May 29, 2004

トロイアの女

現在上映中のハリウッド映画トロイのテレビコマーシャルのCGを駆使した画面に写る大船団がまるでスターウォーズのクローン戦士のように均一で気持ちが悪い、それ以上に「それは史上最大の【愛】のための戦い」の宣伝コピーは、まるでイラク戦争の正当性を訴えるかのように欺瞞に満ちたものだ。映画「トロイ」はホメロスの「イリアス」と「オデュッセイア」、それにクイントゥスの「トロイア戦記」を底本に歴史的伝説を加味し最後にハリウッド風添加物をまぶして作られたものだろう。それはブッシュのように頭を空っぽにして、咽に詰まると危険な「プリッツエル」ではなく、スイートな「キャラメルコーン」を頬張り、コーラをがぶ飲みしながらブラッド・ピットになったつもりで見るに相応しい映画だ。
そうしたハリウッド映画と一線を画す作品が27年前に岩波ホールで公開されている。マイケル・カコヤニス監督の「トロイアの女」だ。

映画「トロイアの女」はユーリピデス(エウリピデス)のギリシャ悲劇を底本に製作された。主演のヘカベにキャサリン・ヘップバーン、そしてヘレネ役はイレーネ・パパスが、アンドロマケにはバネッサ・レッドグレイブと錚々たる女優陣が演じている。映画は廃墟と化し、炎と煙に包まれたトロイアの市(まち)から始まる。

この映画はギリシャが軍事政権下にあった1967年から1974年の間、アメリカに亡命していたギリシャ人映画監督マイケル・カコヤニスによって1971年に製作されている。

----紀元前416年、果てしなく続く泥沼のような戦いにのめりこんでいたアテネの軍勢は、中立を叫んでいたメロス島を襲い、成年男子をことごとく虐殺した。それは全く無意味な報復行為であった。エウリピデスはこの事件に衝撃を受けて「トロイアの女」を書いた。これはギリシャのトロイア攻略を背景に、戦争の恐怖と空しさを描く、時を超えた告発である。私は弾圧と戦うすべての人々に、この映画を捧げる。----
とマイケル・カコヤニスは述べている。

映画評論家・佐藤忠男氏が寄せた映画パンフレットの文章の一部を紹介すると。

、、、ギリシャ側の英雄的な手前味噌によれば、これはギリシャの美女ヘレネを奪ったトロイアに対する正義の復讐であるが、そんなことは勝手な理屈であって、侵略戦争であったに決まっている。しかも、ギリシャのやり方は無慈悲で残酷を極めていた。、、、、、、、、、、、中略、、、、、、、、、、史上、多くの国が侵略戦争をやったが、侵略戦争をやった側の国の代表的な劇詩人が、自国の非道なやり方で惨苦に突き落とされて熾烈な呪胆の声をあげている敵側の女達の声を代弁したという例は少ないのではないか、、、、

ブッシュの起こしたイラク戦争の真の目的が石油利権の強奪であったように、ギリシャのトロイア攻略も、トロイアの富、金銀財宝を略奪することがその目的であった。「【愛】のための戦い」は戦争を正当化するための都合の良い口実、奇弁にしか過ぎないのである。穿った見方をすれば「ヘレネの美人局」説だって考え得る。つまりヘレネこそがトロイの木馬である。
キャサリン・ヘップバーン演じる王妃ヘカベの最後の台詞
「立て!ふるえるからだよ、大地より立て、年老いて、弱った脚よ、私を連れていっておくれ、新しい奴隷の日々に!」

生きるということは現実を受け入れることである。
私の父母の世代の知人関係にも太平洋戦争で現実を受け入れることができず、アイデンティティを失ってしまった女性が何人かいた。こうした人々は戦争の犠牲者として決して統計上に表れない。

Posted by S.Igarashi at May 29, 2004 11:10 AM | トラックバック
コメント

改めて当時の映画パンフレットを読み返してみて、音楽を担当したミキス・テオドラキスはギリシャの軍事政権によって投獄・死刑宣告(その後釈放)された経歴の持ち主と知った。コルビジェのアトリエにいたクセナキスと年齢的にも近い。クセナキスはナチがギリシャから去った跡にギリシャを占領したイギリス軍によって死刑宣告された経歴をもっていたが、この映画音楽を担当した作曲家も同じだったとは知らなかった。正に現代史のまっただ中に置かれた人々が作りあげた映画だった。
そういえば昨年、キャサリン・ヘップバーンが亡くなったけれど、この映画を観るまでは「旅情」のハイミスのようなイメージしかもっていなかったけれど、このヘカベ役の演技を見てハリウッド女優の枠にはめてはいけない人だと思った。

Posted by: S.Igarashi at May 30, 2004 01:22 AM

「トロイァの女」がそういう映画だったとは知らなかった。つたやで借りてきます。戦争をなくすには、そういう視点が欠かせない。
09.11の出来事の中から、ボスニアの空爆で殺された人たちのことに共感し、9.11で飛び込んだ「テロリスト」にも、かれらの氏を悲しむ人たちがいたにちがいないと考えることが必要だ。
逆に言えば、戦争を続けるには、「トロイ」の視点が欠かせない。

Posted by: 玉井一匡 at May 29, 2004 11:50 PM