前触れもなく試写会案内のファックスが届いた。ファックスには「関係者様向け」と書いてあり、自分が何の関係者だか今一つ分からないまま、文部科学省教育映画・選定作品の映画「あらしのよるに」の事前試写会に行ってきた。原作となった絵本あらしのよるには本来なら天敵、つまり捕食関係にある狼と山羊との友情(愛情?)をテーマに描いた作品でシリーズ累計で200万部以上も売り上げたベストセラーだと云うことだ。原作を読んでいないので何とも言えないが、何か腑に落ちない。「ありえないことに希望を抱いても、その結果は絶望でしかない。」これが映画を見終わった後の偽らざる感想である。汚れきった大人である僕にとって「あらしのよるに」がファンタジー映画として成立していない理由は何だろうか考えざるを得ない。兎も角、原作はどんなものか本屋で調べてみることにした。この映画を見る前に「iCon Steve Jobs/スティーブ・ジョブズ-偶像復活」を読了してディズニーとピクサーの内幕劇を知ってしまったのがいけない、やたらとアニメーションの出来が気になる。
原作の絵は映画とは全く異なり、原作では主人公「メイ」も山羊らしく描かれ、作家の読者に対する誠実さを感じることができた。それにひきかえ映画のキャラクターデザインによる「メイ」は目が可愛らしすぎて、どう見ても山羊には見えない。デォフォルメするにしても特徴ある山羊の目を活かしたデザインにするのが道理であろうが、リアリティを無視することなんて何とも考えていないのだろう。映画制作に広告代理店や放送局や新聞社等のメディアが参入すると、企画段階から情報操作が行なわれているような気がしてならない。絵本と映画とは全くの別物であるが、作家が脚本を書いているところをみると、作家もこれで良としたしているのだろう。「赤頭巾ちゃん」の昔から狼は悪者と汚名を着せられ、羊や山羊は従順で弱く愛らしく守らねばならぬものとされ、強い者が悪、弱い者が善と決まり切った、ノー天気なまでの紋切り型で映画は作られている。こうした一方的な概念は、羊や山羊が商品や資産・資本、つまり富の象徴であり、狼はそれらの富を脅かす存在として悪なのである。羊や山羊が善、狼が悪というのは人間から見た資本主義的概念でしかありえない。主人公「メイ」の一見屈託のないブリッコは資本主義世界の中では時には愛らしくも見えるのだろうが、周りを不幸にすると云うことでは悪魔と紙一重の存在であろう。
映画宣伝チラシの『世界のあちこちでテロが頻発する現在、地球にも「あらし」が必要だと思ったのはぼくだけだろうか。』と石田衣良の言葉が紹介されているが、なんだろうね。
ありえないことに希望を抱いても、その結果は絶望でしかない。現実を見据えることでしか希望の扉は開かれないだろう。
まぁ、文部科学省教育映画ということだから、ホームルームのテーマには丁度よいかも知れないが。