久々に「ほぼ日刊イトイ新聞」を覗いてみたら高平哲郎による『ジャズと、タモリと、70年代。そして、中洲産業大学』の連載が始まっていた。どうやら来週、催される「はじめてのJAZZ2」の前説も兼ねているようだが、既にチケットは完売しているので宣伝としての意味はない。そういえばタモリのCD再版もこのイヴェントに合わせての企画かも知れぬ。と云うことで、高平哲郎の選んだ入門者向けアルバムであるが、殆ど60年代から70年代初めのJazz喫茶の定番でもある。Miles Davisの『Bags Groove』は僕が初めて入ったJazz喫茶の「有楽町ママ」で掛かっていたレコードだ。つまりはJazz喫茶の定番スピーカーであるアルテックのA7で聴いた初めてのJazzでもある。Cannonball Adderleyの『Somethin' Else』の"Autumn Leaves"(枯葉)は秋ともなれば聴きくらべとして取り上げられるスタンダードの定番。高平氏は私より少し年上だが、やはり同時代の人間だから、殆ど同じようなものを聴いていたのが解る。因みに彼が植草甚一の残したJazzCollectionをタモリに仲介した本人である。ほぼ日のタモリ×山下洋輔×糸井重里の鼎談を読むと私とほぼ同世代である糸井重里はその頃はJazzをあまり聴いていないようである。米国ではウッドストックとかロックが全盛、日本ではフォークジャンボリーとかそちらが全盛、Jazzを聴いている連中は少数派、だったら面白がるしかないのであった...。
Posted by S.Igarashi at November 22, 2007 08:17 PMjunさん、どうもです。
ミスターJ.Jこと植草甚一氏は何度かお見掛けしたことがあります。
新宿厚生年金会館のMilesのコンサートとか、新宿小田急ハルク(現・ビックカメラ)裏のオザワレコードとかは想定内ですが、一番ビックリしたのは70年代まで原宿表参道にあったトスカーナ(イタメシ屋)で昼飯を済ませてドアを開けたら、目の前に植草甚一氏がいたこと。神出鬼没な爺さんでした。
「ジャズと、タモリと、70年代。そして、中洲産業大学」のなかで
『植草甚一さんというジャズ評論家が
雑誌『スィング・ジャーナル』で書いていた文章が、
大好きでさ。』 高平
というのがありますが、植草さんのは、文の入りや、切り口が面白くて、
私も大好きでした。後は油井さんや青木啓(ひらく)さんのもね。
植草甚一さんと言えば、一度も行ったことの無いニューヨークの
古本屋の話を、事細かく書ける変なおじさんでした。その後、
行かれたようですが。レコードのみならず蔵書の量も半端じゃな
かったでしょうね。
林檎家さん、どうも、それは、勘違いしそうですね。
そういえば"Eric Dolphy"の"Out To Lunch"のジャケットは硝子扉の内側に"WILL BE BACK"と書かれた時計の文字盤で戻ってくる時間を示すカードが掛けられていたけれど、時計の針の数が多すぎて何時に戻るのか皆目見当が付かない。(^_^;)
私が大学生だった頃、親友のY君が早稲田のダンモ研(モダンジャズ研究会)でレギュラーをやっていました。
その定期公演での司会がタモリだったのです。
これから、デレビに出ますよ〜!なんて、タモリが言っていたら、
本当に、その後、テレビに出て来たのでビックリした想い出が有ります。
ちなみに、その時のチケットのデザインを私が描きました。
目覚まし時計をモチーフにしたのは、良かったのですが、
その時計の針の位置と開演時間が違っていたのです。
(針の位置は、あくまでデザイン!)
最初は、随分、来場者が少ないなぁ〜と思っていたのです.....。
そしたら、時計の針の時間になったら、ぞくぞくと入って来て、
私は、深く反省しました(^^;)
チケットには、開演時間は書いて有ったのですが、
「絵」と言うのは、文字より印象に残るのだな〜、と思いました。
これも、昔の想い出です。