June 02, 2005

ジャズは燃えつきたか

センセーショナルなタイトルが付けられたユリイカの1976年1月号である。ユリイカは翌年の1977年1月号でも「ジャズの彼方へ」を特集している。そしてカイエ(冬樹社)の1979年1月号では「ジャズの死と再生」と既にジャズは死んだものとして特集を組んでいる。そしてこの三冊全てのセッションに参加しているのは山下洋輔と評論家の清水俊彦、油井正一の三名である。
K君がどこかのエントリーに息子がNYに行ったけれどJazzなんかどこにもなかったとコメントしていたけれど、Jazzがダンス音楽であることを止めて地下に潜ったときから、それは当たり前のことであろう。1950年代の映画「真夏の夜のジャズ」はセレブでスノッブな白人を相手にしたニューポートジャズ・フェステバルの記録であるが、いみじくも聴衆の中の白人女性が「ジャズなんて嫌いよ」と語っている。所詮、アメリカでは一部のスノッブな白人の知性と寛容さを証明するためのアクセサリーか踏み絵くらいの存在でしかなかったのだろう。ジャズはアメリカが生んだ最高の芸術の一つであるといわれているが、そこには私生児を認知したくないけど認めざるを得ない植民者の複雑な思いが隠されているようにも思える。結局のところ、ジャズの理解者がヨーロッパや日本のジレッタントであったことを考えると、アメリカのマジョリティにとってジャズは存在しないも同然だろう。

ユリイカ1977年1月号

カイエ1979年1月号

Posted by S.Igarashi at June 2, 2005 09:11 AM | トラックバック
コメント

ん〜、ジャズ(もどき)やクラシック(もどき)でCDデビューするには美人(人工物可=もどき)であることが条件という音楽産業にとって、ちょっと小洒落て見えれば内容云々はどーでもよく、なまじ自己主張なんぞしてくれるな、といった類いのCDがジャズに分類され陳列棚に並べられているのを見ると、60年代をリアルタイムでジャズを聴いていたオヂサンはとても哀しくなります。

Posted by: iGa at June 6, 2005 11:49 AM

JAZZが身近な芸能から何かに変わった時から、という話は様々な定義と話題を呼びそうです。
小津やモダンアート、アフリカンフォークアートなども、私インテリよ、という単なる記号である場合が少なく無いと思われます。
彼等が本当に好きとは思えない時があります。

Posted by: kawa at June 4, 2005 08:41 PM

僕がJazzをリアルタイムで聴き始めたのが
80年代にはいってからです。
70年代は近くて遠い感じがします。
紹介されている「ユリイカ」、気になります。

Posted by: fuRu at June 3, 2005 04:46 PM