東京都写真美術館にて上映中の「アフガン零年/英語版タイトル:Osama」を見た。昨年、NHKで、そのメイキング・ビデオと監督自身のコメントを放送していたので、期待を膨らませて出掛けた。些か期待を抱きすぎていた所為なのか、期待外れの内に82分間の上映時間が終わってしまった。この映画を全否定するつもりはない、82分間でアフガンの全てを描ききれるものではないことは先刻承知である。しかし、描いたものと、描かれなかったものが、何かを想像することは許されるだろう。これが、セディク・バルマク監督が本当に撮りたい映画であったのか疑問だけが残り、腑に落ちない。映画制作はアフガニスタンとアイルランド、日本の出資によるものである。その多くはNHKエンタープライズ21が負担しているようである。邦題の「アフガン零年」と英語版タイトルの「Osama」の違いは何であろうか、「Osama」はお香屋の少年が、主人公の少女を庇うために、咄嗟に思いついた男性名である。邦題の「アフガン零年」は、セディク・バルマク監督がそれで良としたのだろうか、どうもNHKの意向が強く感じられる。「アフガン零年」ではアフガニスタンの過去の歴史全てが否定されているようにも思えるのだ。
監督のセディク・バルマク氏に関してはタリバン政権と対立する抵抗勢力であった北部同盟の本拠地・パンジシールの出身である。1962年生まれと云うから、ソビエト連邦がアフガニスタンに侵攻した1979年に17歳、そして撤退した1989年には27歳の青年になっていた筈である。彼の経歴にはモスクワに留学して6年間映画制作を学んだとされているから、アフガニスタンがソビエト連邦に占領されている時期に故国を離れ、占領支配国であるソビエト連邦で学生時代を過したことになる。云わば宗主国が植民地の有能な青年を本国に招き入れ教育を受けさせ、宗主国の文化的遺伝子を植え付け再び植民地に帰して植民地支配に就かせる意図に因るものであろう。
何故、監督の経歴に疑問を感じたのかと云えば、映画の中でのタリバン政権の描き方が余りにも図式的過ぎて、何か出来の悪い政治的なプロパガンダ映画を見せられているように思えたからである。例えばタリバン政権下にあってブルカに身を包んだ女性たちのデモが実際に有り得たのだろうかとか、隣人の婚姻の宴でタリバンへの悪口雑言を歌や踊りで表現することが可能だったのか疑問が残る。単にタリバン政権の理不尽な圧政を見せるための演出だとしたら、余りにも稚拙な表現である。
青年時代をモスクワで過し、タリバン政権後はパキスタンに亡命していたセディク・バルマク氏はアフガニスタンの僅か一握りのエリートであろう。その彼にタリバン政権の首都カブールの虐げられた人々の生活を描ききれたのか、私には想像できない。
真実を訴えるドキュメンタリーなのか、虚構でもカタルシスのある物語(ドラマ)なのか、どちらつかずの映画作りに観客として戸惑いを隠せない。何か演出過剰(やらせ)で姑息なドキュメンタリーを見せられたような後味の悪さが残った。
この映画の最大の欠点はアフガニスタン人の監督による映画であるが、アフガニスタンの人々に見てもらうために作られたものではないという事であろう。