August 01, 2017

伝説へ...

ジャンヌ・モローの訃報を知ったのは昨日...その数日前にはサム・シェパードと...続けて映画人が亡くなった。

上記写真は「死刑台のエレベーター」のサウンドトラックLPと「突然炎のごとく」のLDだが、どちらもレガシーなメディアとなってしまった。映画公開されたのが小学生や中学生の時だから、当然リアルタイムでは見ていない。その後、成人してからも名画座で見る事もできず、1985年に「突然炎のごとく」がLDでリリースされたとき、ようやく伝説の映画を手にする事ができたのだった。今でも、iTunesStoreにはフランス映画少なく、両方とも置いてない。

因みに、ジェシカ・ラングとサム・シェパードが出演し、1985年に公開された映画・カントリーは世間的に云えば殆ど話題にもならず、興行的に失敗した社会派の映画だが、そこで告発された農業問題は...未だに解決されていないし、こうした映画が米国資本で制作されることは、最早ないだろう。これもiTunesStoreにありません。

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February 23, 2017

標的の島 風かたか

 クラウドファンディングでも資金を集めていたので僅かですが協力させていただいた映画・『標的の島 風かたか』が完成、公開されることになった。内容はこのチラシ裏面をご覧下さい。東京での上映はポレポレ東中野で3月25日からです。
22年前のこの事件も悲しくてやりきれなかったが、この映画に掛けた監督のメッセージを読むと、とてもヒトゴトと知らぬ振りなど出来ない。
いま、政府は2005年に廃案となった共謀罪を復活させようとしている。そんな時代だからこそ、この映画に意味が或る。これを書いているときも、横田基地を離陸した大型輸送機が私の仕事場の上空を爆音を残して飛び去っていった…。占領下の島国に生れた私にとって…「標的の島 風かたか」は私たちの問題でもある。

関連
July 07, 2005 現代版・治安維持法
October 15, 2005 21世紀の治安維持法か
October 20, 2005 「共謀罪」今国会、成立断念か?
April 27, 2006 別件逮捕と共謀罪
April 30, 2006 Murrow vs. McCarthy
May 19, 2006 転載・"WORLD PEACE NOW"
May 04, 2015 元米海兵隊員 アレン・ネルソン
May 03, 2016 2016 憲法記念日

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December 02, 2016

ふたりのヌーヴェル・ヴァーグ

Nouvelle-Vague.jpg

iTunesStoreで『ふたりのヌーヴェルヴァーグ・ゴダールとトリュフォー』を借りて観た。公式サイトによれば2011年に日本公開されたドキュメンタリー映画だ。それもミニシアターによる単館上映だったりで見逃していた。ジャン=リュック・ゴダールフランソワ・トリュフォーの二人はフランスで起きたヌーヴェル・ヴァーグの中心的存在であるが、その二人の監督の元で多くの映画に出演したジャン=ピエール・レオがこのドキュメンタリーの中心人物である。トリュフォーの分身とも云えるジャン=ピエール・レオを主役に据えたトリュフォーの「大人は判ってくれない」の公開が1959年、同年に制作されたゴダールの「勝手にしやがれ」の公開が1960年、そう云うことでヌーヴェル・ヴァーグ生誕50周年記念作品として2009年のカンヌ映画祭に出品された作品である。トリュフォーとゴダールが出合ったのが1949年、ヌーヴェル・ヴァーグの季節が終り、トリュフォーとゴダールが決別したのが1968年後半とか、丁度、私が生れて成人するまでの時の流れで云えば10代の時期がふたりのヌーヴェル・ヴァーグに対応しているが、私がリアルタイムで観られたのは、その季節も終わる頃だったようだ。
最初にリアルタイムで観たトリュフォーの映画は高校生の時にatg新宿文化で1967年に日本公開された『華氏451』だった。そして、その翌年の1968年に日本公開されたゴダールの『男性・女性』をやはりatg新宿文化で観た。主演はジャン=ピエール・レオであった。
ゴダールの映画を初めて観た1968年2月にパリにあったシネマテーク・フランセーズの運営を巡って時の文化相、アンドレ・マルローと政府に映画人や文化人が抗議デモ、その3ヶ月後に五月革命が…五月革命は知っていても、シネマテーク・フランセーズについては、こうしたドキュメンタリーフィルムを観なければ知らないことだろう。ヌーヴェル・ヴァーグに関して「遅れてきた青年」ならぬ「遅れてきた少年」だったが、一応その時代の最終章に滑り込むことが出来た世代だった。と云うことで、その時代を体験したり、映画の研究でもしていない限り、万人に薦められない退屈な映画だろう。

因みに私が見た映画は…
トリュフォーが…
大人は判ってくれない、突然炎のごとく、華氏451、黒衣の花嫁、アメリカの夜、アデルの恋の物語 、トリュフォーの思春期、緑色の部屋、終電車、隣の女…

ゴダールが…
勝手にしやがれ、女と男のいる舗道 、軽蔑 、アルファヴィル 、気狂いピエロ、男性・女性 、中国女 、ウイークエンド 、東風

このくらいか...

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August 25, 2016

R15+対策?


一年前、Facebookの秘密のグループ「映画鑑賞会」に投稿した映画「最後の1本 〜ペニス博物館の珍コレクション〜」だが、投稿したことすら忘れていたら「Huluで視聴しました」とのコメントが…もしかするとiTunesStoreにもあるかと、iTunesで検索すると候補にリストアップされるがリンクが繋がらずダウンロード画面にアクセス不能…上記の映画・公式サイトからは、ダウンロード画面にアクセス可能...これは15禁対策でしょうか?
参照「映画のレイティングシステム」

Posted by S.Igarashi at 12:06 PM | コメント (0)

July 23, 2015

イメージの闇鍋

ホドロフスキーのDUNE』が面白かったので、6月にiTunesStoreにラインアップされた『リアリティのダンス』もレンタルしたのだが、これもいつものようにレンタル期限終了間際の7月13日に見たのであった。つまり映画公開から一年目である。何の予備知識もなかったが、見終わった後でFacebookにこんなコメントを残した。『 iTunesStoreで借りていた「リアリティのダンス」を後22時間のレンタル期限終了間際で見た。フェリーニやら、白塗り暗黒舞踏風やら、寺山修司風やら、メキシコ万歳風ドクロやら、なんやら、かんやら、映像イメージの闇鍋と云った、訳の分らない変態的な処が面白かった。映画はこれで良いのだ。ホドロフスキーもフェリーニと同じ「正直な嘘つき」なのである。(2015/7/13)』
そんな訳で、見終わってから、あれこれと気になる処を調べてみた。先ずは映画の舞台となったホドロフスキーが12歳まで住んでいた南米はチリのトコピージャ(Tocopilla)である。


最後のシーンとなったトコピージャを去る桟橋のシーンであるが、上図のGoogleMap中央の「くの字」とも「ヘの字」とも見れる桟橋がそれのようである。最後のシーンのスクリーン右手に見える時計台が下図のstreetviewの時計台である。

それにしても周囲は草木一本も生えない禿山が海岸線近くまで迫り、僅かな緩い傾斜地に街が造られている。鉱物資源と鉱山が支える街、塀に描かれた緑に辺境の哀しさが漂う、ホドロフスキーの生家をStreetviewで見つけることは出来なかったが、此の地でウクライナからのユダヤ系移民の子は、その民族特有の風習から、こんないぢめにも遭っていたようだ。

トコピージャを検索したらリストアップされた松岡正剛の千夜千冊:アレハンドロ・ホドロフスキー/リアリティのダンス(1505夜2013年04月27日)を読んでみると、寺山修司もホドロフスキーを評価していたようだ、納得。70年代のatg(アート・シアター・ギルド)制作の映画を体験していれば、そう思うだろう。

骰子の目:ホドロフスキー23年ぶりの新作は社会や歴史に囚われた人を開放する「心の治療」の映画

Posted by S.Igarashi at 09:27 AM

June 12, 2015

ホドロフスキーのDUNE

昨年、渋谷のUPLINKで公開されていたときに見に行く機会を逸してしまったフランク・パヴィッチ監督によるドキュメンタリー映画「ホドロフスキーのDUNE」をiTunesStoreからレンタルして漸く見ることができた。デヴィッド・リンチの「デューン/砂の惑星」は1985年に日本で公開されたときに見ていたが、その約10年前の1975年にアレハンドロ・ホドロフスキーの手によって『DUNE』の映画制作が企画されていたことは昨年までは知らなかった。上記画面のホドロフスキーの手元に置かれている分厚い本がジャン・ジロー=メビウス(Moebius)と共に作成したカット割りを記した絵コンテとキ登場人物のキャラクターを描いたイラストや舞台設定の背景画等をまとめたストーリーボードである。SF映画の金字塔といえば1968年公開の"2001: A Space Odyssey"であるが、その後制作されたSF映画に多大な影響を与えたものは、"2001: A Space Odyssey"と云うよりも、寧ろ幻の映画となってしまった「ホドロフスキーのDUNE」だったのである。美術や特撮、音楽などの制作スタッフの選定から登場人物のキャスティングまで個性的過ぎるキャラクターが並び、見ているだけで愉快になる。これは1970年代の商業映画とカルトムービー(或いは芸術映画)を巡る葛藤を描いているが、ホドロフスキーが敗者に成った訳では決してない。「ホドロフスキーのDUNE」のミームは「エイリアン」や「ブレードランナー」「スターウォーズ」の中に生き続けているのである。そういえば、80年代、六本木WAVEと青山ブックセンターが僕の夜の散歩の定番コースだったが、青山ブックセンターで良く眺めていたメビウスの大型本が「ホドロフスキーのDUNE」から派生したコミックだったのだ。90年代初期のマルチメディア黎明期に買ったCD-ROM-bookにメビウスのイラストが用いられた未来世紀ブラジルの特集号があった筈だが…OSのUpdateによって視聴できなくなってから行方知れずのままである。

その後、二人はコミックの原作者と画家という関係が続いたが、メビウスはこのドキュメンタリー映画が製作される前年の2012年に亡くなっている。

この皇帝の役を誰にするか…ダリしかいないだろう…

…そうです。因みに隣にいる女性はアマンダ・リア...どんな女性かは...アマンダ・リア/サルバドール・ダリが愛した二人の女を...

この登場人物への出演公称は食べ物で…一件落着…う〜ん、因みに、私はこの人と誕生日が同じなのね。気をつけよう…。

関連
H・R・ギーガー

アレハンドロ・ホドロフスキー 日本語オフィシャルサイト

Posted by S.Igarashi at 01:10 PM

April 29, 2015

世界はたくさん、人類はみな他人

arayashiki.jpg

「世界はたくさん、人類はみな他人」と云う、この映画のキャッチコピーいいね。これは大乗の思想ではないでしょうか。そういえば公営賭博による寺銭の既得権益を手中にした誰かさんが、公共電波を使って一家だの兄弟だのと、もっともらしく言っていたけど、それって渡世人の世界と同じ…、故に…重しが外れた途端に争い事が絶えない訳で、近現代史にその事例は有り余るほど…。
追記5月1日の東京新聞夕刊社会面に四段抜きで紹介されてました。

Posted by S.Igarashi at 10:00 AM | コメント (0)

April 27, 2015

ドラマロケ...

昨年暮から今年の1月に掛けてテレビドラマ(29日放送)のロケが行なわれた場所である。そのシーンの一つがこれらしい。物語の舞台は前橋周辺に高崎辺りの北関東らしいのだが、このマンションがドラマでどう使われているか分らないが、ここは群馬ではなく八王子の山里である。尤も映画やテレビドラマでは遠く離れた場所でも空間をワープさせて無理矢理近づけることは常識の様ですね。
このマンションの建っている辺り、私が小学生の頃は畑でした。この道は幅が一間程度の農道で、その左は雑木林で丘陵から山間部と変わる境界線でもありました。その雑木林も今ではこの写真にあるような建て売り住宅が並んでいます。この道路の正面にはこの霊堂の尖塔部分が見えてしまうので、カメラアングルには気を使ったかのかなと思います。
今年1月の夕刻、買い物からの帰りにロケに出会したことがありましたが、この道の手前を左折して次の丁字路を右折すると私の住んでいる谷戸に降りますので、マンションの前を交通規制していても無問題でしたが…どうやら私が遭遇したロケの現場に富司純子さんもいたようですね。
追記:どうやら撮影協力は無視されたようです。

と云うことで、全部ではなく確認の為にところどころと最後のエンドロールだけ見ましたが、高崎市の皆様とか、撮影協力として川越市、秩父市とかはありましたが、八王子○○町会の皆様とはありませんでしたね。と...するとこれは口止め料でしょうか、昔々、獅子舞を取材しに来た時はタオル一本でしたから、時代も変わりましたですね。まぁ...町会でも警察署の協力を戴いて防犯対策とか行なっているのに…DV犯罪現場のロケとは…後味悪くて残念でした。

Posted by S.Igarashi at 10:25 AM | コメント (4)

March 17, 2015

イミテーション・ゲーム

Turing.jpg

アラン・チューリングとチューリング・マシンについては、その名前を知っているぐらいで、それ以上の事は殆ど情報を持たぬまま、映画『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』を観た。前日まで二日続けて呑む機会があったので、上映中で爆睡してしまわないか自信がなかったが、最初から最後までスクリーンに釘付けで、久しぶりに面白い映画を観た。ストーリーや内容については公式サイトに詳しいので省くが、第二次世界大戦を諜報活動の側面から捉えた映画はこれまでもあったが、2012年にはチューリングの生誕100年を迎え、その翌年には正式に名誉回復されることになり、それに併せて映画が製作されたようだ。チューリングの複雑な人格を演じたベネテクト・カンバーバッチに対して、少年時代を演じた子役との差に違和感があったが、ウィキペディアに掲載されている彫像を見ると、校長から呼ばれ友達の死を伝えられる場面の少年時代のチューリングが動揺して小鼻を膨らませ嘘を付くシーンの子役と似ていると思える。それなりに考えられたキャスティングをしているようだ。そういえば2012年6月23日のGoogleのチューリング・マシンを模したトップ画面をキャプチャーしていたことを思い出した。これだ。

暗号を解読しドイツ軍の情報が手に取るように解った後、情報は全てMI6の管理の元に置かれ、ドイツ軍に暗号解読が気付かれないように連合国の作戦は立てられた。つまりは最終的な勝利の為には自軍の犠牲も厭わないということだ。そしてドイツが降伏した後…暗号解読に関する情報は全て焼却処分された。
似たようなことは太平洋戦争に於ける日本海軍の真珠湾攻撃も米国は暗号を解読し情報を得ていたとされている。日本軍にやりたいようにさせて、米国民の反日感情と世論を味方にしたてた。既に日本海軍の動向を手中にしていた米軍はミッドウェー海戦で日本海軍に壊滅的打撃を与えることに成功…その為に真珠湾で犠牲になった人の命等、米国政府にとって想定内のことである。国家というものはそうしたものだ、最初に犠牲になるのは自国民である。

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February 07, 2015

ミトン

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2013年の夏休みの期間に合わせて八王子市夢美術館で開催された「チェブラーシカとロシア・アニメーションの作家たち」で観た『ミトン』がiTunesStoreからDownload版を購入できるようになった。短編のHDで300円と価格も手頃、DVDにはちょっと手が届かないが、これなら気軽に買えそうです。殺伐とした世の中ですが、ちょっとホッコリしたアニメで気分転換なぞ…如何でしょうか。

iTunesStore:ロマン・カチャ―ノフ短編『ミトン』
Amazon:ミトン+こねこのミーシャ〜ロマンカチャ―ノフ短編集〜 [DVD]

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December 26, 2014

Fury

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映画・Furyを観た。ストーリー性は薄く、唯々、戦闘シーンが続き破壊と殺戮がくり返される戦場をライブ感覚で映像化している。キャタピラの壊れたシャーマン戦車で300人のドイツ軍相手に玉砕した四人の兵士と一人生き残った兵士に自己投影することもなく、傍観者としてスクリーンを見つめていた。映像と音だけだからまだしも、これに臭いと温度湿度が加わったら映画館の中は観客の吐瀉物で汚されてしまうだろう。
子供の頃、銭湯で聴いた老人の戦争自慢話に軍刀で捕虜を試し斬りする話があったが、何処の戦場でも似たようなことが行なわれていたようだ。人を兵士に仕立て上げ残忍性を与え殺人に向かわせる為に憎悪と差別の感情を植え付けている。
 辺見庸が通信社にいた頃、戦場取材の体験を書いたエッセーの中で銃弾で吹き飛んだ肉片を赤い薔薇の花に喩えていたが…似たような映像を見て、成程…こう云うことかと…妙に納得してしまった。生きるも地獄、死ぬも地獄、生還しても生涯、心の傷は治ることはないだろう。
aki's STOCKTAKING:F U R Y
追記 プラモデルでも人気のあったのは独軍Tiger戦車で米軍シャーマン戦車は人気薄…そんな映像が...『フューリー』メイキング映像(ティーガー戦車:INTO THE TIGER'S JAW)

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November 28, 2014

ストックホルムでワルツを

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WALTZ FOR DEBBY(Monica Zetterlund / Bill Evans)で極く一部のJazz-Maniaには知られているモニカ・ゼタールンド(Monica Zetterlund )の伝記映画が明日から公開されるらしいですよ。それにしても、なんとなく1960年代を意識しているような映画タイトルのロゴであります。因みに再版されたアルバム(ワルツ・フォー・デビー+6)はオリジナルに6曲追加されたものです。

Posted by S.Igarashi at 11:01 AM | コメント (3)

August 23, 2014

映画・陸軍登戸研究所

1941年(昭和16)7月8日の陸軍による空撮写真である。敗戦後、同じ場所を1947年(昭和22)9月16日に米軍による空撮写真もあるが、写真のクォリティに随分と差がある。現在の明大・生田キャンパスが旧・陸軍登戸研究所の跡地である。

先日、石上さんに借して戴いたDVDの映画・陸軍登戸研究所を観た。2012年に公開された映画は180分と云うことだが、DVDは二枚組で前編が2時間半、後編が1時間半と合計4時間(240分)と劇場版よりも1時間長い。全編を通して登戸研究所に関わった人々の時代の証人としてのインタビューが延々と続く。インタビュアーは批判も肯定もせず登戸研究所で体験したことを聴き出す事に専念している。殺人光線の開発をしていた老人の上機嫌な話しぶりには、嫌悪感さえ抱くが、そうでなければ口を塞いだままだろう。中には棺桶に入るまで沈黙を守ると云う老人もいる。時代の叡知を集めた研究所と云うが、今の時代から傍観すると漫画じみたその研究内容には呆れるばかりだが、自由が奪われ国家に隷属し、何も考えなくなった日本人の姿が其処にある。それは今でも大して変わらない、原発再稼働とワンセットになっているリニア新幹線計画も似たようなものだ。
一つ気になったのは『陸軍登戸研究所の真実』の著者・伴 繁雄の夫人へのインタビュー、病床にありながら最後の力を振り絞って「陸軍登戸研究所の真実 」を書き上げる夫を看病し、死後も...出版まで献身的努力を惜しまなかったと思われるが、夫人への最後のインタビューの時、居間の壁にあった夫の写真が外されていた。積年の思いが….そうさせたようだ。
関連登戸研究所の思い出(ある若手研究員の記録)

Posted by S.Igarashi at 09:28 PM | コメント (0)

July 11, 2014

ダージリン急行

一月ほど前にiTunesStoreの「100円レンタル・今週の映画」で借りた『ダージリン急行』の30日のレンタル期間が終わりそうなので「アルゼンチンvsオランダ」の試合が終わった後、ダウンロードしたムービーが消える前に慌てて観た。この映画、コメディ・タッチのロードムービーらしいので借りたのだが、監督には特に関心もなく、後でaki's STOCKTAKINGの記事で「グランド・ブダペスト・ホテル」(観てないが...)の監督であることを知ったくらいである。
と云うことで、列車内で問題ばかり起こしている兄弟三人がダージリン急行から追い出されたインド西北部の辺境の村で潅漑用水路で溺れた少年たちを助けた下りで…この集落建築の塗壁の色彩が...なんとも素敵だった。と云うことで、肝心のストーリーよりも、こうしたロケ地のディテールに目が奪われてしまうのである。

Posted by S.Igarashi at 12:01 AM

March 19, 2014

Jimmy Murakami

JTmurakami.jpg

18日・朝刊の訃報が目に留まった。故人の名前は記憶していなかったが、このジミー・テルアキ・ムラカミこと村上輝明氏(Jimmy Murakami)はアニメーション映画「風が吹くとき」の監督だった人だ。それからThe Snowmanの監修(supervising director)もしていたそうだ。そういえば昨年末に「スノーマン」とその続編の「スノーマンとスノードッグ」をEtvで放送していた。
Jimmy Murakamiが少年時代を日系人強制収容所で過ごしたことも知らなかったが、制作活動の場を西海岸のハリウッドではなく、アイルランドに移したことも何やらが気になる。何れにせよ「風が吹くとき」も「スノーマン」もハリウッドでは出来ない作品だろう。合掌。

Posted by S.Igarashi at 02:39 PM | コメント (0)

January 14, 2014

How much does your building weigh, Mr. Foster?

24日までアップリンクで上映している『フォスター卿の建築術』をAppleのiTunesStoreからDownload購入した。(残念ながら、現在の処レンタルはされていない。)まぁ、山里から渋谷までの往復交通費と入場料を合計すると大差がないからである。Norman FosterといえばRichard RogersRenzo Pianoと並ぶ所謂ハイテク(High-Tech)建築の三巨匠の一人であり、最近ではApple Campus 2の設計でも知られている。原題の"How much does your building weigh, Mr. Foster?"はNorman Fosterが、彼の師でもあるRichard Buckminster Fullerをセインズベリー視覚芸術センターに案内した後でフーラーから質問された言葉である。ノーマンは述懐する『私は答えを知らなかった。』答えに窮したノーマンは一週間後に答えを出す。『5328トン その大半がコンクリート基礎部分だ。』重さを調べる過程でしみじみ感じた。『重さの殆どを地味な部分が占めている。面白い発見だった。』…と。

それは、もしかするとノーマンがマンチェスターの労働者階級の出身だったから余計にそう感じたのかも知れない。これが彼が育った部屋から見える風景だった。

だが線路をくぐると、街路樹と一軒家が並ぶ中産階級の住宅街。ノーマンはその境界を越えるべき人だった。…と映画では語られている。

映画では紹介されていないが私が雑誌で初めて見たノーマン・フォスターの仕事は1965年のBrumwell House Cornwallである。1969年にRIBA Awardを受賞しているから作品が日本に紹介されたのは恐らくその後、1970年代だろう。

映画を観る楽しみを奪いたくないので、これ以上の記述は避けるが、全体を通して観るとJobsがMr. FosterにApple Campus 2の設計を依頼したことが良く解る。

Posted by S.Igarashi at 09:23 AM | コメント (2)

July 19, 2013

日没を愛でる暖炉

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5年前のエントリーで軽蔑の舞台・マラパルテ邸を取上げたが、この「火のない暖炉」については書かなかった。domusによるAdalberto Libera e Villa Malaparteには平面図に室内透視図と写真も掲載されているが、軽蔑のワンシーンの様に暖炉がピクチャーウィンドウになっている事までは確認できない。リベラは初めから、この様に考えていたのか、途中で計画変更したのか不明だが、薪を置く場所は有るが、煙突らしきものは何処にも見当たらない。暖炉が南西に向いているので、冬至くらいには日没の太陽光が暖炉から差し込むかも知れない。軽蔑は1963年の作品、ゴダールは二年後の1965年に「気狂いピエロ」を発表している。「気狂いピエロ」のラストシーンでランボーの詩「永遠」が引用されているが、夕日を暖炉の火に見立てた...かも知れないマラパルテ邸から思いついたかは...不明。



と云うことでVectorWorksの太陽位置設定機能を用いて冬至の日没をザックリと検証。
マラパルテ邸の座標位置は北緯40度32分44秒東経14度15分37秒、北緯は日本の秋田と青森の県境くらい、VectorWorksのレイヤーにGoogleMapとマラパルテ邸の平面を貼付け、建物に直行する角度の時間を見ると午後2時10分、太陽高度は19.42°だ。冬至の日没は午後4時すぎくらいだろう。暖炉の向かい側にある彫刻は夕景の光に映えることだろうか。この居間は南側は寝室で塞がれ、日の出と日没を愉しむように東と西にピクチャーウィンドウが設えられている。尤も屋上には「ソラリウム」があるから...それが効果的なのだろう。

Posted by S.Igarashi at 10:47 AM | コメント (0)

June 22, 2013

2010

iTunesStoreで1984年制作の映画「2010: The Year We Make Contact」をレンタルした。ロイ・シャイダー演じるフロイド博士が使用しているApple IIc(with the Apple Flat Panel Display attached)の登場シーンがこの浜辺だけで、僕が観た劇場版では自宅で使用しているシーンもあったと記憶しているのだが...115分のレンタル版はどうも尺を短く編集されているらしい...Amazonで調べて見ると126分のワイド版もあるから僕が観た劇場版はそれらしい。ところで、既に2010年から3年過ぎ、未だ人類は木星まで到達してないが、ハンドヘルドなパーソナル・コンピュータはアーサー・C・クラークの想像を超えているようである。

Posted by S.Igarashi at 10:50 AM | コメント (2)

May 16, 2013

ふたりのイームズ

EAMES.jpg

映画「ふたりのイームズ・建築家チャールズと画家レイ」を観てきた。ふたりのイームズが作った映画はこれまでに何度かフィルムとかLDやDVDになったものも観てきたが、ふたりのイームズをテーマにしたドキュメンタリー映画を観るのはこれが初めてだ。今まで特にチャールズ・イームズ(Charles Ormond Eames, Jr )のバイオグラフィーにまで関心を寄せてなかったので知らない事も多く興味深かった。サーリネンとの関係も改めて、2001年8月に東京都美術館で開催されたイームズ・デザイン展の図録やネットで調べ直して納得する有り様。この映画は手元に資料を置いてDVDでじっくり見るのが向いているかも知れない。

デザインとは"スタイル"ではなく、問題を解決してより良い世界を築いてゆくものだ。
成形合板を用いた椅子のデザインのルーツはアールトにあるかも知れないが、二次曲線から更に三次曲面にまで発展させ、少ない材料で軽量化と充分な強度を得ることに成功したイームズチェアーはmasaにデザインが問題解決することを証明している。
映画には意外な建築家が登場している。一人は建築家のケヴィン・ローチ。彼の語るエピソードによれば彼はイームズ夫妻に食べ物の恨みを未だに持ち続けているようだ。もう一人は今ではTEDの創立者として有名になってしまったリチャード・ソール・ワーマンもキャリアのスタートは建築家だが、情報の建築家として、時代的には早すぎたハイパーテキストの実践者でもあったイームズを継承していると云える。

チャールズ・イームズの人間的な側面を表わしているのが、嘗ての愛人へのインタビュー...確かMITの出身の才女...チャールズはレイと別れて...二人でニューヨークでやり直そうとプロポーズしていたが...彼女はレイとの友情を裏切れないとプロポーズを断ったそうだが...その愛人もチャールズからの手紙は全て保存、レイも結婚前のチャールズからの手紙は全て保存、チャールズと云えばレイからの手紙は前夫人の目に触れぬよう全て処分...どうやらチャールズは自分を鼓舞してくれる創造の女神が傍にいないとダメな男のようだ。何れにせよ、人は自分が作り出した自己の延長物に支配されていると感じ、其処から逃走したくなるのかも知れない。レイも画家としてのキャリアをリスタートしたいと考えた時期もあったようで...傍で見ているほど人生順風満帆とはいかないようだ。それでもレイは前妻の子(ルシア)や孫(デミトリオス)の面倒も良く見ていたようだ。

関係者等
エリエル・サーリネン(Gottlieb Eliel Saarinen)
エーロ・サーリネン(Eero Saarinen)
ケヴィン・ローチ(Kevin Roche )
リチャード・ソール・ワーマン(Richard Saul Wurman)(日本語の情報が少なすぎる。)因みにチャールズの前妻の旧姓もキャサリン・ワーマンであるが...これは偶然だろう。
arts & architecture:Case Study House

関連エントリー
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コンピュータ・パースペクティブ
HOUSE OF CARDS

Posted by S.Igarashi at 10:13 AM

October 04, 2012

ニッポンの嘘

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7月29日に三原橋の銀座傳八に行ったとき銀座シネパトスのポスターで知ってツイートしたのは良いが、8月、9月と時が過ぎ、新宿のK's cinemaで明日・午前の回で上映終了となるニッポンの嘘を漸く、滑り込みで見てきた。噂に違わず、無理をしても見て良かったと思えるドキュメンタリー映画であった。福島菊次郎が報道写真家として生きる切っ掛けとなった『ピカドン ある原爆被災者の記録』の撮影に於いて、被写体となる原爆被災者に寄り添い、向き合い、シャッターを切る。フィルムに現実を晒し露にする時、写される方も、写す方も互いに精神的に無傷ではいられない。その現実的な重みを押しても表現しなければいけないもの、まさにそれがニッポンの嘘なのだ...。映画は日本の欺瞞に満ちた戦後史を描いているが、それは現在も原発行政、オスプレイへと連鎖している。3.11以降、各地で反原発抗議行動が起きているが、祝島での島民による反原発抗議行動は毎月曜日、27年間も続いていると云う...私たちが知らなければならない事がこの映画に描かれている。
因みに東京ではその後、下高井戸シネマにて12/1(土)〜12/14(金)の日程で公開されるそうである。

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September 19, 2012

ル・コルビュジエの家

corbusier.jpg
ル・コルビュジエが南米アルゼンチンに設計したクルチェット邸を舞台にした映画...。
隣の女」と云うのはフランソワ・トリュフォーの映画にあったけど、この映画の原題の"El hombre de al lado"はスペイン語で「隣の男」の意味らしい...何れにせよ「隣人は、選べない」ノダ。
新宿はK's cinemaで10/5まで上映中。『ニッポンの嘘』も午前中の回だけ上映しているので映画のハシゴでも...と思うのだが...先ずは見逃さないように忘備録。

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April 19, 2012

ロケ地跡...


こちらの映像のロケ地の現在の状況ですが、正面に有った建物は解体撤去され、その場所に駐輪場と高低差を利用して下階は駐車場に...。ところで...昨日の授業中...外が騒がしいと思ったらこの男がロケか何かに来てたらしく...付属の高校生に...「あの、いい加減なオジサンの?」と聞いたら...「そうです。」.....ん〜...

Posted by S.Igarashi at 09:23 AM

March 22, 2012

ワープする空間...


iTunesStoreでレンタル開始された『人のセックスを笑うな』を借りて観た。映画の中の美術学校のロケ地になったのはここの杉並キャンパスですが、場所の設定は北関東らしく、ロケは桐生市や深谷市でも行なわれたようです。エンドロールのタイトルバックにも使われている校舎屋上は北関東にある建物のようで...地元の人なら山並みで何処か分かると思いますが...映画の屋上と校庭とは異次元をワープして同一空間となっているようです。美術学校のロケ地は映画のタイトルもあって難航したようで...軒並み断られ...最後で望みの綱が繋がったようです。従って場所の設定から、大学周辺とか校門とか...どう見ても北関東らしくない場所は撮影されてません。恐らく打診して断られた筈と思いますが...、風景やら地形などから判断すると...この映画のロケ地として相応しいのは図書館が建つ前の多摩美の八王子キャンパスでしょうね。因みに画面の校舎は既に耐震建替工事で撤去され現在は駐輪場に駐車場と広場になっています。
映画は、最近の漫画のコマ割りの影響か矢鱈とカット割りを多用するテレビドラマや商業映画とは真逆に、芝居臭さを極力消した台詞廻しとか、ワンシーン・ワンカットの長回しとか、この2時間17分の映画はマシンガン的な演出手法に慣らされた観客から見ると退屈極まりないものかも知れませんが...リアルな時間の流れは...もっとゆっくりしたものでしょう...。

Posted by S.Igarashi at 11:01 AM | コメント (4)

February 22, 2012

Chernobyl Heart


iTunesStoreでレンタルされるようになったチェルノブイリ・ハート(字幕版) を借りて見た。
映画はチェルノブイリ原子力発電所事故から16年経ったベラルーシやウクライナで起きている健康被害について描いた2003年度アカデミー賞ドキュメンタリー部門オスカー受賞作品「チェルノブイリ・ハート」の他に事故から20年後、爆心地から3キロ離れたアパートに住んでいた青年が廃墟となった嘗ての住居を訪れる短編ドキュメンタリー「ホワイトホース」も含まれている。因みに「チェルノブイリ・ハート」とは原発事故後に若年者に多発している心臓疾患を指す。育児放棄された先天性障害児が収容されている遺棄乳児院「ナンバーワン」を取材した映像は10年前のものであるが、果たしてその内、現在でも生存している乳幼児がどれ程いるのだろうか...そう考えると見ていてやりきれない想いが残る。僕が子供の頃、ヒロシマやナガサキ、そしてビキニ環礁での核爆発による先天性障害児の写真はグラフ雑誌で公開されていたが...いつの間にかそうした写真や映像は可視化されなくなり、現実に起きている事に我々の社会は目を向けなくなった。
公式サイト
そういえばチェルノブイリ原発事故から20年目に下記のエントリーをしていた。
1986.Chernobyl nuclear power plant.2006

Posted by S.Igarashi at 01:44 PM | コメント (3)

February 18, 2012

再・更新・100,000年後の安全

映画『100,000年後の安全』

再更新100,000年後の安全(字幕版)がiTunesStoreでもレンタル開始(400円)。未だ観ていな人は是非...
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渋谷・UPLINKでの上映は見逃してしまったが、7月初めから下高井戸シネマで上映されるようだ。今度は見逃さないように...しよう。
池田香代子ブログ:核の文明を問う 映画「100,000万年後の安全」
ん...下高井戸シネマではこの映画も上映するのか...。
追記:東京都写真美術館にて7月16日(土)〜8月12日(金)の間、開催される「アップリンク・アースライフ・シリーズ特集上映」でも上映されます。見逃した方はこちらへ....「レイチェル・カーソンの感性の森」「未来の食卓」「セヴァンの地球のなおし方」 等も上映。(June 22, 2011)

Posted by S.Igarashi at 10:33 AM | コメント (6)

January 21, 2012

風が吹くとき

もしやと思い、昨年暮にiTunesStoreで借りていた「風が吹くとき」の有効期限を見ると「あと1時間」...となっていた。
と云う訳で200円のレンタル料金を無駄にしないようiPadからAirPlayストリーミングを用いて居間のTVに繋いだApple TVで見た。内容はプレビューの解説にある通り、東西冷戦下の核戦争を素材にしている。SFの終末モノとは一味違い、年金暮らしの典型的な老夫婦の日常を襲った核戦争の現実を淡々と描いている。
芸能ゴシップ記事には興味はあるが新聞も読まないしラジオニュースも聴かない妻、新聞を読み、ラジオニュースも聴くが、政府の方針に疑いを持たない夫。云わば為政者にとってこれ以上、都合の良い国民はいないだろうと思わせる人物設定、政府を信じ、神に救いを求めても...。
3.11以後...メディア・リテラシーの重要性に気付いた人が...どれだけ増えたか定かではないが...。そういえば...正月、一年ぶりに会った兄は...昨年、新聞をサンケイから東京に換えたと言っていた。

Posted by S.Igarashi at 10:53 AM | コメント (4)

September 12, 2011

BLADERUNNERのATARI


先週木曜日の昼過ぎにテレビ東京でBLADERUNNERの日本語吹き替え版を放送していた。BLADERUNNERは80年代に買ったLDの劇場公開版とDVDのDirector's cutを持っているが、日本語吹き替え版がどんなものか興味半分で途中まで見た。益田喜頓に似た屋台のオヤジの台詞がオリジナルと違っていたりとかで、興味を削がれているうちにウトウトしてしまい、気付いたらATARIのネオンのある街頭シーンに変わっていた。
ATARIといえば、ATARIの実機を最初に見たのは表参道の河合楽器の地下フロアだった。初代のMacと同じMotorolaのMC68000が用いられたマシンはMIDIを内蔵、どちらかと云えば音楽とゲームに特化していた。アラン・ケイの知的遺産によるユーザーインターフェースもメニューバーとプルダウンメニューによるものだが、微妙にマウスのレスポンスに違いがあった。あれから二十数年経ち、既にPCの生産はしていないが、嘗てウォズやジョブズも働いていたATARIと云う会社はゲームに特化し、iPhone Appも提供する等、しぶとく存命のようですね。

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June 24, 2011

Micmacs

Micmacs.jpg

先月、akiさんから面白いよと教えられたのだが、iTunesStoreからレンタルする前に、先ずはサークルKサンクスでiTunesCardを手に入れてからとのんびりしてる間に一月近くが...経ってしまった。ジャン=ピエール・ジュネの『デリカテッセン』は観てないが、『アメリ』と『ロング・エンゲージメント』は観ているからこれで3本目ということになる。ん〜...やっぱり制作にアメリカ資本が入ってないと...妥協せずに...やりたいことをやってる印象を受ける。資本家を罠に掛けると云うプロットはジョン・ランディス監督の米国コメディ映画・大逆転とも共通するが...この映画はコメディの一語では括れない現代の『寓話』だろうか。そのホラ話を成立させるために様々な仕掛けやカメラワーク、演出を駆使してエンターテインメントに仕上げているのだが...其処が文句なく面白い。それにしても....なんだか...二人の武器商人が...電力会社幹部や原発マフィアに見えてきた...その共通点はどちらも他者に犠牲を強いる差別主義者であることだろう。

Posted by S.Igarashi at 09:00 AM | コメント (2)

May 30, 2011

My Back Pages

My Back Pagesと云えばBob Dylanが1964年に作詞・作曲した曲だが、私にとってはAtlantic Label系のVortexからリリースされたKeith Jarrett Trioの1968年のアルバム・Somewhere BeforeのA面一番の曲として聴いたのが初めてであった。
昨日の篠田博之氏による東京新聞のコラム「週刊誌を読む」に『「古傷」映画化 なぜ大宣伝/深謀遠慮、風化...朝日の思惑は...』と映画『マイ・バック・ページ』が取上げられていた。この映画も川本三郎の原作も(金を払ってまで)見るつもりも読むつもりもないが、原作の素材となった事件は...確かそんな事があったと...記憶に残っているが、その当事者の一人が川本氏であったことを知ったのは数カ月前に読んだ雑誌の記事ではなかったかと思う。それにしても週刊朝日3月25日号でも原作のタイトルに使われたBob Dylanの詩のリフレインについて言及されていないし...。まぁ、こんな手垢に塗れた紋切り型の括り方を読むと...やっぱりマスメディア側(マスコミ村)にいた人間だなぁ〜と白けてしまうのだが...。
Bob Dylan - My back Pages
Keith Jarrett Trio - My Back Pages
追記:数カ月前に読んだ雑誌とは3/15発売の週刊朝日・緊急増刊「朝日ジャーナル」の川本三郎と中森明夫の対談でした。とかげの尻尾にされた川本氏に対し弁解の機会を与えるのはマスコミ村・大字朝日新聞の損失補填でしょうか。

Posted by S.Igarashi at 01:39 PM | コメント (2)

April 13, 2011

サクリファイス

津波によって全てを失われ荒涼とした風景の写真を見ていると遠い記憶のイメージが蘇ってきた。それはチェルノブイリ原子力発電所事故の二週間後、スウェーデンで一般公開されたアンドレイ・タルコフスキーの遺作となった映画『サクリファイス(犠牲)』である。その黙示録的なテーマとイメージは、現在、我々の置かれた状況と重なり合う。それはパンドラの箱を開けてしまった人類への警鐘である。
ピーター・グリーンの著作『アンドレイ・タルコフスキー―映像の探求』の第八章『サクリファイス』の書き出しはこう始まる。

ギュンター・グラスによる寓話『鼠』が出版され、アンドレイ・タルコフスキー最後の作品『サクリファイス』がカンヌで初公開されたのは、どちらも1986年の春、その時期は、数週間と違っていない。小説の中でグラスは、核惨事ののちに終焉を迎えた世界を描いている。水と嵐に焼かれて灰となった地球は、泥にまみれ、水浸しとなった瓦礫の山、地割れでずたずたになった風景を見せる。タルコフスキーの映画の中心となる大惨事は、第三次世界大戦の勃発である。その最後の大破壊には、勝者もなければ敗者もない。町も村も、草も木も、春のせせらぎも空の鳥もすべてが消えるのである。そして1986年春、チェルノブイリ原発事故のニュースが世界中を不安におとしいれた。その年の暮れに、タルコフスキーは逝くのである。

核の悲劇はギリシャ悲劇のカタルシスと違い、運命を受入れ生きようとする人々さえも受入れず、拒絶する。我々に残された最後の選択は全ての核と原発を廃棄することである。

Posted by S.Igarashi at 10:47 AM | コメント (2)

February 13, 2011

映画「巴里のアメリカ人」の楽しみ方...


ガーシュイン(George Gershwin)作曲の交響詩An American in Parisを元に作られた1951年制作の映画「巴里のアメリカ人」をiTunesStoreからレンタルした。ジーン・ケリー(Gene Kelly)出演のミュージカル映画と云う程度の知識しかなく、タモリほどミュージカル・アレルギーは強くはないが好んで見るジャンルではなかった。この手の映画はリアリティを求めても仕方ない。子供達が巴里っ子でなく、ヤンキー丸出しにしか見えなくても、突然、野郎同士三人が顔を寄せ"'S Wonderful"を唄うのも、ジーン・ケリーがモンマルトルの町中でタップダンスを踊るのも、その虚構性を面白がらなければいけない。どことなく「はしのえみ」に似たパリジェンヌ・Liseに失恋した主人公"Jerry Mulligan"の妄想シーンがこの映画のハイライトで"An American in Paris"が全曲通して演奏されジーン・ケリーの振り付けでフィナーレを飾るのだが、その書き割りがRaoul Dufyの絵画をモチーフにしているとは思いもよらなかった。モチーフに使われているのは"Dufy"だけに留まらず...


"Utrillo"に日曜画家"Rousseau"も


そしてムーラン・ルージュらしきキャバレーには"Lautrec"の姿も...他の場面では遠景にゴッホのペインティングタッチによるモチーフがあったりとか...名画を探す楽しみも隠されている。

この映画を観てMichael Jacksonのズボンの丈はGene Kellyへのリスペクトではないだろうかと思えるのだが...恐らくMJはビデオテープが擦り切れるほど...この映画を研究している筈である。この映画も60年前のものだが...未だ見ていない昔の映画を探しだすのも....よいものだ。

と云うことで色々な楽しみ方のできる映画「巴里のアメリカ人」について制作に関わったスタッフとキャストがコメントを述べている映像をYouTubeで....先ずは視聴から...
YouTube:Gene Kelly : making of An American in Paris(8:12)

"'S Wonderful"をはじめとするガーシュイン作曲のスタンダードが収められたコンピレーションアルバムなら"The Complete Gershwin Songbooks"が御奨め。

Posted by S.Igarashi at 11:45 AM | コメント (4) | トラックバック

January 15, 2011

虚構と現実

まさに作り物のファンタジーを見るのにTilt-Shift Videoは最適な仕掛けである。

一方、悲惨な現実もTilt-Shift Videoでは、貧しすぎるバラックが何やらインスタレーション・アートにも見えてくるから不思議である。

追記:iPhoneAppだけじゃなくてMacOSのアプリにも"TiltShift"がAppStoreにリリースされてますね。

Posted by S.Igarashi at 11:59 AM | コメント (2)

January 11, 2011

映画・わたしを離さないで

2008年12月24日にエントリーした『わたしを離さないで』が映画に...のその後が気になってネットで検索してみると既に映画は完成して欧米では昨年秋に公開されていた。公式サイト・映画『わたしを離さないで』によると日本では3月に公開される。その予告編を見ると「...donation...」の言葉がいやに耳に残る...。さて...映画ではどのような...カタルシスが用意されているのだろうか...注目したい。
Never Let Me Go

Posted by S.Igarashi at 01:57 AM | コメント (2)

January 04, 2011

This Way Up


年の初め、物の試しにiTunesStoreで短編映画(Short Film)を購入してみた。何の予備知識もないまま選んだタイトルは"This Way Up"と云う9分弱の3Dアニメーション。どうも何処かで見た事があると思ったら2009年のOscarの短編アニメーション部門にノミネートされた作品であった。葬儀屋(funeral director)の親子が繰り広げるスラップスティック・コメディが可笑しい。それはアニメーションだから可能とも云えるが、もしもこれを実写版にしたら...と...そのキャスティングを考えると二度楽しめるかも知れない。
This Way Up - Official Site

Posted by S.Igarashi at 12:36 PM

December 15, 2010

iTunesStoreで洲崎パラダイス

iTunesStoreで旧遊廓地帯・州崎を舞台とした『洲崎パラダイス 赤信号』を借りた。1956年(昭和31年)封切りのこの映画は売春防止法施行の二年前...。そういえばKai-Wai 散策の『洲崎の生き残り』はストリートビューで見られるが、『東京紅団・洲崎遊廓跡を歩く』に掲載されている遊廓建築の一つは遊廓様式を表象する装飾が剥がされ、周囲に同化しているのがストリートビューで認められた。恐らくは半世紀を過ぎてもなお好奇の目で見られるのに嫌気が差したのだろう。

iTunes-Cinema01.jpgと云うことで隠れた名画を探すにはiTunesStoreのホーム画面・クィックリンクのブラウズから行なう。
映画からジャンルを選択、アーティストを最優先させると監督別にリストアップされる。


そんな訳で川島雄三監督作品の『洲崎パラダイス 赤信号』を見つけ、予告編の昭和31年の勝鬨橋のシーンを見て...これは借りるべし...と思ったのである。邦画旧作のレンタル料金200円なら...迷うことなく気楽に借りられるので、ついこれも借りてしまった。

Posted by S.Igarashi at 01:34 AM | コメント (2)

December 01, 2010

Che...

iTunesStoreで昨年公開された映画『チェ 28歳の革命』と『チェ 39歳 別れの手紙』のレンタルが開始された。もう一度、Che...の足跡を辿り映画を観てみよう。そういえば、今日、12月1日は映画の日だった。

Posted by S.Igarashi at 07:30 PM

November 14, 2010

「-42110」のトラブルもあったけれど...

Apple、日本のiTunes Storeで映画の提供を開始」と云うことで早速映画をレンタルしたのだがダウンロードが終了すると上記のメッセージが現れ映画を見ることが叶わない。サポートサイトから「-42110」エラーの解決法は見つからず、サポートサイトからメールで質問をすると、直ぐに自動返信の『お問い合わせを受け付けました(iTunes Store)』が届いた。そこにあった『可能性のある iTunes Store のエラー』のリンクにあった「-42110」のエラーについて『「SC Info」フォルダを削除すると問題が解決することがあります。』との指示に従いトラブルシューティングは完了、無事にダウンロードを再開し映画をレンタル、やれやれである。

と云うことでレンタルした映画をiPadに転送したのである。母艦のMacでレンタルした映画はiTunesからiPad等のデバイスに転送できるが、iPadから直接ダウンロードした映画はMac等の他のデバイスに転送できないのである。しかしMacからiPadに転送したら未だ見ていないにも関わらず48時間のカウントダウンが始まってしまったのである。これが仕様なのかどうかは解らない。
追記:その後、Appleのサポートに問い合わせた処、仕様ではなく「-42110」に関わるトラブルであったことが判明し、再ダウンロードすることができた。と云うことで転送しても視聴のカウントダウンは始まりません。

RentalMovie07.jpg

と云うことで、自動的に削除されるなんて、まるで「Mission-Impossible」のプロローグみたいなのである。

最初に借りたのは未だ見ていなかった「トイ・ストーリー3」だが、最後、akiさんが不覚にもウルウルしたと書いていたことに共感...。

もう一本はテレビで放映された時に見ただけの「映画・羅生門(1950)」のデジタル完全版

と云うことで「i文庫HD」で原作を重ね合わせ同じ画面で読むこともできるのである。原作の一つ「羅生門」は回想シーンの舞台背景と云うか、一つの書き割りのようなもの。映画では下人が狂言廻しの役割だが...キャスティングを見るまで上田吉二郎とは分からなかった。

映画の主題に使われたのは『薮の中』...小説は「巫女の口を借りたる死霊の物語」で終っている...。映画ラストで事の顛末を目撃した木樵りの告白は黒沢明のオリジナル...

三船敏郎演じる多襄丸の粗野でガサツな男は、フェリーニの映画「道(1954)」でアンソニー・クイン演じるザンパノを彷彿させたが...「羅生門」の方が四年も先に制作されていたのか...うーむ。

Posted by S.Igarashi at 10:58 AM

January 15, 2010

牛の鈴音

ushinosuzuoto.jpg
玉井さんから、奨められチケットを戴いたシグロ配給の韓国映画・牛の鈴音を先週末、渋谷のシネマライズで見た。
余命一年と告げられた40歳の老牛と79歳の爺さんと76歳の婆さんとの微妙な三角関係が老牛の死で終るまでを農村の四季を通じて映像化されている。最近流行りの整形美女と男前で繰り広げる絵空事だけが韓流にあらず、ドキュメンタリー映画のリアリズムにも新しい潮流が見られる。矢鱈と口数の多い婆さん、無口な爺さん、鈴音だけで物言わぬ老牛、ドキュメンタリーに付き物のナレーションは一切ない。暫くすると、口数の多い婆さんが映画の狂言廻しの役目を負っていることに気付く。すると婆さんの口からのべつ吐き出される愚痴に嫉妬交じりの悪態が違って聴こえてくるから不思議である。映画製作の始めから編集方針が決まっていたのだろうか。恐らく映画監督やスタッフ達は老夫婦の末息子位の年代であろう。親元を離れてしまった子供達に代わって、話し相手や相談相手にもなっていただろう。どこまで演技を誘導していたか分からないが、老夫婦が街に出て爺さんの頭痛の原因を調べるために病院でCTスキャンに入ったり、二人して写真館で遺影を撮ったりする場面などはスタッフの入れ知恵も多少はあると思われるが、そうした演出があったとしても、嫌みも態とらしさも無く、場面が展開し、極く普通に、自然に見えるのは老夫婦のキャラクターを活かした制作者の演出と編集の賜物なのだろう。米CBSのTVドキュメントやマイケル・ムーアのドキュメンタリー手法に慣れた目に東亜細亜の実録映画はとても新鮮だった。
YouTube:予告編
コリアンシネマウィーク2009「牛の鈴音」舞台挨拶

Posted by S.Igarashi at 07:36 AM | コメント (4)

November 27, 2009

グラフィックデザイナー 野口久光の世界


今朝の東京新聞に明日から開かれる「グラフィックデザイナー 野口久光の世界」の紹介記事が特集されていた。僕らの世代で野口久光と云えばジャズ評論家として有名であるが、氏が東宝東和の映画部・図案部にグラフィックデザイナーとして務めていた時代に制作した数多くのポスターの展覧会である。そういえば「大人は判ってくれない」の映画ポスターはmasaさんがtwitpicに@Jinbocho,Tokyoとしてアップしていた写真のジャン・ピエール・レオの後ろに貼られているポスターと同じである。
因みに東宝東和には氏と一つ年上で誕生日も一日違いの植草甚一が宣伝部に在籍していたそうだが...。

Posted by S.Igarashi at 10:14 AM | コメント (6)

November 23, 2009

アニエスの浜辺


21日の土曜日は午前中に大学で打合せ、夜から始まるライブまでの時間を有効に潰すため、久々に神保町の岩波ホールに行き、山里近くのシネコンでは上映されることのないアニエス・ヴァルダアニエスの浜辺を何の予備知識もないまま見た。原題はフランス語で"LES PLAGES D'AGNES"と云うらしいが英訳すると"RANGES OF AGNES"となり、この邦題は何だかな...と思う。プロローグの映像は(世界に開かれた)浜辺に大小幾枚もの(世界を写す、或いは世界を切り取る)鏡を置く処から始まっている。写真の世界から映像作家(映画監督)に転身したアニエス・ヴァルダの80年の生涯をコラージュ風と云うかグラフティ風と云うか、そんな映像作品に仕立て上げているのだが、masaに"RANGES OF AGNES"に関わった人達や敬愛する人々や作品やら何やらが次から次と登場する。60年代のヌーベルバーグ、70年代アメリカのニューシネマ等をリアルタイムで観てきた者なら、ニヤリとさせられる場面も其処彼処にあって、それだけでも楽しめる。秀作である。

Posted by S.Igarashi at 02:44 PM

November 09, 2009

カティンの森

昨年6月15日にNHKのETV特集・第230回『アンジェイ・ワイダ 祖国ポーランドを撮り続けた男』で取上げられた2007年制作のポーランド映画『カティンの森』がようやく来月から神田神保町の岩波ホールで公開される。映画は1940年に旧ソ連領で起きたポーランド軍将校の捕虜を大量虐殺した『カティンの森事件』を扱ったものである。その犠牲者の一人がアンジェイ・ワイダの父親であったが、長い間ソ連の支配下にあったポーランドでは事件はナチスによるものと情報操作され、ましてや事件の真相に迫る映画を作ることは叶わないことであった。それはポーランドの共産主義政権が崩壊し、ドイツでベルリンの壁が壊され、東西冷戦構造が崩壊した1989年まで続いた。そして事件から67年目にして人間の犯した罪が人々の記憶に残るようにされた。

Posted by S.Igarashi at 08:52 AM | コメント (3) | トラックバック

September 28, 2009

Astro Boy

まぁこれは米国版「Astro Boy 」であって、私の知っている「鉄腕アトム」ではない。キャラクターデザインとしてもアトムの弟として作られた面長のコバルトに近いだろう。私の生家では兄が雑誌『少年』を毎月購読していたので物心付いた頃から、ほぼリアルタイムで天馬博士と飛雄少年のエピソード1からアトムを読んでいた。私が子供の頃に抱いた鉄腕アトムの疑問はあの髪形である。正面、側面、上面、斜めと、夫々の角度から見た絵を統合すると三次元的整合性がなく矛盾していたこと。昭和30年頃足立区梅田界隈で商いをしていた紙芝居屋の通称・頓智オッサンは子供に紙芝居の内容を突っ込まれると、いつも『漫画だからしょうがないさ』と言い訳をしていたが、言い訳しようがない3Dアニメーターの苦労が偲ばれる。

Posted by S.Igarashi at 01:54 AM

June 27, 2009

歳月...

Chantal-Goya.jpg

日本では1968年7月にATG系・新宿文化等で公開された1966年のフランス映画・「男性・女性(Masculin, féminin)」は私が見た最初のジャン=リュック・ゴダール作品であった。撮影は1965年のパリ、ポールとマドレーヌの男女を中心に若者の日常を描いた映画である。ゴダール作品としては1965年の『気狂いピエロ』と1967年の『中国女』『ウイークエンド』の間に挟まれた低予算のモノクロ映画であるが、スクリーンのテロップに流された当時の若者を表象する『コカコーラとマルクスの子供たち...』の言葉が表しているように、1968年のパリ五月革命へ繋がる60年代の世相や風俗を知る上で貴重なフイルムである。その映画のヒロイン、歌手志望のマドレーヌを演じたのがChantal Goyaである。売り出し中のアイドル歌手・シャンタル・ゴヤの主演映画として企画されたとも云われているが、アイドルのプロモーション映画を作るのに一番相応しくないゴダールに...頼むかと疑問が湧く。他のゴダール作品同様、文脈と無関係に唐突にポールは窓から転落して事故死。警察で調書を取られるマドレーヌ...彼女のお腹には...


窓から転落死したポールを演じているのはジャン=ピエール・レオだが、パゾリーニの『豚小屋』で豚に喰われて殺されてしまう役よりは未だましか...。それにして60年代の映画は煙草の煙でもうもうとしている。

『コカコーラとマルクスの子供たち...』はこのPart9の7:40辺り...

と云うことで「迷い」から吹っ切れたマドレーヌ..いや、シャンタル・ゴヤはアイドル歌手を捨て、唄のラパン.. いや唄のオネーサンから..........と転身していたのでありました。歳月は...

追記:シャンタル・ゴヤは日本国内でもシングルデビューしていたのですね、41年の間、全然知らなかったです。ゴダールの力を持ってしても...France Gallほどはフレンチ・ロリータでもなかった所為か...日本でブレイクすることはなかったようですね。

Posted by S.Igarashi at 09:26 AM | コメント (2)

June 03, 2009

Toy Story 3

ToyStory3.jpg

ピクサーが「トイ・ストーリー3」の特報予告編を世界初公開!と云う記事を見て、さっそくAppleのサイトにあるToy Story 3のiPhone用の予告編をダウンロード。全米公開は来年、2010年6月18日だそうだ。まぁ予告編と云うよりも告知編ですね。しかし...HDの1080pの画像は...ほんとキレイですね...まぁ、それだけですが...。

Posted by S.Igarashi at 10:24 PM | コメント (2)

May 18, 2009

Zeitgeist Addendum

Zeitgeist.jpg
Zeitgeist, the Movie(時代の精神)というドキュメンタリー映画の続編が昨年秋にNetで公開され話題になっているようだ。そのNetで公開されている続編にボランティアで字幕を付けたVideoがYouTubeでも見られるし、GoogleVideoからはiPodやPSPに対応したmp4ファイルもダウンロードできる。

GoogleVideo:ザイトガイスト アデンダム 日本語字幕 Zeitgeist Addendum with Japanese subtitle(2:03:06)542.7MB

YouTube:Zeitgeist Addendum 「時代の精神 続編」要約
YouTube:Zeitgeist Addendum 「時代の精神 続編」結論部 1/3
YouTube:Zeitgeist Addendum 「時代の精神 続編」結論部 2/3
YouTube:Zeitgeist Addendum 「時代の精神 続編」結論部 3/3

ドキュメンタリー映画らしいといえばAppleのThink Differentでも使われたフィルムが用いられていましたね。最初に事を起した...勇気ある人の...事例としてでしょうか....

Zeitgeist :Addendum、ツァイトガイストの続編 について

関連サイト
The Venus Project
ビーナス計画
こんなサイトもあります。
Benjamin Fulford

Posted by S.Igarashi at 09:00 AM | コメント (4)

February 15, 2009

Che...「他者の痛みを感じられるか」

Che
Apple - Movie Trailers - Che
キューバ革命前夜、『君が死んだら誰に連絡すればいい?』このフィデル(カストロ)の言葉がボリビアでのゲリラ活動を記録した『ゲバラ日記』(1966.11.7〜1967.10.6)を死(1967.10.9)の三日前まで続ける大いなる動機付けになったのではないだろうか。「Che: Part Two チェ/39歳 別れの手紙」のプロローグはそんな事を考えさせられる。連絡するのは家族だけではないのだ...。
最初は82名で始め、一時たった12名まで数を減らしたキューバ革命は次々と民衆を味方に付け成功した。しかし、ボリビアでは...未だ機が熟していなかった。先住民の血を受け継ぐ多くの貧しい農民にとって、支配者たる政府も、ゲリラも心を開くことを許さない他所者でしかなかった。彼ら先住民の末裔と信頼関係を築くには時間が不足していた...。
フィデルへの「別れの手紙」でなく...「子どもたちへの最後の手紙・1965」(The Che Handbookより引用)...

『イルディタ、アレイディタ、カミーロ、セリア、エルネストへ、
この手紙を読まねばならないとき、
お父さんはそばにいられないでしょう。
とりわけ、世界のどこかで誰かが不正な目にあっているとき、
いたみを感じることができるようになりなさい
これが革命家において、最も美しい資質です。
子どもたちよ、いつまでもお前たちに会いたいと思っている。
だが今は、大きなキスを送り、抱きしめよう。
お父さんより』
僕は知らなかった。高橋悠治が2005年12月のICC公開トークで提示したテーマ「他者の痛みを感じられるか」 はゲバラの「子どもたちへの最後の手紙」からの引用だっただろうことを...。ともすれば失われそうな他者の苦しみをおもう痛覚を取り戻す為にも観ておきたい映画である。


映画「Che: Part Two チェ/39歳 別れの手紙」の唯一の救いは政府軍との戦闘に敗れイゲラ村の小学校に捕らえられ、その監視役の若い兵士とのやり取りであろう。『私が信じるのは人間だ。』ゲバラの知的で人間的な魅力に圧倒された兵士の心は揺らぎ、教室を出て他の兵士に交代してもらう。このシーンはボリビアの現在を予言する意味で挿入されたとも考えられる。
戸井十月の「チェ・ゲバラ/革命への旅」にゲバラと民間人として最後に会って、食事の世話をした小学校の女性教師フリア・コルテス(当時19歳)とのエピソードが綴られている。その会話の要約は...。

「あなたには奥さんや家族はいないの?」
妻子はいるが、それよりも大事なものがある。それは思想であり、それが私の生き方なのだ。』
『君はなぜこんな山の中で教師などをしているのか、もっと向上心を持って、広い世界を見なさい。』
「ここで教師をすることは私の天職であり、それが私の生き方なのです。」
互いに同じようなことを言ってるのに気付き二人は笑いあった。それから家に戻った彼女は、小学校から銃声が立て続けに鳴るのを聴いたと云う。


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チェ・ゲバラの旅の終着地となったボリビア(Bolivia)山岳部の一寒村、La Higuera(ラ・イゲラ 18°47'42.41"S 64°12'4.63"W)である。ゲバラが処刑された小学校はこの地図では隠れているが広場の南側に位置し南半球らしく北東に向いている建物がそれらしい。(大きな地図で見ると、Panoramio にリンクされた La Higuera のサムネイル写真を表示できる。)
2006年に就任したボリビアの現在の大統領であるフアン・エボ・モラレス・アイマはキューバ革命の年、1959年に生まれている。社会主義運動党を率いるモラレスは先住民の出身で反米主義、ベネズエラのチャベス政権、キューバのカストロ政権と連携し、新自由主義経済やグローバリズムに異を唱えている。ボリビアでの映画撮影が可能となったのはモラレス政権となったからであろう。映画「Che: Part Two チェ/39歳 別れの手紙」はとても哀しい結末を迎えているが、ゲバラの遺志は"Hasta siempre Comandante(mp3)"の唄と共に彼の子供達の世代に受け継がれていたのである。そして、ボリビアでは2009年1月25日、先住民の権利拡大と大統領の再選を可能とする新憲法案が国民投票により承認された。

Seguiremos adelante
Como junto a ti seguimos
Y con Fidel te decimos
Hasta siempre Comandante
私たちは前に進み続ける
これまであなたと一緒に進んできたように
そしてフィデルとともに私たちは言う
ごきげんよう、司令官


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チェ・ゲバラが埋葬されていたVallegrande バジェグランデの軍用飛行場。( 18°29'0.18"S 64° 5'52.88"W)

aki's STOCKTAKING:CHE
MyPlace:PATRIA O MUERTE:祖国を、さもなくば死を
MADCONNECTION:Song For Chè
MADCONNECTION:PLAYBOY July 2008
MADCONNECTION:LIBERATION MUSIC ORCHESTRA

Posted by S.Igarashi at 01:50 AM | コメント (2)

February 12, 2009

予告編は暴力に溢れている...

映画を見に行った。本編が始まるまでの20分位の間、望みもしない予告編を見せ続けられた。それにしても予告編は邦画も洋画も暴力に満ち溢れている。邦画の場合は馬鹿の一つ憶えの如く、男も女も年寄りも若いのも、叫んでいる。「世界の...」なんて邦画もあったようだが、一体いつごろからこんなにも「叫ぶ」ようになったのだろう。演技力もへったくれもない小娘や餓鬼に叫ばさせて、それで演出者は本当に良いと思っているのだろうか、疑問だ。私は矢鱈と「叫ぶ」映画は見たくない。

Posted by S.Igarashi at 02:00 AM | コメント (2)

December 24, 2008

『わたしを離さないで』が映画に...

WV的/私的2008年映画ベスト10」の記事によると、一昨年、拙ブログでエントリーした『Never Let Me Go』(邦題:わたしを離さないで)が2010年の公開予定で映画化されることがきまったそうだ。二年後の映画公開は評判を呼ぶに違いない、主題歌は誰が歌うのか等を含めて、今から期待が膨らむ。因みに書籍は既に文庫本になって求めやすくなった。
ところで『生物と無生物のあいだ』を書いた福岡伸一氏の『もう牛を食べても安心か』を読み終わった時に抱いたモヤモヤとした感覚は、物語の舞台をイギリスに、触れてはいけない生命の領域に敢えて踏み込んだ『わたしを離さないで』に共通するものが有るように思えてならない...。

Posted by S.Igarashi at 11:14 AM | コメント (3)

December 10, 2008

地獄の貴婦人 (Le Trio infernal)

やはり、そうだった。3年前のMovie baton-3でも触れていた1974年のロミー・シュナイダー主演の映画『地獄の貴婦人 (原題:Le Trio infernal)』のロケ地となった建築を巡る疑問がYouTubeの御蔭で氷解した。映画そのものは1930年代のフランスで起きた猟奇的保険金殺人事件を核にブルジョアジーの頽廃的生活を描いたもので、私もこの映画を見るつもりはなく、併映されていた当時話題の『ラストタンゴ・イン・パリ』を見るのが目的で、『地獄の貴婦人』は途中から後半部分を見ただけで、映画のタイトルも永い間失念していた。

ロミー・シュナイダーをウィキペディアで検索し『地獄の貴婦人』の原題を探りあて、それからYouTubeで検索してみた。映画のタイトルも『地獄の×××』くらいの記憶しかなく、以前、映画に詳しいという建築家のWT氏に訊ねてみたことがあったが『皆さん、僕が映画に詳しいと思ってますが、一部の映画に詳しいだけで、何でも知ってる訳ではないんですよ。』と言われたことがあった。ん〜確かに。
やはり、マイナーな映画はインターネットがなかったら探り当てることができなかっただろう。

その建築はピエール・シャローの硝子の家(Maison de Verre)である。映画は後半部分を見ただけなので建物の外観が映っていたかは定かではないが、金属加工による間仕切りパネルにドアや建具金物等のアールデコ風な意匠に...只ならぬものを感じたものであった。今はGA booksから詳しい本も出ている。


La maison de verre de Pierre Chareau
Uploaded by maneb40


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31 Rue St-Guillaume, Paris, France
「硝子の家」はオルセー美術館から歩いて行ける距離、20年ほど前、建物は公開されていなかったが前庭まで入れたのでガラスのファサードによる外観だけは見たことがある。現在、建物ははアメリカ人コレクターが買い取ったらしい。

Posted by S.Igarashi at 12:48 AM

November 03, 2008

軽蔑の舞台・マラパルテ邸

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三年前のエントリーMovie baton-2で取上げたゴダールの「軽蔑」が 廉価版DVDでリリースされたので、リベラマラパルテ邸をじっくりと見たくて買ってしまった。ゴダールの作品の殆どは「atg・新宿文化」で見ているが「軽蔑」は日比谷のみゆき座で再公開されたのを見たのかも知れないが確証はない。見てから未だ40年は経っていないけれど、四捨五入すれば40年昔のことでストーリーは殆ど記憶に残っていない。覚えているのはマラパルテ邸の地中海を望むピクチャーウィンドウや屋上テラスや階段のシーンと最後、交通事故で唐突にバルドー演じるカミーユが死んでしまうことだけ、物語の核心である男女の心変わりのドラマ等は全く憶えていない。まぁそれだけガキだったということである。


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マラパルテ邸はナポリの南32kmに位置する青の洞窟で有名なカプリ島の東に位置する。
(40°32'49.82"N  14°15'33.28"E)

LE-MEPRIS-1.jpg

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ゴダールの作品の多くはスタンダード・サイズかビスタ・サイズで作られているが、アメリカ資本が入った「軽蔑」はシネマスコープ・サイズで作られている。それが二人の微妙な距離感を表現しているように思える。マラパルテ邸は後半の20分間くらいに登場する。

Posted by S.Igarashi at 08:20 AM | コメント (2)

July 22, 2008

WALL-E

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現在、全米で公開されるDisney-Pixerによるアニメ・WALL-Eが面白そうだ。このAppleのサイトには10のビデオクリップがあり、どれを見ても面白い。嬉しいことにiPhoneでも観られるファイル形式の予告編も用意されているのだ。そしてテーマ音楽は何故かあの名曲「ブラジル」なのだ。
WALL-E : Official Site
町山智浩/コラムの花道:映画『WALL・E』のお話

Posted by S.Igarashi at 09:01 AM | コメント (2)

June 20, 2008

アンジェイ・ワイダの...

ETV特集のアンジェイ・ワイダの「祖国ポーランドを撮り続けた男」を見た。独裁政権下での表現者として、支配者に見つからないよう権力批判のメッセージを込める手法は「悲劇のロシア」で放送された作曲家・ショスタコーヴィチに通じるものがある。
ところで、このアンジェイ・ワイダ:「カチンの森」は日本で上映されるのだろうか。

Posted by S.Igarashi at 11:03 AM | コメント (5) | トラックバック

April 08, 2008

Monty Python's Flying Circus

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と云うことで古いモンティ・パイソンのLDの上にあるカートンボックスがMonty Python's Flying Circus日本語吹替版・DVD BOXである。Amazonの23%offに釣られてポチってしまった。DVD7枚組で合計22時間と7分、寝ないで見続けたら間違いなくアチラの世界に行けそうである。僕の好きなスケッチ(コントのこと)はSilly Walk(バカ歩き)、ホント最高にくだらない。迷惑メールの語源となった例のスケッチ"Spam"はエンドタイトルまで凝っているのである。そして世界的に有名なハリネズミのノーマンも忘れてはいけない。


てなことでAmazonのウィジェットを試してみたのだが...

ところで"Silly Walk"の"Silly"を辞書(左図をクリック)で引いてみたら、[語源は「幸福な」; 「ばかな」の意は16世紀から]とある。言葉の意味が転用される事例として日本語の「おめでたい」と共通している。16世紀と云えば近代の始まりであるルネッサンスも後期となり、いわゆるマニエリズムの時代、彼のシェイクスピアが登場している。英国特有の屈折したシニカルな表現のルーツが"Silly Walk"のレイヤに隠されていたのだ。
私がレイヤと云う概念を認識したのは1970年代の後半、モンティ・パイソンと略同世代の英国の建築家ピーター・クックの講演を聴いてからで、都市をレイヤと云う概念を使って分析していたのが新鮮だった。モンティ・パイソンは30分番組を幾つかのスケッチで構成しているが、スケッチは複数のレイヤで構成され、番組全体を流れる通奏低音のようなレイヤ、反復して使われるレイヤ、変奏されるレイヤ、等々、複雑で多様なレイヤで構成されているのである。それは都市と同様であり、まさに人間社会そのものでもあるのだ。

Posted by S.Igarashi at 11:30 AM | コメント (2)

March 12, 2008

My Blueberry Nights

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ラブストーリーには余り関心はない方だが"My Blueberry Nights"はちょっと気になる映画だ。映画初主演のNorah JonesによるRoad movieと云うのがその理由だが、そしてRoad movieの音楽と云えばRy Cooderと云うことになるのである。こちらのサントラ盤もNorah JonesやRy Cooderの他にOtis Redding、Cassandra Wilson等々、実に多彩である。女性には土地に定住し誰かを待つと云うイメージが固定され、漂泊するイメージからは掛け離れた存在として位置づけられているが、そうした定説と、女性が主人公のロードムービーが果たして...監督は上海出身の王家衛だ、期待しよう。

Norah Jones

Posted by S.Igarashi at 05:31 PM

January 16, 2008

文庫本のように...シネマを...

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12年前に「文庫本のようにしてシネマを持ち歩きたい。」なんて考えたこともなかった。DVDもiPod touch 100%に紹介されていた"HandBrake"を使えばiPod touchに最適化された"m4v"にエンコード可能だ。欠点はエンコードに時間が掛かることだが、それは深夜のオフタイムに、Macに一人で働いて貰えば済むことでもある。シネマは銀幕で見るモノと云うのは理想であるし、当たり前すぎる。ビデオやDVDで見るにしてもモニターのある場所と時間に拘束される。文庫本の場合は机に向かってかしこまって読む人は少ないだろう、家で読む場合もリラックスした姿勢で読むだろうし、場所や時間等の外的条件に拘束されないで読めるのが文庫本の良さでもある。
追記:Macworld S.F.2008で20世紀フォックスとアップル、iTunes Digital Copyを発表とある。「DVDにiTunesで再生できる映画を無料で収録」と云うことなので、これなら時間を掛けてエンコードする必要がなくなるのだが国内対応は...どうなるか。

と云うことで"iPod touch"で見るシネマであるが、スクリーンの小ささが長所にもなることが解った。銀幕で観るシネマは常にその一部分にだけ注意が注がれ、意識していない物は見ていない、いや見てはいるが脳に記憶として定着されることはない。"iPod touch"の3.5インチのスクリーンは視線を移動しなくても全体を注視することが可能だ。もちろん、この3.5インチのスクリーンで一時間も二時間も見続けるのは辛い、それは文庫本も似たようなもの、好きな時に休憩ししたり、中断したりする。それは何時でも続きが読めるからである。"iPod touch"も"iTunes"と同期することで、"iTunes"で見ていたシネマの続きを"iPod touch"で見たり、別な"iPod "を"iTunes"と同期してそれをDockに差して、テレビに繋いでその続きを見る、なんてことも可能なのである。
その昔、神保町の岩波ホールで見たタルコフスキーの「惑星ソラリス」のDVDを手に入れたものの、夕食後、テレビの前で三時間近く集中力を持続させるのは困難を極め、途中で白川夜船となること度々であったが"iPod touch"で20〜30分くらいずつ集中して見た方が、より内容に近づくことができた。(ような気がする。)これも新しいシネマ観賞法の選択肢の一つなのだろう。

SOLARIS-USSR2.jpg
「惑星ソラリス」の未来都市は東京であった。


SOLARIS-USA.jpg
ジェームス・キャメロン制作の「ソラリス」はミスキャスト...のような...。ジョージ・クルーニーは未だしも...他が...。


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ブレードランナーのLDは日本公開の劇場版を持っていたが、DVDはディレクターカットの最終版、デッカードとレイチェルがアパートから逃避するエレベーターホールのシーンで終っている。

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最近、このシーンをパクった携帯電話のCFがあったような。某有名建築家がこの無彩色なセットに触発されて、観念的なベクトルだけで構成された建築空間を構築しようと試みたことがありましたが、こうして見ると無彩色ではないですね。でも、当時は映画の封切りが終ってしまうと、それを確かめる術がなかった。

Posted by S.Igarashi at 05:05 AM | コメント (2)

September 18, 2007

かもめ食堂

9月16日東京新聞日曜版「名作を食べる」は群ようこ原作・映画「かもめ食堂」のロケ地に選ばれたヘルシンキはカハヴィラ・スオミ(カフェ・フィンランド)の『コーヒーとシナモンロール』だ。その記事によると、なんでもフィンランドは国民一人当りのコーヒー消費量は世界一だそうだ。私もコーヒーの消費量なら負けてない、それにシナモンロールだって好きだ。

ところで、昨晩と言っても時計が12時を回った本日の深夜だがメールに返事して母屋に戻り、新聞を見ると1時47分から映画「かもめ食堂」が放送されるではないか、睡魔に襲われ途中で寝入ってしまうような不測の事態を考慮しビデオ録画もしておいた。
映画「かもめ食堂」は昨年の暮れ玉井さんがおにぎりとおむすびのタイトルでエントリーして、それがわがやのお雑煮大会へと発展していった切っ掛けとなった映画だったので是非観たいと思っていた。

不思議な魅力のある映画だ。かもめ食堂の女主人・サチエの日常を緩やかに淡々と時の流れに逆らわず生きてゆく姿は観ていて気持ちが良い。

サチエは生に対して肯定的だ。
『ねぇ、ミドリさん、もし、明日、世界が終っちゃうとしたら最後に何をしたいですか。』
『そうですね、何か、すごーく、美味しいものが食べたいですね。』
『やっぱり、私もこの世の終わりの時には、ぜったい美味しいものが食べたいんですよね。』

サチエはブレない。
かと言って、頑固という訳でもない。
人の意見を聞き、それを試したりもするが、情に棹さして流されない。

サチエは何時までもクヨクヨと考えたりしない。
かもめ食堂に空き巣が入った。
捕まえてみたら、サチエに旨いコーヒーの入れ方を教えた男。
かもめ食堂の前に、ここで店を開いていた主人だ。
その店に置き忘れたものを無断で合い鍵を使って持ち出そうとした。
どうしたら良いものや、思案に暮れる一同を前に『お腹空いた。』と立ち上がるサチエ。
空き巣も混ぜて一同「おにぎり」を頬張り、一件落着。

サチエは関西人ではない。
当然、自分でボケたり、相方にツッコムこともしない。
ましてやイチビリではない。

サチエは他人のことを一々詮索しない。
不審に見える人が、外から店内を見つめていても、軽く会釈して微笑むだけ。
表に出て、理由を尋ねたり、追い払うことはしない。

サチエは冷たい人ではない。
デブ猫の「ななお」が死んだ時より、大好きなお母さんが亡くなった時の涙の方が少なかった。
オフタイムをプールで泳ぐサチエ、
泳いでいるとき、サチエはお母さんと一体化しているのだろう。

映画はワンシーンのカット数も少ない、カメラのパンもズームも必要最小限だ。
15秒のコマーシャルに1秒以下のカットを詰め込むだけ詰め込むコマーシャルフイルムとは対極にある映像だ。CGを多用する添加物だらけのハリウッド映画とも対極にある。

そんな「かもめ食堂」は無添加の映画である。

Posted by S.Igarashi at 02:12 PM | コメント (6)

July 28, 2007

SiCKO

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ポッドキャスト・「大竹紳士交遊録」の【7月26日 おすぎ(映画評論家)】で取り上げられていた、マイケル・ムーアの新作・SiCKO(シッコ)が面白そうだ。米国の医療保障制度にメスを入れたこの映画、対岸の火事といって笑って済ませられない。米国に追従する日本政府の様々な政策をみると明日は我が身なのである。先日のCBSドキュメントの「冷遇されるホームレス」では病院から救急車に乗せられ無法地帯に放置される患者の実態に迫っていた。法治国家ならぬ放置国家アメリカの現状である。

Posted by S.Igarashi at 09:22 AM | コメント (2)

May 19, 2007

TALIESIN EAST

MyPlaceにエントリーされたタリアセン・ウェスト:TALIESIN WESTを見て、早速"Google Earth"で"TALIESIN WEST"まで飛んで行き、周囲を偵察していたら、もうひとつのタリアセン"TALIESIN EAST"はどうなっているのか好奇心が湧いて出た。丁度、Google Earthのサイドバーのレイヤに「AIA(アメリカ建築家協会)の特集コンテンツ」が組込まれていたのでそれを頼りに"TALIESIN EAST"( 43° 8'29.37"N  90° 4'13.30"W)まで飛んでみた。すると、低解像度の衛星写真の中に"TALIESIN EAST"が丘の上に漂着していた。このイメージはどこかで見たことがある。30年前に見たタルコフスキーの映画・惑星ソラリスラストシーンにイメージが重なって見えてきた。

Posted by S.Igarashi at 09:20 AM | コメント (2)

February 13, 2007

A Hard Day's Night

Apple Inc.とApple Corps Ltd.が和解したと云うことでThe BEATLESの楽曲入りiPodのスペシャルバージョンがリリースされるのではと噂されているが、探し物をしていたらこんなCD-ROMが出てきた。マルチメディア黎明期の1993年にVOYAGERからリリースされた"A Hard Day's Night"だ。てことでCD-ROMのムービーファイルが不可視となっていないので"m4v"に書き出してiTunesに取込みiPodに転送してみた。最小のムービーサイズだけどiPodにはジャストサイズだ。この"A Hard Day's Night"を、例えば電車の中で個人的に楽しむといっても、一時間半も液晶画面を見続けるほどの集中力もなく、途中で居眠りすることは間違いない。

Posted by S.Igarashi at 09:34 AM | コメント (7)

January 28, 2007

映画・不都合な真実

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映画「不都合な真実」を観てきた。書籍版・不都合な真実から想像していた以上に面白かった。と言うと語弊があるかも知れないが、退屈をする暇を観客に与えないアル・ゴアのプレゼンテーションの上手さには、ジョブズのそれとは違った意味で感心した。二人の共通点はプレゼンテーションに用いるツールにある。もちろん、それはMacとKeynoteである。余談はさておき、これは現代を生きる地球人は必見のドキュメンタリー映画である。そして、一人の孤高のエコロジストよりも行動する千人のプチ・エコロジストが求められているのだろう。

aki's STOCKTAKING:不都合な真実
東京大学気候システム研究センター:地球温暖化問題

Posted by S.Igarashi at 03:04 AM

October 27, 2006

三池 終わらない炭鉱の物語

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来年1月に「もんしぇん」を再上映するポレポレ東中野をネット検索したら、11月4日から「三池 終わらない炭鉱の物語」を再上映することを知った。三池炭鉱を産業遺跡として保存し、負の歴史も含めてそこで生きてきた人々の生活の実態を後世に伝える事は大切だろう。因みにドイツではエッセンのツォルフェライン炭坑遺跡群がユネスコ世界文化遺産に指定されている。

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September 29, 2006

もんしぇん・楽日

本日が上野・一角座でのもんしぇん楽日となりました。お見逃しのないように。
【上映開始時間】 11:00/13:40/16:20/19:00
一角座 東京都台東区上野公園13-9東京国立博物館内 TEL:03-3823-6757
因みに特別鑑賞券はJR上野駅の公園口改札手前左側の美術館・博物館の入場券売り場でも取り扱っています。
と云うことで、今日は用事があるので昨日・午後の回を見てきました。なにか試写室で見たフィルムと僅かに編集が違うような、、、気のせいかな。

「もんしぇん」と「一角座」
映画「もんしぇん」のイベント

Posted by S.Igarashi at 09:42 AM | コメント (7) | トラックバック

August 28, 2006

不都合な真実

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アップルの取締役だけでは物足りなかった「一瞬だけ大統領になった男の挑戦」とは「不都合な真実(An Inconveniant Truth)」を明らかにすることだった。

Posted by S.Igarashi at 11:37 AM | コメント (3)

July 29, 2006

映画・もんしぇん 公式サイト

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映画「もんしぇん」の公式サイトがオープンしました。
8月19日(土)より上野・東京国立博物館内の一角座にて公開です。

Posted by S.Igarashi at 02:12 PM

July 13, 2006

時間の接着

著作権の失効した映画の500円DVDの販売を巡る裁判であるが、一昨日の東京地裁で格安DVD販売が認められた。裁判の争点は70年に引き伸ばされたミッキーマウス保護法であるところの改正著作権法がどの時点で適用されるかであった。その解釈をめぐって映画会社と文化庁側は「時間の接着」と云う猫だまし的な屁理屈をこねたが、あっさりと却下されてしまった。いくらなんでも大晦日と元日が同じ日なんてありえない、この屁理屈を通せば時効なんて幾らでも延長できるし、法治国家の根幹を否定することにも繋がる。どうやら、コイズミだけでなく、文化庁もハリウッドのポチのようである。
東京新聞7/13・筆洗

Posted by S.Igarashi at 09:00 AM

June 01, 2006

もんしぇん

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8月19日から東京国立博物館内「一角座」で公開されるシグロ制作・「映画 もんしぇん」の試写会に行ってきた。

お腹の子どもをひとりで生むことを決意した"はる"果てしない不安の中、偶然迷い込んだ小さな入り江。そこで彼女は不思議な老人たちに出会う。星がその命の終わりに自らを爆発させ、そのかけらが新たに地球の生命体に生まれ変るように、"いのち"は繋がっている。やがてそう気づいた"はる"は、ゆっくりと恢復してゆく。
そして、エンディングの曲「脈動変光星」に、この映画のテーマは凝縮され結晶化されているようである。と云うことで昨日はAkiさん、玉井さん、masaさんと共に『もんしぇん』応援団が結成されたのだ。

すべての映画はファンタジーである。但し、ドキュメンタリー・フィルムを除いてだが。「映画 もんしぇん」の監督・山本草介氏は、私が先々週に見た映画エドワード・サイード OUT OF PLACEの監督である佐藤真氏の元で演出助手を務めていた経験をもつ。つまり私は奇しくも師匠と弟子の作品を続けて観たことになる。映画に続いて書籍:エドワード・サイード Out of Placeも読んだが、文脈からも佐藤真氏のドキュメンタリー・フィルムに対する、そして取材した人々に対する誠実さが伝わってくる。そんな監督の元で修業した山本草介氏の第1回監督作品が「映画 もんしぇん」である。
パラレルワールドに迷い込んだ玉井夕海演じる"はる"が出会った現実と非現実の世界をフラッシュバックも多用せず、フィルム・エフェクトやコンピュータグラフィックスに頼らず淡々と描いているのは、ドキュメンタリー・フィルムで培ったものだろうか。昨今のコマーシャル・フィルム出身の映画監督作品のあざといまでの非現実な作り事世界に対し、現実と非現実の境界を曖昧にしたままファンタジーを描くのは、山本草介氏の世代では逆に冒険なのだろうか。尤も、我々が見ていると思い込んでいる現実世界も、脳内記憶が作り上げた想像世界でもある訳で、どこまでが現実世界なのか実は境界が曖昧なのである。
aki's STOCKTAKING:もんしぇん
MyPlace:もんしぇんの試写会
af_blog:もんしぇん

Posted by S.Igarashi at 11:25 AM | コメント (5) | トラックバック

May 13, 2006

エドワード・サイード OUT OF PLACE

来週からアテネ・フランセ文化センターで2003年に白血病で亡くなったエドワード・サイードの足跡を辿る『エドワード・サイード OUT OF PLACE 〜Memories of Edward Said〜』が上映される。制作・配給元は映画 日本国憲法送還日記シグロだ。シグロのNewsによれば映画 もんしぇんの公開日も決まったようだ。

Posted by S.Igarashi at 11:24 AM | コメント (3)

February 24, 2006

送還日記

玉井さんの計らいで金東元(キム・ドンウォン)監督の送還日記の試写を渋谷シネ・アミューズで見てきた。映画監督・森達也とのトークショー付きであった。送還日記サイトのあらすじに書かれているように、北からのスパイ容疑で逮捕収監され刑期を終え出獄した非転向長期囚が北へ送還されるまでの12年間を追ったドキュメンタリーフイルムである。そして、これは現代韓国の民主化の潮流を伝えるフイルムでもある。

1970年代後半のこと、知り合いの設計事務所で雑談をしていたときのこと、話題が韓国の建築になったとき、その事務所のボスが「いま自分が韓国に行ったら空港でスパイ容疑で逮捕されるのは確実だろうね。なにしろパスポートに北朝鮮のスタンプがバッチリ捺されているからね。」彼は建築設計の仕事でチョソン(北朝鮮)に滞在したことがあったのだ。韓国と北朝鮮は当時も現在も休戦中であって、あの朝鮮戦争は終結している訳ではない。70年代は戒厳令が施かれ夜間外出も禁じられていたし、それは20年近く前まで続いていた。
キム・ドンウォ監督はこの映画を支持する主な観客層は(1980年代の民主化運動を支えた)三八六世代だろうと考えていたそうだが、そうした世代を超え、保守系メディアの朝鮮日報までが好意的な批評を寄せていると云う。それはキム・ドンウォ監督が極く普通の生活者の目線で非転向長期囚に接し、時には彼らの人間性に共感し、或る時は頑ななまでの政治的姿勢に憤りを憶えたり、様々なことに悩みながらドキュメンタリーを編集していったからだろう。右翼からの嫌がらせや拉北者家族からの抗議は当然あるにしても、自らの力で軍部から民主主義を勝ち取った韓国民のプライドと南北統一の願いが続く限り、それ程遠くない将来半島に春が訪れるような気がする。互いに正当性だけを主張すれば相互の心にバリアを築くだけである。キム・ドンウォ監督の人柄が滲み出すフイルムである。

Posted by S.Igarashi at 09:33 AM | コメント (6)

February 11, 2006

ナサニエルの失われた時を求めて

「お父さん見てよ、僕こんなにローラースケートが上手くなったんだ。」
父に見守られているかのように、ソーク研究所中庭でローラースケートで遊ぶナサニエルはきっと11歳の少年に戻っていたのだろう。MY ARCHITECT A Son's Journeyを見てきた。建築家・ルイス・カーンの足跡を息子が辿るドキュメンタリー映画であるが、同時に家族とは何かを問う映画でもあった。カーンの葬式以来、ノーマン・フィッシャー邸のリビングで初めて顔を合わせる三人の子どもたちは、母親は異なるが父親は同じだ。座っている距離感が複雑で微妙な人間関係を表わしている。次のシーンでカメラはノーマン・フィッシャー邸の外観を捉えている。リビングの会話だけが聴こえる。「僕たちは家族かな?」「父親が同じだからって家族じゃないわ、お互いに気遣う気持ちがあれば、それは家族よ。」二人の姉は成長したナサニエルに父親の幻影を見たかも知れない。

蛇足その1:フィラデルフィアの都市計画でカーンと意見の相違から袂を別ったエドマンド・ベイコンがナサニエルが仕返しに来たと勘違いし、ファイテングポーズを取っていたのが意外性があって面白い。因みにこのシーンの背景にオルデンバーグの洗濯ばさみがちょこっと見える。ワーマンはこのことをジューイッシュ(Jewish)と云う出自故に疎外されたとみているようだ。furuさんもaf_blog: 「マイ・アーキテクト」でフィリップ・ジョンソンのインタビューを書いているが、あの話、映画を見た時は、以外とジョンソンは正直と思ったけれど、良く考えるとあれはリップサービスですね、そこがカーンとの違いで財産を残せるのでしょう。

蛇足その2:ルイス・カーンもイサム・ノグチと同様に越境者としての自覚があったのだろうか。ユダヤ社会にもWASPが支配するアメリカ社会のどちらからも疎外され、彼が帰属する場所・社会があったとは思えない。そのどちらでもない、ヒンズーのインドや回教のバングラディッシュで晩年の作品を残せたのは、宗教の枠組みを超えた思想・哲学を受け入れる度量が彼の国にあったということだろう。

Posted by S.Igarashi at 02:52 PM | コメント (2)

February 08, 2006

ピクサー・アニメーション・スタジオ

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ウォルト・ディズニー・ピクチャーズに買収されることが決まったピクサー・アニメーション・スタジオであるがウェッブサイトに日本語のページが用意されているとは考えもしなかった。短編映画や長編映画(最新長編作品「カーズ」)の予告編等が見られる他、制作プロセス等が紹介されている。

Posted by S.Igarashi at 09:57 PM | コメント (8) | トラックバック

February 07, 2006

脈動変光星

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脈動変光星は天草諸島にある御所浦町の牧島を舞台につくられた今年公開される「映画 もんしぇん」のサウンドトラックはエンディングの曲だ。「映画 もんしぇん」を制作、出演している玉井夕海さんが作詞作曲そして自ら歌っている。mF247のサイトからダウンロードすると、直ぐにiTunesに取り込まれiPodを接続すればiPodに転送されるのが嬉しい。ジャケットの絵は「芸大の研ちゃん」こと海津研さんの作品である。

映画の舞台となった御所浦町の牧島には行った事はないが、天草には三角から小さな連絡船で渡ったことがある、もう30年以上前のことだ。何故、天草まで足を延ばしたのか、天草で何を見てきたのか、もう記憶にアクセスできない。それでも、天草の海と島々の風景、そして生活の足である連絡船はイメージとして記憶に残っている。

海津研さんがブログのエントリー「時間」について〜杉本博司展を見てで杉本博司の「海景」から触発された旨を語っているが、私も「海景」を見た時、その旅行の途中、有明海で体験した記憶が蘇ってきた。貧乏旅行故に熊本は荒尾の先輩の実家に投宿させていただいた。先輩も帰郷していたので、彼の高校時代の同級生らも集まり、球磨焼酎に酔いしれた後、酔いを醒しに夜遅く有明海の岸辺を歩いた。有明海はミルク色の霧靄がたちこめ、空と溶け合っていた。踏みしめる砂の音と波の音、時折海岸線と平行に走る鹿児島本線の貨物列車の光と音だけが現実との接点だった。真っ暗闇の中、水平線と霧靄のミルク色が強烈なイメージとして今でも焼き付いているのが不思議だ。

Posted by S.Igarashi at 02:14 PM | コメント (2)

January 14, 2006

MY ARCHITECT A Son's Journey

一昨日の新年会二次会でこの映画が話題になりました。S教授は是非とも学生に見せたい映画だが、映画館場所が問題と言います。それにレイトショーなのですね。まぁ、保護者引率ということで希望者を集め団体で観賞しに行くしかないでしょうという結論でしたが、まぁ社会見学にもなるでしょうね。と云うことで"MY ARCHITECT A Son's Journey"の上映期間中は建築関係者はこの付近での秘密めいた夜遊びはお控え下さい。お知り合いに目撃される恐れがあります。

Posted by S.Igarashi at 02:17 PM | コメント (10)

December 31, 2005

正月に読む本と見るDVD

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ユン・チアンの前作「ワイルド・スワン」は上巻・下巻を一気に読んでしまったが、12年ぶりの新作「マオ」はそれよりも、ずっと分厚く上巻・下巻共、500頁を超える。果たして挫折することなく読了できるか否や。
モーターサイクルダイアリーズは封切り公開を見逃してしまった映画だ。山里にいるとこうした映画を見る機会に恵まれないのである。

Posted by S.Igarashi at 01:47 AM

December 14, 2005

MY ARCHITECT・劇場公開決定

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ずいぶん長い間待ちましたが、劇場公開は2006年1月28日からです。予告編だけでも期待が膨らみます。

Posted by S.Igarashi at 10:51 AM

November 22, 2005

あらしのよるに

前触れもなく試写会案内のファックスが届いた。ファックスには「関係者様向け」と書いてあり、自分が何の関係者だか今一つ分からないまま、文部科学省教育映画・選定作品の映画「あらしのよるに」の事前試写会に行ってきた。原作となった絵本あらしのよるには本来なら天敵、つまり捕食関係にある狼と山羊との友情(愛情?)をテーマに描いた作品でシリーズ累計で200万部以上も売り上げたベストセラーだと云うことだ。原作を読んでいないので何とも言えないが、何か腑に落ちない。「ありえないことに希望を抱いても、その結果は絶望でしかない。」これが映画を見終わった後の偽らざる感想である。汚れきった大人である僕にとって「あらしのよるに」がファンタジー映画として成立していない理由は何だろうか考えざるを得ない。兎も角、原作はどんなものか本屋で調べてみることにした。この映画を見る前に「iCon Steve Jobs/スティーブ・ジョブズ-偶像復活」を読了してディズニーとピクサーの内幕劇を知ってしまったのがいけない、やたらとアニメーションの出来が気になる。

原作のは映画とは全く異なり、原作では主人公「メイ」も山羊らしく描かれ、作家の読者に対する誠実さを感じることができた。それにひきかえ映画のキャラクターデザインによる「メイ」は目が可愛らしすぎて、どう見ても山羊には見えない。デォフォルメするにしても特徴ある山羊の目を活かしたデザインにするのが道理であろうが、リアリティを無視することなんて何とも考えていないのだろう。映画制作に広告代理店や放送局や新聞社等のメディアが参入すると、企画段階から情報操作が行なわれているような気がしてならない。絵本と映画とは全くの別物であるが、作家が脚本を書いているところをみると、作家もこれで良としたしているのだろう。「赤頭巾ちゃん」の昔から狼は悪者と汚名を着せられ、羊や山羊は従順で弱く愛らしく守らねばならぬものとされ、強い者が悪、弱い者が善と決まり切った、ノー天気なまでの紋切り型で映画は作られている。こうした一方的な概念は、羊や山羊が商品や資産・資本、つまり富の象徴であり、狼はそれらの富を脅かす存在として悪なのである。羊や山羊が善、狼が悪というのは人間から見た資本主義的概念でしかありえない。主人公「メイ」の一見屈託のないブリッコは資本主義世界の中では時には愛らしくも見えるのだろうが、周りを不幸にすると云うことでは悪魔と紙一重の存在であろう。
映画宣伝チラシの『世界のあちこちでテロが頻発する現在、地球にも「あらし」が必要だと思ったのはぼくだけだろうか。』と石田衣良の言葉が紹介されているが、なんだろうね。
ありえないことに希望を抱いても、その結果は絶望でしかない。現実を見据えることでしか希望の扉は開かれないだろう。
まぁ、文部科学省教育映画ということだから、ホームルームのテーマには丁度よいかも知れないが。

Posted by S.Igarashi at 10:38 AM

November 16, 2005

ブロガー試写会

アップリンク配給the CORPORATIONブロガー試写会にブログ友達でもあるakiさん玉井さんfuRuさんの三人が行ってきた。試写会招待の条件は自分のブログに記事を書き配給会社にトラックバックすると云うものだが、これは一人から二人、三人へとブログの力によって情報を人伝てに広めようとする意義のある試みなのだ。

aki's STOCKTAKING:The Corporation | ザ・コーポレーション
MyPlace:「ザ・ コーポレーション」試写会
af_blog:「The Corporation」-ブロガー試写会

Posted by S.Igarashi at 11:14 AM

November 11, 2005

MY ARCHITECT A Son's Journey

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2年前にエントリーしたLouis I Khanの映画がようやく渋谷で来春公開される。楽しみだなぁ。因みに、この渋谷にできるシネコンの5つのスクリーンの2つを桜丘町から移転してくるユーロスペースが使うらしい、"MY ARCHITECT"は「Q−AXシネマ」で上映の予定。東京新聞11/10、映画館“バブル”を生き抜くに、ミニシアターの現状が語られている。
MY ARCHITECT A Son's Journey

Posted by S.Igarashi at 01:01 AM

November 01, 2005

the CORPORATION

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ロードショー公開する前に希望するブロガーに本編を見せてしまうという映画がある。今日はその試写会を見に渋谷のアップリンクまで行ってきた。試写会招待の条件は自分のブログに記事を書き配給会社にトラックバックすると云うものだ。映画の原作はジョエル・ベイカンのザ・コーポレーションである。映画は「NO LOGO」ブランドなんか、いらないのナオミ・クラインやノーム・チョムスキー、そしてマイケル・ムーア等、各界40人のインタビューによって構成されている。10月11日付けの東京新聞夕刊・マネーゲーム勝者は「怖いもの知らず」と題し、マネーゲームに勝ち抜くための条件が「サイコパス」の特性に酷似しているとのスタンフォード大学とカーネギー・メロン大学の共同研究を伝えている。映画「ザ・コーポレーション」は企業の実態を精神分析そしてサイコパス(人格障害)と診断を下した。その分析テストとは以下のようなものだ。
□他人への思いやりがない。
□人間関係を維持できない。
□他人への配慮に無関心。
□利益のために嘘を続ける。
□罪の意識がない。
□社会規範や法に従えない。
制作はカナダ、上映時間は2時間25分だが長いとは感じなかった。

映画で取り上げられている主なエピソード
○ボリビアの水道民営化を阻止した民衆運動
○ホンジュラスの労働搾取工場の実態
○インターフェース社の環境への取り組み
○ロイヤル・ダッチ・シェルの公害問題
○内部告発の値段:フォックス・テレビの事例
○ギャップ社の不当労働疑惑
○遺伝子組み換え食品に対するインドの環境保護運動家たちの取り組み

他にもIBMがナチス・ドイツの捕虜収容所の捕虜の(パンチカードによる)管理業務に加担していた疑いや、戦後日本でのDDT散布でジャップと云う差別語が飛び交う米国国内向けニュースフィルム等、差別、偏見、搾取、環境破壊等々、企業が犯す罪を事例をあげて糺している。

ノーム・チョムスキーは語る『民営化とは、公共機関を善良な人に譲ることではない。専制政治へそれを委ねることです。公共機関には利点もあった。損することも出来ます。別の利点があれば、損をしてもよかったのです。もし、国営の製鉄会社が損をしたら、他の業界へ安く鉄を売ればそれで済むのです。公営企業には後ろ盾がある。不景気でも従業員を雇え、そのために消費も伸び、景気回復につながるのです。しかし、民間企業では解雇せざるを得ません』

中南米ボリビアの米国企業・ベクテル社による水道事業の民営化では民家の屋根に降った雨も企業に権利があり市民は雨水さえも自由に飲むことが許されなかった。
民営化とはそういうものだ。いつか、道路も、川も、海も、空も、空気も、誰かの独占物となってしまうのだ。それは個人の命も自分のものではないことを意味する。既に米国では月の土地や火星の土地を売って金儲けしている輩がいる。彼らをサイコパスと言わずに何て言えばよいのだろうか。

一つの救いはケミカル系カーペット製造企業・インターフェース社CEOレイ・アンダーソンである。彼は過去において自社の製品が資源を搾取し環境を破壊していたことを認め、自らを有罪とし、資源のリサイクルを推進し、2020年までに100%持続可能(サスティナブル)な企業に生まれ変ることを宣言した。

かつて、JFKの父・ジョセフは金儲けの秘訣は法律で禁止される前に行動することだ、と嘯いていたが、JFKの暗殺は金融恐慌の時代に父・ジョセフによって煮え湯を飲まされ、無一文となった者たちの犯行と見るのは穿ち過ぎだろうか、この映画から何となくそんなことを考えてしまった。

"the CORPORATION"は資本主義社会を生き抜くためのサバイバル映画と云うことだ。

追記:民営化を英和辞典で調べると次の通りである。(Privatization:1 〈公的なものを〉私的目的に使う, 私物化する.2 〈公有[国有]の企業?財産などを〉民営[民有]化する, 私営[私有]化する.)
民営化には公有財産の市民による共有化と云う概念は含まれていない。つまり、公有財産を私的企業が独占するということである。

Posted by S.Igarashi at 10:31 AM | コメント (11)

September 03, 2005

Movie baton-3

昔は映画を見るには映画館で見るしかなかったが、1980年代になってからコンシューマ向けのビデオデッキの普及とレンタルビデオの登場で映画を見る環境が一変した。しかし、それから20年でビデオもレーザーディスクも既にレガシーなものとなってしまった。レーザーディスク・プレーヤーが健在な内にDVDにダビングすべきか諦めるべきか、それが問題なのだぁ。
ん〜★思い入れのあるベスト5★に絞るのは難しそうである。しかし、ビデオもなかった頃は見たい映画が何時でも好きに見られる訳もなく、遥か彼方にある手の届かぬものであった。逆に、現在では名画と呼ばれたものが廉価版DVDとして店頭に並べられているのを見ると複雑な気持ちになる。そういえば、僕がビデオデッキを買ったのは「真夏の夜のジャズ」がビデオ発売されたことが動機だった。
ふふふ、kawaさんも考え始めたぞ!

と云うことで、意志薄弱で絞り込めない私は、、、
7★思い入れのあるベスト5+5★順不同
1:「真夏の夜のジャズ」伝説と化していたこの映画を思いかけずに見ることができたのは1970年代前半の京橋の国立近代美術館フィルムセンターであった。
2:「ザ・ハーダー・ゼイ・カム」レゲエがテーマなのであるがジャマイカのB級活劇映画となっている。ギャングに追われるシーンはゴダールの「気狂いピエロ」を彷彿させる。
3:「未来世紀ブラジル」テリー・ギリアム の想像力の賜物。
4:「ブレードランナー」そういえば、目撃者ジョンブックスのヒロインもレイチェルだったなぁ。これも建築ではロスアンゼルスのブラッドベリー・ビルが使われていたり、デッカードのアパートにF.L.ライトのデザインモチーフが使われていたりとか、別な興味もある。
5:「気狂いピエロ」「勝手にしやがれ」も良いけれどこれは外せないかな。
6:「パリ・テキサス」そうか、この頃からライ・クーダーと仕事をしていたのだ。
7:「フェリーニのアマルコンド」ん〜、「道」とか「甘い生活」も良いけれど、「アマルコンド」は良いなぁ。沖合を豪華客船(映画ではハリボテ)が通過するので村中の人がボートを漕ぎ出し見送りに行くエピソードは、昔、横浜の大桟橋から出港するクィーンエリザベス二世号を見たことがあるので、あの気持ちはよく分かる。
8:「ノスタルジア」タルコフスキーも一本に絞り難いけれど、映像美ということでノスタルジアを、カンピドリオ広場での撮影許可を与えたイタリア当局の文化に対する許容度にも拍手。
9:「アンダーグランド」サラエヴォ出身のエミール・クストリッツア監督の公開中のライフ・イズ・ミラクルは未だ見ていないがアンダーグランドは面白かったなぁ。
10:「地獄に堕ちた勇者どもルキノ・ヴィスコンティも一本に絞り難い作家、どの作品もそうだがヴィスコンティにしか撮れない映画、頽廃を描かせたら彼の右に出るものはいない。1500円か、DVD買おうかな。

8★憧れの映画ヒーロー(ヒロイン)★
30年前くらい、渋谷の全線座で見たカサブランカのイングリッド・バーグマン。
小学生や中学生の頃は映画雑誌・スクリーンのグラビアで見るオードリー・ヘップバーンには何の魅力も奇麗とも感じなかったが、本物のスクリーンで見たオードリー・ヘップバーンは魅力的でした。
バーグマンもヘップバーンも年齢を重ねてもスクリーンから逃げなかったのは称賛に値。

9★夢の企画、あるいはもう一度みたい映画★
アラン・レネの「去年マリエンバートで」
ATG新宿文化で見終わって、新宿の雑踏を歩いている間にタイトルとイタリア式庭園の風景を除いてメモリーが失われていた。岩波ホールで見た同じ原作者と監督の「プロビデンス」も難解でしたが、ダーク・ボガードの台詞「ピー」だけは理解できた。
地獄の貴婦人」池袋文芸座でラストタンゴ・イン・パリと併映されていたのを途中から見たので全体のストーリーも題名もはっきりと記憶にないのだが、映画に使われていたアールデコのインテリアがピエール・シャローのガラスの家に似ているような気がするので確かめたいだけで、映画の内容には興味ない。あっ、主演のロミー・シュナイダーは好きな女優の一人です。

Posted by S.Igarashi at 12:47 AM | コメント (1)

September 02, 2005

Movie baton-2

と云うことで続きですが、
私、情報誌「ぴあ」の細かい文字を読むのがとても辛い、今日この頃です。
4★好きな監督★
20歳前後によく見たのがATG新宿文化だったので
ジャン・リュック・ゴダール
フランソワ・トリュフォー
ピエール・パオロ・パゾリーニ
フェデリコ・フェリーニ
ATG新宿文化なきあと、次にハマった映画館が神保町の岩波ホールで
ルキノ・ヴィスコンティ
アンドレイ・タルコフスキー
ですかね、、、
それとウッディ・アレンかな

最初に見たゴダールの映画は主演がジャン・ピエール・レオとシャンタル・ゴヤによる「男性・女性」で、当時メジャー配給されていたクロード・ルルーシュの「男と女」にタイトルが似ていたがゴダールの「男性・女性」を見た人は皆無に近かった。その後「勝手にしやがれ」「軽蔑」「気狂いピエロ」「アルファヴィル」「ウィークエンド」「中国女」と立て続けに見た。特に「気狂いピエロ」ラストのランボーの詩が流れるシーンはガキには刺激的だったね。またモラビア原作の「軽蔑」はイタリア合理主義を代表するグルッポ・セッテ(7)のアダルベルト・リベラ設計の岸壁に建つヴィラ・マラパルテが舞台になっている。何の予備知識を持たずに「軽蔑」を見た時、ブリジット・バルドーよりもこの建物に心を奪われてしまった。

フランソワ・トリュフォーはリアルタイムでは見られなかった突然炎のごとくが良い。

ピエール・パオロ・パゾリーニアポロンの地獄 を見たときは未だ十代でした。同じギリシャ悲劇の「オイディプス」から着想を得たのが松本俊夫監督の薔薇の葬列でATG系(アートシアターギルド)で封切られた。時期が「アポロンの地獄」の直ぐ後だっただけにパクリと見なされたのは不運だけど、「アポロンの地獄」よりもっと暗くじめじめしている。話題はピーター(池畑慎之介)の映画デビュー作だけ。この時代のATG系作品は大島渚をはじめとして、ほんとに暗かったなぁ〜。そういえば宇多田ママが十五、十六,十七とぉ〜♪、と唄っていたのは此の頃だっけ。

フェデリコ・フェリーニサテリコンも2年くらいのタイムラグはあるがアポロンの地獄 と同時代の映画と言って良いだろう。ん〜、今考えるとこんなに濃い映画を見ていたのか、ゲップ。

ルキノ・ヴィスコンティの映画を最初に見たのはアルベール・カミュ原作の「異邦人」だったが、マルチェロ・マストロヤンニが自分の中の原作のイメージと合わなかったので監督の名前までは記憶に残らなかった。その次に見たのが「家族の肖像」で、それからヴィスコンティにはまっていった。

アンドレイ・タルコフスキーも最初に見たのが惑星ソラリス だから監督で見にいったのではなくSF作品として見た。鏡、ストーカー、ノスタルジア、そして遺作のサクリファイスと西洋思想の四元素(土 気 火 水)の中でも特に「水」への執着が強い。タルコフスキーの映画は再生のメタファーである「水」がキーワードであり、彼の映画には常に「水のメタファー」が通奏低音としていつも浮遊している。

ウッディ・アレンのインテリアは独りよがりのインテリアデザイナー・建築家への悪意が込められていてシリアスドラマだけど面白い。

5★好きな俳優★
レイモンド・チャンドラー原作の映画・さらば愛しき女よで私立探偵フィリップ・マーロウを演じたロバート・ミッチャムの草臥れた中年男ぶりが良い。

6★好きなジャンル★
こうして見ると「SF」かな、スラプスティックも好きだけどなぁ。

以下、続く。

Posted by S.Igarashi at 10:13 AM | コメント (3)

September 01, 2005

Movie baton-1

fuRuさんの「Movie batonだよ?」・・・ということでを読んでみて、さて自分はどんな映画を見て、それから影響を受けたのだろうかを考えるには良いテーマかもしれないと思い、それに乗ってみることにした。

質問内容は下記の通り。
★一年に何本映画を見ますか?★
★初めて見た映画★
★最近見た映画★
★好きな監督★
★好きな俳優★
★好きなジャンル★
★思い入れのあるベスト5★
★憧れの映画ヒーロー(ヒロイン)★
★夢の企画、あるいはもう一度みたい映画★

と云うことで、古い記憶にもアクセスしなければいけないので、一度でなく数回に分割して書くことにする。

1★一年に何本映画を見ますか?★
南大沢にシネコンができてからレイトショーの時間帯の安い料金で見ることが多いが、ここは東宝系なので必ずしも見たい映画が掛かるとは限らないのが残念。最近は年に2〜4本くらいでしょうか。

2★初めて見た映画★
7歳まで住んでいた足立区梅田では物心が付かないうちから映画館に行っていたそうである。母によればジョン・ウェインの黄色いリボンは母の背中におぶさって見たそうだが、もちろん映画を見たという記憶はない。邦画系の梅田シネマでは主にチャンバラ映画、当時のスターは東千代之介だった。「蛇姫さま」なんてタイトルを覚えている。洋画系の大原館では元祖「宇宙戦争」を見た。他にもタイトルは覚えていないがB級のSFホラー映画なども見ていた。
高校生になってから新宿に出掛けて初めてみたのがソヴィエト映画の戦争と平和だった。この映画がきっかけでトルストイの原作を夏休みに読破。
高校三年の時、ATG新宿文化で初めて見た映画は華氏451だった。レイ・ブラッドベリのテーマに引かれて見に行った映画だったが、その後フランソワ・トリュフォーをはじめとするヌーベルバーグをみるようになった。

3★最近見た映画★
EPISODE-III
第一回目はここまで。

Posted by S.Igarashi at 03:09 PM | コメント (3)

July 20, 2005

THE ART OF STAR WARS

ということで招待券を入手したのでTHE ART OF STAR WARSも見てきた。THE ART OF STAR WARSは昨年、京都国立博物館でも開催されているが、そのとき"EPISODE-III"についてどのくらい情報公開されたのだろうか、いずれにしても今回は"EPISODE-III"完成後の"THE ART OF STAR WARS"なのでシリーズ6作を網羅した図録の完成度は高いと思われる。今回の会場は目黒美術館と東京フォーラムに分かれて、目黒美術館のコピーは「ダースベイダーの誕生」と云うことで主に"EPISODE-III"の登場人物のキャラクターにフォーカス、東京フォーラムのコピーは「リアルサイズのスターファイター」として乗り物等にフォーカスしている。どちらもマニア垂涎のお宝で溢れているが、目黒美術館ではそうしたマニアやオタクの行動心理を警戒しての措置なのだろうか、係員がのべつ幕無し「携帯での撮影や展示物に触れることは固くお断りします。」「ガムなどの会場内での飲食はおやめください。」と喋りながら会場内を巡回すること喧しいかぎりである。聞いた話であるがマニアからの質問や指摘は西洋美術や現代美術を学んだ学芸員の知識を遥かに超えているそうで、誰も答えられないとか。

Posted by S.Igarashi at 10:07 PM | コメント (1)

July 19, 2005

EPISODE-III

EPISODE-IIIを見た。「マンガだからしょうがないさ。」とは昭和30年頃、足立区梅田界隈をテリトリーとしていた紙芝居屋・通称とんちオッサンの口癖だが、今ならジョンカビラのハイテンション・フレーズ「いいんです!」と云ったところだろう。自然科学的に見れば問題の多い数々のシーンも、「いいんです!スターウォーズなんです!」で済ませることができる。しかし、ダークサイドに引き込まれるアナキン・スカイウォーカーの葛藤が描ききれておらず、余りにも稚拙な演技と安易な演出と言わざるを得ない。仮にそれが、ダークサイドに堕ちてゆくアナキン・スカイウォーカーに観客が感情移入しない為の配慮だとしても戴けない。が、そうした不満はあるにせよ1977年の第1作から見てきた者にとって"EPISODE-III"によって埋まらなかったジグゾーパズルのピースが見つかり全体像を見た思いである。これでようやく28年ぶりに胸のつかえが下りたのだ。

スターウォーズ第1作の1977年と云えばAppleII発売の年でもあり、Apple創立の年でもある。Appleの歴史の中で、しばしばスターウォーズが引用されIBMやIntelがダークサイドに見立てられてきた。嘗てはダークサイドに見立てたIBMともPowerPCで提携し、今度はIntelのチップを採用することが決まった。それが28年の歴史の流れでもあるのだろう。
STAR WARS Japan.com
THE ART OF STAR WARS

Posted by S.Igarashi at 10:22 AM | コメント (0)

June 26, 2005

チョムスキー9.11 Power and terror

チョムスキー9.11 Power and terror
チョムスキーは楽天家なのだ。9.11以後のインタビューと講演が収録されたこのDVDを見てそう思った。それは彼の言語学者としての研究と思索から生まれたものだろう。人の言語能力は先天的に備わったものだとするチョムスキーは人種・民族・文化の壁を超えて人々はコミュニケーションできると信じている。「世界は悪い方向に向かっているのではないか?」との聴講者の質問にも「そんなことはない」と言い切る。ベトナム戦争批判に立ち上がった当時に比べれば言論の風通しは少しずつ良くなっている。「サッコとバンゼッティの悲劇」も「奇妙な果実」も「マッカーシー旋風」も過去の出来事となりつつある。チョムスキーが職を失い国外追放されないこともアメリカの民主化が以前より良くなっていることの証なのだろう。物事に悲観せず諦めず継続することの大切さと可能性を信じる勇気を与えてくれるDVDである。

チョムスキーは東京裁判についても語っている。日本のA級戦犯は紛れもなく戦争犯罪人であるが、東京裁判そのものについては茶番と切り捨てる。何故なら、連合国側の戦争犯罪行為が問われなかったからである。更にニュールンベルグ裁判に於いて何が戦争犯罪に該当するか定める会議において、その根拠になったものは、ナチスドイツが行った戦争行為の方が多く、連合国側が行わなかったもの(或いは少なかった行為)が戦争犯罪と見なされた。その逆に連合国側が行った戦争行為の方が多く、ナチスドイツが行った戦争行為の方が少なかったものは戦争犯罪と見なされなかった。その典型的なものが市街地空爆である。第二次世界大戦末期、既に空軍の戦闘力を失っていたドイツ空軍に対して連合軍側は市街地空爆を断行し降伏へと追いつめた。それは日本においても同様である。1945年3月10日の東京空爆に始まり、日本の主要都市を空爆、最後にヒロシマ、ナガサキに原爆を投下、明らかに、女性、子供、民間の非戦闘員を巻き込んだ無差別殺人の戦争犯罪行為であるが、ドイツも日本も連合軍を上回る空爆を行わなかったので、空爆は戦争犯罪と認定されずに今日に至っている。それ故、アメリカはベトナム戦争北爆、アフガン空爆、イラク空爆と反省もせず無差別殺人を繰り返すのである。

Posted by S.Igarashi at 10:55 AM | コメント (0)

March 27, 2005

A VERY LONG ENGAGEMENT

戦争には勝者も敗者もいない、殺された者と生き延びた者がいるだけだ。
映画『ロング・エンゲージメント』を見た。フランス映画だと思っていたが、制作配給がワーナーブラザーズによるアメリカ映画である。原作はセバスチアン・ジャプリゾの"Un long dimanche de Fiancaille"(婚約者の長い日曜日)邦題「長い日曜日」である。恐らくはワーナーブラザーズ制作ということで、英語のタイトルになっているのだろう。映画は「アメリ」のジャン=ピエール・ジュネ監督とオドレイ・トトゥの主演ということから解るように、アメリカ映画であるが監督も出演者もフランス語圏の人々で固めている。例外は脇役として出演しているジョディ・フォスターだけである。
エンゲージメント(婚約)はフランス語的に発音すると「アンガージュマン」と言うらしい。広辞苑第五版によれば【アンガージュマン:(約束・契約・関与の意) 第二次大戦後、サルトルにより政治的態度表明に基づく社会的参加の意として使われ、現在一般に意志的実践的参加を指す。】とある。このタイトルが世界共通だとすると婚約者を"Fiancaille"から"ENGAGEMENT"に変更した理由に監督の思惑が隠されているのかも知れない。

長い日曜日とは第1次世界大戦の真っ只中、1917年1月の或る日曜日、フランス北部でドイツ軍と交戦しているフランス軍の最前線の塹壕「ビンゴ・クレピュスキュル」で起きた5人の戦争犯罪者の処刑(みせしめのリンチもどき)に隠された事実をオドレイ・トトゥ演ずるマチルドが明かしてゆくミステリーである。
映画は婚約者の生存を信じるマチルドのミステリー・ラブロマンスを前面に宣伝しているが、監督が描きたかったのは20世紀初頭の徴兵制度によって一般市民を飲み込んでゆく近代戦争であろう。それは封建国家に取って代わった国民国家という近代が生み出した国民的同一性という幻想や近代的神話が内包する矛盾でもある。

共同通信の従軍記者として戦地で取材した事の或る作家・辺見庸が戦場のイメージを「赤い薔薇」に例えていたが、マチルドの婚約者・マネクが隣りにいた兵士を直撃した砲弾によって「赤い薔薇」を全身に浴びるシーンを見て辺見庸の例えがその通りなのだと思った。とにかく、アメリカ資本で作られた映画なので火薬の量が半端ではない。目を覆いたくなるシーンも多いが、戦前の軍国主義へと回帰しようとする風潮を思うと是非見て欲しい映画である。

Posted by S.Igarashi at 11:30 AM

February 06, 2005

The War of the Worlds

H.G.ウェルズ原作『The War of the Worlds』によるSF映画の古典・邦題「宇宙戦争」がスピルバーグとトムクルーズ出演でリメイクされ今年の夏に公開される。未知との遭遇を思わせる予告編では未だ地球に攻めてくる火星人の実態や円盤などのデザインは明らかにされていない。
米国公式サイト国内公式サイト

このSF映画の古典と言われている「宇宙戦争」を初めて見たのは、未だ小学校にも行っていない頃、当時住んでいた足立区にあった映画館「ダイゲンカン」であった。足立区には小学一年までしか住んでいなかったので記憶は鮮明ではなく、「ダイゲンカン」を漢字でどう書くのか憶えていなかった。映画館だから幻灯機に因んで「大幻館」と書くのだろうと思ったが、Googleで検索したら昭和32年の東京都の映画館に足立区の「大原館」が見つかった、「大幻館」でなくて残念。子供の頃、良く映画を見に行ったのはこの「大原館」と「梅田シネマ」だった。
「宇宙戦争」は日曜日に父と兄達と一緒に見に行ったのだが、途中でフイルムが切れて上映が中断してしまったことを憶えている。昔は複数の映画館で上映時間をずらして一本のフイルムを持ち回りしていたので、フイルムが切れることはよくあることだった。たぶん、このときも北千住あたりの映画館から次のフィルムを自転車で運んでくるのに間に合わなかったのだろう。(諸説ある自転車操業の語源の一説、へぇ〜)他に憶えていたのは空飛ぶ円盤から伸びた触角の様なものから発せられる光線を浴びると、建物や人が溶けてしまうことだった。
10数年前に深夜に放送された「宇宙戦争」をテレビで見た事がある。子供の頃、凄いなぁ〜と思った特殊撮影がまるで子供騙しで幼稚にしか見えなかった。それと若き日のジーン・バリーが出演していたことをその時知った。ジーン・バリーは後にテレビシリーズ「バークに任せろ」で主役の富豪刑事を演じていた。
スピルバーグもトムクルーズもきっと子供の頃に"The War of the Worlds"をワクワクしながら見たのだろう。だから、現代のCGを駆使した特殊撮影でこのSF映画の古典を蘇らせたいと考えたに違いない。

Posted by S.Igarashi at 04:10 PM | コメント (1)

December 29, 2004

BUENA VISTA SOCIAL CLUB

1月1日にテレビ神奈川BUENA VISTA SOCIAL CLUBが放送される。UHFの地方局なので誰でも見られる訳ではないが、神奈川か東京西部でUHFが受信可能でDVDを買おうか迷っている人には御奨め。
監督はヴィム・ヴェンダース、音楽監督はライ・クーダー。撮影は1998年、ハバナでのスタジオ風景、アムステルダムへのツアー、ニューヨーク・カーネギーホールでのコンサートとドキュメンタリー映画の枠組を超えたドラマがある。アフロキューバン音楽が大好きな人にもそうでないひとも見て損はない。しかし昨年この映画の重要なキャストでもあるルーベン・ゴンザレス(享年84歳)とコンパイ・セグンド(享年95歳)が相次いで他界してしまった。僕はロードショー封切りの時に渋谷のシネマライズで観たけれども、渋谷の街とは思えないほど観客の年齢層が高かったことが印象に残っている。

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October 13, 2004

アトミック・カフェ

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渋谷のユーロスペースで1982年制作の「アトミック・カフェ」がレイトショー上映されている。監督はマイケル・ムーアに映画の撮り方のイロハを教えたケヴィン・ラファティ。つまり、『ボウリング・フォー・コロンバイン』や「華氏911」のムーア流ドキュメンタリーのルーツだそうだ。
「ホワイトハウスから徒歩5分」「蒼ざめて「アトミック・カフェ」をみよ」

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August 31, 2004

ムーアのジレンマ

先のエントリー華氏911で、この映画は彼の著書「アホでマヌケなアメリカ白人」のエピローグが映画制作の動機付けとなっていると書いた。それはムーアが2000年の大統領選で緑の党ラルフ・ネーダー候補の陣営で選挙運動に参加したため、民主党の票がラルフ・ネーダーに流れ、ブッシュを当選させることに繋がったと『全ての責任は自分(ムーア)にある』と述べている。だから、是が非でもブッシュをホワイトハウスから追い出せねばならない、と云う事である。

ムーアとラルフ・ネーダーの関係も複雑である。元々、ムーアはラルフ・ネーダーのオフィスで働いていた。しかし、次第にムーアが映画作りをするようになり、それを快く思わなかったラルフ・ネーダーからオフィスを追われることになる。しかし、2000年の大統領選でラルフ・ネーダーから選挙の応援を頼まれる。そのとき、ムーアはゴアの応援をしようと心に決めていたが、どちらかを選ばなければいけない、そこでムーアはゴアに手紙をしたためたが、ゴアから届いた型通りの返事に落胆し、かっては世話になったことのあるラルフ・ネーダーの応援にまわった。それでも、ムーアはラルフ・ネーダー陣営にいながら、ゴアに投票するよう訴えていた。
民主主義は多様な考え、マイノリティの意見が尊重されてこそ意味がある。米国でも二大政党制に疑問を抱いている人たちは大勢いるが、それらのリベラルな考えを持つ人は民主党の支持層とダブってしまうのである。先の大統領選のように全体得票数ではゴアがブッシュを上回っていたにも関わらず落選するなど、米国の選挙制度も日本と同様に欠陥だらけである。

爆笑問題が斬る!マイケル・ムーアの“アホでマヌケなアメリカ白人(1)”
9月10日(金)2:25〜3:40(9/9の深夜) テレビ東京  Gコード(9683565)
爆笑問題が斬る!マイケル・ムーアの“アホでマヌケなアメリカ白人(2)”
9月11日(土)3:10〜4:30(9/10の深夜) テレビ東京  Gコード(2847904)
木曜洋画劇場【特別企画】
ボウリング・フォー・コロンバイン BOWLING FOR COLUMBINE
テレビ東京 9月16日(木) 午後9:00〜11:24

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August 30, 2004

予告編

映画館で観せられる予告編や広告の類い、何故か本編よりも大きな音量で上映されている気がしてならない。観たいと思っている映画ならばまだしも、観たくもない映画の残酷シーンや恐怖シーンを大音量で立て続けに観せられると耳を塞ぎたくなる。
以前、CBSドキュメントの最後のコラムのコーナーで名物キャスターのオジサンも同じようなことを言っていた。そして北米のとある映画館を紹介していた。その映画館では上映前の広告も予告編も一切流さず、本編だけを上映している。支配人曰く「お金を払ってわざわざ映画館まで足を運んでくれるお客さんに、家庭でさんざん観ているモノと同じ広告を見せることはないでしょう。」
シネコンであるならばチケットがなくてもフリーで入れるスペースで常時予告編を流していたほうが余程、宣伝効果があるように思えるのだが。

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August 26, 2004

華氏911

昨夜、八王子南大沢のシネコンで「華氏911」を見てきた。3月7日のエントリー「W.ディズニーの遺伝子」で、この映画が配給中止になったことを書いたときは、見る機会ができるか予測できなかった。マイケル・ムーアの前作「ボウリング・フォー・コロンバイン」は単館上映の為、時間の都合がつかず見られなかったし、こうしたドキュメンタリー映画を山里で見るのは難しい。今回はカンヌ映画祭で受賞したことにより、北米でも上映されることになり、話題性もあって日本でも拡大ロードショーとなり山里でもみることができた。内容的にはムーアの著書「アホでマヌケなアメリカ白人」のエピローグが「華氏911」のプロローグであり、ムーアが「華氏911」を作る動機付けとなっている。題名はもちろん華氏451のパクリである。それはイラク戦争に対して、foxテレビを代表とするメディアの報道が偏向していることへの批判も含まれているのだろう。「華氏911」はイラク人も含めて、米兵、米国市民の殺される側の視点で描いた映画である。従って、イラクに爆撃を加え、米国市民にイラク市民を殺すように命令を下す側から見れば明らかに偏向しているだろう。ある米兵の告白、「イラク人を殺す度に(自分の)魂も死んでゆく。」彼が運良く生き延びて、帰還できたとしても、彼の残された人生で、失った魂を蘇生をするのは困難と思われる。
我らが宰相・鈍一郎クンは「偏向しているから観ません。」と言っている。それを受けてか、どこかのテレビのニュースコメンテーターも「偏向しているから、、、、なんたら」と鈍ちゃんに追従し保身を忘れない。
NEWS23でマイケル・ムーアにインタビューした金平茂紀氏は彼の
コラムで[マイケル・ムーアとパンクと『ゆきゆきて神軍』]を書いている。

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June 25, 2004

ROUND MIDNIGHT

月曜日のNHK教育人間講座「秋吉敏子・私のジャズ物語」第三回は「バド・パウエルとの出会い」だった。ボストンのバークリー音楽学院への留学、そのボストン到着の第一夜にジャズクラブ「ストーリーヴィル」でのバド・パウエルとの出会い、米国での初めてのピアノ演奏がバド・パウエルに促されての演奏であったとか、バド・パウエルとの思い出を語っていた。その中でバド・パウエルが一時パリに移住したときの話は映画にもなっていて興味深かった。

1986年製作の映画「ROUND MIDNIGHT」はバド・パウエルをモデルに彼の理解者・フランシスとの交流を描いた物語である。映画ではバド・パウエルの役どころはピアニストではなく、架空のテナーサックス奏者「ディル・ターナー」に替わっている。主演はDexter Gordon 、もちろん現役のテナーサックス奏者、その朴訥な演技がリアリティと共感をよんだ。映画の音楽監督はハービー・ハンコック、もちろん出演もしている。何しろ出演しているジャズメンは全て現役のトッププレイヤーである。ディルのレコーディング場面では60年代のマイルス・デイビス五重奏団からマイルスだけが抜けたメンバーがディルのサポートをしている。ハービー・ハンコックをはじめとしてロン・カーター、トニー・ウィリアムス、ウェイン・ショーターと並ぶ、他にブルーノート・レーベルのボビー・ハッチャーソン、珍しいところではマイルス・デイビスのビッチェス・ブリューやジャックジョンソンに参加したことのあるイギリス人ギタリストのジョン・マクラフリンも出演している。バド・パウエルへのオマージュとして製作されたこの映画に参加した全てのジャズメンがバド・パウエルを尊敬し彼の演奏を愛していたことが伝わってくる映画である。(廉価版DVDが1575円、昔は2枚組LDが9800円だった。その値段ならDVDを買おう。)

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May 29, 2004

トロイアの女

現在上映中のハリウッド映画トロイのテレビコマーシャルのCGを駆使した画面に写る大船団がまるでスターウォーズのクローン戦士のように均一で気持ちが悪い、それ以上に「それは史上最大の【愛】のための戦い」の宣伝コピーは、まるでイラク戦争の正当性を訴えるかのように欺瞞に満ちたものだ。映画「トロイ」はホメロスの「イリアス」と「オデュッセイア」、それにクイントゥスの「トロイア戦記」を底本に歴史的伝説を加味し最後にハリウッド風添加物をまぶして作られたものだろう。それはブッシュのように頭を空っぽにして、咽に詰まると危険な「プリッツエル」ではなく、スイートな「キャラメルコーン」を頬張り、コーラをがぶ飲みしながらブラッド・ピットになったつもりで見るに相応しい映画だ。
そうしたハリウッド映画と一線を画す作品が27年前に岩波ホールで公開されている。マイケル・カコヤニス監督の「トロイアの女」だ。

映画「トロイアの女」はユーリピデス(エウリピデス)のギリシャ悲劇を底本に製作された。主演のヘカベにキャサリン・ヘップバーン、そしてヘレネ役はイレーネ・パパスが、アンドロマケにはバネッサ・レッドグレイブと錚々たる女優陣が演じている。映画は廃墟と化し、炎と煙に包まれたトロイアの市(まち)から始まる。

この映画はギリシャが軍事政権下にあった1967年から1974年の間、アメリカに亡命していたギリシャ人映画監督マイケル・カコヤニスによって1971年に製作されている。

----紀元前416年、果てしなく続く泥沼のような戦いにのめりこんでいたアテネの軍勢は、中立を叫んでいたメロス島を襲い、成年男子をことごとく虐殺した。それは全く無意味な報復行為であった。エウリピデスはこの事件に衝撃を受けて「トロイアの女」を書いた。これはギリシャのトロイア攻略を背景に、戦争の恐怖と空しさを描く、時を超えた告発である。私は弾圧と戦うすべての人々に、この映画を捧げる。----
とマイケル・カコヤニスは述べている。

映画評論家・佐藤忠男氏が寄せた映画パンフレットの文章の一部を紹介すると。

、、、ギリシャ側の英雄的な手前味噌によれば、これはギリシャの美女ヘレネを奪ったトロイアに対する正義の復讐であるが、そんなことは勝手な理屈であって、侵略戦争であったに決まっている。しかも、ギリシャのやり方は無慈悲で残酷を極めていた。、、、、、、、、、、、中略、、、、、、、、、、史上、多くの国が侵略戦争をやったが、侵略戦争をやった側の国の代表的な劇詩人が、自国の非道なやり方で惨苦に突き落とされて熾烈な呪胆の声をあげている敵側の女達の声を代弁したという例は少ないのではないか、、、、

ブッシュの起こしたイラク戦争の真の目的が石油利権の強奪であったように、ギリシャのトロイア攻略も、トロイアの富、金銀財宝を略奪することがその目的であった。「【愛】のための戦い」は戦争を正当化するための都合の良い口実、奇弁にしか過ぎないのである。穿った見方をすれば「ヘレネの美人局」説だって考え得る。つまりヘレネこそがトロイの木馬である。
キャサリン・ヘップバーン演じる王妃ヘカベの最後の台詞
「立て!ふるえるからだよ、大地より立て、年老いて、弱った脚よ、私を連れていっておくれ、新しい奴隷の日々に!」

生きるということは現実を受け入れることである。
私の父母の世代の知人関係にも太平洋戦争で現実を受け入れることができず、アイデンティティを失ってしまった女性が何人かいた。こうした人々は戦争の犠牲者として決して統計上に表れない。

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April 02, 2004

アフガン零年(ぜろねん)

東京都写真美術館にて上映中の「アフガン零年/英語版タイトル:Osama」を見た。昨年、NHKで、そのメイキング・ビデオと監督自身のコメントを放送していたので、期待を膨らませて出掛けた。些か期待を抱きすぎていた所為なのか、期待外れの内に82分間の上映時間が終わってしまった。この映画を全否定するつもりはない、82分間でアフガンの全てを描ききれるものではないことは先刻承知である。しかし、描いたものと、描かれなかったものが、何かを想像することは許されるだろう。これが、セディク・バルマク監督が本当に撮りたい映画であったのか疑問だけが残り、腑に落ちない。映画制作はアフガニスタンとアイルランド、日本の出資によるものである。その多くはNHKエンタープライズ21が負担しているようである。邦題の「アフガン零年」と英語版タイトルの「Osama」の違いは何であろうか、「Osama」はお香屋の少年が、主人公の少女を庇うために、咄嗟に思いついた男性名である。邦題の「アフガン零年」は、セディク・バルマク監督がそれで良としたのだろうか、どうもNHKの意向が強く感じられる。「アフガン零年」ではアフガニスタンの過去の歴史全てが否定されているようにも思えるのだ。

監督のセディク・バルマク氏に関してはタリバン政権と対立する抵抗勢力であった北部同盟の本拠地・パンジシールの出身である。1962年生まれと云うから、ソビエト連邦がアフガニスタンに侵攻した1979年に17歳、そして撤退した1989年には27歳の青年になっていた筈である。彼の経歴にはモスクワに留学して6年間映画制作を学んだとされているから、アフガニスタンがソビエト連邦に占領されている時期に故国を離れ、占領支配国であるソビエト連邦で学生時代を過したことになる。云わば宗主国が植民地の有能な青年を本国に招き入れ教育を受けさせ、宗主国の文化的遺伝子を植え付け再び植民地に帰して植民地支配に就かせる意図に因るものであろう。

何故、監督の経歴に疑問を感じたのかと云えば、映画の中でのタリバン政権の描き方が余りにも図式的過ぎて、何か出来の悪い政治的なプロパガンダ映画を見せられているように思えたからである。例えばタリバン政権下にあってブルカに身を包んだ女性たちのデモが実際に有り得たのだろうかとか、隣人の婚姻の宴でタリバンへの悪口雑言を歌や踊りで表現することが可能だったのか疑問が残る。単にタリバン政権の理不尽な圧政を見せるための演出だとしたら、余りにも稚拙な表現である。
青年時代をモスクワで過し、タリバン政権後はパキスタンに亡命していたセディク・バルマク氏はアフガニスタンの僅か一握りのエリートであろう。その彼にタリバン政権の首都カブールの虐げられた人々の生活を描ききれたのか、私には想像できない。
真実を訴えるドキュメンタリーなのか、虚構でもカタルシスのある物語(ドラマ)なのか、どちらつかずの映画作りに観客として戸惑いを隠せない。何か演出過剰(やらせ)で姑息なドキュメンタリーを見せられたような後味の悪さが残った。
この映画の最大の欠点はアフガニスタン人の監督による映画であるが、アフガニスタンの人々に見てもらうために作られたものではないという事であろう。

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March 28, 2004

華氏451

華氏451は高校生の時に新宿文化(ATG、アートシアターギルド)で見た初めての映画だ。レイ・ブラッドベリ原作、フランソワ・トリュフォー監督のこの映画は近未来の言論統制下にある社会を描いている。同じようにファシズムをテーマとした「1984」と比較すると「華氏451」の近未来社会は一見して秩序があり、都市も美しく人々の生活も豊かに見える。それはソフト・ファシズムと言って良いだろう。体制に逆らわず、何も考えず、誇りも持たず、家畜として生きて行けるなら楽な世界に見える。華氏451は紙が燃える時の温度である。焚書がテーマのこの映画の主人公は消防士であるが、消火が任務でなく、反体制のアジトをガサ入れして、書物を燃やすのが任務である。活字は御法度、新聞は漫画だけ、テレビだけが一方的な情報源の社会である。別名・悪徳政治家及び官僚保護法と呼ぶのが相応しいような個人情報保護法のごり押し採決といい、週刊文春・出版禁止措置といい、「1984」から20年を経た「2004」は限りなく「華氏451」の世界に近づいているようにも思える。

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