March 07, 2016

「今昔マップ on the web」と「地図と鉄道省文書で読む私鉄の歩み」

地図と鉄道省文書で読む私鉄の歩み: 関東(2)京王・西武・東武
腰巻きが京王線仕様になっていることから、Amazonではなく啓文堂書店で平積みにされていたのを買ったものだろう。京王・御陵線の経緯を拾い読みして積読状態にしてあったのだが、Facebookで知った今昔マップをiMacの広いスクリーンで見ると、iPhoneやiPadのスクリーンで見る東京時層地図とは違う発見もあって面白い。
因みに今月の21日にせいせき今昔セミナーと題したイベントが講師に今尾恵介氏を迎えて聖蹟桜ヶ丘ショッピングセンターであるらしい。今昔マップのこの辺でしょうか。
多摩川右岸の聖蹟桜ヶ丘(旧駅名:関戸)に駅が出来た理由は…工事費の掛かる鉄橋を一ヶ所に済ませる為なのですね。因みに京王帝都電鉄の名称は東と八子を結ぶ鉄道だから、東八が採用されなかった理由はなんでしょうかね。会議の全貌を妄想すると面白そうであります。似たような名称に甲州街道(国道20号)のバイパスとして計画された道路に東八道路がありますが、どうも先に完成した三鷹市内だけを東八道路と呼んでいる様です。これも終点は甲州街道と圏央道の高尾山ICですが、全線が繋がるのは未だ先で、八王子市内では度々ルートが変更されています。

内容:
京王電鉄
甲州街道に沿う電気軌道/路面電車から郊外電車に発展/観光開発の時代から戦争へ
「トレンチ鉄道」がルーツ----井の頭線/最新式の帝都電鉄
西武鉄道
始祖は国分寺起点の川越鉄道/変転する都心直結線計画/ライバル・武蔵野鉄道
ついに実現した村山線/多摩湖・狭山湖をめぐる鉄道/幻に終わった奥多摩の鉄道回遊ルート
東武鉄道
武蔵國東部を北上する鉄道/北関東機業地帯への延伸/鴨と桃花と菖蒲
東京から上州さらに新潟へ---東上鉄道/大和田から志木経由に変更
高速電鉄の時代---日光線開業
追記同じ著者の著書に...
aki's STOCKTAKING:多摩の鉄道沿線 古今御案内

7歳と11ヶ月弱くらいまで住んでいた足立の梅田界隈の明治・大正期の地図を見ると、東武線の位置が現在と異なっていることに気付いた。大正期の地図では梅島にあった大きな池が線路の北側にあったことからだ。千住新橋北詰の国道四号線(日光街道)から足立九中方向に分岐する道は廃線跡でだったことを知る。小学一年の餓鬼にはブラタモリ的興味等ある筈もなかった。本書284頁に由れば東武鉄道の荒川放水路の開墾に伴う路線の移設は鐘ヶ淵から西新井まで約6.9kmに及んだとされている。当然のことながら千住新橋北詰の田中釣具店も荒川放水路と国道が整備されてからの開業だろう。
ブラタモリを見ていてもそうだが、廃線跡と云う切口で都市をみると、見えないものが見えてくるようである。明治・大正・昭和に掛けて鉄道カンブリア紀とも云う時代だったのだろう。全国で幾つもの鉄道が計画され、青写真で終わったもの、建設されたもの、廃線となったものも数多く…はたまた民間資本で建設されたものの御上に召し上げられ国有化され…また民営化と…国家に翻弄される鉄…である。

関連
1956 西新井橋
荒川放水路
お化け煙突
梅田町の家・ビフォーアフター
千住新橋・遠望
川の地図辞典-2 消えた梅田堀
荒ぶる川の絵葉書


Posted by S.Igarashi at 10:34 AM

April 25, 2015

オリエンテーション

相も変わらずブラタモリの番組内の説明用地図にオリエンテーションは示されていない。(訂正:最初の1〜2回、画面面示した地図には左を北にしてありましたが、その後の古地図や、屋外でのフリップボードには方位の表示がなく、対応付けに疑問。)正月に放送された京都篇もそうだったが、昨日放送された金沢もそうだった。新しく番組担当になったPが地図の上を北とするオリエンテーションに頓着しないのだろう。地形には執拗に拘りをみせるが、オリエンテーションは無視するのもなんだかである。ましてや昨日は犀川から城内に水を引いた辰巳用水を取り上げているのに…その用水に命名されている方位を示す辰巳についての説明もない。そのくらい常識だから必要ないとでも考えているのだろうか。浅野川と犀川に挟まれ辰巳から戌亥に向かい下る台地上に築かれた城が方位と無縁である訳がないだろう。
我々の様な設計に携わる者はオリエンテーション(方位)を抜きにして建築や街づくりは考えられないのだが...そんなことには頓着しないで地図をつくる人間もいるようで、地図を読めない者に合わせてか、方位を無視した案内板も増えているし、進行方向に向かって向きを変えるカーナビ等も自己中の典型のようなもので、これでは方位との関係性を理解するのは難しそうだ。
まぁ、番組サイト内に設けられた「#3 金沢〜加賀百万石はどう守られた?!〜ルートマップ」があるのがせめてもの救いか...

追記 辰巳用水のサイホン原理を用いた通水技術ですが、玉川上水でも使われています。
河川の立体交差

Posted by S.Igarashi at 09:34 PM | コメント (0)

August 29, 2014

Palladio Tour in Veneto

Palladio-Tour-in-Veneto2014.jpg
2008年のエントリーGoogleMapでPalladio tourで作成したPalladio Tour in Venetoであるが、その後、GoogleMapが改良されて敷地内のStreetviewが追加されているヴィッラやパラッツォも現れている。
上図のVilla Rotondaの他、Villa Barbaro、Villa Emo、それにGiulio RomanoのPalazzo Del TE 等がそうだ。と云うことで、夏休みに何処にも行けないならば…せめてヴァーチャルで…。ヴェネチアはStreetviewならぬCanalviewが用意され運河からの街並も堪能でき、S.Giorgio Maggioreは教会内部にも入れる。

Posted by S.Igarashi at 12:15 PM | コメント (0) | トラックバック

August 19, 2014

電子国土

昨年暮に調べたいことがあって国土地理院の「国土変遷アーカイブ 空中写真閲覧システム」にアクセスすると、サイトが廃止されていた。地図センターの「空中写真」を見ると『国土地理院の空中写真は、撮影ネガフィルムのデジタル化完了に伴い、平成25年11月1日より、すべて数値空中写真に統合されました。』とあった。
そういえば、2007年4月に法政大学市ヶ谷キャンパスで行なわれたデジタルアトラスのシンポジウムでスピーカーに立った国土地理院の人が将来的に地形図等を電子国土に一元化する旨を語っていた。と云うことで国土変遷アーカイブは地理院地図(電子国土Web)に統合されていたのである。上記地図は標準の地形図に「色別標高図」と「土地条件図」のレイヤを重ね、「国土変遷アーカイブ」にあった単写真(空撮写真)の位置情報を示したものである。「写真を表示」をクリックすると別ウィンドウに空撮写真が表示されるようになった。3.11以降、話題となった「土地条件図」を表示すれば、ブルドーザーで山を崩した住宅造成地の嘗ての谷戸が人口地形の高い盛土地として浮かび上がるのである。

因みにiPadで地理院の地形図を見る場合FieldAccess HDが便利である。


残念ながら「国土変遷アーカイブ 空中写真閲覧システム」にあった空撮写真は見られないが、歴史的農業環境閲覧システム「迅速測図」は見られるようになっている。

Posted by S.Igarashi at 09:41 AM

May 26, 2014

GoogleMapに大雪の残雪が...

2014zansetu.jpg

GoogleMapの空撮写真が更新され今年2月14日に降った大雪の残雪が写っていた。と云うことはこの日よりも後、今年の2月末頃に撮影されたものだろう。
4月12日のエントリー・そして...一棟だけ残った...では1年半前くらいの空撮写真だったが、それではいけないとエントリーに合わせてGoogleMapも更新してくれたのか…そんなことはないな。

Posted by S.Igarashi at 11:11 AM | コメント (0)

March 30, 2014

その後のgoo Map


図:左より、goo Map 、GoogleMap、Apple純正Map(何れもiPhone5s)

6年前に一度「goo-Map」を取上げたことがあったが、それ程、使い勝手も良くないので常用することもなく忘れていた。Apple純正のMapは3Dデータのある場所なら使う価値もあるが...普段使うには今一つである。そうかと言ってGoogleMapが良いかと問われると、そうでもなく、Streetviewの機能も含めて逆に退化しているような気がしてならない。兎に角、地図が文字のサイズも含めて見難いのである。と云うことで、他の地図ソフトやら何やらを試したところ、地図情報の見易さや更新を含めて「goo Map」が一番かも知れないと思った次第である。但し航空写真に関しては些かデータが古くあまり役には立たないので、目的に応じてGoogleMapと併用することになるだろう。。
関連iOS6 MapFieldAccess

Posted by S.Igarashi at 12:17 PM | コメント (4)

December 07, 2013

ここは●●...

さて、このグレーで塗られたゾーンは何処でしょうか。GoogleMapから施設名が消えてしまいました。何か戦前の地形図を思わせるものがありますね。特定秘密保護法の前倒しでしょうか。
さて●●●●●の●●がいつまであるか...

●●●●●●は返還されるという話ですが、どうやら全てではなく一部だけのようです。返還された後、何に利用されるのでしょうか、ロビーストやブローカーも暗躍していることでしょう。なんたらかんたらと...秘密の・お・も・て・な・し・で…決まるのかな..


●●●●●●は空母の艦載機の駐機場らしいです。
ここから伯父は...


こんな●●●の入り江では艦載機は飛び立てませんね。ん...垂直になら…可能か?
関連
Born In The Occupied Japan
日米地位協定入門

Posted by S.Igarashi at 02:36 PM | コメント (0)

June 04, 2012

相模原


オウムの指名手配犯が相模原市で拘束されたと云う一報がTV画面に流れた時、さて相模原市の何処か、皆目見当が付かなかった。平成の大合併以前なら、ある程度イメージできたが津久井郡の城山町・津久井町・相模湖町・藤野町を併合し、政令指定都市になってから何がなんだか、さっぱり分からない。相模原は上記地形図の略中央、相模川による扇状地が隆起して形成された洪積台地と云われる相模川右岸と相模國と武蔵國の国境を流れる境川の左岸に当る台地です。その台地を相模原市と呼ぶには何の異論もないが、津久井郡の山間部を相模原と呼ぶには...地形的に何だか...である。神奈川県下でも最大級の台地...こうした地形が軍部に目を付けられるのは...赤羽と似たようなもの...東日本最大の軍都になる計画は...敗戦により消滅したが...陸軍造兵廠は進駐軍に接収され米軍の相模総合補給廠に...相模原市はその返還後の再開発を睨み...強気で政令指定都市になったのだろう。因みにオウムの指名手配犯が潜伏していたのは旧・城山町だそうだ。

Posted by S.Igarashi at 10:12 AM

April 29, 2011

追記・東京共同射的會社・射的場跡

追記:元記事は四年前のエントリーですが、この連休の2011年4月29日(金)から6月26日(日)まで東京大学総合研究博物館(東京大学本郷キャンパス内)開催される「弥生誌・向岡記碑をめぐって」に於いて射的場跡に関連する埋蔵物等(弾丸)の展示もされるようです。その様な訳で会期に合わせ2011-04-29の日付けでトップに移動しました。
以下、2007-02-25のエントリー
-------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
先日、銀座の後で根津まで出掛けたついでに、昨年エントリーした「地形に刻まれた旧陸軍の跡」で取り上げた東京共同射的會社の射的場跡周辺を徘徊してみた。射的場は水戸徳川家の中屋敷跡に設けられ、現在の東大キャンパスの本郷地区と浅野地区に挟まれた区画にあった。明治17年発行の古地図によれば射的場は谷戸の地形を利用して人工的に土塁を設け、池ノ端側の射撃場から言問通りの弥生坂に向かって着弾地となっている。左の写真は射的場の略中央から池ノ端方向を写したものである。もしもタイムマシンに乗って明治10年代のこの場所にタイムスリップしたならば池ノ端側から銃撃を受け蜂の巣状態になってしまうだろう。着弾地側の弥生坂は明治27〜28年に造られた新坂で別名・鉄砲坂とも云うらしいが、その名は幕府の鉄砲組の射撃場が坂下にあったことに由来すると書籍・「江戸の坂」には記されている。明治17年発行の古地図には未だ弥生坂(言問通り)らしき道の姿形はなく、鉄砲組の射撃場と東京共同射的會社射的場との関係性も不明である。明治20年には射的場北側の台地(水戸徳川家の中屋敷跡の一部)に浅野公爵が屋敷を設け転居しており、翌年の明治21年には東京共同射的會社射的場は大森に移転している。時代の趨勢からか、此の地に射的場は相応しくないとの判断であろう。明治9年に建設が開始され翌年から演習が始まり僅か10年程度でその役割を終えた訳であるから人々の記憶に残らないのも無理はない。故に明治42年の地図を元にした古地図で東京めぐりには射的場は影も形もない。

明治17年発行の地形図:
東京共同射的會社・射的場の北側の土地には未だ浅野公爵家の屋敷は建っていない。


GoogleEarthによる東京共同射的會社・射的場跡
東大本郷キャンパス裏手の暗闇坂・坂下のこの三差路の家の右手を入ると射的場となる。
ジャバラルックの家


凸凹地図で見る地形に刻まれた射的場跡


凸凹地図で見る地形に刻まれた大森射的場跡
大森に移転した東京共同射的會社は現在の大森駅西側の大田区山王の谷戸に戦前まで小銃射的場として営業していたようである。

GoogleEarthによる大森駅と大森射的場跡周辺
現在、その射的場跡はテニスコートとして利用されている。


参照サイト:東京大学・浅野地区の歴史

Posted by S.Igarashi at 10:50 AM | コメント (11)

March 07, 2011

川跡からたどる江戸・東京案内

川跡からたどる江戸・東京案内
菅原 健二・編著 (洋泉社・発行)
あのJEDI必携の『川の地図辞典 江戸・東京/23区編』『川の地図辞典 多摩東部編』の著者である菅原健二氏の最新刊である。出版社のサイトで書籍検索するとエンターテイメントに分類されているようだが、その内容は川跡からたどる江戸東京の近現代史である。明治維新、関東大震災、東京大空襲、東京オリンピック、そして昭和平成バブルと、幾多の災害や破壊に改造の生贄とされ、視覚から抹殺された川跡を探り都市の記憶をたどる一冊である。因みに表紙の地図は図説・明治の地図で見る鹿鳴館時代の東京でも用いられた参謀本部陸軍測量局『五千分一東京図測量原図』(明治9年〜明治17年)の「東京府武蔵國京橋区木挽町近傍」汐留付近である。そういえば日本地図センターから復刻版・参謀本部陸軍測量局『五千分一東京図測量原図』が出ると云うつぶやきを聞いたような...こんなものもあるし...期待したいのだ。

内容
---------------------------------------------------------------------
第一部 都心部を流れる神田川をたどる
 第一章:江戸から昭和までの記憶が残る神田川
     江戸・東京の「母なる川」神田川
     隅田川への水路としてできた御茶ノ水
     神田川に栄えていた河岸
     日本最古の都市上水道・神田上水
     松尾芭蕉と神田上水
     江戸川公園と小石川後楽園に見る面影
     江戸の六上水
 第二章:消えた神田川の支流
     三業地に谷端川の面影を見る
     千川通りと『太陽のない街』
     紙すきで知られた音羽川
     池袋の地名と関係する弦巻川
     歌舞伎町を流れていた蟹川
     田安家下屋敷あたりから流れていた紅葉川
     神田川との合流地点が移動した妙正寺川
     桃園川と吉宗との関係
     農業用水として利用された神田川笹塚支流

第二部 若者の街・渋谷に流れていた川
 第三章:喧騒の街を流れる渋谷川
     渋谷駅東口に見える渋谷川は潅漑用水だった
     大岡昇平と渋谷川
     生活排水路へと変わる
     参道橋とキャットストリート
     明治神宮内の清正井と南の池も水源
     渋谷川に合流していた代々木川
     新宿御苑内の泉池も水源
     渋谷川に合流するイモリ川
     忍者の組屋敷脇を流れていた川?
 第四章:渋谷センター街も川だった?
     水音が聞こえてくる宇田川遊歩道
     水源は幡ヶ谷近辺の湧水
     大岡昇平と宮益坂、道玄坂
     宇田川橋と代々木練兵場
     大名屋敷の池は水源になる?
     水源の池があったとされる旧山内侯爵家
     暗渠化された河骨川の光景
     東京オリンピックが暗渠化を進めた?

第三部 水の都・江戸の面影を求めて
 第五章:水路が張りめぐらされていた街をたどる
     銀座界隈は「日本のベニス」だった
     家康の江戸入府と道三堀
     日比谷は海だった?
     数寄屋橋の下を流れていた外濠川
     外濠川の現在
     江戸の外湊と内湊をつないだ日本橋川
     日本橋川の河岸
     高速道路に変わった楓川
     楓川周辺には木材関連の町が集まる
     八重洲通りは紅葉川の跡地
     防衛施設だった八丁堀
     外濠とともに開削された京橋川
     河岸が果たした役割
     三原橋が架かる三十間堀川
     築地地域を囲む築地川
     江戸のメインストリートにつながっていた西堀留川
     東堀留川に架かっていた思案橋とは?
     吉原遊廓を囲む浜町川
     消えた歓楽地、中洲をつくる箱崎川
     大名屋敷のあいだを流れた稲荷堀
     江戸湊の中心にある亀島川
     酒問屋街を流れる新川
     新島原の廓堀だった入船川
     埋め立てが繰り返された龍閑川
     お玉が池と藍染川
     溜池の排水路だった汐留川

付録 江戸・東京の川跡を歩くヒント
   谷・田・窪・沢・瀬などの地名に注目
   公園などの都市施設や公共施設に注目
   道路になったケースがいちばん困難
---------------------------------------------------------------------

Posted by S.Igarashi at 10:00 AM | コメント (7) | トラックバック

October 07, 2010

ブラ@タモリ 2.0

と云う事で今晩10時から"ブラ@タモリ 2.0"再開である。早速、東京時層地図で築地界隈を検索するわたし...此処は参謀本部陸軍測量局『五千分一東京図・測量原図』で残されているから詳細な地図で読める。因みに『図説・明治の地図で見る鹿鳴館時代の東京』では84頁であります。尤も...NHKの事ですから...何か事があると、時間がずれたり...延期になったりするので...録画予約も当てにはできませんが...。

Posted by S.Igarashi at 10:23 AM | コメント (1)

September 24, 2010

東京時層地図

TokyoTLmap.jpg
この処、朝晩欠かさず上図のサイトをチェックしていたが、本日漸く、マッパーの聖地・日本地図センターによる東京時層地図がiPhoneAppとなってリリースされた。東京の地図を時間のレイヤーで表わす江戸・明治・現代の三層重ね地図等はPC版で既にあるが、これは明治初期の軍部による迅速測図から現代までの時代を9つのレイヤーで都市の様々な変遷を表わすものである。単なる地図好きの範疇を越え、近現代の政治・経済・文学を地勢から読み解く必須アイテムでもある。JEDiPhoneには必ずインストールしておくべきツールなのだ。因みにiPadではiPhoneAppを二倍モードの拡大鏡で見ることができ、ドットは荒れるが、それでもリーディンググラスが必要な世代には楽である。
追記:因みに『東京時層地図』の文明開化期で用いられている『五千分一東京図』は『図説・明治の地図で見る鹿鳴館時代の東京』の元になっている地図です。また二万分の1の迅速測図の複製は東京都だけで三万円程で日本地図センターから購入できます。

Posted by S.Igarashi at 10:08 AM | コメント (8)

July 08, 2010

2/2


決勝に勝ち残ったのは嘗ての海運大国であった和蘭陀西班牙で、奇しくも両国とも現在でも王国(立憲君主制)であります。予選リーグ第一戦で瑞西に敗れ、一度は沈みかけたスペイン艦隊が、開催地南アフリカを支配していた和蘭陀を破り、永遠のThe Flying Duchmanに貶めるのか、果たして和蘭陀は呪いを解くことができるのか...。

ところでCastrol IndexによるベストGKは川島だそうである。
因みに今朝の東京新聞「W杯数値化の舞台裏」に掲載されていたデータスタジアムによる分析によると、日本のパス数は参加32カ国中32位(ビリ)で、ボール支配率(40.2%)は参加32カ国中31位(ブービー)と云うことで、数値が実力を証明...。そういえば1968年メキシコ五輪で銅メダルを獲得したときも...GKだけでなくスイーパーがゴールを守ってました。あの時も釜本の個人技で...銅メダルでしたが...今回も運と個人技で予選リーグ突破と云うことですね。

先日、日本サッカー協会の犬飼基昭会長が示した日本代表後任監督選定条件の6項目とかですが...
(1)「きちっとした哲学がある」
(2)「日本が好き」
(3)「がんこじゃない」
(4)「マスコミとうまくやれる」
(5)「カリスマ性がある」
(6)「五輪世代(現21歳以下)も指導できる」

ん〜、これは... 少なくとも...ここに示された6項目の内、4項目を満たしてなかった...と云うことかな。今更...誰とは云わないけど...(^_^;)

Posted by S.Igarashi at 10:27 AM | コメント (0)

July 06, 2010

東京人・特集:東京の川を楽しむ

東京人8月号は『特集:東京の川を楽しむ』と云うことで、表紙はいまや定番アングルとなった北十間川から見たスカイツリー。
それで14〜15頁の見開きに『東京の川マップ』なるものがあり、その左下に『東京の河川と水系』の全体図があるのだが、その中で『境川』の表記が紛らわしい。この図を見た限り『境川』の位置関係を知らない読者は多摩川水系の浅川の支流と勘違いしても仕方ないだろう。『境川』はその名の通り、東京都町田市と神奈川県相模原市の都県堺を流れ、大和市から南下し片瀬江ノ島の西海岸で相模湾に注ぐ川であり、河口付近では片瀬川と呼ばれているのだが...これは誤解を招く地図である。この地図で表記してある境川の位置は湯殿川、八王子市と町田市との市境が多摩川水系と境川水系との分水嶺となる。因みに湯殿川の西が高尾山の麓を流れる案内川、その北が北浅川で...。とは云うものの、川好きには押さえておきたい東京人8月号。

Posted by S.Igarashi at 10:19 AM

July 04, 2010

4/4...


南米のサッカー大国が消えました。残るはウルグアイのみ...モンテビデオは燃えてるか...

Posted by S.Igarashi at 07:40 AM | コメント (2)

July 01, 2010

7/8...


2010W杯も決勝トーナメント第一戦が終わりベスト8が出揃いました。その面子を見ると8チーム中7チームが予選リーグ一位通過と云う実力を反映した順当な結果ですね。こうして標準的世界地図に落としてみると汎大西洋地域にベスト8が集中していることが解ります。
戦略的根拠も無い「ベスト4」をスローガンにベスト8に挑んだ日本代表AチームはDF中沢にDF闘莉王、そしてGK川島が身を挺して、自軍のミスをリカバリーしてゴールマウスを死守しましたが、スコアレスのまま、神風も吹かず、攻撃の女神は微笑まず、延長戦も終わりPK戦で敗れましたですね。やはり実力の差が歴然とした試合内容でした。日本代表Aチームが延長戦までもつれ込んで、PK負けは現在の実力からすればベストでしょう。さて、これからが2010W杯の本番ですね。アナログ地上波から、サッカー中継が途絶えている現況からすると、BSもCSも地デジもなく良質なサッカー中継に飢えている者には、明日、明後日も、見逃せない好カードが目白押しです。(^_^;)

Posted by S.Igarashi at 01:10 AM | コメント (4)

March 02, 2010

TSUNAMI 20100228

tsunami100228.jpg
上図は"
West Coast and Alaska Tsunami Information"のサイトにあった"the preliminary forecast model energy map"ですが、この地図を見ると、津波の直撃を受けたであろうイースター島や地球温暖化に伴う海面上昇の危機にある南太平洋のツバル等の情況が気になりますね。それにしても昨日の閉会式、何かハイチ地震チリ地震への救済呼び掛けがあるのかと思いましたが、いけてない歌謡ショーだけで残念。(^_^;)
到達時間地図:Travel Times
Education video: "Tsunamis: Know what to do!"
YouTube 国際宇宙ステーションからの映像:Chile-coast20100228

Posted by S.Igarashi at 10:14 AM | コメント (2)

February 11, 2010

地上346kmの視点

Astro_Soichi.jpg
今日放送のTV東京「空から日本を見てみよう・都電荒川線」は地上数百メートルの視点だが、地上336 kmから346 kmの楕円軌道上にあるISS(国際宇宙ステーション)にいる野口さんから送られてくる写真はGoogle Earthとはまた違った視点で興味深い。冬の北海道は知床が...
因みに野口さんの居るISSを肉眼で見るにはこちら『国際宇宙ステーションを見よう』にその可視情報が...

Posted by S.Igarashi at 10:55 AM | コメント (1)

December 30, 2009

東京の道事典

東京の道事典
東京新聞12月27日の日曜書評欄の年末特集「2009年 私の3冊」に之潮の芳賀さんが地図の本を挙げていた。その内の一冊、川好きotokoさん御推奨「東京の道事典」を早速Amazonに注文、翌日(月曜日)の午前中に届いた。
ブックカバーの腰巻に記されているように、生活道・通称道路の成り立ちや特色を明らかにするもので、実際に現在使われている道が対象となっている。従って名は付いているが通称道路として一般的に認知されていると言い難いものは対象ではない、また○○街道のように古の名称でも現在でも広く使われている道は対象とされているが、新たに付けられた○○通りの通称が一般的な場合は○○街道ではなく、○○通りとされている。「東京の道事典」はアイウエオ順の「青山通り」から始まり、その「概要」「由来」「現状」「周辺の道」(ここでは青山通りに結ばれる道等)が記載されている。因みに青山通り「周辺の道」に長者丸通りや骨董通りは周辺の道に記載されてるが、表参道交差点から根津美術館前までの通りについては記載されていない、この道は明治以降に造られたもので青南小学校裏の平行する裏道が古道(尾根道)である。おそらく明治神宮が造られたとき、表参道に繋がる道として「みゆき(御幸)通り」とされたようだが、その名を知るものは既に町の古老だけだろう。最近はマーケティング指向なファッション系の通称を画策する者もいるようだが一般化には至らないようだ。

Posted by S.Igarashi at 11:55 AM | コメント (0)

September 17, 2009

1948.09.17

asakawa19490917a.jpg
敗戦から三年目1948年9月17日の東京都下南多摩郡浅川町の浅川駅(現・高尾駅)付近の占領軍による空中写真である。(写真をクリックすると国土地理院・国土返還アーカイブの当該写真にリンク。)
NHK教育放送・原武史氏の「鉄道からみる日本」の3回目を見て思い出したことだが、この浅川駅構内北東の引込線にある車両庫にはやんごとなきお方の御料車が数台保管されていた。現在、鉄道博物館で展示保存されているものと同一の車両かは私には不明である。

中央線に初めて乗ったのはこの空中写真から8年後の1956年12月の小学一年の冬休み、父と二人で我家の普請現場を見に、東京駅から終点の浅川駅まで、子供にとっては、何もかも珍しい、ちょっとした冒険旅行であった。その事を書いた作文が小学校の卒業文集に一年男子クラス代表として載ったのだが、初めて人目に触れた文章であったが全文ではなく一部カットされていた。それは終点の浅川駅に着いて便所に駆け込み小用をした描写...あまりにもリアルだった所為か担任の小堀先生は掲載に躊躇したに違いないが、全文発禁処分にされることはなかった。

Posted by S.Igarashi at 01:41 AM | コメント (0) | トラックバック

January 31, 2009

国境線

1961年12月・帝国書院発行の中学校社会科地図帳である。この地図は地中海沿岸地方の東端であるが、ガザ地区を見ると当時のアラブ連合共和国(エジプト)の領土となっている。既に表紙もボロボロになった地図帳だが、今となっては或る意味で貴重である。やはり世界地図も戦前戦後と少なくとも10年毎に揃えないと、世界情勢も分からなくなる。
そのガザから南南東に真直ぐ走る国境線は映画・アラビアのロレンスでオスマン帝国(トルコ)からの奪還作戦で印象に残っているアカバ湾に達している。映画に描かれたオスマン帝国に対するアラブ反乱も結果として、アラブの地をオスマン帝国に代わって英国が委任統治する口実に利用された。アラブにとっては支配者が代わっただけ、そして第二次世界大戦後、英国の後ろ楯により中東地域の更なる紛争の火種、イスラエルが建国されることになる。

 考えてみると、日本だって幕末に西郷隆盛が勝海舟の忠告を聴入れず英国の軍事援助を受入れたりしていたら、幕府方のフランスと、日本の内戦を利用した英仏代理戦争が起きて、日本の国力が疲弊したところで、お約束による英仏の談合で東日本がフランス領、西日本が英国領となっていただろう。

似たような話しは第二次世界大戦のギリシャもそうだ。連合軍の軍事援助でギリシャからドイツ軍は去ったが、ドイツに代わってギリシャを支配したのは英国となり、これも支配者が交代しただけである。それについては3年前のエントリー・戦争と建築家(March 20, 2006)にも書いている。

そういえば植民地と云う言葉と共に帝国と云う言葉も表面上は使われなくなった。「帝国」に代わり使われるようになった言葉が「大国」であるが、政治の表面に現れることのない支配者の影が常に「大国」に付きまとっている。オバマがイスラエルを支持しアフガンに戦力を増強することで、誰の利益に繋がるのだろうか...何れにせよ国民とか市民とか人民とか、民の名で呼ばれる人ではなさそうだ...。


大きな地図で見る

南北に走る停戦協定ラインの右(東)がイスラエル、左(西)はガザ地区である。資本力を投入し灌漑設備の整った近代的大規模農業を推進するイスラエルと対照的なガザ地区の農地。

GoogleEarth-gazaAP.jpg日本からも資金援助されて建設されたヤーセル・アラファト国際空港は2001年イスラエルの攻撃によって破壊された。


パレスチナ情報センター
パレスチナ情報センター:『占領ノート』掲載地図

Posted by S.Igarashi at 10:00 AM | コメント (4)

January 02, 2009

正月二日に筑波山...

20090102thukuba2.jpgと云うことで、正月二日の午前中に両親と兄妹の墓参りを済ませた。今年も昨年同様、好天に恵まれ霊園から筑波山を見ることができた。東京の低湿地帯に生まれた者として、同じ東京でも西の外れの山里から筑波山のツインピークスが見えると何か得した、清々しい気持ちになれるのである。[ + ]
ところで、筑波山と云えば広重の「江戸百」...

つまり『名所江戸百景』の遠景に富士山の次ぎに数多く描かれており、云わば構図の方向性を示す記号、ランドマークでもある。
『深川洲崎十万坪』左図
隅田川水神の森真崎
真崎辺より水神の森内川関屋の里を見る図
墨田河橋場の渡かわら窯
王子稲荷の社
飛鳥山北の眺望
日暮里諏訪の台
南品川鮫洲海岸
柳しま
浅草川大川端宮戸川

謎解き広重「江戸百」』でも謎の多いとされている『浅草川大川端宮戸川』であるが森川和夫:廣重の風景版画の研究ー(1)古写真で読み解く広重の江戸名所でも解説されている様に大山詣の一行が出発に先立ち、両国橋の袂で水垢離を取ると云う風習に基づいた絵である。構図的には両国橋の上から描いたものかも知れないが、近景に欄干も描かれていない。左手に見えるは神田川の河口、柳橋の料亭とすると、遠くに見えるは蔵前橋だろうか、梵天を立てた船は神田川を遡上して何処まで行くのだろうか。そして画面中央下三分の一に配置された「大川上流の彼方に見える筑波山」を「大山」に見立てたのかについては言及されていない...何故か...。
ついでに、この霊園の峰続きの初沢城趾から見た大山・丹沢を...。

Posted by S.Igarashi at 01:33 PM

February 13, 2008

「名所江戸百景」と江戸地震

edo-jishin.jpg

神奈川大学21世紀COEプログラムによる研究成果の一つ『「名所江戸百景」と江戸地震』がネット上に公開されている。
幕末の安政2年(1855)10月2日に起きた安政江戸地震の翌年、安政3年から5年(1856 - 1858)に掛けて浮世絵師・歌川広重によって制作された「名所江戸百景」に被害状況や復興状況等を関連付け解説を加えている。「名所江戸百景」は震災復興と安政の大獄で揺れていた時代に描かれたものである。吉原を描いた「廓中東雲」の、どこか物寂しげな情景も時代背景を知ると納得させられる。

Posted by S.Igarashi at 02:35 PM

December 03, 2007

GoogleMapに地形図が...

いつの間にかGoogleMapに地形図が追加されていたとは...気付かなかった。願わくば等高線の表示オプションがあれば...。

Posted by S.Igarashi at 09:47 AM | コメント (6)

April 12, 2007

デジタルアトラス

Tokyodigitalatlas.jpg

今朝の東京新聞・TOKYO発は「東京デジタル重ね地図 法大研究所が都市アトラス計画」と称した法政大学・デザイン工学部設立記念「東京エコヒストリー展」の紹介だ。デジタルアトラスは単に重地図を縄文海進期まで拡張するだけでなく、地図に多様なレイヤを可能にする時間軸という次元が新たに加わったものであろう。Earthdiverとしては是非とも見ておかなければいけない、土曜日にはシンポジウムもあるようだ。

<展示>
日時 :2007年4月10日(火)〜16日(月)9:00〜17:00
場所:法政大学市ヶ谷キャンパス 外濠校舎1Fメディアラウンジ
<シンポジウム>
日時 :2007年4月14日(土)13:00〜15:00
場所: 法政大学市ヶ谷キャンパス 外濠校舎305教室
デザイン工学部設立記念シンポジウム「デジタルアトラスの可能性を探る」
法政大学大学院エコ地域デザイン研究所・コンセプト
※電話で問い合わせたところ、シンポジウムは事前登録の必要はなく、誰でも自由参加できるそうです。

Posted by S.Igarashi at 10:27 AM | コメント (2)

April 01, 2007

第五回アースダイビング・善福寺川+阿佐ケ谷住宅 報告

と云うことで昨日、善福寺川・調査ミニダイブから数えて5ヶ月が経ちましたが参加者21名で第五回アースダイビング・善福寺川+阿佐ケ谷住宅を無事に実行することができました。気になる天気もどうにか持ちこたえ、桜の花の下を方南町から阿佐ケ谷住宅まで善福寺川沿いに約4.2キロを3時間半近く掛けて散策し、途中でkawaさんから提供された善福寺川今昔を伝える写真撮影の場所も確認、時代による大都市郊外の変貌を改めて実感した次第であります。参加者の皆様お疲れさまでした。
Kai-Wai 散策:第五回アースダイビング (珍編)
aki's STOCKTAKING:第五回アースダイビング・善福寺川+阿佐ケ谷住宅
af_blog:花曇り@第五回アースダイビング大会
Roc写真箱:5th Earth diving
秋葉OLの楽しみ探し : ぜんぷくじ川周辺
N的画譚 : トタン系溶接加工工場
ONE DAY :第五回 アースダイビング<善福寺川+阿佐ケ谷住宅>その1
ONE DAY :第五回 アースダイビング<善福寺川+阿佐ヶ谷住宅>その2
東京クリップ: 善福寺川を歩く
MyPlace:「第五回アースダイビング・善福寺川+阿佐ケ谷住宅」
simple pleasure:桜・さくら・SAKURA
Blog版「環境社会学/地域社会論 琵琶湖畔発」:
第五回アースダイビング-善福寺川と阿佐ヶ谷住宅地の50年を探る。- (その1)-川の『原地形』-
第五回アースダイビング-善福寺川と阿佐ヶ谷住宅地の50年を探る。- (その2)-潰された『クボ』-
第五回アースダイビング-善福寺川と阿佐ヶ谷住宅地の50年を探る。- (その3)-阿佐ヶ谷住宅-
う・らくん家:アースダイビング

Posted by S.Igarashi at 07:36 AM | コメント (14) | トラックバック

March 31, 2007

善福寺川今昔

zenpukujigawa-5.jpg
写真1(+)
kawaさんから1960年代初頭の善福寺川流域の様子を伝える貴重な写真を送って戴きました。この頃は未だ橋も木造でしたね。
追記:と云うことでkawaさん立会いの元、現地で撮影場所を確認しました。


写真2
いいですねぇ〜長閑ですねぇ。兄弟揃って、お父さんと一緒に散歩するのが楽しくてしょうがない様子が伝わってきますね。(と、勝手に妄想してますが、、)3人とも長靴を履いてるのが良いですね。
善福寺川も未だ護岸工事されてなく川底も浅いことが良く解りますね。
写真に添えられたkawaさんのメールを紹介させて戴きます。

私が小さい頃には、川沿いがずっと河岸段丘になっていて、土手からすぐは、畑や田んぼ、学校のグランド、公園や釣り堀、養豚や資材置き場、廃品回収の置き場になっていました。
もう一段上がった所から住宅が並んでいました。
松の木の縄文遺跡、縦穴式住居も川からは一段あがった丘の上にあります。
田んぼを埋めて、川沿いに建て売り住宅が並びだした時には、こんな所に建てていいのかなと子供心に思いました。
少し大人になって、人口が増えるばかりの時には川沿いに家が建つのも仕様がないと思いました。
しかし、これから人が減る事を考えれば、土手の外も何年かに一度ぐらい川があふれてもいい公園等にしておくのも出来ない話ではないと思い始めました。
区は住宅の並んだ私有地を買い上げて低いグランドやテニスコートを作って増水時に備えているようです。
何年かに一度あふれてもいいと考えれば、コンクリートの土手以外のもっと素敵なウォーターフロントの可能性も出て来ると思います。


撮影場所(クリックで拡大)
写真1は大松橋に立つ3人の子を撮ったもの。
写真2は大松橋下流の善福寺川左岸から川下を撮った写真

下の写真は昨日その「写真2」の撮影場所を検証しているところです。風景は昔とすっかり様変わりしていました。そんな訳で往時を振り返って記念の再現写真を撮りました。


Posted by S.Igarashi at 11:04 PM | コメント (4)

March 29, 2007

気になる天気

Weather-Report.jpg気になる土曜日の天気ですがMacOSXのウィジェットでは、こんな予想です。週末の天気は偏西風やジェット気流が大陸性移動低気圧にどう影響を与えるかの見解で、予想は異るようですが、わたしはこちらを信用することにします。

Posted by S.Igarashi at 10:31 AM | コメント (2) | トラックバック

March 20, 2007

第五回アースダイビング・善福寺川+阿佐ケ谷住宅

アナウンスだけで日程が決まっていなかった「第五回アースダイビング・善福寺川と阿佐ケ谷住宅の50年を探る。」+「花見付き」を3月31日午後に開催します。集合地点は地下鉄丸ノ内線・方南町駅、目的地は阿佐ケ谷住宅です。集合時間等のタイムスケジュール等が確定しましたら当ブログにて告知する他、前回参加者の皆様にメール致します。
これが阿佐ケ谷住宅を見る最後の機会かも知れません。散りゆく桜花を愛でながら1950年代のモダニズムに想いをはせるアースダイビングとなりそうです。
追記・更新:アバウトなタイムテーブル等を追加しました。

5th Earth diving. 『善福寺川と阿佐ケ谷住宅の50年を探る。』 

 今回のルートは神田川水系の善福寺川を方南町から南阿佐ケ谷の阿佐ケ谷住宅までです。ゴール地点の阿佐ケ谷住宅は昭和33年(1958)に竣工した日本住宅公団による分譲住宅の団地です。今から約50年前の昭和33年当時の地形図(P-6)を読むと台地部分は宅地化されていますが善福寺川流域には多くの水田が残されていた事が解ります。阿佐ケ谷住宅はそれらの水田を埋め立て宅地造成して建設された住宅公団による団地の一つです。現在の善福寺川流域には既に水田もなく護岸も整備され川底が深く渓谷化されています。それは川底の浅かった善福寺川の流域に沿って窪田が広がっていた嘗ての風景とは異なるものでしょう。昭和22年の航空写真(P-7)を見ても解る通り、当時既に武蔵野台地の薪炭林である雑木林や田畑の殆どは失われ宅地化されています。右のGoogleEarthの航空写真に見られる善福寺川流域の緑地は嘗て水田だった場所を埋め立て整備して緑地化されたものです。これらは古くからある大宮八幡宮と戦前から整備された和田堀公園を除いては未だ50年経っていないものです。逆に言えば50年あれば森を造る事が可能であることを示しています。また嘗ての窪田は豪雨の氾濫に対し調節池の役割も担っていました。今日の様に川幅ぎりぎりに宅地化された河川は豪雨に対する抵抗力を失い、新たな都市水害を招いています。そうした都市水害に備え流域の緑地では運動公園を兼ねた調節池の整備が現在進行中です。それが可能なのは善福寺川流域の元農地を私有地のままに置かず、行政が長年に亘り共有地として確保してきたからでしょう。理想的には英国の様に都市の余白としてヒースを残す事かも知れません。今回のダイビングは阿佐ケ谷住宅と重ね合わせ『コモンの思想』を考えてみる機会になればと思います。因みに善福寺川ではアースダイビングのシンボルである水鳥「カイツブリ」が出迎えます。


・日時 2007年3月31日(土曜)PM1:00〜PM6:00
・内容 距離:約4.2km
・PM1:00〜 方南町に集合し堀之内橋から善福寺川流域を散策
・PM2:00〜 杉並区立郷土資料館見学(入場料¥100)
・PM2:45〜 大宮八幡宮と和田堀公園を散策(休憩)
・PM3:45〜 花見がてら善福寺川を阿佐ケ谷住宅まで散策
・PM4:30〜 阿佐ケ谷住宅及びにトタンギャラリーを見学
   公団阿佐ケ谷住宅・テラスハウス25号棟
・PM6:00〜 阿佐ケ谷界隈にて打上・反省会(場所未定)

・集合場所
2007年3月31日PM1:00
地下鉄丸ノ内線・方南町駅西改札を出る
地下鉄出口1(地上・方南町交差点角)
環状七号線・方南町交差点・北西側角にて。

・参考時刻表(ジョルダン・乗換案内調べ)
・新宿発12:46荻窪行・中野坂上乗換
 方南町12:57着
・荻窪発12:37池袋行・中野坂上乗換
 方南町12:57着
※中野坂上で乗換に注意!
----------------------------------------------------------------------------------------------
以上、資料等のダウンロード方法については別途メールにして連絡します。

Posted by S.Igarashi at 03:31 PM | コメント (17) | トラックバック

March 19, 2007

資料校正中

InDesign001.jpg

てことで、土日のエントリーをサボっていた言い訳です。(^_^;)

Posted by S.Igarashi at 11:56 AM

March 11, 2007

木造四階建?

昨日、打合せで杉並校舎に行ったついでに、31日の為の調査ダイブとして方南町から阿佐ケ谷住宅まで歩きました。昨年の10月28日に一度 善福寺川・調査ミニダイブは済ませていますが、調査に漏れた箇所と地下鉄・方南町駅からのルートを確認する為です。そして前回立ち寄らなかった杉並区立郷土博物館で資料の収集、大宮八幡宮ではアースダイビングの無事を願っての神頼みです。と云うことで左の写真は善福寺川の緑地に面した木造四階建?の建物ですが、実際は鉄骨で補強した木造三階+地下一階(擁壁部分を利用)でしょうか。それにしても恐れを知らぬ三階部分のオーバーハングです。

Posted by S.Igarashi at 02:16 AM | コメント (2) | トラックバック

March 05, 2007

東京人4月号・東京は坂の町

と云うことで今月の東京人は待望の特集「東京は坂の町」である。そういえば作家・冨田均の東京坂道散歩や自称日本坂道学会会長・山野 勝の江戸の坂はエントリーしてあるが、自称日本坂道学会副会長による「タモリのTOKYO坂道美学入門」はエントリーしないままであったが、タモリ推奨の東京坂道ベスト12のなべころ坂(中目黒)のY字路をちょっと見てみたくなった。

Posted by S.Igarashi at 01:26 AM | コメント (0) | トラックバック

March 03, 2007

半蔵門

日本カメラ博物館JCIIフォトサロンの「幕末・明治の古写真展」を見に行ったついでに半蔵門から日比谷まで三宅坂をミニミニダイブしてみた。別に「土地の文明」を読んだからと云う訳ではありません。以前より武蔵野台地の東端から日比谷の入り江(想像)を望むこのダイナミックな風景は好きです。アースダイビングも本来ならば江戸東京の原点と云うべき此処から始めるのが筋なのかな、なんてことを考えながら三宅坂を下っていたら、同じ有名人に二度もすれ違ってしまいました。

その有名人はレースからは引退したようですが市民ランナーとして活躍している谷川真理さんです。最初は半蔵門に近い坂上ですれ違い、もしかすると、またすれ違うかも知れないと思っていたら、桜田門の手前で再び、すれ違いました。多くのランナーはトラック競技と同じ反時計回りのようですが、谷川さんは三宅坂が長い上り坂になる時計回りで走ってました。それにしても呼吸が全く乱れていない、流石に本物のアスリートは違いました。

Posted by S.Igarashi at 11:25 AM

November 05, 2006

地質調査業協会

jiban.jpg

地質調査の業界団体だけに名前は堅い。関東地質調査業協会には上図の大地の解体新書が、そして東京都地質調査業協会には技術ノートのNo.26からNo.38までがPDF書類としてダウンロードできるようになっている。中でも技術ノートNo.29「東京のまちなみ」に掲載の「都電荒川線沿線のあゆみ」は次回「アースダイビングはトラムに乗って」の予習に最適のテキストだ。

Posted by S.Igarashi at 10:27 AM | コメント (3)

October 18, 2006

土木絵葉書

dobokucard.jpg

音無橋をネット検索して見つけた土木学会図書館の戦前土木絵葉書ライブラリ、土木関連の絵葉書3,600点が収録されている。

Posted by S.Igarashi at 08:57 AM | コメント (0)

October 09, 2006

図説 江戸・東京の川と水辺の事典

図説 江戸・東京の川と水辺の事典 鈴木 理生 (著)
事典とあるように江戸の川・東京の川の著者・鈴木 理生氏による研究の集大成である。書名の事典故に貸出禁止図書の指定がされていたが「そこをなんとか、m(__)m」と図書館司書にお願いして1週間だけ借りてきた。わきたさんが「東京の元・湿地帯をダイブする(その3)」の中で「江戸の川・東京の川」を取り上げていたので『出版されてから30年近く経っているので、、、云々』とコメントしたところ本書の存在を知らせて戴いた。Amazonで「江戸の川・東京の川」を買っているので、その後Amazonから本書の案内が来たと思うが値段が張る故に無視していたような気もする。

と云うことで「図説 江戸・東京の川と水辺の事典」を借りてきたのは出版されてから30年近く経った『江戸の川 東京の川』に於ける仮説的論考の、その後の研究成果を知りたかったのである。それは本来の石神井川が飛鳥山手前で右手に折れ谷田川(藍染川)と名称を変え不忍池に流れていたのであるが、或る時代から武蔵野台地東端の上野台地を切り裂き隅田川に注ぎ込むようになったのであるが。鈴木理生氏は『江戸の川 東京の川』に於いてはこの様に仮説を断言していた。

さきに渓谷状の石神井川が王子に抜ける形が異例だといったのは、河流がつくる谷の形は徐々に谷幅をひろげる形で発達するのが普通である。滝野川の王子側のわずか一キロたらずの渓谷地形を、自然現象の結果だとしたならば、この部分の地盤だけが局地的に隆起したという理由だけしか考えられない。
、、、中略、、、
正史の『吾妻鏡』には滝野川という地名はでてこない。滝野川が地名として扱われるのは、前述のように頼朝上陸の時点より約一世紀後に成立した『源平盛衰記』以後のことである。
以上のことから、私は石神井川が現在のように石神井川と谷田川に分断されたのは、人為的なものだと断定したい。
と述べている。

それが「図説 江戸・東京の川と水辺の事典」では人為的な土木工事説を捨ててないが、自然現象説の可能性についても述べられている。

最近の東京における自然地理(地形学)の調査・研究の結果では、幾度かあった海進期の海の波の浸蝕力は非常に強く、この辺りの武蔵野台地の海に面した場所は「1000年間に250メートルも削られた」という見解も発表されている。
(『駿台史学』第98号・1996年9月刊の中の(研究ノート)「武蔵野台地東部(本郷台) における石神井川の流路変遷」、筆者は中野守久・増渕和夫・杉原重夫の三氏)
 この研究の結論は、谷田川〜不忍池方向に流れていた石神井川が、「縄文海進最盛期に本郷台の崖端浸蝕に起因した河川争奪を起こし、流路を変更して台地から東京低地へと急勾配で流下した。流路を奪われた谷田川の上流部では沼沢地となり滝野川泥炭層を河床に堆積させ一方、王子方向へと流出した新たな河流は河床を深く掘りこんで峡谷状となり、現在の流路を取るに至った。」とする。つまり、海側からの浸蝕と石神井川側からの双方の浸蝕力で、壁状になった台地の緑(ふち)が崩壊して石神井川が海側に流れ出したというのである。

鈴木理生氏による人為による河流の変更説の根拠となっているのは以下の項目による。
1)滝野川の地名発生の時期
歴史上のことでいえば、鎌倉幕府の正史といわれた『吾妻鏡』の治承四(1180)年十月四日の条(くだり)の解釈に、源頼朝が「隅田宿」から「長井渡」を経て武蔵に最初に上陸した場所として、この石神井川流域の滝野川付近が推定されている。それから約百年後の十三世紀後半に成立したといわれる『源平盛衰記』には、源頼朝の上陸地点を「武蔵国豊島の上、滝野河、松橋」とあるのが文字で見られる限りの最古の例である。

近くの王子神社(王子権現)の起源によると「創立は、この地の領主・豊島氏の紀州熊野権現よりの勧請と伝えらる(元亨二年、1322)。王子村は古くは岸村といったが、紀州熊野三所若一王子が勧請され、若一王子宮(わかいちおうじしゃ)と称した事から、王子村と改められた。」とされている。

2)鎌倉古道の位置づけ

また鎌倉時代の軍用道路(鎌倉古道のうちの「中の道」が後北条時代に受けつがれ、それが江戸時代になると岩槻道(いわつきみち)、別名日光御成道=本郷通りから岩淵(北区)〜川口 (川口市) とつづく道も現在の石神井川を跨ぐ形でつけられている。
 しかし本来の岩槻道は石神井川を跨がずに、台地の縁沿いに通っていたと考えた方が、軍用道路の路線設定の条件を考えた場合、より自然である。
 この点から、あるいは岩槻道が成立した後に、自然的または人為的に石神井川の流路が変わったとも推察できる。
 現地に立てば分かるように岩槻道と今の石神井川との交差の有様は、各時代の状況に応じた社会と川の関係を偲ばせるものが多い。

これらの理由だけで実証もなく人為的な土木工事説と断定するのは難しいと思われるが、江戸時代の土木工事で本郷台地に切り開かれた仙台堀(御茶ノ水・神田川)に架かる聖橋と、滝野川に架かる音無橋がよく似た意匠のアーチ橋と云うのも興味深い。

追記:江戸時代と明治時代の飛鳥山周辺の地図と古墳時代の遺跡分布地図
edoasukayama.jpg
岩槻道が飛鳥山に添って一旦下り谷底で石神井川を渡り、再び武蔵野台地に登っている。
石神井川は谷底で流れが二つに分かれ隅田川に向かう流れと、武蔵野台地の旧海岸線に沿った流れとなる。(この下流は日本堤に流れ、山谷堀から隅田川に注いでいる。)
江戸・東京の地図と景観(正井泰夫・著)より引用。

meiji13asukayama.jpg
明治13年。

kitakuiseki.jpg

王子権現のある場所(半島、岬)は19の十条台遺跡群とされ、縄文、弥生の住居跡はあるが古墳はない。赤丸22は王子稲荷裏古墳、赤丸24は四本木(よもとぎ)稲荷古墳、これも地霊信仰の一つである稲荷が古墳跡にある典型だろう。飛鳥山には赤丸46の飛鳥山古墳群が見られる。中里と西ヶ原に貝塚が見られるのは縄文海進期の海岸線が京浜東北線に沿っていたのであろう。
東京都遺跡地図情報インターネット提供サービスによる北区-遺跡一覧より引用。

Posted by S.Igarashi at 10:30 PM | コメント (11)

April 21, 2006

ナスカに、、、

石川初氏の東京ナス化計画ではなく、南米はペルーのナスカに新地上絵が発見されたという新聞記事を見て、さっそくGoogle Earthで調べてみたが画像解像度の不足で地上絵までは確認できなかった。地上絵のあるナスカ台地はナスカの西北(およそ南緯:14°42'55.93"、西経:75°09'37.74")に位置すること、そして"Nazca Lines"を確認できた。
追記:TBS『世界遺産 ナスカ展―地上絵の創造者たち』が国立科学博物館で開かれていました。(このサイトに報道資料がPDFで用意されてます。報道資料の地図を見ると、Google Earthでたぶん地上絵だろうと思った部分は、やはりそうでしたね。)そして本日(4/22)のTBS系列『世界ふしぎ発見』はナスカはここから始まった 巨大地上絵の新事実です。

ナスカの地上絵について検索していたら、Mystic Placesのサイトが見つかった。そこで『Compare Nazca lines with Area 51 desert "drawings"』を見つけ、赤道、そして北回帰線も越えてネバダの砂漠地帯に飛んで行った。かの有名な米軍のトップシークレットである"Area 51"も衛星写真でみればこの通りである。これはアメリカ先住民からすれば神への冒涜以外のなにものでもないだろう。
(およそ北緯:37°09'45.87"、西経:116°03'04.49")



(およそ北緯:37°37'42.35"、西経:116°50'51.08")
こうした米軍によるマーキングが沢山あります。



おまけはフロリダのWest Palm Beachです。

Posted by S.Igarashi at 08:47 AM | コメント (3)

April 18, 2006

地形に刻まれた旧陸軍の跡

凸凹地図の丸で示した場所が青山南町から麻布竜土町にあった陸軍第一師団の射的場のあった場所である。谷戸の地形を利用して人工的な土塁を設け射撃訓練を行なった場所であろう。今では当時を思わせるものは何も残っていないが、地形にはっきりとその痕跡が残っている。

ここは東大病院の裏手にあった東京共同射的会社の射的場の痕跡である。射撃訓練場が民営化されていると云うのも変だが、東大の学内広報の記述から推測すると、射的場は警察隊と陸軍が共有していたように思えるが、なんとなく利権の臭いもしてくる。しかし射的場という名称は温泉場等の娯楽施設を連想させるが明治期は射撃訓練場をそう呼んでいたようである。

Posted by S.Igarashi at 08:35 AM | コメント (0)

April 16, 2006

根岸競馬場跡

masaさんKai-Wai 散策: 荒木町界隈凸凹地図のコメントで「池が涸れたものやカルスト地形を別にすると、いったい自然にできた真性スリバチって存在するのでしょうか…」という言葉が気に掛かり、そういえば横浜の根岸競馬場跡が緩いスリバチ地形になっていたことを思いだした。尤も、35年前くらいに一度行っただけなので記憶は定かでない。Macの数値地図ビュアーで調べてみたら谷口が高く、やはりスリバチを形成している。たぶん自然の谷戸地形を利用した競馬場だったので、メインスタンドへのアクセスの為、谷口に土手を設けて進入路を確保したのではないだろうか。まぁ勝手な妄想ですが。

追記:「東京の公園と原地形」を調べてみたら8章の「8-2 三渓園」に根岸競馬場についての記述がありました。あながち妄想でもなかったようです。

競馬場は谷戸の谷頭のあたりを利用したものである。谷戸を囲う東、南、西の三方の尾根はそのままコースとなり、北ノ谷を埋めて土手を高く築き上げ、コースを完成させた。コースに上り坂、下り坂があったが他にカーブがきつく危険なコースとして騎手に恐れられていた。すり鉢の縁を走っていたようだともいわれている。
と云うことで、根岸競馬場跡は田中正大氏のお墨付きを頂いたスリバチ地形でした。

Posted by S.Igarashi at 11:08 AM | コメント (4)

April 15, 2006

東京の地理がわかる事典

東京の地理がわかる事典 鈴木 理生 (編著)日本実業出版社
江戸の川・東京の川の著者・鈴木 理生氏による本書は江戸から東京の地理とそれらに纏る都市の歴史について手軽に読めるように見開き2頁に一つのエピソードがまとめられている。内容的には軽めの蘊蓄系雑学大全にシフトしているが、これ一冊で東京の地理がわかる事典と云える。東京の地理に興味を抱いているが10+1 No.42 特集/グラウンディングの内容では敷居が高いと思われる人はこの一冊を手始めに読むと良いかも知れない。

内容
第1章 江戸以前の東京はどんなだったのか
第2章 東京の地形の基礎知識
第3章 現代につながる江戸のインフラ
第4章 江戸の「町」から東京の「街」へ
第5章 急変していく東京の区画と範囲
第6章 近代東京はこうしてできた
第7章 東京の発展を支えた交通網
第8章 雑学でみる江戸・東京の地理

Posted by S.Igarashi at 01:42 AM | コメント (9)

April 05, 2006

風景殺し・記憶殺し

Kai-Wai 散策: 高田残景を見て、同じようなことが多摩地区でも起きていると思いGoogleMapで調べてみた。衛星写真の下部中央はJR橋本駅、境川は東京都町田市と神奈川県相模原市の都県境を流れる中小河川である。地図を見ると直ぐに解るが橋本付近から下流は河川改修が済んで河川は直線化し、河川を挟んで行政区域に飛び地現象が起きている。一方の上流側は地形に沿って蛇行しており、流域には深い緑が残されている。こうした河川改修が治水の為に行なわれているのか、区画整理と同じ土地利用の為に行なわれているのか疑問である。何れにせよ、躊躇いもなく自然風景を破壊するのは知恵がなさすぎる気がしてならない。

私が住んでいる八王子市の北野街道に沿って流れる湯殿川と云う名の中小河川があるが、この川も館町付近で河川改修が行われようとしている。しかし、子供の頃の記憶を辿ってみても湯殿川が氾濫したことを聞いたことがない。将来的に都市化が進み雨水の全てが河川に流れ込むと云う想定で河川改修をするのだろうか。田畑や森が安全弁の役割をしていた時代が終わり、余白をもたない都市政策の中で数値だけを根拠に行なう河川改修の後に残されるのは荒廃した風景だけである。こうして風景は殺され、記憶も殺される。

Posted by S.Igarashi at 01:34 AM | コメント (5)