January 31, 2007

五色揃ったけれど、、、

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残念ながら、iPod shuffle (PRODUCT) RED Special Edition のリリースはありませんでしたね。

Posted by S.Igarashi at 08:19 AM | コメント (0)

January 30, 2007

捏造あるある大事典

あるある捏造問題で、二年前の四月にフードファディズムをエントリーしていたことを思いだした。
今朝の東京新聞・特報欄ではそうした事件の背景を特集した『あるある』ねつ造 なぜ止まらない?である。しかし現場の制作者サイドに立った立場からはこんな意見もある、「反省を込めて」と書き始めているが、ただのエクスキューズでまったく反省してないことは一目瞭然である、困ったものだ。
東京新聞・暮らし欄(2007.1.30)には 納豆騒動にみるフードファディズムとはの記事が、そのフードファディズムの紹介者の群馬大学・高橋久仁子教授による「食べもの情報」ウソ・ホントを昨日、本屋で探したが置いてなかった。うーむ。

ついでに食品関係つながりで不二家の不祥事問題を扱った日経ビジネス/NB onlineの不二家、諦めと停滞の果て・不祥事の根源は12年前の1月23日にありが創業一族による企業支配を追求していて興味深い。

Posted by S.Igarashi at 09:48 AM | コメント (0)

January 29, 2007

下岡蓮杖と臼井秀三郎

今朝の東京新聞に「明治の風情写した師弟・下岡蓮杖と臼井秀三郎」の記事が、明日から3月4日まで開かれる日本カメラ博物館JCIIフォトサロン「幕末・明治の古写真展 下岡蓮杖と臼井秀三郎の写真帖より」の紹介だ。
残念ながら3月10日から開催の東京都写真美術館の「日本写真開拓史 I. 関東編」とは日にちが重ならず、「幕末・明治の古写真」を一日で見て回ることは叶わない。

Posted by S.Igarashi at 11:37 AM

January 28, 2007

映画・不都合な真実

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映画「不都合な真実」を観てきた。書籍版・不都合な真実から想像していた以上に面白かった。と言うと語弊があるかも知れないが、退屈をする暇を観客に与えないアル・ゴアのプレゼンテーションの上手さには、ジョブズのそれとは違った意味で感心した。二人の共通点はプレゼンテーションに用いるツールにある。もちろん、それはMacとKeynoteである。余談はさておき、これは現代を生きる地球人は必見のドキュメンタリー映画である。そして、一人の孤高のエコロジストよりも行動する千人のプチ・エコロジストが求められているのだろう。

aki's STOCKTAKING:不都合な真実
東京大学気候システム研究センター:地球温暖化問題

Posted by S.Igarashi at 03:04 AM

January 27, 2007

江戸の坂

江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド 山野 勝 (著)
二人だけの学会「日本坂道学会」会長による江戸の坂の案内書である。冨田均の東京坂道散歩が坂道から昭和の記憶を再生しようとしているのとは対照的に、坂に残された江戸の記憶を求めている。後書きには日本坂道学会副会長による「坂道には江戸が隠されている」の文章が添えられている。その書き手は既に「タモリのTOKYO坂道美学入門」を上梓した坂道愛好家の芸能人である。その後書きを「地形には歴史が隠されている」と読み替えても良いだろう。それは逆に云えば、明治以降、現在に至るまで常に歴史的な建造物を排除し、記憶を殺し成長を続けてきた東京に於いて、建造物から歴史を読み解くことが不可能となっていることの証でもある。

内容的に気になったのは私が彷徨える北坂で触れた北坂の正しい位置である。
北坂については港区・元麻布〜西麻布の項にある「牛坂」で触れられているが、

(長谷寺の)山門を出て左折、道なりに進んで一本目を左折してゆく。突き当たりの通りを左折すると北坂の上りになる。坂上には根津美術館がある。別名を根津坂、姫下坂という。
北坂については別の説がある。坂に至る手前の変則十字路を右折、二本目を左折して立山墓地に沿って上る坂道を北坂とする説だ。
と、根津美術館の脇道の方を優位とする書きかたである。まえがきで『「江戸の坂」とはまさに江戸時代に命名された坂道のことを意味するとお考え下さい。』と述べられている割には江戸時代の古地図等の文献を吟味されていないようである。
幸いなことに今なら3月15日までの期間限定であるがYahoo!地図情報 - 古地図で東京めぐりに於いて江戸・明治・現代の三層重ね地図+航空写真を見ることが出来る。明治現代の地図にある根津美術館に沿って上る坂道は、江戸時代には存在しないのである。
日向国高鍋藩・秋月家下屋敷に面した坂(北坂)を幼い上杉鷹山が上り下りしていたと考える方が自然であり、遥かに歴史的想像力が育まれるのではないだろうか。

Posted by S.Igarashi at 01:30 PM | コメント (5)

January 26, 2007

志ん生の右手

志ん生の右手-落語は物語を捨てられるか 矢野 誠一 (著)
この文庫本は1973年から1987年に新聞雑誌に書かれた文章を纏め1991年に出版された「落語は物語を捨てられるか」を底本にしている。それは『ストーリーの面白さだけでなく、話者の語り口、ひいてはその個性こそに落語の面白さがあるのではないか』という視点に立って綴られた文章を、第1章が志ん生を中心とした落語に関して、第2章は演芸について、そして第3章は新聞芸能欄の連載コラムを纏めたものとなっている。1973年は五代目・古今亭志ん生が亡くなった年でもある。志ん生、最後の高座は1968年10月9日、イイノホールの精選落語会での「王子の狐」となった。このホール落語会の草分けとも云える精選落語会を1962年に立ち上げプロデュースしたのが著者の矢野 誠一である。それは1961年に志ん生が脳溢血で倒れてから、奇跡的に復帰した年でもある。脳溢血により「しぐさ」を封じ込められた「志ん生の右手」に、志ん生自身が『、、、まったく動ずることなく落語家として生きられたのは、「手の藝」をうわまわる、豊かな語り口と、すぐれた諧謔精神の持主だったからである。』と著者は述べている。

母の話によると、或るとき夕方、家に帰ってきたら明かりの付いてない部屋から子供の笑い声がしていたそうである。薄気味悪く、躊躇いがちにそっと襖を開けると、暗い部屋の中で一人で座って、ラジオを聴いてヘラヘラ笑っている私がいたそうである。ラジオからは落語が聴こえていたそうだが、年端も行かない子供に落語が解るのかと疑問に思い、何が可笑しいのか聞くと、「らくごだよ」と答えたそうである。私にはその出来事の記憶はないが、物心付いた頃には落語は身近に自然にある存在であり、さして特別なものではなかった。家の地所の隣にあった梅田稲荷の社務所の座敷で寄席が開かれたこともあったし、ラジオからは落語だけでなく、浪曲、講談もよく放送されていた。夏となれば講談は怪談噺オンリーであった。縄文人・F森教授によれば「昔の下町では、銭湯と床屋と寄席の三つが下町三羽ガラスとでもいうべき建物だった。」そうである。嘗て寄席は日常的な庶民の娯楽の中心だったのだろうが、ラジオというメディアによって定席は衰退していったのだろう、それは江戸落語が外連味を拝し、聴かせる話芸として発展したことにも起因するのではないだろうか。

志ん生より二年早く亡くなった八代目・桂文楽は寄席や名人会で聴くことが出来たが、1968年で高座を去った志ん生を生で聴くことは叶わなかったが、メディアを通してでもリアルタイムで名人芸に接することができた事は今思えば幸いである。
最後の名人六代目・三遊亭圓生が世を去ってから、寄席や名人会に行くこともなくなり、そうかと云って五代目・柳家小さんの飄々とした好々爺の噺では物足りなく、寄席に足を向ける気にはなれなかった。

育った環境にもよるだろうが、私より少し年齢が下の友達では文庫本になった落語全集を読んでも面白くも何ともないと云う。しかしながら、僕にとってそうした落語全集は記憶の再生装置でもある。読み始めると、記憶が再生され名人達の語り口が頭の中に聴こえてくるのである。

Posted by S.Igarashi at 10:29 PM | コメント (2)

January 25, 2007

ちぐさ

1月22日付けの東京新聞に草分けジャズ喫茶 横浜の『ちぐさ』閉店への記事があった。ジャズが好きな人なら誰でも知っている店だが、何故かちぐさには一度も入った事がない。昔、野毛にあった泡盛を飲ませる居酒屋に行ったとき、Jazz好きのM氏にここがそうだと教えられ、ちょっと店の前を通っただけである。横浜は既に故人となった先輩の事務所の手伝いで数ヶ月通ったり、独立してからも現場に通ったりとか、それなりに縁はあったけれど、野毛とその界隈に行くことは殆どなかった。「ちぐさ」とは縁がなかったのだろう。ジャズ喫茶といえば京都の老舗シアンクレールも遠の昔に閉店していたようだ。

Posted by S.Igarashi at 07:10 PM | コメント (3)

January 22, 2007

辞書にない言葉

辞書にない言葉は漢字変換不能です。変換できないと辞書で調べますが、辞書にもないと不安に駆られます。最近はそんな場合でもグーグルで検索すると音だけで曖昧に憶えていた言葉でも、関連性から正しい表記にアクセスでき、再度、辞書で調べることも可能になりました。それでも滑舌は未だに広辞苑にも新明解にも出ていない言葉です。

もし、新明解に記載されるようになったら、どんな用例になるのだろうか、新解くんに成りきって妄想してみると。
似非新解くん用例-1:「友人の結婚式の司会を頼まれたが、新婦側の親戚に珍名が多く、滑舌良く喋れるかとても不安だ。」(似非新解くんは心配性でした。)
似非新解くん用例-2:「営業二課の新加井は滑舌良く、セールストークが上手いと評判だが、言葉に心がこもってない。」(似非新解くんは嫉妬深い。)
似非新解くん用例-3:「テレビのイケイケ大事典で納豆を食べると滑舌良くなると聞いて、試したが何も変わらなかった。」(似非新解くんは情報番組に騙されやすい。)
そんな馬鹿な。(^_^;)

Posted by S.Igarashi at 10:29 AM | コメント (0)

January 20, 2007

東京人 02,2007

東京人の特集は「たてもの保存再生物語part2」である。
印象に残った記事は「国際文化会館のケーススタディ」、「保存!解体?揺れた建物リスト」、それに「同潤会アパートの消滅を巡って」は現存するが風前の灯状態の三ノ輪と上野下の同潤会アパートの行方が気になる。どうやら青山同潤会アパートのレプリカ保存も賛否両論の様である。
と云うことであるが1月13日付けの東京新聞夕刊に掲載された上野池ノ端のはんぺんビルこと、この建築については東京人では未だ記事にされてない。
因みに来月発売の東京人3月号の特集は江戸吉原である。暮れの吉原御免状ミニダイブに行った人も、行けなかった人も興味津々か。

Posted by S.Igarashi at 12:13 PM | コメント (1)

January 19, 2007

Google Literacy

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「15位以内にヒットしなければ存在しないと同じだ。」とグーグルに寄生するIT関係者はそう嘯く。21日に放送されるNHKスペシャル・グーグル革命の衝撃の番宣での一コマだが、かねてよりグーグルの検索順位について意図的(政治的)な情報操作があるのではと問われている。そんな折り古山君から「GoogleでBasraを探してもヒットしないぞ。」と一行のメールが届いた。早速検索するとBasra - Wikipedia, the free encyclopediaが一番目にヒットした。思い込みが強い彼の事だから、何か勘違いしてるか言葉が足らないのだろうとGoogleEarthも調べてみた。

成程、"Basra"にこれほど接近しても"Al Basrah"と地図と同じ名称でも「検索エラー」と表示される。ヨーロッパや北米の上空で検索すると、その名を冠した施設等が検索されるが"Iraq"まで案内してくれることはない。
こうした、グーグルの問題点も含めて21日の放送は見逃せないが、何れにせよ、サーチャーのリテラシー能力が問われていると云うことだろう。

Posted by S.Igarashi at 10:43 AM | コメント (12) | トラックバック

January 18, 2007

昭和残像・西新井

50年ぶりに西新井大師に参拝したが大師前駅に降りたのは生まれて初めてである。西新井大師へは家から歩いてゆくのが当たり前であったが、その道も参道に続く手前で環状七号線で分断され、当時の面影を探すのは困難である。それでも環七の建設から免れた旧道には昭和の残像が残されていた。

きっと、子供の頃に何度もこの前を通っている筈である。そういえば昔は店頭で煎餅を焼いていたり、もっと煎餅屋が多かった気がする。子供の頃、米屋のお兄さんの配達に連れられて草加の煎餅屋に行った事がある。天日干しにされた焼く前の煎餅とかまどの前で汗だくで焼いている姿が記憶に残っている。

これは典型的な西新井的・昭和風景なんだろうが、自販機の缶コーヒーのポスターが時代を現代に呼び戻している。提灯に火の灯る頃を見て見たい。メニュー

追記:西新井の南側で放水路に近い赤不動の側にある四丁目倶楽部は自販機を中心にした新手の立ち呑み屋のようですが、これも夕刻の様子が気になります。

Posted by S.Igarashi at 09:20 AM | コメント (6) | トラックバック

January 17, 2007

Please sit down.

都営バス<草41>系統の<赤不動>停留所に置かれている椅子は粗大ゴミではなさそうだ。これも「公共空間への私的空間の進出」でしょうか。それにしても道路反対側の町屋鴬谷経由浅草行きの停留所ならまだしも、終点間近の停留所にこれだけの数の椅子が必要なのか解せない。因みに停留所裏の空き地は都道467号千住新宿町線(但し葛飾区の新宿)の計画予定地、従ってこの停留所が交差点のど真ん中になる。(足立区梅田)

Posted by S.Igarashi at 10:09 AM | コメント (0)

January 16, 2007

DIYなリアカー

都営バス<草41>系統の<放水路土手下>停留所・近くの路上にて採集したDIYなリアカー。向かいに古紙回収問屋、昔の事で忘れてしまったけれど、古紙の仕分けの時に「白紙はハクシ、烏はカラス、浅黄紙はセンコウ紙」と云う掛け声があったような、、、あれは落語の噺だったのかな、、、記憶は遥か忘却の彼方へ。

Posted by S.Igarashi at 01:35 PM

January 15, 2007

トタン小屋・X

電線とステーの影がブレース(筋交い)に見えるこの小屋と云うべきか、上屋(倉庫・資材置き場)なのか適切な表現が見つからないバラックですが、50年前は焼けトタンにコールタールを塗りたくったようなバラックでした。その後、建替えたのか定かではありませんが相変わらずバラックです。妻側のけらば(螻羽)の部分が破れ、ブルートタンで覆っているところが、段ボールで作ったようにも見えます。この家、昔は庭先でゴムタイヤを燃してましたが、最近はそのようなことはないようです。(足立区梅田)

Posted by S.Igarashi at 02:27 AM | コメント (2)

January 14, 2007

八王子遊廓

昨年末、吉原御免状ミニダイブを行なったばかりですが、遊廓つながりと云うことでakiさんに間借りエントリー(030709)していた八王子遊廓をこちらに移しました。写真の日付によれば2001年10月13日に撮影したものです。この時点で既に遊廓の面影を残す建物は殆ど残ってなく、現在はこれらの建物も残されているものは少ないようです。

2年前(2003年の時点で)に撮った八王子遊廓跡です。もう、殆ど昔の建物は残ってなく、僅かに それらしき面影の建物が二三件あるだけです。これも斜陽の街、八王子を象徴 しているのか も知れません。 八王子遊廓は八王子・横山町の北、浅川を背にした「田町」にありました。明 治30年頃に、元々、甲州街道沿いの宿場町・横山町や八日町などにあった女郎 屋を一括して移転させたのは浅草吉原に習ってのことでしょうか。(大火の後 の都市計画的配慮らしいですが?)八王子が経済的に栄えたのは生糸が日本の輸出産業の花形であった時代です。 16号線(八王子横浜街道・八王子日光街道)と20号線(甲州街道)の結線点に ある八王子は、武州、上州や甲州から集められた生糸の相場を決める市場を形 成し、遠く桐生や伊勢崎の商人や甲州商人と八王子商人が夜の接待に利用した のが八王子遊廓だと云われてます。 遊廓のあった田町の町名の由来は無知で判りませんが、地図を見ると街路が田 の字に見えないことはありません。浅草の吉原も日本橋人形町界隈から移転し たときは周囲は田圃だったから、八王子遊廓の浅川沿いのこの場所も、田圃に 囲われていたのかも知れません。たぶん、お手本通りに繁華街から離れた場所 に八王子遊廓をつくったのでしょう。
その八王子遊廓に隣り合わせて、八王子斜陽産業の象徴である機屋(はたや) の工場跡が事務用品のディスカウントストアになっているのが皮肉です。 斜陽産業とは云ってもネクタイ生産量は未だに八王子が日本一だそうで、それ でもブランド品の下請工場では高が知れているということでしょう。
この建物もakiさんによれば、既に解体撤去されているようです。

と云うことで写真を追加。

以下はaki's STOCKTAKINGのエントリーに寄せられたコメントです。
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そうです、私は下町生まれの山の手育ちと言いたいところですが、下町生まれの山ん中育ちです。
7月15日のテレビ東京・出張なんでも鑑定団は内容に乏しいものでした。千人同心縁のお宝とか期待してましたのでがっかり。尤も、今日この頃、世の中物騒になっているので、お宝を公開して窃盗団に狙われる恐れもありますからね。賢い人は、決してお宝自慢はしないですよね。

Posted by: 五十嵐進 @ July 22, 2003 04:41 PM
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小野さん、コメントありがとうございました。
私は、生まれは違いますが八王子市大和田で育ちました。学校は四小、五中で、最近、八王子市大和田の家にもどってきました。
この話を送ってくれた五十嵐氏も、生まれはちがいますが八王子在住です。
そんな訳で、八王子の話もこれからちょくちょくでてくると思います。

Posted by: 秋山東一 @ July 21, 2003 07:35 PM
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今宇都宮へ仕事の関係で居りますが、生まれも育ちも八王子です。田町の旧遊郭街は、私の中学時代まで柳小路として残って
いたことよく覚えてます。またローラースケート場とか夏場は
プールになる場所が田町にありよくいっていました。写真を
見て何となく懐かしくなりました。ちなみに私は万町の出です。
また、多くを大和田町で過ごしました。写真有難う御座いました。

Posted by: 小野吉則 @ July 21, 2003 05:50 PM
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Google で「八王子 遊廓」で検索してみた。
いくつかヒットしたが、「旧道行脚」と題した古地図と現地探索のページがあった。「甲州街道の遊廓」「羽衣町の幻流をたどる」とかあり、多摩、遊廓に強いサイトと思う。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/9371/koushu/kyuudouangya.htm

Posted by: 秋山東一 @ July 13, 2003 05:52 PM
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前のコメントが文字化けしました。

これが八王子遊郭跡の地図です。

http://www.mapion.co.jp/c/f?el=139/20/20.058&scl=10000&pnf=1&uc=1&grp=all&nl=35/39/45.291&size=500,500

地図を見ると幼い秋山少年の目に広い広場に映ったのが良く分かります。今でも通過交通がないぶん、その異常な広さだけが目立ちます。

明後日(7/15)のテレビ東京・出張なんでも鑑定団は八王子大会だそうです。何がでるのかな。

Posted by: 五十嵐進 @ July 13, 2003 03:18 PM
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私はこの遊廓に登楼したことはありませんが、昔の記憶があります。
広い広場に近い両側に建物が並んでいるのですが、一つの建物にアメリカ兵が行列しているのを望遠したという記憶があります。きっと1950年のはじめ朝鮮戦争の頃だったのでしょう。もう昔の姿はかろうじてというところですね。

Posted by: 秋山東一 @ July 10, 2003 08:47 PM
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Posted by S.Igarashi at 08:40 AM | コメント (2)

January 13, 2007

いわゆる駅前彫刻ですが、、、

視線が、、、

僕のこの姿が通行人を妄りに刺激し公序良俗に反すると云うので、お偉い方にブリーフを穿かされてしまいましたが、余計にある部分に視線を感じてしまいます。本当なら青銅時代のロダン君に負けないくらいの肉体美なのに、真の姿を見せられなくて口惜しい限りです。おまけにジャリ、いやチャリ共にまでよってたかって「ブリーフ男」とからかわれるし、踏んだり蹴ったりだけど、そういうチャリ共はこのブリーフマン・チョップで懲らしめてあげます。
そんな僕ですが、遠く離れた所にいる意中の清水さんを想うと切なくなり、、、、ですが、何しろ形状記憶金属製なので心中を悟られることがないのが何よりです。えっ、それにしても僕のポージングがぎこちなくて、まるでエジプト彫刻みたいだって、失礼な。

Posted by S.Igarashi at 11:17 AM

January 12, 2007

千住新橋・遠望

川下に向かって千住新橋を遠望する、まさに荒川しずかな風景である。右岸には北千住の高層ビル群が、千住新橋の向こう側に見えるのは小菅の拘置所である。伝え聞くところによると千住新橋のたもとに捨てられていた私を育ててくれたのが戸籍上の両親と云うことである。その育ての親は何かに付け、悪さをすると感化院や小菅の拘置所に連れて行かれるぞと理不尽にも幼い私をよく脅していた。足立九中に隣接する区立図書館で「小公子」「小公女」「家なき子」「母を訪ねて三千里」等の少年少女名作全集を読み漁っていた私はいつの時か実の親が執事を従え迎えにくることを夢想していた。事実が明された時にはは育ての親に御礼するよう実の親に頼んであげよう、いぢめられたと言いつけ恩を仇で返すようなことは止めよう。そう心に誓っていたのだが、一向に実の親が迎えに表れる気配もなく、今日に至ってしまった。人によれば私は育ての親に似ているらしい、犬や猫が飼い主に似ると云う話しは聞くけれど、、、まさか。

と云うことで先日の午後、略50年ぶりに西新井大師に詣で、あのサビオウの前を通り、一年間だけ通った亀田小学校に立ち寄り、嘗ての通学路を自分の生地まで辿り、その隣りの遍照院で祖父母と伯父伯母の墓前に参り、それからバス通りを荒川放水路までアースダイビングしたのであった。
(上図は先日のダイビング・ルートと子供の時の行動範囲である。)詳細は後日エントリー予定。

Posted by S.Igarashi at 10:58 AM | コメント (8) | トラックバック

January 11, 2007

江戸東京1680-2007

地球温暖化で超高層ビルが水没した図ではない。GoogleEarthの最新バージョンで1680年の江戸の地図をレイヤーに重ね、更に建物の3D表示をしてみた。東海道線が昔の海岸線を走っている訳だから、こうなるのも当然と云えば当然だが。

最近思うのは、こうした埋め立てにどれほどの山が消え、超高層マンションが一棟建つ度に地方の過疎化が促進され村が消えているのではないだろうか、と云う事である。

と云うことでGoogleEarthの最新版は3D表示もアップデートされ、リアルな3Dデータが増えている。
しかし、東京タワーが未だに棒のままでは、哀しい。


Posted by S.Igarashi at 02:42 PM

書籍版・不都合な真実

不都合な真実 アル・ゴア著
今月の20日から上映される映画・不都合な真実の書籍版である。
Amazonから【以前に山本 良一の『気候変動 +2℃』をチェックされたお客様に、アル・ゴアの『不都合な真実』のご案内をお送りしています。】のメールが届いた。丁度、月末まで有効のクーポンも有ったので、速攻で注文した。
地球温暖化については誰でもが知っている事だが、具体的にどこまで深刻な状況にあるのか理解してない人が多数を占めているだろう。アル・ゴアからのメッセージである『不都合な真実』は(一般人が)知りたくない、そして(為政者が)知らせたくない事実をビジュアルを用いて、具体的事例を挙げて示している。先ずは現実を知ること、そして生活を見直し、具体的な行動をするしかないだろう、、、。
TBS/NEWS23「地球環境スペシャル(仮題)」

Posted by S.Igarashi at 02:42 AM | コメント (10)

January 10, 2007

iPhone

iPhone01.jpg

残念ながら"AppleJapan"のサイトに"iPhone"のタグは設けられてません。なんたらかんたらと噂系サイトで憶測が飛び交ってましたが、結局はデザインも機能も落ち着くところに落ち着いた印象ですね。米国で6月から4GBモデルが499ドルで発売と云うことですが、気になるのはソフトバンクとの交渉の有無ですか?
東京新聞(2007.1.13)・本音のコラム・伊藤洋一

Posted by S.Igarashi at 09:14 AM | コメント (3)

January 09, 2007

中央線新型車両

天狗の鼻が立派で、、、と云う写真ではありません。例の中央線新型車両E233系に初めて乗りました。

と云うことで、この天狗は中央線の終点・高尾駅のシンボルです。

正面からの写真はこんな風、中央線のシンボルカラー、オレンジをもう少し残して欲しかった。

最悪なのはこの「つり革」の常識外れの色、こんなものが頭上にあると鬱陶しい限り。

Posted by S.Igarashi at 10:31 PM | コメント (3)

January 08, 2007

わがやの雑煮・番外編

と云うことで昨日で松も取れて正月気分でもないのだがわがやの雑煮・番外編である。まぁ、残り物の切り餅が二つあったので、昨夜の味噌仕立ての巻繊(ケンチン)汁を流用し雑煮にしただけである。トッピングは暮れにコストコで買っておいた合鴨のロースハム、精進料理であるケンチン汁に合鴨なんて、非常識で以ての外だが、そんなことは気にしない。これが本日の昼食。

Posted by S.Igarashi at 02:39 PM | コメント (4)

January 07, 2007

不偏不党な壁

へぇ〜

Posted by S.Igarashi at 01:35 AM | コメント (2)

January 06, 2007

趣味と実業


暮れの吉原ミニダイブで見掛けた趣味と実業を併用した建築。家主の本来の趣味は左側の立面にあるのだろうが、それと対照的に右側鉄工所側の立面は実用的に敷地の接道部分全面に八枚建てのハンガードアとそれを吊り支えるトラスによって構成されている。ホイスト・クレーンのタワーと控えが隣接する建物にある所を見ると、其処までが鉄工所なのだろうか。ホイスト・クレーンやキュービクルにも小屋根が設けられているところが、うーむ。

Posted by S.Igarashi at 12:16 PM

January 03, 2007

吉原と佃

左の図は吉原の大門のエントリーに使った14年前に描いた方位図のMiniCadのファイルをPICT形式で保存してあったので、VecterWorksで開きフォント形式を直してEPS形式で保存、それをAdobe Illustrator CS2で開いてPhotoShopのEPS形式に直してからJEPGにて保存。なんて七面倒くさいことをしていたら、もしかすると「吉原御免状」のヒントになったのは佃島じゃないのかと、ふと妄想が膨らんできた。佃島の経緯については東京都の都史紀要「佃島と白魚漁業」に詳しく記されている通り、家康が摂州佃村の漁民に与えた「お墨付き」によって江戸前での白魚漁の漁業権を得たものである。これも表向きは漁民だが特殊な能力を持った一団とする説もある。吉原も佃も現在の場所に定着するまでは日本橋界隈で営業、その後は幕府の庇護の元、人工的な廓や島に移住している。吉原と佃の違いは方位にある。吉原は江戸城の丑寅の鬼門に位置し、は辰巳の吉相に位置している。どちらもミニダイブしているだけに、たんなる妄想による思いつきかも知れないが江戸の異界としての共通点が気になる。因みに吉原のモデルとなった京都島原大門は東向きである。

Posted by S.Igarashi at 03:22 PM | コメント (6)

January 01, 2007

わがやの雑煮

ということで同時多発エントリー「わがやのお雑煮大会」なのである。
見た通りで、どうってことない平凡な東京風の雑煮なのだ。「わがやの雑煮」と云っても特に伝統も格式もなく、料理する者が好き勝手に作っているので強いて云えば「俺流」なのだろう。父方は祖父の代まで会津藩で神社の神職に就いていたので、伝統的な食習慣が残されていても良さそうだが、何も受け継いでない。母方は祖父が茨城の農家の次男、祖母は石川は前田家に関わる毛細血管のような傍系の没落士族の出だが、これまた加賀の伝統もなにも引き継いでない。と云うよりも、郷に入れば郷に従えで祖父母の代から東京で暮らしていれば、入手できる食材からして東京風になって当たり前なのだろう。ところで正月料理のお煮しめであるが、母は「いりとり」と言っていたが、一般的には筑前煮の方が通用するようである。しかし、その地元では「がめ煮」と言うから、名称というものも良く解らない。まぁ、関西で「おでん」を「関東炊き」と言うのと一緒かもしれない。

因みにレシピであるが。
出汁:昆布、煮干し、かつお節(母は昆布は使ってない、昆布出汁は関西圏の影響だろう。)
鳥肉、生椎茸、三つ葉、ほうれん草(或いは小松菜)、鳴門巻き
餅は切り餅を焼いたもの
以上が定番であろうが、今日はそれに焼きネギと残り物の舞茸を加えた、それから柚子。

そう云えば、会津の伝統的食材は京都と同じ「身欠きにしん」である。足立に住んでいた子供の事は良く食卓に上がっていたが、いつの間に食卓に上がることが無くなっていた。その原因が父と母の力関係によるものかは、今となっては定かでない。

Be-eater:お雑煮2004年バージョン
aki's STOCKTAKING:わがやのお雑煮
N的画譚:わがやのお雑煮
CHRONOFILE:2代目のお雑煮
MyPlace:わがやのお雑煮大会
MyPlace:わがやのお雑煮:三日目に
MyPlace:石川県加賀のシンプル雑煮
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Posted by S.Igarashi at 10:39 AM | コメント (15) | トラックバック

2007 謹賀新年

2007nenga.jpg なんていうか、ソフトウェアのアップデートに翻弄され、いつの間にか自分の関わった本がこんな風になってしまいました。こうした生鮮食品でなく、今年はソフトウェアのバージョンに左右されないモノを書きたいと考えておりますが、、、

と云う事で今年も宜しくお願いします。

Posted by S.Igarashi at 02:20 AM | コメント (4)