October 01, 2005

The art of improvisation

The art of improvisation Keith Jarrett
これは8歳でコンサートにデビュー、今年で60歳を迎えたキース・ジャレットの半世紀に亘る音楽生活のドキュメンタリーである。2002年にニュージャージーのキース・ジャレットの自宅スタジオで行われたロング・インタビューを軸に彼の共演者やECMのマンフレット・アイヒャー、妻のローズアン、キースの弟、鯉沼ミュージックの鯉沼利成氏らへのインタビュー、それに時代毎の映像アーカイブを織り交ぜながら制作されている。インタビューに登場するミュージシャンはスタンダード・トリオのジャック・ディジョネットにゲーリー・ピーコックをはじめとして、アメリカン・カルテットのチャーリー・ヘイデン、デューイ・レッドマン、それにユーロピアン・カルテットのパレ・ダニエルソン、ヨン・クリステンソン、そしてゲイリー・バートンやチック・コリアである。
僕はキース・ジャレットのジャズへのデビューから数年遅れてジャズを聴き始めた。それはキースが才能を開花した時期でもあった。それからリアルタイムでキース・ジャレットの音楽に触れてきたことになる。そうした者にとって、彼の口から語られる一つ一つのエピソードが時代背景と共に蘇ってくる。キース・ジャレットがアーマッド・ジャマールを聴いてから本格的にジャズへの道を歩み始めたというエピソードには、マイルスがアーマッド・ジャマールのようにピアノを弾く少年を欲していた事に重ね合わせ、後にキースがマイルスに請われて彼のバンドに参加したのも何かの必然のようにも思える。

マイルス・グループへの参加について、キースはこう述べている。
>マイルスとやるためにピアノを諦めた?

いや マイルスに屈した(笑)
当時なら彼に屈しても許されただろう

彼はパリで僕のトリオを聴いた
バンド全員で来た
"どうやって弾いているの?"と聞かれて
"自分でも分からない"と彼に答えたんだ
何度か僕らを見た後 彼は"いつでもその気になったら"
"俺達とやろう"と言った

>マイルスと対話(セッションでのインタープレイ)しましたね

そうせずにはいられない 完璧な瞬間があったんだ リヴァーブとかエコーで

僕らはグルーヴを見つけようとしただけだ
彼はファンキーなグルーヴを探していた
よりファンキーになろうと
窓が解放されたような自由な状態さ
でも限界に挑んだというより
バンド全体が楽しんでいたよ
電子楽器は楽しむ物さ
オモチャだからね(笑)
僕も楽しんだよ
弾き慣れた楽器(ピアノ)は弾けなかったけれど

即興演奏についてキースは語る。

昔から一度として
即興が正当に評価されたことはない
即興は全ての能力を結集させた結果だ
リアルタイムの編集不可能な演奏で
あらゆる可能性に備えて全神経を集中させる
他の音楽ではあり得ない状態なんだ
僕の本質は即興だ
クラシックを演奏して分かった

最後にキースは自らの病気について語った。

>張りつめたあなたの音楽人生で犠牲になったのは?

自分の仕事を厳しく監督しすぎて
健康が犠牲になった
ヘルシーな仕事じゃないよ
一人で腹話術師と操り人形の両方になるのは不健康だ
健康な筈がない
そうやって生きるのは健康とは言えない

>1996年 音楽活動を中止

プレイできなかったピアノも見れなかった フタを開ける力もなかった 妻に言ったけれどエイリアンに 身体を乗っ取られた感じだったね ナッシュビルの医師がそう診断してくれた

97年12月にメロディ・アット・ナイトを録音した
クリスマス・プレゼントさ
家を出られないけど妻に何かあげたくて

僕は病気に"ここにいるのは分かったから受け入れる"
"でも仕事はするぞ"と言った
だから個人的な作品から始めたかった

発表する気はなかったけど 最初だったから 気持ちが複雑になってきたら中断したよ 曲作りに集中したかった 結局自分の病気を曲に転化したんだ

病気は教師だよ
より成熟すると
ああ 今の言葉は忘れよう
経験が増えるとより単純になるんだ
タイミングは単純の中の複雑性なんだ

1998年に録音、翌1999年に発表されたソロアルバム
"The Melody At Night,With Tou"はこうして生まれた。

そして映像はスタンダードトリオによるベーズンストリート・ブルースで終わっている。

DVDのボーナストラックには鯉沼ミュージックの鯉沼利成氏のインタビューが納められている。このトラックを余計だと批判する者もいるようだが、僕はとても懐かしく、そして楽しめた。
30年以上前、僕が初めてアイ・ミュージック(鯉沼ミュージックの前身)にチケットを買いに行った時は、まだ鯉沼氏は30代だったのだろう。まだ痩身で青年の面影を残す粋な好人物に見えた。
久しぶりにヴィデオで見た鯉沼氏は大橋巨泉に風貌も喋りかたも似ていたが、日本橋生まれは江戸っ子の旦那がそこにいた。江戸っ子の気遣いが30年以上に亘るキースとの信頼関係を育んできたのだろう。

そしてRadianceがレコーディングされたソロコンサートから3年ぶりに10月14日から21日までキースのソロ・コンサートのジャパン・ツアーが始まる。

Posted by S.Igarashi at October 1, 2005 10:29 PM