地図と鉄道省文書で読む私鉄の歩み: 関東(2)京王・西武・東武
腰巻きが京王線仕様になっていることから、Amazonではなく啓文堂書店で平積みにされていたのを買ったものだろう。京王・御陵線の経緯を拾い読みして積読状態にしてあったのだが、Facebookで知った今昔マップをiMacの広いスクリーンで見ると、iPhoneやiPadのスクリーンで見る東京時層地図とは違う発見もあって面白い。
因みに今月の21日にせいせき今昔セミナーと題したイベントが講師に今尾恵介氏を迎えて聖蹟桜ヶ丘ショッピングセンターであるらしい。今昔マップのこの辺でしょうか。
多摩川右岸の聖蹟桜ヶ丘(旧駅名:関戸)に駅が出来た理由は…工事費の掛かる鉄橋を一ヶ所に済ませる為なのですね。因みに京王帝都電鉄の名称は東京と八王子を結ぶ鉄道だから、東八が採用されなかった理由はなんでしょうかね。会議の全貌を妄想すると面白そうであります。似たような名称に甲州街道(国道20号)のバイパスとして計画された道路に東八道路がありますが、どうも先に完成した三鷹市内だけを東八道路と呼んでいる様です。これも終点は甲州街道と圏央道の高尾山ICですが、全線が繋がるのは未だ先で、八王子市内では度々ルートが変更されています。
内容:
京王電鉄
甲州街道に沿う電気軌道/路面電車から郊外電車に発展/観光開発の時代から戦争へ
「トレンチ鉄道」がルーツ----井の頭線/最新式の帝都電鉄
西武鉄道
始祖は国分寺起点の川越鉄道/変転する都心直結線計画/ライバル・武蔵野鉄道
ついに実現した村山線/多摩湖・狭山湖をめぐる鉄道/幻に終わった奥多摩の鉄道回遊ルート
東武鉄道
武蔵國東部を北上する鉄道/北関東機業地帯への延伸/鴨と桃花と菖蒲
東京から上州さらに新潟へ---東上鉄道/大和田から志木経由に変更
高速電鉄の時代---日光線開業
追記同じ著者の著書に...
aki's STOCKTAKING:多摩の鉄道沿線 古今御案内
7歳と11ヶ月弱くらいまで住んでいた足立の梅田界隈の明治・大正期の地図を見ると、東武線の位置が現在と異なっていることに気付いた。大正期の地図では梅島にあった大きな池が線路の北側にあったことからだ。千住新橋北詰の国道四号線(日光街道)から足立九中方向に分岐する道は廃線跡でだったことを知る。小学一年の餓鬼にはブラタモリ的興味等ある筈もなかった。本書284頁に由れば東武鉄道の荒川放水路の開墾に伴う路線の移設は鐘ヶ淵から西新井まで約6.9kmに及んだとされている。当然のことながら千住新橋北詰の田中釣具店も荒川放水路と国道が整備されてからの開業だろう。
ブラタモリを見ていてもそうだが、廃線跡と云う切口で都市をみると、見えないものが見えてくるようである。明治・大正・昭和に掛けて鉄道カンブリア紀とも云う時代だったのだろう。全国で幾つもの鉄道が計画され、青写真で終わったもの、建設されたもの、廃線となったものも数多く…はたまた民間資本で建設されたものの御上に召し上げられ国有化され…また民営化と…国家に翻弄される鉄…である。
関連
1956 西新井橋
荒川放水路
お化け煙突
梅田町の家・ビフォーアフター
千住新橋・遠望
川の地図辞典-2 消えた梅田堀
荒ぶる川の絵葉書
昨日発売の東京人の8月号・特集「東京の古道を歩く」は久々に充実した内容で買いである。最近、地図系特集記事の内容が矢鱈と凸凹地図ばかりで些か食傷気味であったが、今回の巻頭特集「キーワードで探す古道五選」は明治時代と現代の地形図を比較した図版が見やすく判りやすい。それもその筈で、嘗てMac系の雑誌でビギナー向けの記事を多く書いていた荻窪圭氏によるものだ。因みに荻窪氏は先々月も、タモリ倶楽部の「千年前のロードマップ奈良・平安時代の東京古道を行く!」に出演、タモリ相手に品川道について蘊蓄を語っていた。
之潮の芳賀さんは『江戸城内を貫く鎌倉道の記憶』と『道の権力論 「まっすぐ道」が「ミ・チ」の起源』を寄稿。そういえば「土地の文明 地形とデータで日本の都市の謎を解く」の著者は尾根道に繋がる半蔵門を江戸城の正門と読み解いていたが...。
八王子界隈では浜街道(絹の道)が紹介されているが、どうやら武蔵國と相模國を結ぶ七国峠の鎌倉道は忘れられた古道の様である。
日本地図センターの横濱時層地図がAppStoreから7月12日付けでリリースされた。その当日、赤羽まるます家で開かれた赤羽軽泥酔会でアプリケーションを開発された元永二朗氏にお会いしたときは、未だAppleの審査中でリリース日は未定と云う話だったが、まさか、その日に審査が下りてリリースされていたとは...当の本人も知らなかったようです。
と云うことで、横濱時層地図によって幕末までは江戸湾に面した武蔵國の一寒村にしか過ぎなかった地域が開港によって近代化する様、第二次世界大戦後の占領時代、高度成長期と輸出大国への変化が海へと国土を拡げる様、そんな横浜の近現代を時代のレイヤーに分けられた地形図を片手にダイナミックに理解することを可能となったのである。iPodに入れたこんな唄を聴きながら...地図をめくるのも...良いかも。
因みに横濱時層地図のリリースに併せて東京時層地図もアップデートされバブル期の地形図が追加されている。また時層地図でも使われている明治初期の「迅速測図」は、こちら歴史的農業環境閲覧システムから見ることができる。
川跡からたどる江戸・東京案内
菅原 健二・編著 (洋泉社・発行)
あのJEDI必携の『川の地図辞典 江戸・東京/23区編』と『川の地図辞典 多摩東部編』の著者である菅原健二氏の最新刊である。出版社のサイトで書籍検索するとエンターテイメントに分類されているようだが、その内容は川跡からたどる江戸東京の近現代史である。明治維新、関東大震災、東京大空襲、東京オリンピック、そして昭和平成バブルと、幾多の災害や破壊に改造の生贄とされ、視覚から抹殺された川跡を探り都市の記憶をたどる一冊である。因みに表紙の地図は図説・明治の地図で見る鹿鳴館時代の東京でも用いられた参謀本部陸軍測量局『五千分一東京図測量原図』(明治9年〜明治17年)の「東京府武蔵國京橋区木挽町近傍」汐留付近である。そういえば日本地図センターから復刻版・参謀本部陸軍測量局『五千分一東京図測量原図』が出ると云うつぶやきを聞いたような...こんなものもあるし...期待したいのだ。
内容
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第一部 都心部を流れる神田川をたどる
第一章:江戸から昭和までの記憶が残る神田川
江戸・東京の「母なる川」神田川
隅田川への水路としてできた御茶ノ水
神田川に栄えていた河岸
日本最古の都市上水道・神田上水
松尾芭蕉と神田上水
江戸川公園と小石川後楽園に見る面影
江戸の六上水
第二章:消えた神田川の支流
三業地に谷端川の面影を見る
千川通りと『太陽のない街』
紙すきで知られた音羽川
池袋の地名と関係する弦巻川
歌舞伎町を流れていた蟹川
田安家下屋敷あたりから流れていた紅葉川
神田川との合流地点が移動した妙正寺川
桃園川と吉宗との関係
農業用水として利用された神田川笹塚支流
第二部 若者の街・渋谷に流れていた川
第三章:喧騒の街を流れる渋谷川
渋谷駅東口に見える渋谷川は潅漑用水だった
大岡昇平と渋谷川
生活排水路へと変わる
参道橋とキャットストリート
明治神宮内の清正井と南の池も水源
渋谷川に合流していた代々木川
新宿御苑内の泉池も水源
渋谷川に合流するイモリ川
忍者の組屋敷脇を流れていた川?
第四章:渋谷センター街も川だった?
水音が聞こえてくる宇田川遊歩道
水源は幡ヶ谷近辺の湧水
大岡昇平と宮益坂、道玄坂
宇田川橋と代々木練兵場
大名屋敷の池は水源になる?
水源の池があったとされる旧山内侯爵家
暗渠化された河骨川の光景
東京オリンピックが暗渠化を進めた?
第三部 水の都・江戸の面影を求めて
第五章:水路が張りめぐらされていた街をたどる
銀座界隈は「日本のベニス」だった
家康の江戸入府と道三堀
日比谷は海だった?
数寄屋橋の下を流れていた外濠川
外濠川の現在
江戸の外湊と内湊をつないだ日本橋川
日本橋川の河岸
高速道路に変わった楓川
楓川周辺には木材関連の町が集まる
八重洲通りは紅葉川の跡地
防衛施設だった八丁堀
外濠とともに開削された京橋川
河岸が果たした役割
三原橋が架かる三十間堀川
築地地域を囲む築地川
江戸のメインストリートにつながっていた西堀留川
東堀留川に架かっていた思案橋とは?
吉原遊廓を囲む浜町川
消えた歓楽地、中洲をつくる箱崎川
大名屋敷のあいだを流れた稲荷堀
江戸湊の中心にある亀島川
酒問屋街を流れる新川
新島原の廓堀だった入船川
埋め立てが繰り返された龍閑川
お玉が池と藍染川
溜池の排水路だった汐留川
付録 江戸・東京の川跡を歩くヒント
谷・田・窪・沢・瀬などの地名に注目
公園などの都市施設や公共施設に注目
道路になったケースがいちばん困難
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と云う事で今晩10時から"ブラ@タモリ 2.0"再開である。早速、東京時層地図で築地界隈を検索するわたし...此処は参謀本部陸軍測量局『五千分一東京図・測量原図』で残されているから詳細な地図で読める。因みに『図説・明治の地図で見る鹿鳴館時代の東京』では84頁であります。尤も...NHKの事ですから...何か事があると、時間がずれたり...延期になったりするので...録画予約も当てにはできませんが...。
この処、朝晩欠かさず上図のサイトをチェックしていたが、本日漸く、マッパーの聖地・日本地図センターによる東京時層地図がiPhoneAppとなってリリースされた。東京の地図を時間のレイヤーで表わす江戸・明治・現代の三層重ね地図等はPC版で既にあるが、これは明治初期の軍部による迅速測図から現代までの時代を9つのレイヤーで都市の様々な変遷を表わすものである。単なる地図好きの範疇を越え、近現代の政治・経済・文学を地勢から読み解く必須アイテムでもある。JEDiPhoneには必ずインストールしておくべきツールなのだ。因みにiPadではiPhoneAppを二倍モードの拡大鏡で見ることができ、ドットは荒れるが、それでもリーディンググラスが必要な世代には楽である。
追記:因みに『東京時層地図』の文明開化期で用いられている『五千分一東京図』は『図説・明治の地図で見る鹿鳴館時代の東京』の元になっている地図です。また二万分の1の迅速測図の複製は東京都だけで三万円程で日本地図センターから購入できます。
5月末まで無料ダウンロードできる『こちずぶらり』である。用意されている古地図は世界が三枚、日本が四枚である。左の画面はその一枚で1844年の江戸古地図である。画面の音無川と山谷堀に吉原のスケール感をみれば、GPSとの整合性や地図の正確さを求めるのは土台無理なことは一目瞭然。まぁ...話のネタ程度には...なるかもしれないが...これが350円だったら...う〜ん...。
しかし、もしも...GPS機能に対応したiPhoneAppの三層重ね地図があれば...価格にもよるがお金を払っても欲しいと思うだろう。
追記:関連エントリー・デジタル伊能図
歴史的農業環境閲覧システム
石川さんのつぶやきで知ったのだが東京地形地図on the Google Earthが凄い。 Google Earthの表面に5mメッシュの地形図データから得た等高線と陰影段彩図のオーバーレイを掛けるのだが、今までWindowsのカシミールとか、Macでは数値地図ビューアで作成していたものを誰でも簡単に手にすることができるのだ。オーバーレイの透明度の設定や空撮写真に等高線だけを表示したりと、オプション機能を上手く使えば隠されていた都市のレイヤが見えてくるのである。
上記地図の参考エントリー:
JEDI・春だから荒ぶる川の桜と水門...
稲付谷ラフティング
追記:タモリ命名の前島坂界隈を追加した。
と云うことで先日放送のブラタモリで坂好き男・タモリ命名の前島坂(晴海通り)であるが、Google Earthに東京地形地図のオーバレイを掛け、レイヤから「建物の3D表示」をすると、銀座の江戸前島がくっきり、日比谷入江を開発した「丸の内三菱村」は水没である。拡大表示すると中央通り銀座四丁目交差点が尾根となり晴海通りに掛かる等高線が切り通しにみられる特徴があるのが良く解る。
10月1日から本放送が始まったブラタモリである。その第一回が早稲田界隈と云うことで神田川流域の嘗ての蛇行していた川跡を示す複雑に入り組んだ区界を白々しい小芝居付き演出で取上げていた。と云うことで河川改修工事に伴って区界の変更が...出来ないものかとか...なんてことを言っていたが、新宿区西早稲田(旧戸塚町)と豊島区高田(旧高田町)の区界を現在の神田川にしている地図があった。それは昭和22年の「新宿区詳細図 東京区分図 植野録夫編集 日本地図株式会社・発行」(上図)である。時代はGHQによる占領下にある頃、戦後の復興都市計画路線網も描かれている地図で、現在の新目白通りも計画路線として茶色の点線で示されている。まぁ、区界の変更すらままならぬ訳だから、例のマッカーサー通りが未だに完成に至らないのも...無理はない。因みに太平洋戦争の始まった1941年の地図の区界は当たり前だが現在と同様に蛇行している。(引用・参考資料:地図で見る新宿区の移り変わり|戸塚・落合編|新宿区教育委員会)
関連エントリー:「岩淵・水辺と崖線...」・「風景殺し・記憶殺し」
上記の地図(クリックで拡大)は昨日放送されたタモリ倶楽部「秋の巨大建造物クルージング/江東・水門銀座を行く!」の解説とナビゲートを務めた佐藤淳一氏が提供している東京水門map(beta)の水門位置情報をGoogleMapに落とし込んだものである。番組内容は木場を出航し「1:曙水門」から湾岸地区埋め立て地の運河を巡り「5:浜前水門」から隅田川を上り、右手に「6:月島川水門」と「7:住吉水門」を見やり、「8:新小名木川水門」から小名木川に入り、旧中川に合流して「10:荒川ロックゲート」から荒川に出るまでを紹介。いつもならマニア向けの内容に対し狂言廻しのお笑い芸人の冷ややかな醒めた態度が目立つのであるが、今回はお笑い芸人を含め一同、船上で大盛り上がりを見せていた。中でも閘門(こうもん)を通過する時は一同大興奮、こうもんからほとばしる水しぶきを浴び、アドレナリンもピークに達した。それにしても「9:扇橋閘門」と「10:荒川ロックゲート」の間の小名木川は隅田川や荒川よりも水位が2.4mも低い、つまり江東区のゼロメートル地帯に位置していると云うことである。
水門写真家・佐藤淳一氏のblog:Das Otterhaus
江東区のゼロメートル地帯が解るように数値地図(クリックで拡大)を作成しました。ちょうど小名木川の扇橋閘門から東の荒川ロックゲートまで海抜よりも低いことが解ります。これを見ると東西線より南の近代による埋め立て地によってゼロメートル地帯が取り残されてしまったことが解ります。(嘗てのごみ処分場であった夢の島が海抜5mと意外と高い...。)地下水の汲み上げよる地盤沈下もあるでしょうが、既に市街地化している場所では利権もあって土盛りで地盤をかさ上げするのは困難の上...スーパー堤防の構想も実現には...江東・水門銀座は行政が考えられる現実的な問題解決の結果...でしょうか...。 因みに図中の赤丸が州崎神社の位置になります。嘗ては海岸線から離れた弁天島だということです。
森川和夫:廣重の風景版画の研究より名所江戸百景 深川洲崎十万坪
森川和夫:廣重の風景版画の研究より名所江戸百景 深川木場
扇橋閘門をGoogleMapのストリートビューで橋の上から眺める。
荒川ロックゲート(閘門)は周囲に公道がなくストリートビューで眺めることは叶わなかった。
運河好きotokoを自称するM.Niijimaさんののblog:Across the Street Sounds「川からは空が見えるのが望ましい」も併せて御覧の程を...扇橋閘門のモノクロ写真が...。
masaさんのKai-Wai 散策・オックスフォード便り(11)にはテムズ川支流のロックゲートが紹介されている。
タモリ倶楽部出演の経歴を持つ石川初さんのblog・身辺メモ「水門のエコロジー」もどうぞ...
しかしながら、水門を含め日本の土木工事にはマエストラント可動橋のようなデザイン性が欠けている、逆にそれがマニアの興味の対象となっているのだろう...が...。
iPhone 2.2 Software UpdateによってiPhoneのGoogleMapが改善されたばかりだが、本家PC版のGoogleMapもストリートビューのインターフェースが変わり、小さな別ウィンドウでなく、ブラウザのウィンドウ全体に表示されるようになり、ウィンドウ左上の人形アイコンと方位コンパスでストリートビューを操作するなった。
まぁ、そんなことより、今年8月の時点ではヨーロッパでは"2008 Tour de France"のステージがストリートビュに対応しているだけであったが、ストリートビューに対応する都市が拡大したことの方が重要である。今までは衛星写真や航空写真で妄想を膨らませていたが、こうして自宅に居ながらにしてローマの休日を楽しむことができる。旅行に行く前にストリートビューでイメージトレーニングをしておけば現地で迷うことも少なかろう。と言ってもその予定がなく... 残念...。
イタリアはローマとフィレンツェ、ミラノ、コモが対応している。フィレンツェではポンテ・ヴェッキオからアルノ川の景色なんてのもiPhoneでも楽しめる。ヨーロッパでは他にスペインのバルセロナとかの主要都市も対応、国内は関西で京都、大阪、奈良、神戸が、首都圏も神奈川、千葉、埼玉の主要都市、東北は宮城県、それに北海道は函館、小樽、札幌等。
フランスはパリの他はTour de Franceのステージになった都市や、マルセイユもストリートビューに対応している。と云うことでマルセイユのユニテ・ダビタシオンを...。
ストリートビューに対しては様々な意見もあるが、都市の中で広場や建築がどのように位置づけられているか、その関係性を理解する上でも強力なツールである。道路越しにバルセロナのサクラダファミリアを見上げる観光客の姿など、これまで見られなかった風景が見られることは貴重であもある。
『究極の地図サミット遂に開催・地図界のスター大集合でも大爆笑』
テレビ朝日:深夜・00:15〜00:45
地図界のスーパースターとは、我らが之潮の「川好きotoko」さんです。
訂正:申し訳ありません私の早とちりでした。「川好きotoko」さんが出演する回は再来週の11月14日です。(石神井川にスポットを当て、ロケ場所が王子となると興味津々。)本日の出演は「多摩の鉄道沿線 古今御案内」の今尾恵介氏と地図専門誌の編集者の方々でした。m(_ _)m
iPhoneのMapで経路案内が機能するようになっていると云うことで、家からコストコまでの経路を早速試してみた。主なルートは町田街道、走行距離は12.1kmで移動時間は35分と計算された。町田街道は横浜線相原駅南の踏切がボトルネックとなっており時間帯によっては渋滞に巻き込まれる可能性が大きいので、普段このルートは避けている。しかし、何事もトライしてみないことには評価もできない。と云うことで夕方、コストコまで買物に行くことにした。行きは相原踏切手前、後一台という処で遮断機が下りたが、渋滞という程でもなく、スムーズにコストコに到着、所要時間30分で計算より早かった。帰りは夕方6時台の所為もあってか、16号との交差点から相原の踏切まで、やや渋滞気味で所要時間35分強であったが、まぁまぁの結果である。
追記:「Google マップのルート案内」を追加。
「出発」はアドレスデータを流用、「到着」のコストコ多摩境店は当然アドレスデータはないのでデータを入力。Macのアドレスブックに登録しておけばiPhoneに同期できるので、車で行くような場所を予め登録しておくと良いかも知れない。
経路全体を示す地図では正しい道を選んでいるか確認できないので、拡大表示して経路を確認する。家から町田街道に出る道はいつもの道を選んでいる。後は町田街道を真直ぐ、多摩ニュータウン通りに左折する交差点を確認。これでストリートビューまで対応するようになれば言うことなし。
因みに『開始』をクリックすると出発地から到着地までの主要な交差点での道順をナビゲートする。
試しに隊長の御自宅までの経路は走行距離は8.4kmで移動時間は22分、バイパスも通らず甲州街道をひた走り、無事に玄関前に到着。決して裏道に向かうことなく、道を外れることもなく、真当な道案内でございます。と云うことで経由地を数箇所設定できるようになれば、更に使い勝手も向上するでしょうね。
明日が出講日の造形大までの経路は走行距離が7.2km(二里)で移動時間は30分と計算、これは北野街道から八王子みなみ野経由でいつものルートを示した。午後からの授業なので昼間は20分くらいで着くが、夕方は寺田橋で渋滞するので、30分掛かる場合もある。このルートはこの十年の間、八王子みなみ野シティの造成工事もあり(未だ終ってない)、区画整理によって古い道がなくなったり、新しい道ができたりで、その都度、ルートを変更していたのだが、iPhoneは最新の道路情報に基づいて経路を計算していた。iPhoneのルート君は融通性はないけど中々勉強熱心なのだ。
と云うことで、本家にも当然「車で行こう。Google マップのルート案内」が...しかしiPhoneの方がアドレス帳のデータを使えて入力手間を省けて簡単便利なのだ。
こうしてみるとストリートビュー対応と云うのも一長一短である。地図をイメージできるのならばiPhoneMapの交差点を拡大表示するほうが分かりやすいかも...。
10日放送のNHK美の壷・『File105 江戸の古地図』に「川の地図辞典・出版記念ウォークと懇親会」で谷田川跡をあるいた「川好きotoko 」さんと山下和正さんが出演されてました。普段はこの番組を見ないのですが、もしかして...でした。
再放送・地上波/教育:10月16日(木)深夜【17日午前】0時45分〜1時10分
再放送・地上波/総合:10月18日(土)午前5時15分〜5時40分
GoogleMapへの依存度が増えている所為か他の地図情報サービスについて疎くなっている。と云うことで7月下旬にNTT系のポータルサイトgooによるgoo地図がアップデートされていたことに気付かなかった。特筆すべきは現在と昭和22年と昭和38年の航空写真を重ねて見られることや、地域によっては江戸切絵図とも重ね合わせられることだが、常用するにはインターフェースや操作性等が今一つなのが惜しい。
このところGoogleMapの"Street View"にかまけてGoogle Earthのことを忘れていたら、Google Earthもアップデートされ"Street View"が追加されていた。Google Earthで見ると一枚のVR画像がどうなっているのか良く解って面白い。道路に沿って配置されたカメラをクリックすると表示されるスライドマウントの"Show full screen"をクリックすると....。
グングンとズームアップされ"Street View"が表示される。GoogleMapとの違いは右上に表示されているVR画像の全体が解ること。
新聞に折込まれていたマンション販売のチラシ、最寄り駅からのアクセスマップと「現地周辺拡大図」を見ると。何かの情報が欠けている。近くで工事中の主要幹線道路がその地図にはない。普通なら道路が完成すれば現地へのアクセスも良くなり、プラス要因となる筈である。それでも広告に掲載しない理由は何だろう。広告のコピーを読むと『...目の前に広がる自然...』とある。その先に高架の道路が完成したら...『...目の前に広がる自然...』はどうなるのか...現地に行けば一目瞭然... 。いや現地に行かなくてもストリートビューで見れば敷地周辺の状況が良く解る。地図にはない工事中のあれは....なんだ...と疑問に思うであろう。善意に解釈すればチラシを引き受けた広告会社は計画道路の存在を知らず事務的に既存の地図からアクセスマップを作ったのであろうが...。まぁ不動産は買うにしても、借りるにしても...現地に出掛ける前にストリートビューで事前にチェックした方が良さそうだ...。
と云うことでこちらの画像の矢印をクリックしたら、いきなり暗転して上の画像となった。そしてもう一度くりっくするとこの画像となった。この場所が何処で、この画面に何が写っていたのか、その様なことを詮索しないのが大人...でございます。
Wikipediaで"Google Street View"を調べてみると各国でのストリートビューへの対応状況が記載されていた。既に8月4日から始まった日本での対応状況と都市も含まれている。ヨーロッパでは7月2日からフランスとイタリアの一部の都市でストリートビューがスタートしている。イタリアから選ばれた唯一の都市・クネオ(Cuneo)の名を生憎と知らなかったが、名産品がピエモンテのワインとポルチニ茸、更に高級なトリュフと知ると、思わず生唾を飲み込んでしまう。日本では情報も少なく、あまり知られていないクネオはジェノヴァの西約110キロ、サンレモの北約60キロに位置する。どうもフランスとの国境近くの峠がストリートビューに選ばれた理由のようであるが...
と云うことで、どうやら"2008 Tour de France"のステージの様である。ヨーロッパに於けるGoogleStreetViewの第一歩はTour de Franceの追体験にフォーカスしたものだった。そうです、位置を示すアイコンも自転車に乗っているのである。
残念ながら「2008 Tour de France」のストリートビューはあっても、昨日から始まった「2008 北京オリンピック」のストリートビューはない。
北京市内を上空から眺めてみると。ん〜天安門前広場や紫禁城(故宮)が大気汚染で霞んでいるのが良く解りますね。(注:レイアウトの都合上、地図を90度回転。左が北、右が南)
彼の国ではGoogleの勢いをしても、オリンピック開催を記念して北京市内のストリービューと云う訳には行かない様ですね。
それにしても、40年前のメキシコオリンピックの時もプラハに侵攻したソ連は、国名も政治体制が代わった今日でも、北京オリンピックの開幕に合わせてグルジアに軍事介入し戦闘モードに入るとは...開会式にプーチンの姿だけでメドベージェフ大統領がいなかったのも...改めて「ロシア 闇と魂の国家」を思い起こした。
いつの間にかGoogleMapがアップデートされ国内でもStreetviewに対応するようになっていた。と云うことで中継は銀座通りのAppleStore前からでした。尚、対応している地域は本州と北海道の一部の都市だけ。のんびりと夏休みは取れそうにもないから、これで小樽でも散策して我慢するのココロ...なのだ。
追記:あれぇ〜ビックリした。銀座だけかと思ったら、あたしの家まで、言ってくれれば洗濯物片づけておいたのに...玄関前に生ゴミのポリバケツが出ているから今年の冬の火曜日か金曜日、駐車場には車も置いてあるから....ん〜。ふふふ、隊長の家も.....、おやおや、LOVEGARDENは店を開いて営業中ですね、ふむふむ...ベビーバギーが置いてあるから、来客中かな...。
こんなの見つけました、直進するつもりだったけど、ゴミ収集車が...いいや左折しよう。結構、適当かも...
追記:ストリートビュー撮影車と全方位カメラの情報がありました。
Google Streetview Camera Car Fleet Set to Invade America
The Google Maps Street View Camera
Riding Shotgun With Google Street View’s Revolutionary Camera
WIRED VISION:読者が選んだ、『ストリートビュー』驚きの画像
明治初期から中期の「迅速測図」による歴史的農業環境閲覧システムが公開されたが、こちらはそれより少し前の時代。
国立国会図書館のサイトはデジタル貴重書展で見られる大日本沿海輿地全図の武蔵・下総・相模(用紙サイズ117.5×187.0cm)である。流石に国立国会図書館らしく部分的にこのサイズまで拡大することが可能になっている。惜しむらくは、サイバースペース化された国立国会図書館の解り難いこと、目的の場所に辿り着くのが困難なデジタル迷路のようである。
GoogleMap で Wallpaperを作ってみた。フランス東部はスイス国境に近いアルク・エ・スナンの「ショーの製塩工場」を含む一帯、まさに地形は地球の皴である。この航空写真を見つめているとその歪んだ皴によって平衡感覚が乱され眩暈を伴う不思議な浮遊感に包まれる。
今日(4/19)のテレビ東京系「美の巨人たち」(PM10:00〜10:30)はクロード・N・ルドゥーの「アル=ケ=スナンの王立製塩所」だ。地名を冠にした名称(Saline royale d'Arc-et-Senans)もフランス語を仮名表記すると「アル=ケ=スナン」と「アルク・エ・スナン」と翻訳者によって微妙な違いがあるようだが、「ショーの製塩工場」と覚えた世代にはどちらも舌を噛みそうである。
GoogleMap( 47°2'6.00"N 5°46'37.26"E)
NHK 世界遺産の旅:【アルク・エ・スナンの王立製塩所】
36年前くらい高木事務所に入って一年ほどは八重洲のジャノメビルの裏通りにあるビルに通っていたので、京橋は目と鼻の先の行動範囲であったが、この欄干親柱・柱頭をまじまじと見つめたのは初めてのことだ。そう云えば36年前にはこの建物は無かった。だから意識することもなかったのかも知れない。ところで、この親柱・柱頭のデザインリソースは何から引用したのだろうか。もしも、欄干親柱の柱頭が普通に擬宝珠 (ぎぼし)だったら、相似形はあり得ないだろう。因みに北側の橋詰跡には擬宝珠付き親柱も復元保存されている。(京橋川:川の地図辞典56頁参照)
GoogleMapの解像度が多少向上したので、今まで識別不能だったVilla Barbaro の形状が漸く確認できるようになった。と云うことで2008年は建築家"Andrea Palladio"の生誕500年なのでGoogleMapでPalladio tourを企画してみた。400年程の時代の差があるが同郷の建築家と云うことで、ちょっとだけ"Carlo Scarpa"も加えてある。
GoogleMapで"Palladio Tour in Veneto"を開く。
今まで書いた"Andrea Palladio"(アンドレア・パッラーディオ)に関するエントリー。
August 26, 2005 Rotonda
August 29, 2005 マゼールの館
January 06, 2006 Anaglyph
January 10, 2006 立体写真集 NIPPON・明治の日本を旅する
February 06, 2007 完璧な家
May 06, 2007 Santa Sofia
cruasanさんの地中海ブログ・ 旅行記:建築に"Palladio Tour in Veneto"で紹介したパラーディオやスカルパの作品についてのエントリーがあります。
いつか見に行きたいGiulio Romanoの"Palazzo del TE"も加えてしまいました。あまり大風呂敷を広げずに、このマップはポー川より北の範囲に留めて置かねばいけませんね。
と云うことで昨日は之潮主催の「川の地図辞典・出版記念ウォークと懇親会」に参加した。ウォーキングルートは上図のJR駒込駅南口から巣鴨まで谷田川跡と本郷台地の縁に点在する神社仏閣や墓地等の史跡を著者の菅原健二さんの案内で訪ね歩くと云うもので、山手線に沿って谷を下り、谷田川に架かっていた鉄橋の下を潜ると、アースダイビング開始である。
追記:ブラウザによってクラッシュする場合があり、GoogleMapの直接貼込みを止め別ウインドウで開くようにしました。
GoogleMapでは地形を読むことは不可能なので数値地図から凸凹地図を作成した。下が本郷台地で上が上野台地、その台地に挟まれた谷に谷田川が流れ、水田が広がっていた。(こちらも参照にTake The "A" Tramのmasaさん作成:広域凸凹地図)
画像をクリックで拡大
凸凹地図に辻潤の「ふもれすく」を追加
こうして見ると多くの神社仏閣が台地の縁やいわゆる半島や岬部分に位置していることが解る。中でも妙義神社の場所は半島そのモノの形状を示している。
染井坂を上り右に折れると新義真言宗の西福寺、ここに染井吉野の里の石碑と将軍吉宗の御用植木師・伊東政武やダダイスト・辻潤の墓所がある。その西福寺の隣は染井稲荷があり、嘗ては真言宗と稲荷信仰の結びつきが強かったことを示している。再び谷に下り染井銀座から染井霊園の脇を通り、慈眼寺、本妙寺を散策し、豊島市場脇の谷田川の源流付近を確認し、中山道を渡り高岩寺(とげ抜き地蔵)へ、巣鴨地蔵通り商店街入り口の真性寺境内で記念撮影し一旦解散、懇親会参加者は4時から酒宴、河岸を変えて宴会は二次会へと続くのである。乾杯!
追記:谷田川の下流である藍染川についても多少話題になりましたが、ミツカン水の文化センターの機関誌「水の文化」第15号「里川の構想」に『森まゆみ・陣内秀信 現代都市の「里という居住地」とは』と云う対談で、森まゆみさんが土地の人々から聞き取り調査した藍染川の昔の様子が詳しく紹介されています。因みにPDF版も用意されているのでプリントして読みたい人はこちらのリンクから。
PDF版「里川の構想」
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例によってJedi-memberによる同時多発エントリーが始まったのである。
af_blog:川の地図辞典 記念ウォーク
Kai-Wai 散策:とげぬきフォント
Kai-Wai 散策:『川の地図辞典』出版記念ウォーク
aki's STOCKTAKING:川の地図辞典・出版記念ウォーク
東京クリップ:二連ポンプ:谷田川を行く
simple pleasure 2:東京は起伏に満ちている
Across the Street Sounds:春うらら、「川の地図辞典」出版記念ウォーク
Blog版「環境社会学/地域社会論 琵琶湖畔発」:「『川の地図辞典』出版記念ウォークとJEDI」
「図説 江戸・東京の川と水辺の事典」へのわきたさんのコメントから派生したこのアイデア、 運転手・AKi さんまで巻き込んで面白いことになりそうである。と云うことで新たにエントリーを設けることにした。(数値地図に首都高と高速道路だけ表示・クリックで拡大)
参考文献:東京の地理がわかる事典・240頁参照
高島平に住んでいた頃は八王子に車で帰る際(首都高の料金が500円だった時までは)よく首都高を利用していた。五号線から竹橋ジャンクション、三宅坂ジャンクションを経由して四号線に入り、三鷹の料金所から中央高速で八王子までのコースである。未だ免許を取ったばかりで余裕のない頃は運転するだけで目一杯だったが、慣れてくるに従い、身体に受ける加速度が地形の変化から生じていることに気付いた。地図を広げて首都高を見ると江戸東京の失われた河川や堀割、崖線、谷戸等の地形に沿って首都高がトレースされているのが分かる。そして江戸東京から内藤新宿を抜けて西向かって車を走らせると、視界を遮るものが減って、タイムスリップして古代の武蔵野台地を疾走しているような妄想がひろがる。
地上の一般道では、地上を埋め尽くしたビルに視界と地表は遮られ、嘗ての地形を認識することは益々困難になっている。江戸東京の景観を破壊したとされる首都高に、江戸東京の地形が記憶されているのが何とも皮肉である。逆説的に言えば日本橋を巡る景観論争で首都高を撤去することになれば、江戸東京の地形の記憶が永久に失われることにも成りかねないのである。
と云うことで「川の地図辞典」を手にして最初に調べたことは、私の生まれたバラックの前を流れていた堀割の正式な名称である。だが残念ながら「川の地図辞典」(P380〜P382)には掲載されていなかった。尤も足立区北部、草加市との都県境を流れる毛長川と荒川放水路とに挟まれた低湿地帯に嘗ては数多くの堀割が縦横に設けられ、それらの多くは農業用水路として機能していた事を考えると、無名の堀割もあるだろうし「川の地図辞典」にそれら全てを網羅することは到底無理と考えられる。頭の隅に微かに記憶されていた「梅田堀」をキーワードにGoogleで検索すると位置を特定できる情報が三つ程見つかった。
一つは西新井駅近くの梅田堀親水水路、そして生家に隣接した梅田稲荷神社について書かれた下記の文言。
5丁目9番にある。社殿の左側に禊教の教祖井上正鉄と妻の安西男也の墓が二人の高弟の墓とともに並んでいる。ほかに神社の玉垣に沿ったところに庚申塔と外荒神の2基を祀った庚申堂がある。もと梅田堀の端にあったものを地元の人々がここに安置したもので野仏の保存が図られている。文久元年(1861)九月銘の漱盥石がある。
上の写真の撮影場所をiPodtouchの空撮写真で見るとGoogleのロゴ付近から北の方向(西新井方面)を写している。右手の緑は梅田稲荷の社務所、鉄骨3階ALCのマンションが母の実家の池があった場所。生家の前の道は梅田堀を暗渠化して歩道を設け、更に車道を広げ、片側一車線の対面交通としたようである。梅田堀上の歩道のポールは嘗ての湿地帯を表徴するものだろうか。写真左手のマンション付近も50年前は溜め池があり、夏はシオカラトンボが池の上を飛んでいた。
追記:上記写真は昨年一月、西新井大師から荒川放水路までアースダイビングした時のモノです。因みにmasaさんが発見したサビオウの前は本木堀が流れていました。
次回「川の地図辞典-3 Jediへの道」へ続く。
Macにはカシミールのようなパブリックドメインの数値地図ビューアはないと云うのが俗説になっていたが、それがガセネタだったと日本地図センターで数値地図ビューアを買ってから気付いた。画面は昨日、日本地図センターから送られてきたものだが、同じものがシェアウェアとしてリリースされていることを昨日知った。その差額8,500円也、数値地図データ一本買ってお釣りが貰えるのだ。遅かりし、である。と云うことでMacで数値地図が見られないというのはガセですから、Macで数値地図を見たい人はシェアウェアを手に入れましょうね。
追記:VectorWorks11.5への取込みを追加しました。
ということで、日本地図センターは注文があってからCD-ROMに焼いてパッケージしているだけで、他には何もマニュアルさえも付けていないのである。やっぱり、御役人商売ですね。
それはそうと、VectorWorksで読み込める筈の数値地図50mメッシュもVectorWorks11.5では読み込めない。これもVectorWorksのマニュアルには読み込めるファイル形式等の具体的な解説らしきものがなく、通り一遍のコマンド紹介だけである。(後で分かったことであるが、マニュアルには書いていないが数値地図データコンバータでデータを変換してから取り込む。)
「数値地図ビューア」の機能であるが、まださわりだけで熟知していない。これが各種設定のコマンドメニューである。
画面表示の拡大縮小
補助機能として、鳥瞰図などの様々な画像が取り出せる。
ということで、高尾山を見てみると、旧甲州街道の小仏峠は地形に対して素直に通っている。えっ、どこが高尾山か小仏峠か分からない、横山丘陵の先で、相模湖の手前です。尚更、分かりませんか、すみません地元ネタです。
GPSデータについては上記のように取り扱うそうです。
これが、VectorWorks11.5に取り込んだ八王子の数値地図5mメッシュ(標高)のデータです。
データは50メートル間隔の3D基準点に変換されています。高尾山の山頂はこの地図データにはなく隣の与瀬(相模湖)に含まれている。
数値地図5mメッシュ(標高)データの取込みです。1つのファイルは10km四方に50mのメッシュで緯度、経度、高度のデータがあります。