ仕立てのミュージック・クリップは女性解放を...。
Yesterdays
Keith Jarrett Trioの最新アルバムであるが音源は2001年4月の上野・東京文化会館と渋谷・オーチャードホールで録音されたものからスタンダードナンバーだけがセレクトされている。因みに同じ音源のオリジナル曲は既に"Always Let Me Go / Live in Tokyo"としてアルバムにされている。また同じ年の"2001Montreux Jazz Festival"でのライブは"My Foolish Heart"としてリリースされている。その数カ月前の演奏がこのアルバム"Yesterdays"だ。両方のアルバムに収録されいるのがRichard Rodgersによるミュージカル"Present Arms"(1928)の挿入歌"You Took Advantage Of Me"だ。スインギーにアレンジされたこの曲を聴き比べてみるのも良いだろう。
今週の木曜日に東京造形大学・大学院公開講座「ことばとからだのインプロビゼーション」が開かれる。フリー・ジャズによる即興演奏(インプロビゼーション)が講義となるそうであるから、一体どうなるのだろう。プレイヤーと云うか講師は藤井郷子(ピアノ)、マーク・ドレッサー(ベース)、ジム・ブラック(ドラムス)のトリオ。藤井郷子さんは、ポール・ブレイやジミー・ジェフリー、ジョージ・ラッセル、セ シル・マクビー等々、錚々たるジャズミュージシャンに師事したそうである。私は最近、ジャズ雑誌にもあまり目を通すこともなく、ライブハウスに通うこともなく、最近の事情に疎く彼女の名を知らなかった。そこでどのような演奏をしているのかiTunesStoreで検索を掛けた。すると今回の公開講座・講師三名によるアルバムがリストアップされた。
Satoko Fujii, Jim Black & Mark Dresser - Toward, "To West"
Natsuki Tamura & Satoko Fujii - Chun 2008/9/25リリースの最新アルバム
iTunesStoreのジャズベスト100にランクインされているアルバムを見ると、なんだかなぁ〜と、考えさせられてしまうモノも多いが、どうして正統なフリージャズは健在であった。公開講座なので我と思う方は楽器持参で...と云うことのようだが...さて
そういえば先々週、付属美術館の前からiPhoneアプリケーションのPanoでパノラマ(3枚続き)を撮っていました。
と云うことで当日はトランペッターの田村夏樹氏も参加し、レクチャーに引き続き、パンフレット写真と同じカルテットによるフリージャズ、そして学生の自作楽器を交えて全員参加で集団即興演奏(写真)となりました。
YouTubeでJazzVocalを探していたら、何故か1982年の今夜は最高!から、団しん也が三遊亭円生の声色で"My Funny Valentine"を唄うの巻がヒットした。こうして見ると昭和の頃はヴァライティ番組でも未だ芸人がキャラやリアクションではなく芸で活躍できていた時代ですね。
と云うことで、美空ひばりの特集も、美空ひばりをはじめとして皆さんテレビの中で遊んでますね。
今夜は最高!美空ひばり特集-1...これは..く..くだらない....。
今夜は最高!美空ひばり特集-2
今夜は最高!美空ひばり特集-3
今夜は最高!美空ひばり特集-4
今夜は最高!美空ひばり特集-5
美空ひばりときたら元祖三人娘の江利チエミと雪村いずみも取上げないと...
今夜は最高! ハナ肇 雪村いずみ
Izumi Yukimura - TILL I WALTZ AGAIN WITH YOUデビュー当時の...
1982年に亡くなった江利チエミは出演してないようで...デビュー当時の...
江利チエミ:青春ジャズ娘 ♪カモナ・マイ・ハウス観客席に柳家金語楼が...
巷ではGPS機能付きデジカメが話題のようであるが、iPhone3GにもGPS機能と通信機能そして加速度センサーを応用したカメラ機能拡張ツールがある。
と云うことでAppStoreのfreewareとして提供されているmemory treeがそれであるが、12月7日まで金沢21世紀美術館で開催されている金沢アートプラットホーム2008 の展示作品でもある。いわゆる「コンセプチュアル・アート」の枠に留まらず、日常的なツールとして有効なところがミソであろう。この作品(ツール)は他者と「思い出」を共有することにも狙いがあるようだが、「Memory... 」と云えば、たった一人との思い出に浸り、センチメンタルな秋の夜を過したい向きには...こんなJazzは如何だろう。
Benny Goodman:Memories of you
前日のエントリーでKeith JarrettのECM原盤がiTunesStoreに登場したことを取上げ、そのコメントでチック・コリアのECM盤はiTunesStoreにないと書いたが、オリジナル盤はないけれどコンピレーション・アルバムが一枚だけあった。どうやらチックがECMに残したPiano Improvisations、Return to Forever、Crystal Silence、Trio Music, Live in Europe、等から抜粋したようだ。1曲買いの売れ筋がReturn to ForeverからLa Fiestaと云うのは彼の現在のファン層の好みだろう。
"Chick Corea - Works"
ところでチック・コリアが1960年代半ばのニューヨーク・ジャズシーンで若手の新主流派のピアニストと注目を集め始めた時期のアルバム"Tones for Joan's Bones"がiTunesStoreで500円でリリースされている。
NOW HE SINGS,NOW HE SOBS
パリは燃えているか Circle Paris-Concert
ついにKeith JarrettのECM原盤がiTunesStoreに登場した。ECMに於ける最初のアルバム"Facing You"から最近の"My Foolish Heart"までクラシックを含めて一部を除いて殆ど揃っているようだ。(最初のLP三枚組のBremenとLausanneの"Solo Concerts"や日本公演を記録した"Sun Bear Concerts"等が欠けている。)
と云うことでECMからKeithのアルバムを一枚だけ選ぶとすると、勿論"The Koln Concert"であろう。1曲だけなら季節柄、アルバム"The Melody At Night, With You"から"I Loves You, Porgy"が...。
YouTube:Keith Jarrett - The Köln Concert (Part 1)
MADCONNECTION・October 05, 2005:THE KOLN CONCERT
Macintoshと同じ1984年生まれの"Frederika Stahl"(フレドリカ・スタール)の2nd-Album"Tributaries"が先月の初めにiTunesStoreでリリースされた。BMGの輸入盤 は HMV 等で既に発売されているようであるが、上記のOfficial Siteによると国内盤CDの発売は11月21日となっているが、Amazonでは10月8日となっている。先ずは輸入盤とネット販売でプロモーションということだが、生憎とiTunesStoreのジャズ部門では今のところランク外である。iTunesStoreのベスト100には女性ジャズシンガーや女性ジャズプレイヤーが多数ランクインしているのだが、日本人の好む「可愛い子ちゃん系」とちょっと気の強そうな小悪魔的に見えるフレドリカ・スタールとは微妙なズレがあるようで、ファーストアルバムはオリジナル盤と国内盤ではジャケットに使われている写真も異なる。今回のアルバム"Tributaries"は音楽のスタイルもビッグバンドジャズ、キャバレーミュージックやクルトワイルを意識したようなミュージカル仕立てにクラブジャズと幅が広い。それを受入れるジャズファンが日本にどれ位いるのだろうか...楽曲がコマーシャルやテレビドラマとかコラボレーションで使われない限り日本でこうした洋楽がヒットすることは残念ながら難しそうだ。
AppleStore Ginzaでのストアライブもあるようです。
FRENCH JAZZ QUARTER 2008
iPhone/iPod touchをインターネットラジオにするTuner Internet Radioである。選べるラジオ局はiTunesのラジオにリストアップされる局と略同じ。お気に入りのラジオ局をブックマークに入れたり、プレイ中の曲名も確認できる。何も操作していないとバッテリーを持たせる為に自動的にスリープするが、スリープしてもiPodと同じようにそのまま音楽を聴ける。インターネットラジオの面白さは、好みのジャンルのみならず普段耳にする機会の少ないイランのペルシャ音楽が聴けたり、アフリカのポピュラー音楽も聴けることだ。つまりはローカルルールに基づいた閉じられた系ではなく世界に開かれていることが肝心である。それがiPhoneなのだ。
小まめにアップグレードでされているようで既にVersion1.3である。このフットワークの良さにハナマルを贈呈。
ジャズ専門局のradioioJazzは"BIG BAND"、"Smooth Jazz"、"Standaeds"、"Vocal Jazz"、"Real Jazz"とカテゴリーを細分化、ビットレートも夫々三種類用意しリスナーの好みと通信環境に対応している。
一番にコメントを寄せてくれたわきたさんからは、昨日こんなSMSが届いていたのだ。
と云うことで私もKEITH JARRETT SOLO 2008に行ってました。演奏会は心なしか観客もKeithもナーバスになっているようにも感じられました。それも観客のスタンディングオベーションとKeithの5回に及ぶアンコールで払拭されました。最初はスタンディングオベーションする人の数は少なかったが、アンコールの度に立ち上がる人が増えてきました。私の隣に座っていた若者は演奏が始まると同時に身をくねらせリズムを取りトランス状態に陥ってましたが、そんな若者でさえもスタンディングオベーションは最後だけ、やっぱり日本人はシャイなのかも。
久々に「ほぼ日刊イトイ新聞」を覗いてみたら高平哲郎による『ジャズと、タモリと、70年代。そして、中洲産業大学』の連載が始まっていた。どうやら来週、催される「はじめてのJAZZ2」の前説も兼ねているようだが、既にチケットは完売しているので宣伝としての意味はない。そういえばタモリのCD再版もこのイヴェントに合わせての企画かも知れぬ。と云うことで、高平哲郎の選んだ入門者向けアルバムであるが、殆ど60年代から70年代初めのJazz喫茶の定番でもある。Miles Davisの『Bags Groove』は僕が初めて入ったJazz喫茶の「有楽町ママ」で掛かっていたレコードだ。つまりはJazz喫茶の定番スピーカーであるアルテックのA7で聴いた初めてのJazzでもある。Cannonball Adderleyの『Somethin' Else』の"Autumn Leaves"(枯葉)は秋ともなれば聴きくらべとして取り上げられるスタンダードの定番。高平氏は私より少し年上だが、やはり同時代の人間だから、殆ど同じようなものを聴いていたのが解る。因みに彼が植草甚一の残したJazzCollectionをタモリに仲介した本人である。ほぼ日のタモリ×山下洋輔×糸井重里の鼎談を読むと私とほぼ同世代である糸井重里はその頃はJazzをあまり聴いていないようである。米国ではウッドストックとかロックが全盛、日本ではフォークジャンボリーとかそちらが全盛、Jazzを聴いている連中は少数派、だったら面白がるしかないのであった...。
昨日、日本で先行発売された"Keith Jarrett"の新しいアルバム"My Foolish Heart"は2001Montreux Jazz Festivalのライブレコーディングだ。
演奏が終わり鳴り止まぬ拍手の中、"Keith Jarrett, Jack De Johnette, Gary Peacock, The Trio!"のアナウンスが、そう、正にこれは"The Trio"である。6年の間、キースの手元で「然るべき時が現れるまで」暖めておかれた音源である。20世紀から21世紀へとジャズの歴史を受け継ぐ"The Trio"のチャレンジングな演奏の全てを聴くことができる。"The Trio"と同時代を生きてきたことを喜びたい。
それにしてもライナーノーツに寄せたキース・ジャレットの文章の翻訳が酷すぎる。何しろコンピュータの翻訳ソフトによる翻訳に手を加えた程度なのである。「なんだこりゃ、酷え文章だ!」と思ったら、最後に「K.J.」と翻訳家のクレジットが、、ん〜、レコード会社も翻訳家の日本語能力の問題やジャズ・コミュニティへの理解のレベルとか考えて人選して欲しい。
三人の中で彼が一番年少である。そのキースが"Mr.Peacock and Mr.Johnette"と年長者に敬意をこめて記した文を『ピーコック君とディジョネット君』と訳すとは、、62歳の男が71歳と65歳の男に君はねぇ、、お友達内閣じゃあるまいし、英語が全く不得手の私でさえ呆れるのである。スマップの中居じゃなくても「君じゃねぇーだろ!」と言いたくなる。
それは置いといて、CD-1の6曲目、スウィングジャズの定番"Ain't Misbehavin'"(邦題:浮気はやめた)のスウィンギーでノリの良い演奏もキースの別な面を見せてくれます。ジャックとゲーリーのサポートも良い!、続くCD二枚目の"Honeysuckle Rose"もご機嫌な演奏。これはiTunesのプレイリストで続けて聴くのが良い。
因みに他に私の持っているCDから"My Foolish Heart"でプレイリストを作るとこんな風になりました。
Bill EvansはもちろんNino JoseleのギターもHolly Coleのヴォーカルも、とてもeのだ与。
今朝の新聞にジョー・ザビヌル(Josef Zawinul)の訃報が掲載されていた。そういえば去年の暮れ辺りから書店でザビヌルによく似た人物を表紙に使った雑誌が並べられていた。雑誌の内容には興味がなかったが、本人かどうか確かめるために雑誌を手にした。するとジョー・ザビヌルその人であった。なんでまた、と思ったがそれ以上追求する気もなかった。と云うことで訃報ではMiles Davisとの活動云々に触れられているが、MilesGroupでの最初のアルバムが1969年のIn A Silent Wayであり、アルバムタイトルとなった楽曲を提供している。同じ年にリリースされたBitches Brewにも参加しており、このアルバムでは"Pharaoh's Dance"を提供している。翌年の1970年にはWayne ShorterらとWeather Reportを結成しており、MilesGroupでの活動は僅かであるが変革の時代のキーパーソンの一人であったことは確かであろう。しかしWeather Reportでのザビヌルの支配力が増すに従いWayne Shorterの影が薄くなり、ザビヌルのワンマン・バンドの色彩が濃くなっていったが、それと共に私のWeather Reportへの興味も薄れ、今日に至ってしまっている。と云うことで今日の天気予報はあまり芳しくないから、家でIn A Silent WayやBitches Brewでも聴こう。それにしても1970年前後のMilesのアルバムリリースへの期待感と驚きは、今日のJobsのキーノートスピーチへの期待感に匹敵するものかも知れない。追記:そういえばジョー・ザビヌルのリーダーアルバム・Zawinulを持っていたが処分してしまった。
Joe Zawinul - Concerto Retitled - In a Silent Way
この8月、相次いで二人の音楽家が亡くなった。二人ともジャズドラマーである。8月16日にマックス・ローチが、そして8月22日に富樫雅彦が逝った。左のスピリチュアル・ネイチャー(1975)は下半身に障碍を負った後、ハンディキャップを超え自己のドラム奏法を深め復活を成し遂げ、新たな境地を切り開いた記念すべきアルバムである。
その後、パリから戻った加古隆を迎え入れ新たに富樫雅彦カルテット(加古隆、翠川敬基、中川昌三)を結成し、1977年に芝の増上寺ホールでライブ・コンサートが行なわれている。僕はこのカルテットの音楽が好きで良くライブに行ったものだが、そこには必ずと云って良いほど、フリージャズの好きなこの人も聴きに来ていたのが記憶に残っている。
それから30年、カルテットのメンバーのお嬢さんが、玉井さんのお嬢さんとユニットを組んでライブツアーで全国を廻っていると云う。もちろん富樫雅彦の音楽性とは直接関係はないだろうが、お父さんを通して何かが受け繋がれているかも知れない。
追記:鯉沼ミュージックからメールが届いた。
先達て天才ジャズドラマー富樫雅彦さんが亡くなられました。
ご冥福をお祈りすると共に、佐藤允彦氏、渡辺裕文氏、河内 紀氏、から追悼文を戴き掲載致しました。是非ご覧下さい。
アン・サリーのニューアルバム「こころうた」が"iTunesStore"に登場している。ジャズにアレンジした武満徹の「翼」も、石川セリや小室等の歌とまた違った味わいがあり、ハングルで唄う「遠い日の子守唄」もドラムとのデュオのパートは一聴に値する。
iTunes StoreへのWarner Musicの参加により傘下のアトランティック・レーベルのジャズアルバムもリリースされるようになりましたが、"John Coltrane"の"My Favorite Things"がなんと500円と云う破格の値段で登場です。これで"John Coltrane"の主なリーダーアルバムの殆どがiTunes Storeに揃った事になりました。
エラ・フィッツジェラルドへのトリビュート・アルバムである。この手のコンピレーション・アルバムを買うことは滅多にないことだが、ジャンルを越えた参加アーチストの顔ぶれと選曲で買ってしまった。Chaka Khan & Natalie Coleのスキャットを交えたデュエット"Mr. Paganini"も良いが、1977年のライブ音源によるElla Fitzgerald & Stevie Wonderのデュエット"You Are The Sunshine Of My Life"の親子ほど歳の離れたエラがStevie Wonderを若い世代を代表する天才とか紹介しているのがなんとも微笑ましい。
但し原盤に共通のボーナス・トラック(Nikki Yanofsky、上手いけれど、12歳にしては達者すぎるスキャット唱法が些か鼻に付くけどね...)も、国内盤のボーナス・トラックのリミックスバージョンも蛇足であろう。(特にこうしたリミックスは生前本人が許諾していれば良いだろうが、そうでなければ死者への冒涜と云う気がしてならない。遊びは楽屋内だけに留めるべきと思う。)
何れにせよ、どちらもアルバムの文脈から逸脱していると言わざるを得ない。このアルバムのエンディングはYou Are The Sunshine Of My Lifeで余韻を残して終わるのがリスナーにとって心地よいのである。その心地よさがボーナス・トラックで混ぜ返され台無しにされてしまい、中身の濃いアルバムだけに残念なことです。
尤も、リッピングしてiTunesで聴くのであればリストからボーナス・トラックの楽曲を選択解除することをお奨めします。或いはiTunesの情報編集機能でボーナス・トラックだけ別のアルバムにする方法もあります。
メディアがLPからCDに替わり収録可能な時間が増えたことにより、嘗ての名盤と言われているアルバムにも矢鱈とオリジナルでない別テイクが追加されるようになりましたが、これもアルバムとしての統一感が損なわれる結果となっています。そうした傾向に対して、オリジナルアルバムのまま楽しみたい人にとってiTunesは強力な味方となります。
と云うことで漸くWarner Music Japanの楽曲がiTunes Storeから手に入れることが可能になった。これで大手で残るはSony Musicか。
そんな訳で、MilesがCBS SONYからWarnerに移籍した後の楽曲は入手できると云うことになったが、この頃は既にLPからCDに切り替わっているので、これも特に必要はない。
たぶん、これがKeith Jarrettの初めてのリーダーアルバムになる筈で邦題が「人生の二つの扉」とかなんとか付けられていたと思う。これはアトランティック・レーベル傘下のレーベルのようですが、アトランティック・レーベルはWarner Musicの傘下にあるのでiTunes Storeに初登場てことですね。アトランティック・レーベルのミンガスの直立猿人とかオーネット・コールマンの淋しい女(これは和訳しないほうが良い。)なんて、そのうち登場するかも。
Keith JarrettとGary Burtonとのアルバムは完全にKeithがリーダーのGary Burtonを喰ってしまってます。これもアトランティック・レーベルですね。
"Poinciana"は"Keith Jarrett Trio"の"Whisper Not"に収録されているスタンダードナンバーで今回のKeith Jarrett Trio 2007の日本公演でも何度か演奏されたようである。
"Keith Jarrett"がJazzへの道に歩み始めるに影響を与えた"Ahmad Jamal"は、そのエンターテイナー的な演奏からか日本ではモダンジャズ原理主義のジャズマニアからはの評価は低く"カクテル・ピアニスト"と揶揄されたりもするようで、国内盤アルバムが市場に出回ることも少なく、僕も耳にしたのはFM放送のJazz番組くらいであった。"Ahmad Jamal Trio"の"Poinciana"と"Keith Jarrett"のそれを聴き比べると、ピアノのフレーズやドラムのリズムパターンからグルーブ感まで、如何に"Keith Jarrett"が"Ahmad Jamal"に傾倒していたかが判る。
あの1960年代中期の"Miles Davis Quintet"のサイドメンで構成された"V.S.O.P."が復活し"The Quartet"として来日公演するらしい。
僕は30年前に来日公演したこの"V.S.O.P."を聴きに行っていない。どうも"Miles Davis Quintet"の名声を騙ったバンド(マイルスの代わりにフレディ・ハバード、、)のようで聴く気になれなかったのである。(あの田園調布の田園コロシアムのコンサートを聴きに行った友達の話では良かったらしいが、、、)
5月の私のこだわり人物伝は「マイルス・デイビス」と云うことで8日から4回に亘って菊地成孔の「こだわり」が語られるようです。
大辞林第三版によれば「こだわる(拘る)」は「心が何かにとらわれて,自由に考えることができなくなる。気にしなくてもいいようなことを気にする。」「普通は軽視されがちなことにまで好みを主張する。」「 他人からの働きかけをこばむ。なんくせをつける。」と云うように本来は良い意味で使われるものではありません。新明解国語辞典第五版では「他人はどう評価しようが、その人にとっては意義のあることだと考え、その物事に深い思い入れをする。」と「こだわり」を持つ人に些か肩入れをする表現となっています。そのように最近の傾向としてポジティブな意味としても使われるようになった「こだわり」と云う言葉ですが、常に第三者に対する「問答無用」のバリアーが影を落としていることには変わらない気がします。
さて、菊地成孔の「こだわり」とは何か、テキストを読んだ限りでは「マイルスが自分(菊地成孔)と同じ双子座であること。」その一点に絞り込んで、自分自身(菊地成孔)をマイルスに自己同一化し、持論を展開しています。従って菊地成孔に自己を投影できない者に、彼の「こだわり」はそれこそ鼻白む思いになりそうですが、、、。さて本放送は、、如何に。
そういえば菊地成孔について昨年のエントリーでcure jazzを評してピカレスクロマンと述べましたが、僕は彼がジャズを即興演奏する必然性をあまり感じません。彼のポストモダン的と云うか、何かデジャブに支配されたような心象風景的な音作りは映像を伴う映画音楽なら良いのでしょうが、自立した音楽として聴くと、私にはとても退屈で耐えられないのですが、、、。
まぁ...何れにせよ、彼が(時代に)『遅れてきた青年』であるであることは確かで...表現者として...悩ましい思いもあるでしょうね。
3年ぶりに"Keith Jarrett Trio"を聴きに上野の東京文化会館に行ってきました。演奏された曲目は此の通り、Lennie Tristano、Richard Rodgers、Harold Arlen、Clifford Brown、John Lewis、Bud Powell、Billie Holiday、Victor Youngと、錚々たる巨匠によるスタンダードナンバーです。ピアノトリオ結成の経緯や彼らの考え方はこちらのinterview2004を読まれたなら余計な説明は不要でしょう。アンコール曲の"God Bless The Child"はピアノトリオ・フォーマットの枠組みを超えた演奏で三人によるユニットがまるで有機的な一体の楽器のようにうねり響きあい、音楽空間を創造していました。アンコール最後は"When I Fall In Love"、そう、"Bill Evans"のアルバムや"Nat King Cole"のヴォーカルで有名なこの曲でコンサートは締めくくり、ちょっと心憎い演出ですね。もちろん最後はスタンディングオベーションです。音楽の良さは記憶に刻まれるけれど何もカタチとして残らないことです。そこに潔さを感じます。音楽に添加物を加えない東京文化会館のアコースティックな環境も、それに貢献しているように思えました。
Koinuma's Blog:4月30日公演レポート:開演前サウンドチェック
鯉沼ミュージック提供による演奏曲目に収録CDタイトルを参照してみました。
1st Set:
1) You go to my head (Lennie Tristanoが演奏してるが、Keithの演奏は不明)
2) My Funny Valentine 〜 Improvisation (Up For It)
3) Come Rain or Come Shine (Still Live)
4) Sandu (Whisper Not)
2nd Set:
1) Masquerade Over (Standards, Vol.1)
2) Django(John LewisによるMJQの名曲だけど、Keithの演奏は不明)
3) Stars Fell On Alabama (これもKeithの演奏は不明)
4) Hallucinations (Whisper Not/Bud Powell)
Encore:
1) God Bless The Child (Standards, Vol.1)
2) When I Fall In Love(Whisper Not)
と云うことでコンサート演奏曲目によるiTunesのプレイリストを作ってみた。Keith Jarrett TrioによるCDの曲がないものは他のミュージシャンで補填してみたが、アンコール最後の"When I Fall In Love"は"Nat King Cole"や"Bill Evans"の演奏を加えても面白いだろう。
と云うことで野澤さんの行かれた5月10日の曲目でプレイリストを作ってみた。スタンダードナンバー故にKeith Jarrett Trioだけでなく他のアーチストの演奏も加えた。不明だったのが"You Belong To Me"で"Nancy Sinatra"の"Tonight You Belong To Me"があったのでKeithの世代ならティーンエージャーの頃良く耳にしている筈なのでJazzではないが、取りあえずプレイリストに加えた。
"Poinciana"は"Ahmad Jamal"が良く演奏した曲で、KeithがJazzの世界に興味を抱く切っ掛けになったミュージシャンだ。因みにMilesが60年代にメンバー入りを熱望していた「"Ahmad Jamal"のようにピアノを弾く少年」がKeithだったのである。日本国内ではマイナーで入手困難だった"Ahmad Jamal"のアルバムも今ではiTunesStoreで買えるようになっているのだ。
追記:1974年のカルテットによる日本初公演の時、Keithはピアノだけでなく、ソプラノサックスもパーカッションも演奏していた。このGary PeacockとJack DeJohnetteとのユニットではKeithは他の楽器を演奏することもなくピアノだけに専念できる。その必要が無くなったと云うことだが、この違いは大きい。
UNIVERSAL MUSIC GroupのUNIVERSAL JAZZからリリースされたJAZZ THE BEST 超限定¥1100はリヴァーサイドやプレスティッジにコンテンポラリー・レーベルの名盤をCDで揃える又とないチャンスだろう。しかしながら「LP」があっても「CD」を持っていないアルバムがどれなのかよく憶えていないものだから店頭で衝動買いする訳にはいかない。先ずはカタログと"iTunes"のリストを見比べてチェックしないといけないのだ。因みにこの超限定価格の所為かどうか解らないが"Bill Evans"の"Waltz For Debby"やMilesのプレスティッジ盤がiTunesStoreから姿を消してしまっている。"UNIVERSAL MUSIC Group"から"iTunesStore"に提供されている楽曲も有ることだから、この措置が一時的なものなのかどうなのかはよく解らない。
ジャケットと云ってもCDジャケットですがKoinuma's Blogにユニクロ企業コラボTシャツにキース登場!が掲載されている。と云うことで昨年に引き続き今年も4月中旬から販売されるようです。今年はParis Concertの赤シャツをゲットしようかな。
1月22日付けの東京新聞に草分けジャズ喫茶 横浜の『ちぐさ』閉店への記事があった。ジャズが好きな人なら誰でも知っている店だが、何故かちぐさには一度も入った事がない。昔、野毛にあった泡盛を飲ませる居酒屋に行ったとき、Jazz好きのM氏にここがそうだと教えられ、ちょっと店の前を通っただけである。横浜は既に故人となった先輩の事務所の手伝いで数ヶ月通ったり、独立してからも現場に通ったりとか、それなりに縁はあったけれど、野毛とその界隈に行くことは殆どなかった。「ちぐさ」とは縁がなかったのだろう。ジャズ喫茶といえば京都の老舗シアンクレールも遠の昔に閉店していたようだ。
"iPod Ad"にも出演していた"Wynton Marsalis"の"fan club"による"Podcast"です。ライブビデオが無料でダウンロードできるのが素晴らしい。
と云うことで iTunesのInternetRadioを聴くようになったが、専ら最近のミュージシャンが聴けるradioioJazz にチューニングを合わせている。とは言っても、最近はスイングジャーナルも読まなくなり、ミュージシャンの名前にも疎くなってしまった。そこで iTunesStoreの検索機能が役に立つのである。放送されている曲目表示を見て検索するのであるが、テキスト入力が面倒である。そんな無精者にはradioioJazz のサイトを表示しておけば放送中のミュージシャンの名前が表示されるので、それをコピー&ペーストして検索すれば良い。ん〜、 iTunesStoreには未だ私の知らないミュージシャンが沢山いるのだ。勿論、検索にヒットしない場合もあるがヒットする確率の方が断然高い。
The Carnegie Hall Concert / Keith Jarrett
略一年前、2005年9月26日のカーネギーホールに於けるキース・ジャレット・ソロコンサートのライブ盤である。"The Carnegie Hall Concert"の一ヶ月後、10月20日の池袋・東京芸術劇場"Keith Jarrett Solo 2005"を聴きに行ったが、1週間前の10月14日のコンサートに於ける聴衆の態度が問題となり、異例ともいえるチラシが入場者に配布された。幸いにもその当日、非常識な聴衆は現れなかった。このアルバムは10月14日のコンサートで不愉快な思いをされた多くのオーディエンスへのキースからの贈り物である。そしてコンサートへ行けなかった多くの人々への贈り物でもある。
追記:キース・ジャレットのソロアルバムは前作"Radiance"に続くものである。"Radiance "は2002年10月の大阪フェステバルホールと東京上野文化会館に於けるライブレコーディングであった。ツアー期間中、尤も優れた演奏会をライブレコーディングに残すのが常であるが、昨年の日本ツアーが選ばれなかった理由は推して知るべし。
さて、このライブレコーディングであるがコンサートの模様を殆ど編集せずに忠実に伝えていると思える。何しろ、最初の曲は出だしから18秒の間、静寂が続いている。決してオーディオ装置の故障ではない、コンサートを聴きに行った人なら解るが、キースが演奏に備えてコンセントレーションを高めている緊張の時間である。そして打楽器的な奏法による現代曲を思わせる演奏に入る。即興演奏は10のパートに分かれ、長くても10分弱、最短で3分32秒、アンコールが5曲といった内容である。曲間の静寂、鳴り止まぬ拍手、アンコールでのちょっとした観客とのやりとり。スピーカーに耳を傾ければコンサートの至福の一時が蘇る。
音楽産業が"iTunes Music Store"(iTMS)を敵対視するか、積極的に販売チャンネルやマーケティングの一つとして活用するか問われている。カナダでCDデビューしたSophie Milmanのアメリカ進出は積極的に"iTMS"を活用し、新人として異例の"iTMS"のJazzChart一位を記録している。7月に発売された国内盤CDアルバムの価格1980円は、約一月遅れで発売された"iTMS"のアルバム価格1500円を意識した戦略的な価格付けである。480円の価格差で音質とライナーノーツに歌詞カードを選ぶか、選択肢は消費者に任されているが"iTMS"でのヒットがなければ国内盤がリリースされたであろうか。既に山里のCDショップでは"iTMS"で注目されてから店頭に並ぶと云う逆転現象が起きているのである。
Phil WoodsのPhil Talks With Quillを買ったのは、1970年前後のことだろうが、ソニーがエピックレコードを傘下に治めてリリースされた廉価版LPの一枚だった。既にPhil Woodsは彼のヨーロピアン・リズムマシーンを率いて人気を博していた時期でもあったが、B面の"Dear Old Stockholm"に引かれて聴き込んだアルバムである。LPアルバムのライナーノーツでは"Dear Old Stockholm"をスタン・ゲッツの曲としているが、CDでは北欧のトラディショナルに訂正されている。マイルスやコルトレーンをはじめ多くのジャズミュージシャンが演奏している"Dear Old Stockholm"であるがフィル・ウッズの1957年のこのアルバムも名演の一つであろう。
因みに、五木ひろしの待っている女(作詞:山口洋子、作曲:藤本卓也・1972年)の最初のフレーズ「消え残る街灯り〜♪」が"Dear Old Stockholm"にクリソツなのである。恐らくは、ジャズアルバムに影響されて、作者不詳の北欧トラディショナルソングである"Dear Old Stockholm"のフレーズを引用したのだろう。以下、iTMSで聴き比べを、演歌的に聴こえるのはスタン・ゲッツだろうか。
Miles Davis - Miles Davis, Vol. 1 - Dear Old Stockholm (USA)
Stan Getz - Round Midnight - Dear Old Stockholm (USA)
John Coltrane Quartet - Impressions (USA)
カズオ・イシグロのわたしを離さないでの原題" Never Let Me Go"は彼が村上春樹から貰ったJazzのCDアルバムにあったスタンダードナンバーから付けられたそうである。"Never Let Me Go"は多くのジャズ・シンガーが唄っており、ダイナ・ワシントン(Dinah Washington)やナットキングコール(Nat King Cole)も唄っている。カズオ・イシグロが聴いたCDのジャズ・シンガーは不明だが、小説に登場する"Judy Bridgewater"はどうやら架空の歌手のようである。"Bridgewater"という姓から70年代にデビューして話題になったジャズシンガー"Dee Dee Bridgewater"の名からヒントを得ているのではと思わせるが如何なものだろう。ところで、この小説に相応しい"Never Let Me Go"を唄っている歌手はダイナ・ワシントンでもなく、 この"Adele Nicols"の様な気がする。バイオグラフィーによれば日本にも数年滞在したことがあり、新宿のピットインでも唄った事があるようだが、日本語によるAdele Nicolsの情報は見つからない。
と云うことで話題がカズオ・イシグロの「わたしを離さないで」から離れてしまった。
そんな訳で表紙カバーのカセットテープはは記憶を手繰り寄せる表象として、また読み方によっては主題の隠喩と考えられないこともないだろう。31歳の介護人であるキャシー・Hのモノローグで始まる物語は、淡々と記憶を辿り、彼女の生い立ちの地「ヘールシャム」の決して尋常ではない寄宿舎生活へと溯る、物語の1/3で「ヘールシャム」の概要と存在理由が明らかにされ、物語の1/2で「ポシブル」という言葉により初めて出生の秘密が明らかにされ、やはりそうだったのかと納得する。或る意味で1960年代に書かれた近未来小説のようであり、女、男、女の純愛小説のようでもある。ミステリー小説ではないが、結末は勿論の事、予備知識は持たないほうが、想像力を刺激されるであろう。その中で"Never Let Me Go"のカセットテープはディテールにリアリティを与える小道具として小説に命を吹き込んでいる。
予備知識なしで『わたしを離さないで』を読みたいと願うならば下記のインタビュー記事には目を通さない方が賢明である。
『わたしを離さないで』刊行 カズオ・イシグロ氏
『わたしを離さないで』 そして村上春樹のこと カズオ・イシグロ インタビュー(文学界 2006年8月号)
fuRu さんも読了したということでエントリーをアップした。
af_blog:「わたしを離さないで 」---カズオ イシグロ
UA×菊地成孔のユニットによるcure jazzを聴いてみた。iTMSでサワリを試聴したのと、アルバム全体を通して聴いたのでは随分と印象が違う。UAはNHKの幼児向け番組で見た(聴いた?)ことがあるくらいで、菊地成孔もTBSの情熱大陸で見たことあるくらいで、以前、試しにiTMSで1曲買いしただけである。試聴した限りではジャズのスタンダードアルバムという印象で、ジャズも巧く唄えるUAだが、どこかでこれはヘレンメリルのフレージングだろうとか、この、ねちっこさはビリーホリディみたいとかオジサンの如く嫌らしく分析していたが、アルバム全体を聴くと菊地成孔の術中に嵌められ、あ〜これはジャズオペレッタなんだと気付く。そうだ、これはクルト・ワイルの世界、彷徨する根無し草、いわゆる一つのピカレスクロマンなのだ。
クルト・ワイルと云えばこのアルバム既に廃盤の為かAmazonで8,500円もする。これはLPを持っている筈なのだが、、、
ジャズのスタンダード「Memories of You」に因んでタイトルを「Memories of Coltrane」にしましたが、コルトレーンが「Memories of You」を演奏したことがあるかは不明です。と云うことで、今日はコルトレーンの命日です。生きていれば今年で80歳なんですね。来年は没後40年でなにかあるのでしょうか。
そう云えば、昨年のエントリーではAscensionを取り上げてましたね、今日は未だ夜中ではないけれど、小雨の降る休日に仕事をしながら"Duke Ellington & John Coltrane"を聴いている。因みに「Memories of You」はダラー・ブランド(P)による演奏が好きです。
前川國男建築展に氏の愛聴盤LPレコードが数枚展示されていた。クラシックレコードが多い中で一番上にジョン・コルトレーンのブルー・トレインが重ねられていた。LPの発売時期と照らし合わせると、氏が50代の前半に出会ったことになる。なんだかちょっと前川さんが身近に感じられた。
Blue Train
彼の寺山修司がその昔にChet Bakerのヴォーカルを評し、ファザコンで美少年のオカマがボーイソプラノで唄っているようで、その隠微さがたまらなく良いとか、何とか、言ってましたが、その妖しい歌声を試しに聴きたいならばiTMSで1曲買いがお勧め。Chet BakerはArt Pepperと同様にジャンキー(麻薬常習者)でしたが、麻薬更生施設から出てきた時にはジャンキー特有の風貌に更に老いが加わり見る影もなくなっていた。時は残酷です。
Chet BakerのMy Funny Valentine
Chet Bakerは好みではない人にはArt Pepperがお勧めです。
The Return of Art Pepper
Art Pepper & Chet Baker こちらは共演盤
尚、寺山修司のChet Baker評に異論のある方は直接、寺山修司に言って下さい。お墓は高尾霊園内にあります。(高尾駅南口より徒歩10〜15分です。)
因みに、現代音楽にアレルギーがなければA valentine out of season (1944) / John Cageは如何でしょう。"Music For Marcel Duchamp (1947)/ John Cage"も宜しいです。
と云うことでスイングジャーナル主催 2005年度 第39回 ジャズ・ディスク大賞・金賞を受賞したウィントン・マルサリスのLive At the House of Tribes(邦題:スタンダード・ライヴ)が"Live Session (iTunes Exclusive) - EP" に引き続き"iTMS"にアルバム・900円と云う手頃な価格で登場した。 Live At the House of Tribes
残念なことに一曲目の"Green Chimneys"の音飛びが酷いのでiTunes Music Storeに問い合わせたところ下記の返答をいただきました。
iTunes Music Storeチームへお問い合わせをいただきありがとうございます。
お問い合わせの件についてご連絡をいたします。
iTunes Music Storeをご利用いただきありがとうございます。ご購入の音楽またはオーディオブックの品質が、iTunes Music Store に期待されている標準から外れているとのご指摘、大変申し訳ございませんでした。アップルはアップル製品の品質を第一に考えており、お問い合わせいただいた問題について現在慎重に調査しております。
勝手ながら、ご購入になった商品『Live At the House of Tribes』について、払い戻しをさせていただくことにいたしました。払い戻しは3ー5日営業日以内にアカウントに反映されます。
この商品の再購入には 4 週間はお待ちいただくようお願いいたします。この期間に、商品についての問題を解決、あるいは必要な場合は商品を削除させていただきます。
これからも iTunes Music Store で音楽のショッピングを楽しんでいただけると幸いです。
今後ともご支援・ご愛顧のほど、よろしくお願い申し上げます。
先のMacworldで"iPod Ad"に出演していた"Wynton Marsalis"が"iTMS"に登場である。これも"Wynton Marsalis"がCBSから東芝EMIが版権を持つBlueNoteに移籍していたから国内販売が可能になった訳ですね。と云うことで"Wynton Marsalis"がBlueNoteにレコーディングした他のアルバムも"iTMS"からリリースされる可能性有りでしょうね。それにしてもSONYは何をしているのか。
このところ、定期的にPLAYBOY誌はブルーノートやビル・エバンズ等、Jazzの特集を組んでいる。そして今月号はジョン・コルトレーンの特集、表紙はあまりにも有名なLPジャケットからの引用だ。昔々、Jazzは不良の音楽だった。中でもコルトレーンの音楽は相当ヤバイ、コルトレーンは極道そのものだ。日々平穏無事に人生を全うしたいと願うならばコルトレーンを聴いてはいけない。Ascensionを聴く等は以ての外である。
iTunes Music Store に三人のビル・エバンスが分類されずリストアップされている。CDショップなら、こうした間違いはしないのだが、名前だけを検索キーにしているデータベースでは起こりがちな間違いだ。ジャズピアニストのビル・エバンス以外に同姓同名のビル・エバンスと云えば、マイルス・ディビスのバンドにいたリード楽器奏者のビル・エバンスは知っていたが、ブルーグラスのバンジョー奏者のビル・エバンスは知らなかったなぁ。iTunes Music Storeがなかれば、たぶん一生知らなかっただろう。と云うことで、このリストには別人二人が紛れ込んでいる。
買い物のついでに寄ったレコード店で一際目を引くグッゲンハイムのヴォイドスペースを下から撮った写真を使ったCDジャケットがあった。"1960 Steve Kuhn, Scott LaFaro, Pete LaRoca"と題されたアルバムは、Steve Kuhn22歳、Scott LaFaro24歳、Pete LaRoca22歳の時のデモテープである。Steve KuhnとPete LaRocaはコルトレーン・クァルテットを6週間でクビになったばかり、もちろんレコード会社に売り込むためのものだ。残念ながら売り込みには失敗、45年間お蔵入りとなっていたテープである。近頃の日本のように可愛い子ちゃんでジャズのようなものが弾ければアルバムを出せる訳ではない。(クラシック界も同様であるが、、)捨てる神あれば拾う神ありで、3人はスタン・ゲッツ・クァルテットのメンバーとなる。そして61年のニューポート・ジャズ祭出演の3日後にScott LaFaroは交通事故に遭い、ジャズ界の伝説の人となる。と云うことで"Scott LaFaro"が参加していなかったら、この録音は日の目を見ることもなかっただろう。興味深いのは"So Whot"の二つの演奏だ、マイルス五重奏団の演奏と同様にイントロにベースがフィチャーされ、もろに影響を受けている。好きな人はポール・チェンバースやロン・カータと比較するのだろうな。
「音、沈黙と測りあえるほどに」とは武満徹の初期エッセー集のタイトルである。20日に行われた「Keith Jarrett Solo 2005」に於いて、異例ともいえるチラシが入場者に配布された。 そこには10月14日のコンサートで起こった出来事に加えキースからの言葉と招聘元の鯉沼利成氏の願いが込められていた。
「こうやって演奏するのは、大変ハードな仕事だけれど、静かにしていることは、難しいことではないでしょう?皆さん、どうかWesternize(西洋化)しないで下さい。日本には昔から、瞑想(Meditation)という伝統があります。 アメリカには伝統がありません。」
キースは、ずっと前から日本の聴衆は静かに自分の音楽を聴いてくれるので、日本で演奏するのが大好きだと言っています。最後の余韻まで聴いたあとに大きな拍手をくれるからです。今回の日本公演でもそのように余韻を楽しんでくれることをキースは望んでいます。
キースの即興演奏の場合は曲間の静寂が必要欠くべからざる条件である。それは曲間のブリッジでもあるし、一つの組曲の大切なパートでもある。拍手はキースがピアノから立ち上がってからすれば充分である。
キースがこれからも演奏活動を続けてゆくかは誰にもわからない、それは彼が決定すべきことである。唯、私はキースの日本に対する思いや鯉沼利成氏との信頼関係は14日の件で崩れるようなものではないと信じている。
演奏会で配られたブックレットに武満徹とキース・ジャレットが対談した時のエピソードが語られていた。後にキース自身が武満徹のインタビューがベストだったと言わしめているものだ。そのキースとの対談が収められた武満徹・対談集「すべての因襲から逃れるために」(現在絶版)の中でキースはこう語っている。
、、、私の言いたかったのは、過去の一点から現在へとレベルが深まってきたということだったわけです。大変深まって音楽が必要なくなってしまう時もあるくらいで、そういう時がコンサートの最中で面白い瞬間なんです。というのも、そういう時には、私は何も弾いてないのにもっと多くの音楽があふれている。キースの音楽を理解している者ならば彼の言うことは理解できるはずである。その絶妙な間を楽しむ機会を心ない拍手で私たちは奪われてしまったのだ。
キース・ジャレットの感性は、訓練された筋肉のように、しなやかで、そこに余分な、曖昧な感情というものは無い。ダイレクトに事物の核心を狙う豹のようなすばやさで、把握する。音楽的未熟児が多いジャズの領域で、かれは、停まることのない成長を続ける幼児(イノセント)のように見える。彼は、いつでも、最小限の音で、世界の全体を顕してしまう。
AmazonによればTHE KOLN CONCERTは"Keith Jarrett"のソロピアノで最も売れているCDである。そのCDが現在「JAZZ THE BEST 1500 世界最強の名盤30選」として特別限定価格1500円で販売されている。この廉価版はAmazonには今のところ置いてないようだがユーズド価格ならこの値段でも販売されている。
"Keith Jarrett"のベストアルバムの一つとされている"THE KOLN CONCERT"であるが"The art of improvisation Keith Jarrett"によれば二つの困難があって生まれた奇跡の作品と言えそうだ。
その一つ、コンサート当日はトラブルなどで徹夜が二日連続した翌日と云うことで最悪な体調であったこと。そして、もう一つはキースが希望したピアノが会場に届けられていなかったことである。会場に届けられていたピアノはレンジの狭いピアノだった。ピアニストならフルグランドを要求するのが当然である。(推測であるが貸し出し業者がどうせジャズだからとレンジの狭いピアノを持ち込んだのであろう。)
マンフレッド・アイヒヤーはコンサートの中止を考えたが、キースはそのピアノで演奏することを決めた。それからキースは通常のマイクセッティングではなく、ピアノの周囲に自ら一本一本マイクを立て、ピアノの音を確認しマイクセッティングを決めたと云う。コンサートに来る聴衆の為に妥協はしたが、音楽の為には最悪の条件でも妥協はしたくなかったキースの姿勢から名盤が生まれたのだろう。
最近ではキース・ジャレットのスタンダード・トリオのベーシストと知られているゲイリー・ピーコックであるが、彼が日本に住んでいた1969年から72年の間に2枚のリーダーアルバムを含め幾つかのLPレコードを日本に残している。1970年2月にレコーディングされた最初のアルバム"EASTWARD"は 菊池雅章のピアノ、村上寛のドラムによるトリオだが、企画の段階では富樫雅彦がドラムを務める予定であった。これは或る事件により富樫が負傷し断念された。富樫の代わりを務めた村上であるが、村上のマイルス・ディビス五重奏団のトニー・ウイリアムスの影響を受けたと思われるドラム奏法はピーコックと菊池による内省的な音楽には向いているとはとても思えなかった。そして翌年1971年4月には事件からリハビリ復帰した富樫雅彦をパーカッションに迎えゲイリー・ピーコック・カルテットとして"VOICES"をレコーディングしている。この"VOICES"がピーコックと菊池が求めていた音楽なのであろう。ここで村上は下半身が不自由となった富樫雅彦をサポートする役割に徹し、自分が前面にでることを押えている。その演奏態度を"EASTWARD"でもしていたらと考えると残念である。
さて、"EASTWARD"制作の切っ掛けとなったゲイリー・ピーコックの長期日本滞在であるが、東洋思想研究の為、秘密裏に京都洛外の貸家に住んでいた処を音楽関係者に発見されたと云う話が定説化され、ECMによるゲイリー・ピーコックのリーダーアルバム"Tales of Another"(キース・ジャレット、ジャック・ディジョネットの三人による初めてのレコーディング)のライナーノーツにも実話として記されているが、これが全くのガセネタなのである。"EASTWARD"のレコーディングに立ち合ったCBS-SONYの元プロデューサー伊藤潔氏の小文を読むまでは、私もそのガセネタを信じていた。
話は1969年6月に溯る。バークリィ音楽院の留学を終えて帰国した菊池雅章から「ゲイリー・ピーコックが日本にいるらしい」という話を聞いた伊藤潔氏が直感的にゲイリー・ピーコックと菊池雅章のレコードアルバムを作りたいと考えたのが事の発端である。すぐさま上司からレコーディング企画の許可を取り付けた伊藤潔氏であるが、ゲイリー・ピーコックが日本にいると云う情報だけで、どこに住んでいるのやら皆目見当が付かなかった。来日の目的も分からず、思い込みだけが先走り、きっと禅や東洋思想を学ぶために来ているのだから京都に住んでいるに違いないと、その年の初夏、京都に赴き禅を勉強している外国人はいないかと探索が始まったが、結果は何の手掛かりも得られず徒労に終わった。意気消沈して東京に戻ってから二週間ほどして有力な情報が伊藤潔氏の元に寄せられた。それは新宿のピットインにゲイリー・ピーコックが現れたと云うものである。ベースの池田芳夫が演奏を終え楽器を片づけようとしたとき、外国人がベースに触らせてくれと言ってきたので、名前を尋ねると「私ゲイリー・ピーコックです」と名乗り、驚く池田芳夫の前でベースを弾き始めたという。そのテクニックに一同我を忘れ唖然とし詳しい住所を尋ねることを忘れてしまった。
兎に角、東京は下落合辺りに住んでいることは分かり、再びピットインに現れるのを待つことになった。7月の終わりにゲイリー・ピーコックは再びピットインに現れ、ようやく住所が判明した。それは京都でも下落合でもなく西落合のこの辺りであった。
結局のところ京都に住んでいたというガセネタはTBSラジオで放送されたドキュメンタリー番組「ゲイリー・ピーコックを探せ」による演出に拠るところが大きいのだろう。先のECMレコードのライナーノーツも情報源がTBSラジオのドキュメンタリー「ゲイリー・ピーコックを探せ」である。番組的にはアメリカのジャズベーシストが禅を学ぶために京都に住んでいた方が都合が良いのだろう。好意的に見れば京都が似合うと云うことだろう。尤も、ゲイリー・ピーコックが京都に住んでいたと云うのも強ち嘘ではなさそうである。しかし、それは"EASTWARD"をリリースした後であろう。二枚目のアルバム"VOICES"を発表した前後、スイングジャーナルのグラビアに京都洛外の田舎家で暮らす家族三人が紹介されていたと記憶している。まさか、これもヤラセではないだろうが、、、。
と云うことで、私は1970年に銀座千疋屋の隣のビルにあったジャズクラブ"ジャンク"でゲイリー・ピーコック・トリオの演奏に接することができた。ゲイリー・ピーコックは私が初めて聴いた外国人ジャズミュージシャンであった。その前年にマイルス・ディビスの来日が入国管理事務所の許可が降りずに中止となり、当分の間、外国人ジャズミュージシャンは来日できないだろうと噂されていただけに、少しでも米国のジャズシーンに触れられる演奏は貴重であった。
Gary Peacock interview2004
The art of improvisation Keith Jarrett
これは8歳でコンサートにデビュー、今年で60歳を迎えたキース・ジャレットの半世紀に亘る音楽生活のドキュメンタリーである。2002年にニュージャージーのキース・ジャレットの自宅スタジオで行われたロング・インタビューを軸に彼の共演者やECMのマンフレット・アイヒャー、妻のローズアン、キースの弟、鯉沼ミュージックの鯉沼利成氏らへのインタビュー、それに時代毎の映像アーカイブを織り交ぜながら制作されている。インタビューに登場するミュージシャンはスタンダード・トリオのジャック・ディジョネットにゲーリー・ピーコックをはじめとして、アメリカン・カルテットのチャーリー・ヘイデン、デューイ・レッドマン、それにユーロピアン・カルテットのパレ・ダニエルソン、ヨン・クリステンソン、そしてゲイリー・バートンやチック・コリアである。
僕はキース・ジャレットのジャズへのデビューから数年遅れてジャズを聴き始めた。それはキースが才能を開花した時期でもあった。それからリアルタイムでキース・ジャレットの音楽に触れてきたことになる。そうした者にとって、彼の口から語られる一つ一つのエピソードが時代背景と共に蘇ってくる。キース・ジャレットがアーマッド・ジャマールを聴いてから本格的にジャズへの道を歩み始めたというエピソードには、マイルスがアーマッド・ジャマールのようにピアノを弾く少年を欲していた事に重ね合わせ、後にキースがマイルスに請われて彼のバンドに参加したのも何かの必然のようにも思える。
マイルス・グループへの参加について、キースはこう述べている。
>マイルスとやるためにピアノを諦めた?
いや マイルスに屈した(笑)
当時なら彼に屈しても許されただろう彼はパリで僕のトリオを聴いた
バンド全員で来た
"どうやって弾いているの?"と聞かれて
"自分でも分からない"と彼に答えたんだ
何度か僕らを見た後 彼は"いつでもその気になったら"
"俺達とやろう"と言った
>マイルスと対話(セッションでのインタープレイ)しましたね
そうせずにはいられない 完璧な瞬間があったんだ リヴァーブとかエコーで僕らはグルーヴを見つけようとしただけだ
彼はファンキーなグルーヴを探していた
よりファンキーになろうと
窓が解放されたような自由な状態さ
でも限界に挑んだというより
バンド全体が楽しんでいたよ
電子楽器は楽しむ物さ
オモチャだからね(笑)
僕も楽しんだよ
弾き慣れた楽器(ピアノ)は弾けなかったけれど
即興演奏についてキースは語る。
昔から一度として
即興が正当に評価されたことはない
即興は全ての能力を結集させた結果だ
リアルタイムの編集不可能な演奏で
あらゆる可能性に備えて全神経を集中させる
他の音楽ではあり得ない状態なんだ
僕の本質は即興だ
クラシックを演奏して分かった
最後にキースは自らの病気について語った。
>張りつめたあなたの音楽人生で犠牲になったのは?
自分の仕事を厳しく監督しすぎて
健康が犠牲になった
ヘルシーな仕事じゃないよ
一人で腹話術師と操り人形の両方になるのは不健康だ
健康な筈がない
そうやって生きるのは健康とは言えない
>1996年 音楽活動を中止
プレイできなかったピアノも見れなかった フタを開ける力もなかった 妻に言ったけれどエイリアンに 身体を乗っ取られた感じだったね ナッシュビルの医師がそう診断してくれた97年12月にメロディ・アット・ナイトを録音した
クリスマス・プレゼントさ
家を出られないけど妻に何かあげたくて僕は病気に"ここにいるのは分かったから受け入れる"
"でも仕事はするぞ"と言った
だから個人的な作品から始めたかった
発表する気はなかったけど 最初だったから 気持ちが複雑になってきたら中断したよ 曲作りに集中したかった 結局自分の病気を曲に転化したんだ病気は教師だよ
より成熟すると
ああ 今の言葉は忘れよう
経験が増えるとより単純になるんだ
タイミングは単純の中の複雑性なんだ
1998年に録音、翌1999年に発表されたソロアルバム
"The Melody At Night,With Tou"はこうして生まれた。
そして映像はスタンダードトリオによるベーズンストリート・ブルースで終わっている。
DVDのボーナストラックには鯉沼ミュージックの鯉沼利成氏のインタビューが納められている。このトラックを余計だと批判する者もいるようだが、僕はとても懐かしく、そして楽しめた。
30年以上前、僕が初めてアイ・ミュージック(鯉沼ミュージックの前身)にチケットを買いに行った時は、まだ鯉沼氏は30代だったのだろう。まだ痩身で青年の面影を残す粋な好人物に見えた。
久しぶりにヴィデオで見た鯉沼氏は大橋巨泉に風貌も喋りかたも似ていたが、日本橋生まれは江戸っ子の旦那がそこにいた。江戸っ子の気遣いが30年以上に亘るキースとの信頼関係を育んできたのだろう。
そしてRadianceがレコーディングされたソロコンサートから3年ぶりに10月14日から21日までキースのソロ・コンサートのジャパン・ツアーが始まる。
Mel Tormeの"SUNDAY IN NEW YORK"を探していたのだが、幾ら検索しても見つからない筈である。アルバムタイトルがSongs of New Yorkと変更されていたのだ。その上、CDジャケットもオリジナル盤とは打って変わって味気のない写真である。オリジナル盤のレコードジャケットをそのまま採用した国内盤は1975年くらいにリリースされている。やはりジャケットデザインは時代を写す鏡でもある訳なのでオリジナルを守って欲しい。因みにレコーディングは1963年の12月、スタジオはニューヨークではなく、ロスアンゼルスである。それもその筈でタイトル曲がMGM映画「ニューヨークの休日」のサウンドトラック・テーマと云うことから、ロス在住のスタジオミュージシャンが参加してのアルバムであろう。内容はニューヨークをテーマにしたブロードウェイ・ミュージカルの挿入歌からスタンダードとして唄われるようになったものが多くを占めている。2曲目のバースから入る「ニューヨークの秋」をラジオで聴いたのがLPを買った動機、そしてサラ・ヴォーンとは一味違った「バードランドの子守歌」も粋である。ニューヨークがコスモポリスとして世界中の人々の憧れだった時代の音楽である。
"iTunes 5"では検索機能が強化されている。自分のライブラリだけでなく"iTunes Music Store"での曲名検索もとてもスピーディだ。ちょっと"Memories of You"で検索しただけでも147もヒット、完全一致は46あった。これだけの名曲でも自分のライブラリでは"Wynton Marsalis"と"Louis Armstrong"だけしかない。"iTMS"で見ると珍しいところでは"Charles Mingus"がピアノを弾いている"Memories of You"もあるが、やっぱり"Benny Goodman"は別格だ。私の好きな"Memories of You"は"Dollar Brand" のピアノによるものだがこれはCDでも聴けない。と云うことで自分の好きなスタンダードを10曲に選んでみようかな。
iTunes Music Store で蘇州夜曲を試聴するまでAnn Sallyの名に憶えはなかった。Ann Sallyのサイトを読むと、ニューオリンズに三年間暮らしていたとある。それも音楽修業ではなく医学の海外研修留学だそうだ。ビル・エバンスに楽曲を提供したことのあるデニー・ザイトリンも医者だったから、医者とミュージシャンの二足のわらじはそれほど珍しくもない。そうした多才な彼女であるから唄う曲もジャズ、ボサノバ、日本の古い歌曲とジャンルに捕らわれない。それがたぶん彼女にとって自然な成り行きなのだろう。それでAnn Sallyの唄う蘇州夜曲であるが、僕はこうした頽廃的な薫り漂う音楽は嫌いではない、むしろ好きである。このゆるき脱力系は、やたらと白黒つけたがり絶叫する輩とは対極にあるようだ。
山下洋輔を初めて聴いたのは69年か70年頃のサンケイホールだった。日野皓正のグループに突如乱入してきた山下洋輔一味に会場は騒然、山下を迎え撃つ日野はフリューゲルホーンをポケットトランペットに持ち替え応酬、山下のグガン、グカンとピアノを叩く音を合図に、森山がダバドトーン!とドラムを爆裂、中村はハナモゲラ奏法で山下を援護射撃、日野が目当ての女性達は何事と(・・;)となり、クロネコはタンゴを踊り出すし、赤ん坊は泣くは、坊主は笑うはで、会場はハチャメチャ。
山下は語る「演奏者の悪意の視線を感じることなしにジャズについて何かを語る人間がいるとは思えない。」と、本書は表紙に"my first jazz note"とあるようにジャズピアニスト山下洋輔による最初の著書である。この初版本は1975年に音楽之友社より発行された。その後、徳間書店より文庫化されたが、これも現在は絶版となっている。現在は相倉 久人の編集による新編 風雲ジャズ帖として生まれ変り、平凡社ライブラリーより2004年6月に発行されている。尚、初版本の内容は下記の通りである。
第一部:風雲ジャズ帖 I〜X(1970/1〜1971/12)
第二部:風雲ジャズ雑文篇(1969〜1973)
第三部:風雲ジャズ雑談篇(1970〜1972)
第四部:風雲ジャズ研究篇:ブルーノート研究(1969)
山下は言う「ジャズは音をもって行うボクシングやサッカーのようなものだ。」と、そう即興演奏とスウィングこそジャズの命、そしてジャズプレーヤーこそファンタジスタでなければいけないのだ。退屈な横パスばかり繰り返す予定調和されたジャズなんて聴きたくないのだ。
1966年から1968年までバークレー音楽院に留学していた佐藤允彦の帰国第一作アルバムである。そして1969年のスイングジャーナル主催 第3回 ジャズ・ディスク大賞・日本ジャズ賞を受賞した。メンバーはピアノの佐藤允彦に、ドラムが富樫雅彦、ベースが佐藤より一年早くバークレー音楽院に留学していた荒川康男の三人によるピアノトリオである。そして富樫雅彦のフットワークが聴ける貴重なアルバムでもある。
戦後の日本のジャズは進駐軍キャンプの慰問と云うカタチで始まっている。演奏するのはジャズのスタンダードナンバー、雪村いずみがダイナ・ワシントンのコピーだったように、所詮はアメリカのジャズの紛い物といった評価が大勢を占めていた。そうした日本のジャズシーンに変化の兆しが現れたのが1960年代後半からではないだろうか、それはスタンダードナンバーのコピーではなくオリジナルナンバーの演奏によって成し得たことである。「パラジウム」はピアノトリオによるインプロビゼーションの新しいカタチを創造し始めた三人の記録でもある。オープニングとクロージングは佐藤允彦のプリペアドピアノに荒川康男のアルコ奏法、富樫雅彦のベル、と現代音楽的アプローチを見せている。
iTunes Music Store JapanでNorah Jonesの"Feels Like Home"がJazzアルバムの二位と売れている。これには楽曲以外に売れるだけの理由がある。それは東芝EMIからリリースされている国内盤CDアルバムにはコピープロテクトが掛かっており、コンピュータでは再生できないようになっているからだ。iTunes Music Store Japanのオープンによって、ようやくiPodで"Feels Like Home"を聴けるようになった訳である。
7月17日はコルトレーンの命日だ。マイルスの命日は憶えていないがコルトレーンの命日は何故か憶えている。1967年、高校生だった僕は未だ積極的にジャズを聴いていない頃だったが、訃報を知らせた新聞の三面記事は記憶にある。1965年のアルバム"Ascension"は「キリストの昇天」を意味する言葉でもある。このLPアルバムの国内盤には邦題で「神の園」と付けられていた。1964年の前作"A Love Supreme"は「至上の愛」と、どこか宗教色を思わせるタイトルが続き、コルトレーン自身が昇天してしまった訳である。この"Ascension"はフリー・インプロビゼーション、つまり集団即興演奏によるジャズとして物議をかもしたが、全体的には否定的な意見が多かった。従ってジャズ喫茶でも"A Love Supreme"のLPが掛かっても"Ascension"のLPは掛かることはなく、自分でLPを購入しないかぎり聴く機会がなかった。そんな"Ascension"を初めて聴いたのが仕事中、ラジオから流れたFM放送だった。音響装置としては劣悪の環境だったが、僕にはこの11人のジャズプレイヤーによる自由な集団即興演奏がとても心地よく聴こえた。
久しぶりにWayne Shorterの"Super Nova"をLPで聴いた。録音の日付が1969年8月29日と9月2日となっているからマイルスの"Bitches Brew"のレコーディングに参加した直後のリーダーアルバムである。ウェイン・ショーターは翌年の3月にマイルスのバンドを辞め、8月にリーダーアルバム"Odyssey of ISKA"をユナイテッドアーチストに残し、ジョー・ザヴィヌルらとウェザーリポートを結成する訳である。ウェザーリポート以降のウェイン・ショーターは、どこかジョー・ザヴィヌルに支配されているようであり、グループサウンドに配慮してか、遠慮がちにプレイしているようで私には物足りなく聴こえてならない。そんなウェザーリポートとマイルス・バンドとの狭間に位置する"Super Nova"ではウェイン・ショーターは実に伸びやかに気持ち良くソプラノサックスを演奏している。尚、"Super Nova"の廉価盤CDが来年の3月にブルーノート決定盤1500シリーズからリリースされるので当分の間はCDの購入はお預けである。他にもウェイン・ショーターがブルーノートに残したアルバムが決定盤1500シリーズで年末から逐次リリースされるようだ。
因みに"Super Nova"とは【超新星】を意味する。
星の進化の最終段階における大規模な爆発現象。一つの銀河に匹敵するほど明るくなることもある。大質量星が自らの重力を支えきれずに崩壊し爆発を起す場合には、あとに中性子星かブラック?ホールが残される。(広辞苑第五版)
と云うことで殻々工房のエントリーにさりげなく映っていたiTunesの曲目"Come Rain or Come Shine"はHarold Arlen(1905〜1986)の作曲、Johnny Mercer(1909〜1976)の作詞で、邦題は"降っても晴れても"、ジャズのスタンダードナンバーとなっているが、元はミュージカル"セントルイス・ウーマン"の挿入歌。AccuWeateer.comから天候を英語でどう表現するか見るのも面白い。因みに八王子は現在"cloudy"今晩は"A couple of t-storms early"そして明日は"A morning shower or two"だそうです。たぶん"nOz"さんはモニカ・セッテルンドとビル・エバンスの"降っても晴れても"を聴いていたのだろう。
しかし、ミュージカルナンバーだけあって詩の表現はそうとう臭いですね。
NOW HE SINGS,NOW HE SOBS/CHICK COREA
1968年3月録音のピアノトリオによるチック・コリアの出世作である。同じ1968年にはビル・エバンスがモントゥルー・ジャズ・フェスティバルのライブ盤を残しており、何れも当時話題になったピアノトリオのアルバムである。ジャズの定番となっていた4ビートのハードバップと一線を画しながらも、グルーヴでドライブ感溢れるチック・コリア・トリオの演奏スタイルは耳に新鮮に聴こえたものである。ドラムにベテランのロイ・へインズ、ベースに新鋭のミロスラフ・ヴィトウスを加えたこのトリオがジャズピアニストとしてのチック・コリアの原点なのだろう、その後1981年にトリオを再結成し1984年にECMにレコーディングを残している。そこにはCIRCLEで見られた緊張感は微塵も感じられないが、、。
TRIO MUSIC, LIVE IN EUROPE1984年9月録音
"NOW HE SINGS,NOW HE SOBS"から実に16年を経てのチック・コリア・トリオによるアルバムである。その間、チックは"CIRCLE"や"return to forever"、はたまたエレクトリックバンドやクラシックへの傾倒と良く言えば多才な活動、悪く言えばあれもこれもと焦点の定まらない活動期間を過ごし、ミロスラフ・ヴィトウスはあのウェザーリポートの第1期のメンバーとして世間に注目されていた。ロイ・へインズはコルトレーン・カルテットのサイドメンとしても活躍していたベテランである。
このアルバムもチックの多才?ぶりが反映してか焦点は定まらず、その分だけ印象は散漫となる。スタンダードナンバーではキース・ジャレットを意識した演奏内容となり、スパニッシュモードでは通俗性がチラホラ、揚げ句はフリージャズだってできるとの演奏は蛇足に感じられる。
CHICK COREA/RENDEZVOUS IN NEW YORK
2001年12月のN.Y.ブルーノートでのスペシャルセッションのライブ盤である。いわゆる同窓会アルバムの類いである。この一夜だけ"MATRIX"の演奏にロイ・へインズ、ミロスラフ・ヴィトウスとのトリオが再結成された。しかし"CIRCLE"は封印されたまま、再結成されることはなかった。チックにとって"CIRCLE"は忘れたい過去なのだろうか。
1970年前後、雑誌"Jazz"でプーさんこと菊池雅章がチック・コリアの演奏スタイルをどう思うかの質問に答えて言った。「ん〜、どこかタンゴのオブリガートを聴いているようで、、」言い得て妙である。プーさんはチック・コリアの通俗性を見抜いていたのである。
Circle Paris-Concert1971年2月21日録音。
1970年から1971年のほんの僅かな期間、ジャズシーンを疾風の如く駆け抜けたCIRCLEのライブアルバムである。ジャズの場合、どんなにパーマネントなグループであろうと、その演奏は常に一期一会である。CIRCLEはチック・コリアのピアノ・トリオ(チック・コリア、ディブ・ホランド、バリー・アルトシュル)に単にアンソニー・ブラクストンが加わったカルテットとは意味が異なる。チック・コリアは「このパリの特別な夜に、この夢は実現した。」との言葉を残してCIRCLEを解散してしまう。そして二度とCIRCLEの他のメンバーとセッションすることすらしなくなった。確執があっての解散と云うよりも、チック・コリア自身が燃え尽きてしまったのだろう。このままCIRCLEを維持し演奏を続けることは自らの命を縮めることに気付いたのではないだろうか。同じメンバーによるピアノ・トリオによる演奏と比べてみても、チック・コリアの緊張の度合いも演奏の密度も異なる。タイトでスリリングなイマジネーション溢れる演奏はフリージャズのフアンにとって醍醐味であるが、少なくともチックにとって骨身を削る行為だったのだろう。既にチックの"return to forever"は懐メロとなってしまったが、34年前、チック・コリアが燃え尽きたパリの夜の演奏は未だに新鮮味が失われていない。
1971年1月11〜13日ミュンヘンにて録音、Circleからアンソニー・ブラクストンのいないホーン・レスのピアノ・トリオ(チック・コリア、ディブ・ホランド、バリー・アルトシュル)による演奏である。同じトリオによる1970年4月録音の"ザ・ソング・オブ・シンギング"が2006年3月に東芝EMIよりBLUENOTE決定版1500シリーズとして廉価版が発売される予定である。そして三つのアルバムに共通で演奏されるのがウェイン・ショーターがマイルスのアルバムに提供した"ネフェルティティ"である。iTuneでマイルスによる演奏も含めて聴き比べるのも一興であろう。
チャーリー・ヘイデンのリベレィション・ミュージック・オーケストラは1969年スイングジャーナル主催 第3回 ジャズ・ディスク大賞金賞を受賞しているアルバムだ。1967年から発足したジャズ・ディスク大賞は第1回金賞「ゴールデン・サークルのオーネット・コールマンVol.1」、第2回金賞「クロイドン・コンサート/オーネット・コールマン」、そしてこの「リベレィション・ミュージック・オーケストラ」と続き3回連続してフリージャズが金賞を受賞している。その意味でも「リベレィション・ミュージック・オーケストラ」は1960年代を総括する時代の精神が色濃く反映したアルバムとなっている。そして僕がジャズを聴き始めたのもこの時代である。
「リベレィション・ミュージック・オーケストラ」に参加した多くのミュージシャンはフリージャズのムーブメントであった1964年の「ジャズの10月革命」を経て結成されたJCOA(ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラ・アソシエーション)のメンバーが核となっている。
アルバム制作についてチャーリー・ヘイデンはフランコ独裁政権に対抗するスペイン市民戦争の歌に触発され、1967年のチェ・ゲバラの死、1968年の民主党大会でのヴェトナム戦争反対討議の否決、等が動機付けとなったとライナーノーツで述べている。
チャーリー・ヘイデンのベースソロで始まり、カルロス・ブエブラの唄がコラージュされた後で、ドン・チェリー、デューイ・レッドマンのソロと続く"Song For Che"はチェ・ゲバラに捧げられた曲である。
アルバム全体に、マーチやフラメンコ・ギター、そしてノスタルジックなスパニッシュメロディ等がコラージュされ、哀愁が伴う。何故かスパニッシュメロディの持つ漂泊感、喪失感は南北アメリカ大陸でより増幅される気がしてならない。
このアルバムの翌年1970年には「ビッチェズ・ブリュー/マイルス・デイビス」が金賞を取り、変革の時代を迎えることになる。そして政治性のあるテーマがジャズのアルバムに反映されることも少なくなってくる。ユリイカの1976年1月号のジャズは燃えつきたかはベトナム終戦翌年に刊行されている。これもまた時代の喪失感がタイトルに反映されているのであろう、ジャズの替わりに違う言葉を当て嵌めても良かろう。
蛇足であるがキース・ジャレットのインパルス時代のカルテットのメンバーであった、デューイ・レッドマン、チャーリー・ヘイデン、ポール・モチアン、の三人全てがこのアルバムに参加している。現在のキース・ジャレット・トリオのベーシスト、ゲーリー・ピーコックもそのルーツはフリージャズの人である。
BLUE NOTE 1500シリーズの第二期が始まった。今回のリリースは1970年代初めの頃まで含まれているようなので、昔、リアルタイムで聴いていたアルバムも多い。ということで"THE REAL McCOY"を買ってしまった。
ブルーノート決定盤1500シリーズ
東芝EMIからのメール。
第1期100タイトルを発売したブルーノート決定盤1500シリーズですが、おかげ様で大好評をいただき、トータルセールスは100万枚に届く勢いになりました。
今年度は第2期として6月8日から発売開始!毎月20タイトルづつ来年3月まで、計200タイトルの連続リリースになります。
さらにご好評をいただいております3:1キャンペーンも第2期として実施いたします。
第1期3:1キャンペーンの応募シールは第2期でも引き続き有効となっておりますので、お手持ちの応募シールは有効にお使いください。
インターネットの世界で"What's new"といえば"新着情報"のことだが、Jazzで"What's new"といえばスタンダードナンバーのことである。私のもっているCDのヴォーカル盤ではヘレン・メリルとリタ・ライスによるヴォーカルがある。そういえば笠井紀美子もよく"What's new"を唄っていた。"What's new" 偶然、街角で昔別れた恋人に出会い語りかける、切ない恋心の唄である。
コンボスタイルのジャズではコルトレーンによる"What's new"の演奏が有名だが、ビル・エバンスとジェレミー・ステイグの共演盤も捨て難い、激しいフルート演奏で知られているジェレミー・ステイグも"What's new"では切々と感情を押えて演奏している。
センセーショナルなタイトルが付けられたユリイカの1976年1月号である。ユリイカは翌年の1977年1月号でも「ジャズの彼方へ」を特集している。そしてカイエ(冬樹社)の1979年1月号では「ジャズの死と再生」と既にジャズは死んだものとして特集を組んでいる。そしてこの三冊全てのセッションに参加しているのは山下洋輔と評論家の清水俊彦、油井正一の三名である。
K君がどこかのエントリーに息子がNYに行ったけれどJazzなんかどこにもなかったとコメントしていたけれど、Jazzがダンス音楽であることを止めて地下に潜ったときから、それは当たり前のことであろう。1950年代の映画「真夏の夜のジャズ」はセレブでスノッブな白人を相手にしたニューポートジャズ・フェステバルの記録であるが、いみじくも聴衆の中の白人女性が「ジャズなんて嫌いよ」と語っている。所詮、アメリカでは一部のスノッブな白人の知性と寛容さを証明するためのアクセサリーか踏み絵くらいの存在でしかなかったのだろう。ジャズはアメリカが生んだ最高の芸術の一つであるといわれているが、そこには私生児を認知したくないけど認めざるを得ない植民者の複雑な思いが隠されているようにも思える。結局のところ、ジャズの理解者がヨーロッパや日本のジレッタントであったことを考えると、アメリカのマジョリティにとってジャズは存在しないも同然だろう。
5月12日にストックホルムの自宅マンションで起きた火災でモニカ・セッテルンドが亡くなったという新聞死亡記事を読んだ。火災原因はベットでの喫煙らしい。享年67歳、合掌。日本で「ベットでたぼこを吸わないで」といえば沢たまきの定番であるが、JazzではHolly Cole Trioの「Don't Smoke in Bed」は持っているが、他に同じ曲がないかiTunesを探したけれども見つからなかった。AmazonにもHolly Cole Trioのアルバムしかない。「Don't Smoke in Bed」と「ベットでたぼこを吸わないで」は全くの同名?異曲である。沢たまきの「ベットでたぼこを吸わないで」はいわゆるピロートークであるが、Holly Cole Trioの「Don't Smoke in Bed」は置き手紙をして家を出てゆく妻の別れの最後の言葉である。Remenber darling don't smoke in bed.
シェリーズ・マン・ホールのミシェル・ルグラン
いわゆるウェストコースト・ジャズの大御所であるドラマーのシェーリー・マンがオーナーを務めるジャズクラブ"シェリーズ・マン・ホール"に於けるミシェル・ルグラン・トリオのライブ盤である。ミシェル・ルグランが映画音楽の仕事でハリウッドに訪れていた1968年の演奏である。ミシェル・ルグランは、その10年前の1958年にはマイルスやコルトレーン、ビル・エバンスらを従えた小編成のオーケストラによってルグラン・ジャズを残しているが、このアルバムではホスト役のシェーリー・マンのドラムとレイ・ブラウンのベース、そして彼自身のピアノによるトリオである。映画音楽の作曲家・編曲家として知られているミシェル・ルグランのジャズピアニストとしてのもう一つの面が伺えるアルバムである。My Funny Valentineではレイ・ブラウンのベースソロにからむルグランのスキャット・ボーカルをフィーチャーした、まさにファニーな演奏となっている。リラックスした演奏とノリの良い聴衆がニューヨークのジャズクラブとは一味違った雰囲気を伝えている。
「シェリー・マンズ・ホール」でなく「シェリーズ・マン・ホール」としたところは、オーナーのジョークであろう。CDジャケットもそれに合わせミシェル・ルグランの似顔絵をあしらったマンホール・カバーをデザインしたものとなっている。但し、オリジナルのLPでは黒地に銀紙でマンホール・カバーをレリーフした凝ったデザインであったが、CDジャケットは安易なカラー印刷となりデザインの質の低下は否めないものとなっているのが残念である。
Keith Jarrettの7年ぶりのピアノソロ・アルバム"Radiance "(レイディアンス)がリリースされた。前回の"The Melody At Night, With You"は1998年に自宅スタジオで録音されたピアノ・ソロによるスタンダード・アルバムなのに対して今回の"Radiance "は2002年10月の大阪フェステバルホールと東京上野文化会館に於ける即興演奏による実況録音盤である。1971年の初めてのピアノソロ・アルバム"Facing You"から数えると34年経ったことになる。Keith Jarrettがジャズ愛好家のみならず、音楽愛好家に広く聴かれるようになったのは1973年の二作目のピアノソロ・アルバム"Solo-Concerts"からだ。
「どうやって何もないところから、何の枠組みもなく、演奏できるんだ?」とマイルス・ディヴィスがキース・ジャレットの自由奔放なプレイに感心したように、2002年10月30日の上野文化会館の演奏も無から音楽を紡ぎ出す試みであった。つまり聴衆は彼の創造の現場の目撃者でもある。それはライナーノーツに書かれたKeith Jarrett自身の言葉にも表わされている。
日本に行く何ヶ月も前に、あるアイディアがひらめいた。今までの私は、演奏する度にエネルギーを新しいものへと変換することに主眼を置いてきたが、今度はエネルギーだけでない、実際の楽曲形式も、新しいものに変換される素材の中に含めてしまおうと思ったのだ。ぼくが過去に行ったソロ・コンサートを聴いてきた人達の多くは、演奏の始めの部分にメロディーの要素が--それどころか、モチーフとなる要素さえも--欠落していることに(少なくとも)一瞬戸惑うかもしれない。、、、、中略、、、、、この演奏を聴く皆さんには、私のやることを辛抱して見守っていただきたい。すべての試みはリスクを伴うもので、今までにも、そうすることで皆さんにいろいろな世界を紹介させてもらってきたわけだし、今回もがっかりさせるためにこうした演奏を試みたわけではない。、、、(続く。)音楽の世界に予定調和を求めない人々にとってこのような即興演奏の現場に立ち合えることはまたとない喜びであるが、音楽に予定調和を求める人々にとって、それが苦痛であろうことはKeith Jarrettも承知であるようだ。
今朝、朝刊と共にブルーノート決定盤1500キャンペーン・プレゼントのCDが郵便受けに入っていた。3月末の締切りも5月末まで延び、キャンペーン対象のCDも100タイトル全てリリースされたようです。
と云うことで、私が貰ったCDは下記の4タイトルでした。
TOCJ-6430 ボビー・ハッチャーソン / ハプニングス
TOCJ-6436 ハービー・ハンコック / テイキン・オフ
TOCJ-6441 ソニー・ロリンズVol.2
TOCJ-6464 ソニー・ロリンズVol.1
まぁ、結局、今まで買おうと決心が付かなかったモノを貰ったわけですね。
因みにブルーノートのロリンズで私が一番好きなのはA Night At The Village Vanguardです。
アーキグラムを建築界のビートルズやロックスターに準えるのは、既に散々言い回された表現で新鮮味も面白みもない。水戸芸術館の「アーキグラムの実験建築 1961- 1974」で再現されたアーキグラムのオフィスの片隅に立て掛けられたBird(Charlie Parker)のレコードジャケットを見つけたとき、ちょっとクールで嬉しくなった。そして、紛れもなくアーキグラムのメンバーの監修の元に再現されていることがBirdのLP一枚で伝わってきた。
確かにビートルズはアーキグラムと同時代に活動したロックスターだが、アーキグラムのメンバーにとってライバルと成り得てもアイドルとは成り得ない。そんな彼らのアイドルはCharlie Parkerだったのだ。特にメンバーのデヴィット・グリーンがビートニックの詩人に心酔していたとなれば尚更である。1950年前後をティーンエージャーとして過ごした彼らにとって、最も尖っていたムーブメントの一つははモダンジャズとビートニックであったのだろう。時代の先駆者としてのCharlie Parkerに対する敬意が何気なく表現されていた。
「アーキグラムの実験建築 1961- 1974」の展覧会カタログは事前に用意されたものでなく、展覧会そのものをライブで記録し、過去のアーキグラム誌の複製を付け加えたスクラップブック仕立てとなっている。
尚、会期は今月27日まで。
aki's STOCKTAKING: ARCHIGRAM
英国のロック系ミュージシャンの多くはジャズも良く聴いている。ブライアン・イーノもメンバーだったロキシーミュージックのブライアン・フェリーも少年時代のアイドルはチャーリーパーカーやコルトレーンだったという。スティングもバンドメンバーをブランフォード・マルサリスを一として全てジャズミュージシャンにしていた時期があった。それでも彼らはジャズを演奏することはなく自分たちの音楽表現をしている。
ジョン スウェッドの「マイルス・ディビスの生涯」によれば、共演経験のないミュージシャンをスタジオに集め、断片程度の譜面だけで何時間も演奏させるプロセスがイーノにとって驚きだったという。さらに、プロデューサーのテオ・マセロによってその長〜い演奏の断片から新しい音楽が紡ぎ出されることにも。
イーノはマイルスの「ビッチェズ・ブリュー」からスタジオ・セッションの新たな可能性と云う意味で大きな影響を受けた一人だった。もしかすると70年代にイーノがプロデュースしたobscureレーベルも「ビッチェズ・ブリュー」がなければ違ったものになったのかも知れない。
Conference of Birds
国内盤では確か「鳩首協議」と云う邦題が付けられていた、1972年11月に録音されたデイブ・ホランド(bass)のリーダーアルバムである。デイブ・ホランドは1970年までマイルス・バンドに在籍、その後、チック・コリア、アンソニー・ブラクストンと共にフリー・インプロビゼーションによるジャズユニット、サークルを結成する。サークルの活動は極めて短期間で1971年2月、伝説のパリ・コンサートの二枚組アルバムを残し解散した。その後チック・コリアは1971年4月にソロピアノを録音、ECMからリリース、翌年1972年2月に"return to forever"を録音、同じくECMからリリース、これがジャズアルバムとしてはスマッシュヒットし、気を良くしたチック・コリアは大衆迎合路線を歩み始める。チック・コリアほど毀誉褒貶相半ばする人物も稀である。そんなチック・コリアと袂を分ち、サークルの他のメンバーのアンソニー・ブラクストン、バリー・アルトシュルにサム・リバースを加えた四重奏団による演奏だが、同年に録音されたチック・コリアの"return to forever"と比較すると目指す音楽の違いは歴然である。平均律楽器に支配されないピアノレスの2ホーンカルテットはフリー・インプロビゼーションの王道かもしれない。タイトルの"Conference of Birds"はデイブ・ホランドが住んでいたロンドンのアパートの裏庭に夏の日の朝方に集まる鳥達のさえずる様子から付けられている。フリー・インプロビゼーションの激しさは影を潜め、ここでバリー・アルトシュルはドラムだけではなくマリンバも演奏している。珠玉の小品。
昔、ピットイン・ニュージャズホールがあった。新宿通りと靖国通りに挟まれた伊勢丹駐車場の向かい側、大昔のピットインから伊勢丹寄りに一件くらい離れたところに入り口があり、そこから二階に上って右側の突き当たりの空き室がピットイン・ニュージャズホールだった。ピットインは飲食店としてのジャズクラブだったけれど、ピットイン・ニュージャズホールは演奏を聴かせるだけの場であった。富樫雅彦を襲った不幸な事故(事件)の後、トリオを組んでいた佐藤允彦は僚友を失い一時ジャズクラブでの演奏は控えていた。そうした時期にピットイン・ニュージャズホールはできた。そこで佐藤允彦がソロピアノを弾いていた。聴衆は両手の指が余る程度しかいなかった。まだジャズのソロピアノが認知されていない頃の話。他にアルバートアイラーのようにバスクラリネットで咆哮する高木元輝のインプロビゼーションと豊住芳三郎のパーカッションのデュオをピットイン・ニュージャズホールで聴いた。これも、豊住芳三郎がまだ美少年で長髪でベルトレスのジーンズで決めていた頃の話。諏訪優がギンズバーグの詩を朗読していたのもピットイン・ニュージャズホールだった。ピットイン・ニュージャズホールは僅か数年で閉鎖された。まだ新宿が元気だった頃の話。
マイルスの死の二週間後に録音されたキースジャレット・トリオの"BYE BYE BLACKBIRD"はマイルスに捧げられたトリビュート・アルバムだ。キース・ジャレット、ゲーリー・ピーコック、ジャック・ディジョネット、三人ともマイルスと共演した経歴を持つプレイヤーだ。
マイルスの"Bye Bye Blackbird"で僕が好きなのはアルバム"'Round About Midnight"に収録された演奏だ。あのミュートの掛かったトランペットの硝子細工の壊れそうなスリルに満ちた音はマイルスにしか演奏できないものだ。
キース・ジャレットが在籍した1970年のマイルス・バンドはファンクバンドの様相を示していた。
ある晩、マイルスはキースにたずねた。なぜ、俺がバラードをやらないか、わかるか?それはバラードを心から愛しているからだ。そう彼は答えた。(マイルス・ディヴィスの生涯より、引用)ライナーノーツによれば"BYE BYE BLACKBIRD"の録音から10ヶ月後、ニューヨークタイムズに寄稿されたキース・ジャレットの手記にはこう書かれている。(スウィングジャーナル誌1992・12の翻訳文から引用)
マイルスのサウンドは沈黙から生まれる。人類で最初にミュージシャンになろうとした人間が、最初の一音をプレイしようとした時、彼の前に存在していた、広大で流動的な縁のない沈黙。私たちはこの沈黙を必要としている。何故なら、これこそ、音楽のありかだからだ。意味するところは、まるで武満徹の「音、沈黙と測りあえるほどに」と同じである。
キース・ジャレットの自由奔放なプレイにマイルスは「どうやって何もないところから、何の枠組みもなく、演奏できるんだ?」と感心するのだった。(マイルス・ディヴィスの生涯より、引用)マイルス・ディヴィスの囁きが聴こえてきそうなアルバムである。
iTunesの楽しみかたは、そのデータベース化したライブラリをどう利用するかにある。プレイリストを作るだけでなく、ジャンルの枠を超えて同じ曲を聴きくらべることなど朝飯前なのだ。であるから"Autumn Leaves"(枯葉)もマイルスとウィントン・マルサリスや、ビル・エバンス、チック、キースなんかも聴きくらべて楽しめるのだ。でも、原曲のシャンソンはないのだ。"Autumn Leaves"の前にある"Autumn In New York"なんかはメル・トーメが唄うのが最高、これもLPはあるがCDはもっていない。
因みにナット・キング・コールの"Autumn Leaves"はタモリ倶楽部の空耳アワーで紹介されていました。1分48秒くらいで「先週、上野へ」と空耳が聴こえる、これに気付いた人は偉いなぁ〜、尊敬しちゃう。リタ・ライスでもナット・キング・コール程ではないが「先週、上野へ」と聴こえる。ん〜キースのピアノでも「先週、上野へ」と聴こえてしまう。「先週、上野へ」ということは、暮れだから、ついでに御徒町のアメ横にも行ったんだろうな。(そんな訳ない!)
70年代に一世を風靡したアルバム、ヘッドハンターズしか聴いたことがない人には、ハービー・ハンコックが1968年にブルーノートに残したホーン・アンサンブルも美しいこのジャズ・アルバムが同一人物によるものだとは、とても思えないだろう。そのくらい、60年代と70年代ではジャズは変貌している。ハービー・ハンコックはこの翌年の1969年、マイルスのビッチェスブリューを最後にマイルス・ディビス五重奏団を退団している。そして、マイルス自身もアルバム・ビッチェスブリューから五重奏団と云う枠組みで演奏すること止めてしまった。1968年3月に録音されたこのアルバムは全てがアコースティック・サウンドで構成されている。ハービー・ハンコックがマイルスに提供した二つの曲、Riot(LP:Nefertiti)とThe Sorcerer(LP:Sorcerer)がアルバムの最初と最後に配置されている。マイルスのアルバムではウェインショーターのミステリアスなトーンでアレンジされていたが、ハービー自身のアルバムではアレンジはソフィスティケーションされ、リラックスした印象を与える。そこにはマイルスと一緒にいる緊張感は微塵もない。このアルバムから二ヶ月後、ハービー・ハンコックはマイルスのアルバム「Miles In The Sky」でエレキピアノを弾くことになる。嵐の前の静けさ。
アンサンブルだけでなく、レコードジャケットも美しいアルバムだ。表だけでなく裏面も良い、裏面だけでなく見開きの写真も「同い年なら女の子の方が精神年齢が高い。」そんなことを思わせる。「SPEAK LIKE CHILD」を直訳するのは難しいことではないが、これをレコードタイトルとして適切な日本語で簡潔に表現するとなるととても難しい、良い言葉が見つからない。
ブルーノート決定盤1500のサイトではハービー・ハンコックを”天才”と云う括りかたをしているが、ハービー・ハンコックは”多才”ではあるが、決して”天才”ではないと思う。
PAUL BLEY BALLADS(ECM RECORDS)
そのLPレコードジャケットの裏面。
Mark Levinson(マーク・レビンソン、右から二人目)はポール・ブレイ・トリオの一員として1966年から1967年に掛けてジャズ・ベーシストとして活躍?していたが、その後、フェィドアウトするようにジャズシーンから姿を消してしまった。1970年代の初め頃、薄型の画期的なスタイルのソリッドステートアンプがオーディオ専門誌で話題になった。その名はマークレビンソン、名前の一致に、もしかしてと考えたが、オーディオ専門誌の評者にはそこまで追求する人はなく、疑問のままであったが、或る時、雑誌の記事で同一人物であることが判った。ポール・ブレイ・トリオのベーシストといえばゲーリー・ピーコックを真っ先に思い出し、次にスティーブ・スワローの名が頭に浮かぶ。その二人に対してマーク・レビンソンの印象は薄く、僕が所有しているポール・ブレイ・トリオのLPの内、彼が参加している三枚有るLPのライナーノーツにも詳しい経歴は記載されていない。このLPでもA面はゲーリー・ピーコックでB面がマーク・レビンソンとなっている。マーク・レビンソンの活動期間が短いのは1960年代後半にポール・ブレイがアーネット・ピーコック(左から二人目)と共にシンセサイザー・ショーと云うパフォーマンス・ユニットを組みピアノトリオの活動を休止したことも一つの要因だろう。結局、ポール・ブレイのモーグ・シンセサイザーはアパートの火事で消失してしまい。再びポール・ブレイはアコースティック・ピアノに戻ることになる。
いつかポール・ブレイについて書こうと思っていたがKawaさんのオーディオ機器のエントリーにマークレビンソンの名を見つけたので、彼にジャズベーシストとしての経歴があることを先に書きたくなった。
因みにLPは1967年3月31日の録音、ポール・ブレイ35歳の作品である。
So What「マイルス・デイヴィスの生涯」
ジョン スウェッド (著),丸山京子(翻訳)定価(3600円+税)
シンコーミュージックエンタテイメント ; ISBN: 4401618890
奥付を見ると2004年11月14日とあるから、書店に並んだのは先月末だろう。書店でタモリが書いた坂道美学入門の本がないか、タレント関連の書棚を物色していたとき、この本を見つけた。坂道美学入門はなかったが、躊躇することなく本を手にしてレジに向かった。タモリはマイルス・デイヴィスに直接インタビューしたことのある数少ない日本人の一人であり、お笑い芸人としては唯一だろう。そしてジャズ愛好家としては故・植草甚一氏のコレクションを引き継いでいるコレクターでもある。だからマイルスとの邂逅を演出してくれたのも何かの因果だろう。
コルトレーンの命日は記憶していても、マイルスの命日は僕の記憶から消えていた。マイルスが亡くなっても哀しくはなかった。唯、一つの時代が終わったという思いだけだった。マイルス・デイヴィスは僕にとって紛れもなく唯一無二のアイドルだった。だから、彼がどんなに自分の演奏スタイルを変えても受け入れることができた。60年代のマイルスを愛した保守的なジャズ愛好家にとって80年代のマイルスは屈辱以外の何ものでもなかっただろう。僕が最後にマイルスの演奏をライブで聴いたのは1987年のライブ・アンダー・ザ・スカイだった。当時、好んで演奏したシンディ・ローパーのタイム・アフター・タイムやスケッチ・オブ・スペインからのフレーズには演奏スタイルは変わっても、変わらないマイルスの何かがあった。
マイルス・デイヴィスが亡くなって13年、ようやく、波乱に満ちた彼の生涯を検証する本が世に出た。生い立ちから、60年代までを語っている本はこれまでに何度か読んだ事があるが、70年代や80年代、そして最後となった90年代のマイルスを検証した本は皆無に等しい。作者のジョン スウェッド はイェール大学・人類学の教授、アフリカ系アメリカ人研究が専門。全447頁+ディスコグラフィー24頁に亙る本書は丹念に調べられた資料と関係者からのインタビューと云う実証的なスタンスによっている。マイルスのアルバムとそのレコーディング時の数々の証言等、僕たちが知らなかった事実が浮かび上がってくる。マイルスを知っている人にも読みごたえのある内容である。
その死後、10年以上経ってなお、マイルス・ディヴィスの人気は衰えるどころか、高まる一方だ。今も彼の音楽はあらゆる所で流れ、「カインド・オブ・ブルー」は既に古典の一枚と見なされている。(※「カインド・オブ・ブルー」は今でも全米だけで週に5000枚売れているという。)彼が共演したのは、チャーリー・パーカーからセロニアス・モンクまで、ジャズ界が輩出した屈指のプレイヤーばかり。その従者達---ジョン・コルトレーン、ウェイン・ショーター、チック・コリア、キース・ジャレット、ジョン・マクラフリン---はそれぞれがジャズ界のスターとなった。そのクールで、ヒップでフレッシュなイメージは当時のまま。それでいてマイルス氏自身は謎のヴェールをまとい、その生涯は数々の神話に彩られている。なぜ頻繁に彼はスタイルを変えたのか?なぜ、あれほど人につらくあたり、時には敵意まで抱くような態度をとったのか?なぜ、そのキャリアが全盛期を迎えた時、人前で演奏することを止め、何年間も人目を避けるように自宅の暗闇の中に引きこもってしまったのか?あの大統領選挙のブッシュ支持の赤く塗られた地域ではマイルスの音楽は理解されないだろうな。ということで、「カインド・オブ・ブルー」と、死の二ヶ月前にレコーディングされたクィンシーン・ジョーンズとのコラボレーション、「ライブ・アット・モントルー」を聴きながら書いている。
直立猿人(Pithecanthropus Erectus)と題されたミンガスのアルバムを初めて耳にしたとき、これが5人編成のコンボジャズとは信じ難いサウンドに聴こえた。2ホーンの小編成でもエリントン楽団に匹敵する程の豊かなアンサンブルと、ミンガス・ジャズの底知れぬ音楽性に唯々敬服するのみだった。直立猿人は「進化」「優越感」「衰退」「滅亡」の四楽章からなるとされているが、演奏は切れ目なく一曲に仕上がっている。これはミンガス流のアイロニーだが、現時点でアメリカを見ると二楽章と三楽章の間と云うところだろう。世界を巻き込む四楽章は勘弁して欲しい。
ミンガスは社会批判を自己の作品を通して風刺的に取り上げることがよくある、「フォーバス知事の寓話」では過激にも自ら「馬鹿な奴だよフォーバスは」と唄っている。
ビクター・エンタティンメントが国内版権を保有しているリバーサイド・レーベルやプレスティッジ・レーベルの50年代から60年代にかけてのJAZZの名盤が「ビクター ナイス・プライス2004」として期間限定価格で1500円で販売されている。50年代のプレスティッジ・レーベルのマイルスのレコードジャケット・デザインは今見ても新鮮。
中央線沿線のレコード屋と云えば新星堂が真っ先に頭に浮かぶと思うが、その新星堂でキャンペーン対象商品を更に、一割、二割引きで販売している。リバーサイドやプレスティッジは二枚買うとCDが一枚辺り1200円だ。LPは持っているけれどCDは持っていないものが随分あるので、買おうとしたが、まてよ記憶が定かでない。とりあえず、確かにCDを持っていない、セロニアス・モンク・トリオとM.J.Q.のジャンゴを買う。記憶が曖昧なビル・エバンスやロリンズはCDライブラリを調べてから買おう。ちょっと前なら、CDを調べるのに棚をひっくり返して調べるところだったが、今は違う、iTunesでライブラリを検索すれば済むようになった。この差は大きい。
「ビクター ナイス・プライス2004」から10枚だけ選ぶとすると、こんな感じですか。
1)『ワルツ・フォー・デビイ+4』 ビル・エヴァンス
2)『サキソフォン・コロッサス』 ソニー・ロリンズ
3)『フル・ハウス+3』 ウェス・モンゴメリー
4)『バグス・グルーヴ』 マイルス・デイビス
5)『ジャンゴ』 M.J.Q.
6)『アート・ペッパー・ミーツ・ザ・リズム・セクション+1』 アート・ペッパー
7)『ソウルトレーン』 ジョン・コルトレーン
8)『ジャズ・アット・マッセイ・ホール』 チャーリー・パーカー
9)『ザ・トリオ(1)』 ハンプトン・ホーズ
10)『エリック・ドルフィー・アット・ザ・ファイブ・スポットVol.1+1』 エリック・ドルフィー
最初に聴いたコルトレーンのアルバムが"A Love Supreme"という人は多いと思うが、"Duke Ellington & John Coltrane"が最初に聴いたコルトレーンのアルバムという人は少ないだろう。コルトレーンがインパルスに残した数多くのアルバムの中で、この作品と"Ballads"、"John Coltrane & Johnny Hartman"の三枚のアルバムは真夜中に聴きたいコルトレーンだ。
親子ほど年齢差のあるエリントンとコルトレーン、二人の絶妙の掛け合いと、それを支えるエルビン・ジョーンズの全てに控えめなドラミング、1曲目のエリントンのイントロで始まる"In A Sentimental Mood"は正に一期一会が産んだ作品、これがジャズである。
二曲目の"Take The Coltrane"は曲名がエリントンの名曲"Take The A-Train"のパロディになっている。イントロとエンディングのリフだけにエリントンの伴奏が聴こえる。つまり"コルトレーンで行こう"とエリントンはコルトレーンに自由にプレイさせている。
月曜日のNHK教育人間講座「秋吉敏子・私のジャズ物語」第三回は「バド・パウエルとの出会い」だった。ボストンのバークリー音楽学院への留学、そのボストン到着の第一夜にジャズクラブ「ストーリーヴィル」でのバド・パウエルとの出会い、米国での初めてのピアノ演奏がバド・パウエルに促されての演奏であったとか、バド・パウエルとの思い出を語っていた。その中でバド・パウエルが一時パリに移住したときの話は映画にもなっていて興味深かった。
1986年製作の映画「ROUND MIDNIGHT」はバド・パウエルをモデルに彼の理解者・フランシスとの交流を描いた物語である。映画ではバド・パウエルの役どころはピアニストではなく、架空のテナーサックス奏者「ディル・ターナー」に替わっている。主演はDexter Gordon 、もちろん現役のテナーサックス奏者、その朴訥な演技がリアリティと共感をよんだ。映画の音楽監督はハービー・ハンコック、もちろん出演もしている。何しろ出演しているジャズメンは全て現役のトッププレイヤーである。ディルのレコーディング場面では60年代のマイルス・デイビス五重奏団からマイルスだけが抜けたメンバーがディルのサポートをしている。ハービー・ハンコックをはじめとしてロン・カーター、トニー・ウィリアムス、ウェイン・ショーターと並ぶ、他にブルーノート・レーベルのボビー・ハッチャーソン、珍しいところではマイルス・デイビスのビッチェス・ブリューやジャックジョンソンに参加したことのあるイギリス人ギタリストのジョン・マクラフリンも出演している。バド・パウエルへのオマージュとして製作されたこの映画に参加した全てのジャズメンがバド・パウエルを尊敬し彼の演奏を愛していたことが伝わってくる映画である。(廉価版DVDが1575円、昔は2枚組LDが9800円だった。その値段ならDVDを買おう。)
6月7日からNHK人間講座で秋吉敏子の「私のジャズ物語」が放送される。
昨年、秋吉敏子は30年に亙って活動を続けたジャズオーケストラ「Toshiko Akiyoshi - Lew Tabackin Bic Band」を解散した。理由の一つにオーケストラの為に作曲に時間がとられ、自分がピアノ練習する時間が取れないことをあげていた。以前から機会ある毎に、毎日のピアノ練習を欠かさないこと、もっとピアノが上手くなりたい、と語っていたので、これからの人生をもっと自分のために使いたい、そう考えても自然だ。であるからNHKも意地悪である。自分のために使いたい時間を秋吉敏子から取り上げて、講師にさせてしまったのだから。しかし、これは僕らにとって朗報である。戦後のモダンジャズの最先端を生き抜いたミュージッシャンの話が聞けるのだから。
ここ最近、一日の初めにテレビを消してアナログレコードに針を落とすことにしている。オーディオ機器も80年代に買い替えたもので既に20年は経っている。こんな普及型のレコードプレーヤーでさえもマニュアル式の場合、トーンアームはそれなりの精度とメカニズムを有している。時々は針飛びも起こすがLPレコード片面20分、空間を占める空気と時間の流れが変わるのを感じる。
LP:Chick Corea & Gary Burton Lyric Suite for sextet / 1982/9
日曜日、上野の東京文化会館でキース・ジャレット・トリオを聴いた。初めてキース・ジャレットを聴きに行ったのは初来日の30年前、その時はメンバーも異なりカルテットでの演奏、キースはピアノだけでなくクラリネットも吹いていた。初来日の時、急遽予定を変更して一度だけのソロ・ピアノコンサートを開催、それも聴きに行った。今回のメンバーの演奏をライブで聴くのは20年ぶり、オーディエンスは老若男女と実に多彩、キース・ジャレットのフアン層の厚さを感じる。僕も30年以上、彼の音楽を聴いていた事になる。つい、追憶に耽ってしまうコンサートでもあった。
招聘元のKoinuma Musicに当日の演奏曲目が紹介されていました。
■Keith Jarrett/Gary Peacock/Jack DeJohnette
4月25日 東京文化会館 演奏曲目
<第一部>
1.Night And Day
2.Django
3.不明
4.One For Majid
<第二部>
1.Tune Up
2.La Valse Bleue(a.k.a. Valse Hot)
3.So Tender
4.I Fall In Love Too Easily
5.The Ballad Of The Sad Young Men
6.Round Midnight
7.Straight No Chaser
8.When I Fall In Love
My Funny Valentine Miles Davis
マイ・ファニー・ヴァレンタインは多くの歌手が唄い、ジャズ・ミュージシャンが演奏している。その中でベストを選べと言われたら、僕は躊躇なくマイルス・デイビスのマイ・ファニー・ヴァレンタインを選ぶ。イントロのハービー・ハンコックのピアノとマイルスのトランペットとの絡みは文句なく絶品、これしかないと。
Personnal
Miles Davis (tp)
George Coleman (ts)
Herbie Hancock (p)
Ron Carter (b)
Tony Williams (ds)
1964 Feb.12
at Lincoln Center "Philharmonic Hall", NewYork
確か19か20歳の頃にMiles Davisの【MILESTONES】に初めて出会った、とは云っても、これが最初に聴いたジャズと云う訳ではない。高校生の時、その頃流行ったデーブ・ブルーベックのテイク・ファイヴのドーナツ盤を聴いたりもしたが、世間一般の軽音楽と云う括り方以上の感慨を持つに至らず、そのまま聞き流していた。【MILESTONES】も自ら積極的に聴こうとした訳でなく、僕が買ったカセットレコーダーに兄がLPからダビングしたものだった。初めは唯喧しい音楽だと思っていたジャズだったが、聴き込んでいるうちに、その面白さが分かり、楽器の一つ一つのフレーズを聴き分けられるようになっていった。
その最初のレコードが【MILESTONES】と云うのも因縁染みている。もちろんこのタイトルはMilesの音【MILES-TONES】を一里塚の【MILE-STONES】に掛けたものである。僕にとってもこのアルバムは【MILESTONES】なのである。このアルバムをきっかけに新宿・渋谷のジャズ喫茶を徘徊するようになっていったのだ。
因みにレコーディングは1958年の2月4日と3月4日。
パーソネルはマイルス・ディビスの他、ジョン・コルトレーン、キャノンボール・アダレイ、レッド・ガーランド、ポール・チェンバース、フィリー・ジョー・ジョーンズといった、淙々たるメンバーである。
WALTZ FOR DEBBY+6
Monica Zetterlund / Bill Evans
1964年スウェーデンはストックホルムで録音されたモニカ・セッテルンド(Jazzヴォーカル)のジャズアルバムである。タイトルから解るようにビル・エバンス・トリオとの共演盤となっている。オリジナル・アルバムには10曲が収録されているが2002年に再発売されたCDにはオリジナルの10曲にプラス5曲の別テイクとビル・エバンス(Jazzピアニスト)の鼻歌が一曲追加収録されている。それで、ビル・エバンスの鼻歌は何故か「サンタが街にやってくる」だ。笑いながら唄っているので、たぶん、遊び半分の余興であろう。まさか、ビル・エバンスも草葉の陰で自分の鼻歌がCDになるとは思ってもなかっただろう。生きていたら収録を許可しないだろうし、それに鼻歌だけでなく別テイクを発表されるのも嫌に違いないと思う。
Dexter Gordon (デクスター・ゴードン)の"GO"を初めて聴いたのは70年代、渋谷の道玄坂小路の台湾料理店・麗郷の向かいにあったJazz喫茶ジニアス(GENIUS)だった。
その時、偶然、僕が聴いたのはB面のLOVE FOR SALEだったと記憶している。スピーカーはJBLの4000番シリーズではなかっただろうか、その頃のJazz喫茶はJBLかアルティックのスピーカーの何れかだった。それでアンプがマッキントッシュが定番。そう、AppleがMacを作る遥か前にはマッキントッシュは憧れのオーディオアンプのブランドだった。スペルはMcIntoshで"i"が大文字である。またまた商標問題でAppleとApple(レコード)が揉めているけれど、McIntoshもそうだった。既に80年代に金銭的解決をしているが古いカタログにはMacintoshはMcIntosh Laboratoryから商標認可を受けていると書いてあった。
話がそれたが、Jazz喫茶でも頑固おやじがマスターの店はアルティックのA7が主役、店主が若い世代の場合はJBLが通り相場だった。
マイルスやコルトレーンばかり聴いていたその頃の僕にはDexter Gordon は良く言えば外連味のない、不器用なサックス奏者くらいの認識だった。その時の精神状態・体調によるものか、JBLのスピーカーによるものなのか"GO"のDexter Gordonのプレイは僕の彼に対する認識を覆すものだった。いや、認識は変らない、不器用で外連味のない演奏が僕の耳に心地よく聴こえたのだった。
持っている腕時計の電池が全て切れてしまい、近くのショッピングセンターに電池を交換に行った。電池交換してもらっているあいだ、新星堂のJazzコーナーを覗いてCDを物色した。プレステッジの廉価版定価1980円が更に15%オフになっていた。普段聴くのにCDが手軽で便利なのは判るけれど、殆どが聴いたことがあるか、LPで持っているものなので、今一つ積極的に買う気になれない。また、この次にしようと棚の下段を見ていたら懐かしい名前を見つけた。Miroslav Vitous(ミロスラフ・ヴィトウス)1960年代の終わりから70年代前半に活躍したJazzベーシストだ。70年代、ウェイン・ショーターとジョー・ザヴィヌルとのコラボレーション・ユニットのウェザーリポートを退団してから、あまりその名を聞いていない。好奇心と新し物好きに背中を押され買ってしまった。
タイトルは「UNIVERSAL SYNCOPATIONS」パーソネルはミロスラフ・ヴィトウス(b)の他、ヤン・ガルバレク(ss,ts)、チック・コリア(p)、ジョン・マクラフリン(g)、ジャック・ディジョネット(ds)が名を連ねている。チック・コリア、ジョン・マクラフリン、ジャック・ディジョネットは60年代を締めくくるマイルスの大作「ビッチェス・ブリュー」の参加メンバーだ。30年を超える時の流れの中でどんな風に何が変ったか、変らなかったか興味があった。
ミロスラフ・ヴィトウスが現在何処に住んでいるか情報がないので判らない、祖国・チェコ(スロバキア)に戻ったのだろうか、共演者のヤン・ガルバレクはノルウェー、レコード会社のECMはドイツ、少なくともヴィトウスのアイデンティティは米国にはないだろう。国籍の異なるミュージッシャンによるセッション、それもJazzの醍醐味の一つだ。
CDを聴いてたら、昔の演奏も聴きたくなった。最近は殆どアナログレコードを聴いていない。
レコード棚から三枚のLPを探し出した。CHICK COREA / NOW HE SINGS, NOW HE SOBS、MIROSLAV VITOUS / INFINITE SEACH(邦題:限りなき探求)、MIROSLAV VITOUS / PURPLEのLP三枚、何れもベースはミロスラフ・ヴィトウス。処女作「限りなき探求」に収録されているフリーダムジャズダンスが記憶から呼び覚まされ、もう頭の中でフレーズが鳴り響いてる。レコードジャケットからLPを取り出しターンテーブルの上に乗せる。スィッチを押し、レコードに針を落とす、もちろんレコードプレーヤーはマニュアルだ。ボリュームを上げ、スピーカーに耳を傾ける。バースからテーマがユニゾンで流れる。ハービー・ハンコックが演奏するフェンダーのエレクリックピアノにヴィトウスのベースが絡んでゆく。そうだ、このドライブ感が好きだったんだ。