April 13, 2011

サクリファイス

津波によって全てを失われ荒涼とした風景の写真を見ていると遠い記憶のイメージが蘇ってきた。それはチェルノブイリ原子力発電所事故の二週間後、スウェーデンで一般公開されたアンドレイ・タルコフスキーの遺作となった映画『サクリファイス(犠牲)』である。その黙示録的なテーマとイメージは、現在、我々の置かれた状況と重なり合う。それはパンドラの箱を開けてしまった人類への警鐘である。
ピーター・グリーンの著作『アンドレイ・タルコフスキー―映像の探求』の第八章『サクリファイス』の書き出しはこう始まる。

ギュンター・グラスによる寓話『鼠』が出版され、アンドレイ・タルコフスキー最後の作品『サクリファイス』がカンヌで初公開されたのは、どちらも1986年の春、その時期は、数週間と違っていない。小説の中でグラスは、核惨事ののちに終焉を迎えた世界を描いている。水と嵐に焼かれて灰となった地球は、泥にまみれ、水浸しとなった瓦礫の山、地割れでずたずたになった風景を見せる。タルコフスキーの映画の中心となる大惨事は、第三次世界大戦の勃発である。その最後の大破壊には、勝者もなければ敗者もない。町も村も、草も木も、春のせせらぎも空の鳥もすべてが消えるのである。そして1986年春、チェルノブイリ原発事故のニュースが世界中を不安におとしいれた。その年の暮れに、タルコフスキーは逝くのである。

核の悲劇はギリシャ悲劇のカタルシスと違い、運命を受入れ生きようとする人々さえも受入れず、拒絶する。我々に残された最後の選択は全ての核と原発を廃棄することである。

Posted by S.Igarashi at April 13, 2011 10:47 AM
コメント

マイキーさん、コメントありがとうございます。

西欧人(とりわけドイツ人)の方がフクシマに敏感で原発廃止に向いているのに、加害者であり被害者である日本人が核廃絶を訴えなければいけないでしょうね。今年の8月6日はその意味で特別な日にしないと...。

Posted by: iGa at April 13, 2011 03:12 PM

サクリファイスは父に薦められて観ました。
原発推進派ばかりが当選し、絶望的な気分です。。

Posted by: マイキー at April 13, 2011 02:48 PM