相変わらず多量の"Spam-mail"が送り付けられる毎日である。いちおうプロバイダのユーザー設定でフィルタリングをしてあるが大して意味をなしていない。逆に正規のメールも削除してしまうことも有ったり、メールが届いてないとか、"Spam-mail"の悩みは尽きない。そう云えば、今なら"Spam"の語源となった"Monty Python"のコントが"YouTube"で見られるだろうと、Googleから検索すると、やはり有りましたね。
そうか"Monty Python"のレーザーデスクもLDプレーヤーが生きているうちにダビングしておかないと、と思うのだが、時間軸に拘束されているリソースは時間泥棒でもあるのだ。
Posted by S.Igarashi at August 20, 2007 06:03 PM>何でモンティ・パイソンがスパムなんだろう。
何でだろう、第二次大戦後、アメリカから援助物資として大英帝国にスパムが大量に送り付けられたとかね。援助物資(実は軍事物資の残り物)の箱を開けるとスパム、これもスパム、スパム、スパム、なんてね。あくまでも想像ですが。
それでも人道的配慮で敗戦国に賞味期限切れスレスレの脱脂粉乳を送り付けるよりはマシですかな。(あの給食の脱脂粉乳ミルクは罰ゲームのようなものですね。人道的悪意。)
敗戦国に生まれたクソ餓鬼のオイラ達は敗戦から十数年経った頃、戦勝国のクソ餓鬼、クソ婆相手のテレビジョン番組で「大量消費」を知ったのであるが、あの頃、戦勝国のクソ餓鬼がでかいコンビーフを厚切りにしてパンに挟んで食べていた事がクラスか何かで話題になったことがあったが、今考えるとあれは「コンビーフ」ではなく「スパム」だったのだろう。
Posted by: iGa at August 22, 2007 10:21 AMそれからスパムと言うと、シアトルのセフコフィールド脇の宇和島屋と言うスーパーに、以前はスパムむすびがあったのだが、今はどうなったか、分からない。以前は孫逸仙公園の近くにあって圧倒的に怪しげだったのが、セフコフィールド脇に引っ越して、すっかりきれいになってしまったようだ。
Posted by: Fumanchu at August 22, 2007 01:36 AMオラが初めてスパムを食べたのは1969年頃、横浜港の米軍瑞穂ふ頭に停泊中の米軍戦時標準型輸送船の食堂でありました。
沖仲仕のバイトの休み時間に食堂に忍び込むと、セルフサービスのテーブルの上には何時でもスライスしただけのスパムが山盛りにしてあって、当時の私にとっては「大量消費」という「夢の実現」でありました。パンとフルーツもあった様に思うが、スパムばっかりかっぱらってきては食っていた。
何でモンティ・パイソンがスパムなんだろう。