May 07, 2007

私のこだわり人物伝「マイルス・デイビス」

5月の私のこだわり人物伝は「マイルス・デイビス」と云うことで8日から4回に亘って菊地成孔の「こだわり」が語られるようです。
大辞林第三版によれば「こだわる(拘る)」は「心が何かにとらわれて,自由に考えることができなくなる。気にしなくてもいいようなことを気にする。」「普通は軽視されがちなことにまで好みを主張する。」「 他人からの働きかけをこばむ。なんくせをつける。」と云うように本来は良い意味で使われるものではありません。新明解国語辞典第五版では「他人はどう評価しようが、その人にとっては意義のあることだと考え、その物事に深い思い入れをする。」と「こだわり」を持つ人に些か肩入れをする表現となっています。そのように最近の傾向としてポジティブな意味としても使われるようになった「こだわり」と云う言葉ですが、常に第三者に対する「問答無用」のバリアーが影を落としていることには変わらない気がします。
さて、菊地成孔の「こだわり」とは何か、テキストを読んだ限りでは「マイルスが自分(菊地成孔)と同じ双子座であること。」その一点に絞り込んで、自分自身(菊地成孔)をマイルスに自己同一化し、持論を展開しています。従って菊地成孔に自己を投影できない者に、彼の「こだわり」はそれこそ鼻白む思いになりそうですが、、、。さて本放送は、、如何に。

そういえば菊地成孔について昨年のエントリーでcure jazzを評してピカレスクロマンと述べましたが、僕は彼がジャズを即興演奏する必然性をあまり感じません。彼のポストモダン的と云うか、何かデジャブに支配されたような心象風景的な音作りは映像を伴う映画音楽なら良いのでしょうが、自立した音楽として聴くと、私にはとても退屈で耐えられないのですが、、、。
まぁ...何れにせよ、彼が(時代に)『遅れてきた青年』であるであることは確かで...表現者として...悩ましい思いもあるでしょうね。

Posted by S.Igarashi at May 7, 2007 10:33 AM