October 04, 2005

EASTWARD

最近ではキース・ジャレットのスタンダード・トリオのベーシストと知られているゲイリー・ピーコックであるが、彼が日本に住んでいた1969年から72年の間に2枚のリーダーアルバムを含め幾つかのLPレコードを日本に残している。1970年2月にレコーディングされた最初のアルバム"EASTWARD"は 菊池雅章のピアノ、村上寛のドラムによるトリオだが、企画の段階では富樫雅彦がドラムを務める予定であった。これは或る事件により富樫が負傷し断念された。富樫の代わりを務めた村上であるが、村上のマイルス・ディビス五重奏団のトニー・ウイリアムスの影響を受けたと思われるドラム奏法はピーコックと菊池による内省的な音楽には向いているとはとても思えなかった。そして翌年1971年4月には事件からリハビリ復帰した富樫雅彦をパーカッションに迎えゲイリー・ピーコック・カルテットとして"VOICES"をレコーディングしている。この"VOICES"がピーコックと菊池が求めていた音楽なのであろう。ここで村上は下半身が不自由となった富樫雅彦をサポートする役割に徹し、自分が前面にでることを押えている。その演奏態度を"EASTWARD"でもしていたらと考えると残念である。
さて、"EASTWARD"制作の切っ掛けとなったゲイリー・ピーコックの長期日本滞在であるが、東洋思想研究の為、秘密裏に京都洛外の貸家に住んでいた処を音楽関係者に発見されたと云う話が定説化され、ECMによるゲイリー・ピーコックのリーダーアルバム"Tales of Another"(キース・ジャレット、ジャック・ディジョネットの三人による初めてのレコーディング)のライナーノーツにも実話として記されているが、これが全くのガセネタなのである。"EASTWARD"のレコーディングに立ち合ったCBS-SONYの元プロデューサー伊藤潔氏の小文を読むまでは、私もそのガセネタを信じていた。

話は1969年6月に溯る。バークリィ音楽院の留学を終えて帰国した菊池雅章から「ゲイリー・ピーコックが日本にいるらしい」という話を聞いた伊藤潔氏が直感的にゲイリー・ピーコックと菊池雅章のレコードアルバムを作りたいと考えたのが事の発端である。すぐさま上司からレコーディング企画の許可を取り付けた伊藤潔氏であるが、ゲイリー・ピーコックが日本にいると云う情報だけで、どこに住んでいるのやら皆目見当が付かなかった。来日の目的も分からず、思い込みだけが先走り、きっと禅や東洋思想を学ぶために来ているのだから京都に住んでいるに違いないと、その年の初夏、京都に赴き禅を勉強している外国人はいないかと探索が始まったが、結果は何の手掛かりも得られず徒労に終わった。意気消沈して東京に戻ってから二週間ほどして有力な情報が伊藤潔氏の元に寄せられた。それは新宿のピットインにゲイリー・ピーコックが現れたと云うものである。ベースの池田芳夫が演奏を終え楽器を片づけようとしたとき、外国人がベースに触らせてくれと言ってきたので、名前を尋ねると「私ゲイリー・ピーコックです」と名乗り、驚く池田芳夫の前でベースを弾き始めたという。そのテクニックに一同我を忘れ唖然とし詳しい住所を尋ねることを忘れてしまった。
兎に角、東京は下落合辺りに住んでいることは分かり、再びピットインに現れるのを待つことになった。7月の終わりにゲイリー・ピーコックは再びピットインに現れ、ようやく住所が判明した。それは京都でも下落合でもなく西落合のこの辺りであった。
結局のところ京都に住んでいたというガセネタはTBSラジオで放送されたドキュメンタリー番組「ゲイリー・ピーコックを探せ」による演出に拠るところが大きいのだろう。先のECMレコードのライナーノーツも情報源がTBSラジオのドキュメンタリー「ゲイリー・ピーコックを探せ」である。番組的にはアメリカのジャズベーシストが禅を学ぶために京都に住んでいた方が都合が良いのだろう。好意的に見れば京都が似合うと云うことだろう。尤も、ゲイリー・ピーコックが京都に住んでいたと云うのも強ち嘘ではなさそうである。しかし、それは"EASTWARD"をリリースした後であろう。二枚目のアルバム"VOICES"を発表した前後、スイングジャーナルのグラビアに京都洛外の田舎家で暮らす家族三人が紹介されていたと記憶している。まさか、これもヤラセではないだろうが、、、。
と云うことで、私は1970年に銀座千疋屋の隣のビルにあったジャズクラブ"ジャンク"でゲイリー・ピーコック・トリオの演奏に接することができた。ゲイリー・ピーコックは私が初めて聴いた外国人ジャズミュージシャンであった。その前年にマイルス・ディビスの来日が入国管理事務所の許可が降りずに中止となり、当分の間、外国人ジャズミュージシャンは来日できないだろうと噂されていただけに、少しでも米国のジャズシーンに触れられる演奏は貴重であった。
Gary Peacock interview2004

Posted by S.Igarashi at October 4, 2005 01:37 AM | トラックバック