iTunesStoreで『ふたりのヌーヴェルヴァーグ・ゴダールとトリュフォー』を借りて観た。公式サイトによれば2011年に日本公開されたドキュメンタリー映画だ。それもミニシアターによる単館上映だったりで見逃していた。ジャン=リュック・ゴダールとフランソワ・トリュフォーの二人はフランスで起きたヌーヴェル・ヴァーグの中心的存在であるが、その二人の監督の元で多くの映画に出演したジャン=ピエール・レオがこのドキュメンタリーの中心人物である。トリュフォーの分身とも云えるジャン=ピエール・レオを主役に据えたトリュフォーの「大人は判ってくれない」の公開が1959年、同年に制作されたゴダールの「勝手にしやがれ」の公開が1960年、そう云うことでヌーヴェル・ヴァーグ生誕50周年記念作品として2009年のカンヌ映画祭に出品された作品である。トリュフォーとゴダールが出合ったのが1949年、ヌーヴェル・ヴァーグの季節が終り、トリュフォーとゴダールが決別したのが1968年後半とか、丁度、私が生れて成人するまでの時の流れで云えば10代の時期がふたりのヌーヴェル・ヴァーグに対応しているが、私がリアルタイムで観られたのは、その季節も終わる頃だったようだ。
最初にリアルタイムで観たトリュフォーの映画は高校生の時にatg新宿文化で1967年に日本公開された『華氏451』だった。そして、その翌年の1968年に日本公開されたゴダールの『男性・女性』をやはりatg新宿文化で観た。主演はジャン=ピエール・レオであった。
ゴダールの映画を初めて観た1968年2月にパリにあったシネマテーク・フランセーズの運営を巡って時の文化相、アンドレ・マルローと政府に映画人や文化人が抗議デモ、その3ヶ月後に五月革命が…五月革命は知っていても、シネマテーク・フランセーズについては、こうしたドキュメンタリーフィルムを観なければ知らないことだろう。ヌーヴェル・ヴァーグに関して「遅れてきた青年」ならぬ「遅れてきた少年」だったが、一応その時代の最終章に滑り込むことが出来た世代だった。と云うことで、その時代を体験したり、映画の研究でもしていない限り、万人に薦められない退屈な映画だろう。
因みに私が見た映画は…
トリュフォーが…
大人は判ってくれない、突然炎のごとく、華氏451、黒衣の花嫁、アメリカの夜、アデルの恋の物語 、トリュフォーの思春期、緑色の部屋、終電車、隣の女…
ゴダールが…
勝手にしやがれ、女と男のいる舗道 、軽蔑 、アルファヴィル 、気狂いピエロ、男性・女性 、中国女 、ウイークエンド 、東風
このくらいか...
Posted by S.Igarashi at December 2, 2016 01:35 PM