と云うことで、正月二日の午前中に両親と兄妹の墓参りを済ませた。今年も昨年同様、好天に恵まれ霊園から筑波山を見ることができた。東京の低湿地帯に生まれた者として、同じ東京でも西の外れの山里から筑波山のツインピークスが見えると何か得した、清々しい気持ちになれるのである。[ + ]
ところで、筑波山と云えば広重の「江戸百」...
つまり『名所江戸百景』の遠景に富士山の次ぎに数多く描かれており、云わば構図の方向性を示す記号、ランドマークでもある。
『深川洲崎十万坪』左図
『隅田川水神の森真崎』
『真崎辺より水神の森内川関屋の里を見る図』
『墨田河橋場の渡かわら窯』
『王子稲荷の社 』
『飛鳥山北の眺望』
『日暮里諏訪の台』
『南品川鮫洲海岸』
『柳しま』
『浅草川大川端宮戸川』
『謎解き広重「江戸百」』でも謎の多いとされている『浅草川大川端宮戸川』であるが森川和夫:廣重の風景版画の研究ー(1)古写真で読み解く広重の江戸名所でも解説されている様に大山詣の一行が出発に先立ち、両国橋の袂で水垢離を取ると云う風習に基づいた絵である。構図的には両国橋の上から描いたものかも知れないが、近景に欄干も描かれていない。左手に見えるは神田川の河口、柳橋の料亭とすると、遠くに見えるは蔵前橋だろうか、梵天を立てた船は神田川を遡上して何処まで行くのだろうか。そして画面中央下三分の一に配置された「大川上流の彼方に見える筑波山」を「大山」に見立てたのかについては言及されていない...何故か...。
ついでに、この霊園の峰続きの初沢城趾から見た大山・丹沢を...。