玉井さんから、奨められチケットを戴いたシグロ配給の韓国映画・牛の鈴音を先週末、渋谷のシネマライズで見た。
余命一年と告げられた40歳の老牛と79歳の爺さんと76歳の婆さんとの微妙な三角関係が老牛の死で終るまでを農村の四季を通じて映像化されている。最近流行りの整形美女と男前で繰り広げる絵空事だけが韓流にあらず、ドキュメンタリー映画のリアリズムにも新しい潮流が見られる。矢鱈と口数の多い婆さん、無口な爺さん、鈴音だけで物言わぬ老牛、ドキュメンタリーに付き物のナレーションは一切ない。暫くすると、口数の多い婆さんが映画の狂言廻しの役目を負っていることに気付く。すると婆さんの口からのべつ吐き出される愚痴に嫉妬交じりの悪態が違って聴こえてくるから不思議である。映画製作の始めから編集方針が決まっていたのだろうか。恐らく映画監督やスタッフ達は老夫婦の末息子位の年代であろう。親元を離れてしまった子供達に代わって、話し相手や相談相手にもなっていただろう。どこまで演技を誘導していたか分からないが、老夫婦が街に出て爺さんの頭痛の原因を調べるために病院でCTスキャンに入ったり、二人して写真館で遺影を撮ったりする場面などはスタッフの入れ知恵も多少はあると思われるが、そうした演出があったとしても、嫌みも態とらしさも無く、場面が展開し、極く普通に、自然に見えるのは老夫婦のキャラクターを活かした制作者の演出と編集の賜物なのだろう。米CBSのTVドキュメントやマイケル・ムーアのドキュメンタリー手法に慣れた目に東亜細亜の実録映画はとても新鮮だった。
YouTube:予告編
コリアンシネマウィーク2009「牛の鈴音」舞台挨拶
林檎家さん、どうもです。
>あの、おじいさんは、現在も御健在との事です。
そうですか。
爺さんは身体が不自由なのを受入れ、その境遇に抗う事なく、黙々と生きることは自然なことなんでしょうね。恐らく同情されるのが最も嫌なことなのでしょうね。だから牛にも動ける間は、どんなにノロマでも働かせたのでしょうね。
以前、朝鮮日報にイチローのことを「日本のプライド」と表現してあった事があったけれど、爺さんのプライドは身体が動くまでは働くことなんだろうな...
Posted by: iGa at January 21, 2010 06:53 PM牛の鈴音!私も観ました。
去年、1日、1回限りの先行上映でした。
監督、スタッフが舞台挨拶に来日。
質疑応答を1時間弱、して頂き興味深かったです。
あの、おじいさんは、現在も御健在との事です。
ラストでは、我が家にはワンコが居り、
3年前に天国に行った事と重なりました。
涙腺が大分、緩くなりました(;o;)
牛を売りに行き、高値を付けて、売れず、
連れ帰る…。
う〜〜ん、それ、おじいさんの気持ちですよね!
病院の駐車場にクルマの様に並ぶ、牛と荷車。
面白かったけど、やらせ?かな。
畑は農薬も使わず、
そしてまた、自然の草を食べる「牛」
驚異的な、その寿命…。
ん〜〜、考え込んでしまいました。
映画を観ている間は、
時間がゆっくり流れました…。
「米国産牛肉決死阻止」の一方、狂牛病なんたらと生産農家を恫喝、ここぞと安く買い叩く仲買業者もおるし...爺さんも...一度は手放すつもりで市場に老牛を連れていったけど...
>「家族としてともに田畑を耕す牛を食うなど、人間のすることではない。」
と祖先の霊が言ったか言わぬか...最後は谷戸の片隅に老牛を葬り...季節が流れ...田圃の一部にもっこりと牛塚が...
「焼肉」ってのはモンゴルなど牧畜民族に連なる朝鮮料理であって、稲作を主体とする韓半島南部では、甲午農民戦争の頃には「家族としてともに田畑を耕す牛を食うなど、人間のすることではない。」という檄文もあった様です。米と一緒に牛まで日本人に巻き上げられて、「放るもん」しか食べられなくなったのが一昔前。今じゃソウルナンバーの自家用車で故郷に錦を飾ろうとすると、「田園正に荒れなんとす」で、「米国産牛肉決死阻止」であります。
Posted by: Fumachu at January 15, 2010 01:59 PM