元アップル・ワールドワイド・ユーザーグループ・ リレーションズ・マネージャーで現在は関西の大学で助教授を務めるガー・レイノルズのサイト。プレゼンテーション・チップスについて、講演とスライド、それぞれ10のヒントが簡潔明瞭に日本語で書かれている。Blog"Presentation Zen"ではジョブズとゲイツのプレゼンテーション・テクニックを比較分析したり、鈴木大拙を引用するなどしてるが、英語のみ。
吉村順三とキース・ジャレットの直接的な関連性は特にないだろうが、キース・ジャレットが八ケ岳高原音楽堂でコンサートを開いたことがある。八ケ岳高原音楽堂・竣工の翌年、1989年1月13日と14日の二日間のハープシコードによる演奏会だ。ライブ録音ではないがキース・ジャレットは演奏会に前後して八ケ岳高原音楽堂でのレコーディングを残しており、それはECMからリリースされているJ.S.バッハのゴールドベルグ変奏曲である。キース・ジャレットの演奏はジャズからのアプローチではなく純粋にクラシック演奏家のそれである。八ケ岳高原音楽堂とキース・ジャレット、そしてバッハと演奏会には行きたかったが、冬場の八ケ岳は遠く、他にも何かあって断念したのを思いだすと悔やまれる。
先日のアースダイビング@下北沢は代々木八幡宮から北沢八幡神社まで足で縄文期以来の地球の起伏を感じとるウォーキングであったが、途中では都市計画道路・補助54号線の予定地を歩く目的もあった。カトリック世田谷教会の建つこの場所に都市計画道路・補助54号線が計画されている。都市計画道路・補助54号線は「航研通り」の三角橋から下北沢駅北口の横浜銀行を通過し環状7号線の新代田駅・北側に抜ける道である。この計画道路は下北沢駅前開発計画に伴い急浮上した都市計画道路だ。計画が実行されると左写真のグロッタ(洞窟、岩窟の意味)はブルドーザーの餌食になる。
さて、こちらはカトリック世田谷教会から南に約700m離れた場所にある森巌寺の墓所なのだが写真のように小山を残して墓石が撤去されている。以前はこのGoogleの衛星写真のように小山の周囲が墓所となっていた。この場所をどのように開発するかは住職と檀家総代の考えによるのだろうが、これでは仏様もゆっくり寝ていられないだろうね。因みに森巌寺の裏山にある本村遺跡からは弥生式土器が出土されていると云うことである。ん〜墓所中央の小山が気になるのだ
昨日、アースダイビング@下北沢の集合場所・代々木八幡宮に行く前に「春の小川」の歌碑に立ち寄った。歌碑の説明文にある河骨川の謂われになったこうほねの花は清流にしか咲かない絶滅危惧種と云うことである。明治13年(1880年)の地図を見ると河骨川が流れている地形は典型的な谷戸の風景である。地図によれば河骨川から代々木八幡宮の裏手に上る坂道は未だ存在せず、この辺りは雑木林の繁る里山であった。この谷を走る小田急の線路に沿って河骨川が流れ、その両側は水田と里山、典型的な日本の村の風景がここにあった。
株式会社クロサワの沿革によれば1912年(大正元年)に東京・京橋区尾張町2丁目(現銀座6丁目)に黒沢商店ビルを建築している。この黒沢商店ビルは1979年(昭和54年)に建て替えられた。新しくなったクロサワビルの外壁には旧黒澤商店ビルで使用されていたレールが記念プレートと共に埋め込まれている。旧黒澤商店ビルは日本で最初の鉄筋コンクリート造りの事務所建築として関東大震災や第二次世界大戦の戦禍を生き抜いてきた。この旧黒澤商店ビルが解体されるときに建築家・槇文彦氏がゲスト出演したテレビ放送を見た。26年前以上のことなので全て記憶している訳ではないが、その放送によれば、旧黒澤商店ビルは施主による直営工事、今風に言えばセルフビルドだったということである。もちろん施主は建築の専門家ではない、それでも確かドイツ等の先進国から文献を取り寄せ研究を重ね、設計から工事まで行い完成させた。解体現場を見た槇文彦氏は鉄筋の配筋からコンクリートの品質まで、解体工事が難航する程の丁寧な仕事ぶりに驚嘆していた。そして技術の普及に伴って失われていった技術への尊厳を改めて考え直すことが必要ではないだろうかと云う意味のことを語っていたと思う。
技術への信頼は、技術への畏怖を失った時に崩れ去る。耐震強度偽造事件はそうして起きたのだろう。「ものつくり」の貴さが失われ、技術者が蔑ろにされ、ヒルズ族が持て囃される時代への警鐘と受け止めるべきだろう。
前触れもなく試写会案内のファックスが届いた。ファックスには「関係者様向け」と書いてあり、自分が何の関係者だか今一つ分からないまま、文部科学省教育映画・選定作品の映画「あらしのよるに」の事前試写会に行ってきた。原作となった絵本あらしのよるには本来なら天敵、つまり捕食関係にある狼と山羊との友情(愛情?)をテーマに描いた作品でシリーズ累計で200万部以上も売り上げたベストセラーだと云うことだ。原作を読んでいないので何とも言えないが、何か腑に落ちない。「ありえないことに希望を抱いても、その結果は絶望でしかない。」これが映画を見終わった後の偽らざる感想である。汚れきった大人である僕にとって「あらしのよるに」がファンタジー映画として成立していない理由は何だろうか考えざるを得ない。兎も角、原作はどんなものか本屋で調べてみることにした。この映画を見る前に「iCon Steve Jobs/スティーブ・ジョブズ-偶像復活」を読了してディズニーとピクサーの内幕劇を知ってしまったのがいけない、やたらとアニメーションの出来が気になる。
原作の絵は映画とは全く異なり、原作では主人公「メイ」も山羊らしく描かれ、作家の読者に対する誠実さを感じることができた。それにひきかえ映画のキャラクターデザインによる「メイ」は目が可愛らしすぎて、どう見ても山羊には見えない。デォフォルメするにしても特徴ある山羊の目を活かしたデザインにするのが道理であろうが、リアリティを無視することなんて何とも考えていないのだろう。映画制作に広告代理店や放送局や新聞社等のメディアが参入すると、企画段階から情報操作が行なわれているような気がしてならない。絵本と映画とは全くの別物であるが、作家が脚本を書いているところをみると、作家もこれで良としたしているのだろう。「赤頭巾ちゃん」の昔から狼は悪者と汚名を着せられ、羊や山羊は従順で弱く愛らしく守らねばならぬものとされ、強い者が悪、弱い者が善と決まり切った、ノー天気なまでの紋切り型で映画は作られている。こうした一方的な概念は、羊や山羊が商品や資産・資本、つまり富の象徴であり、狼はそれらの富を脅かす存在として悪なのである。羊や山羊が善、狼が悪というのは人間から見た資本主義的概念でしかありえない。主人公「メイ」の一見屈託のないブリッコは資本主義世界の中では時には愛らしくも見えるのだろうが、周りを不幸にすると云うことでは悪魔と紙一重の存在であろう。
映画宣伝チラシの『世界のあちこちでテロが頻発する現在、地球にも「あらし」が必要だと思ったのはぼくだけだろうか。』と石田衣良の言葉が紹介されているが、なんだろうね。
ありえないことに希望を抱いても、その結果は絶望でしかない。現実を見据えることでしか希望の扉は開かれないだろう。
まぁ、文部科学省教育映画ということだから、ホームルームのテーマには丁度よいかも知れないが。
東京藝大美術館の吉村順三建築展・記念シンポジウム「吉村順三の現代的意味」を聴いてきた。パネラーには植田実氏、藤森照信氏、松山巌氏と豪華な論客を揃え、期待を裏切らずに、面白おかしく、そして為になる2時間だった。建築探偵団・F森教授による吉村順三の設計流儀のルーツを巡り、レイモンドからコル、ライトへとミームの源流を探る話は推理小説よりも奇なり。シンポジウムの内容は既にakiさんとfuruさんがエントリーしている。
軽井沢別荘建築のルーツの一つ堀辰雄山荘は軽井沢タリアセン・歴史的建築に保存されている。吉村山荘のルーツと建築探偵団・F森教授が推理するレイモンドによる「軽井沢 夏の家」の移築前の姿と移築された「現:ペイネ美術館」では吉村好みの高床部分がなくなっている。「軽井沢 夏の家」は取り壊されずに移築保存されたが吉村順三には喜びも半分だったらしい。
レイモンドが「軽井沢 夏の家」の下敷きにしたコルビュジエのエラズリス邸(VectorWorksにて作成)
建築確認の許認可業務が民間委託されたときから、不正が起こるのではと懸念していたが、最悪の事態ですね。手抜き工事で崩落したビルの工事責任者を死刑判決にした韓国だったら、あの建築士は刑事裁判で重罪になるでしょうね。それにしてもテレビカメラの前の彼は不敵不敵しく、反省すらしてませんでした。理念以前のモラルが崩壊しているのでしょう。バブル時は「法に触れなければ何をしてもよい」と云う風潮でしたが、それが「バレなければ何をしてもよい」に変化してます。大人がこの様です、反省を忘れた誰かとイメージが重なり、この国の現在を象徴しています。また急速な米国型・自由主義市場経済への移行が齎した事件ともいえるでしょう。
追記:この一週間前のエントリーで憲法25条と建築基準法を書いたが、何か予兆のようなものを感じていたのかも。
東京新聞11月22日欠陥住宅は今日も建つ・検査機関機能せず
iCon Steve Jobs/スティーブ・ジョブズ-偶像復活を読了した。左の装丁はカバーを外したものだが腰巻には如何にもセンセーショナルなコピーが書かれている。今週のAERAの記事「ジョブズ成功の5原則」のタイトルは「スティーブ・ジョブズになりたい」である。電車内の中吊り広告でこのコピーを見たとき、困ったものだと思った。カタチだけスティーブ・ジョブズやビル・ゲイツを真似しても、それは100%嫌な奴や最悪な守銭奴にしかならないだろう。
僕がMacに興味を持ち情報を集め始めたのは1985年だった。その1985年にジョブズはAppleを去った。ASCII1985年12月号に「緊急レポート!スティーブ・ジョブズが語る我が栄光と転落」の記事が掲載された。"NewsWeek Sept.30.1985"のインタビュー記事を翻訳したものだ。インタビューでは会社名等は明らかにしていないがNeXTを立ち上げる準備をしていることを語っていた。これが僕が初めて読んだジョブズの記事であった。そしてその翌年にMacPlusを購入してMacUserの仲間入りをしたのだ。その当時、MacUserになると云うことはMacのバックグランドにある文化を受け入れることでもある。当然の事としてコンピュータ 黎明期の神話やAppleの伝説にも関心を抱くようになり、本書の著者でもあるジェフリー・S・ヤングの「スティーブ・ジョブズ――パーソナル・コンピュータを創った男」をはじめてとしてR.X.クリンジーの「コンピュータ帝国の興亡」、F.ローズの「エデンの西/アップルコンピュータの野望と相剋」、それにジョブズをAppleから追い払ったジョン・スカリーの「スカリー」等を読み漁った。何れの本を読んでも、そこに登場するスティーブ・ジョブズは妥協を知らない完璧主義者で且つ独善的な、とても嫌な奴である。嫌な奴と云う点では、建築設計事務所のボスにもいそうであるが、ジョブズのように世界を変えるような影響力をもっている建築家はどこにも見当たらない。ジョブズが鼻持ちならない嫌な奴でも、例えMacがジェフ・ラスキンのプロジェクトを横取りしたものだとしても、ジョブズがMacを世界に向けて送り出したのは紛れもない事実である。そして、ジョブズがAppleを去ってからも、ジョブズの遺伝子はAppleという企業の骨格を形成していたのであった。僕が"iCon Steve Jobs"を読みたい理由はAppleを離れてから二つの会社を起業し、再びAppleに戻ったジョブズがどれだけ成長したのかを確認したいからだ。
日本国内に於けるMacWorld Expo Tokyoは1991年に初めて開かれ、2002年を以てその幕は閉じられた。1999年にスティーブ・ジョブズがMacWorld Expo Tokyoの基調講演の壇上に立つまで実に様々な人物が基調講演を行なった。1991年のアラン・ケイから1998年のスティーブ・ウォズニアックまでの間に、ジョン・スカリー、デル・ヨーカム、マイケル・スピンドラー、デビット・ネーゲル、ギル・アメリオらが壇上に立ったが、スティーブ・ジョブズの基調講演に誰一人敵う者はいなかった。スティーブ・ジョブズが不在の間もAppleはジョブズの会社であったのだ。MacWorld Expo Tokyo'99の基調講演を聴いた者はそう感じたに違いない。満身創痍のAppleを建て直し、創業者のスティーブ・ウォズニアックとスティーブ・ジョブズを呼び戻したギル・アメリオは誰よりも先にそのことに気付いたのだろうが、皮肉な事に任期半ばでジョブズによってAppleを追われてしまったのだ。ギル・アメリオはもっと評価されても良い人物だがビジョナリーとしての資質もプレゼンテーターとしての資質もネゴシエーターとしての資質もスティーブ・ジョブズに比べると劣っていたのは明らかであり、誰の目からもアメリオは脇役、主役はジョブズに見えるだろう。そう、スティーブ・ジョブズはビジョナリー、プレゼンテーター、ネゴシエーターと三拍子揃ったCEOとしてAppleに復帰したのだ。彼はアメリカンドリームのコンピュータ黎明期に於ける創世神話のイコンでもある。そうした神話や伝説の人物はメディアにとって貴重なリソースであるのだ。
「iCon Steve Jobs/スティーブ・ジョブズ-偶像復活」の後半はジョブズのタフで抜け目ないネゴシエーターとしての資質にフォーカスが当てられている。ピクサーに於けるジョブズの存在理由はネゴシエーターそのものである。ピクサーでのジョブズは制作に立ち入ったりして「現実歪曲フィールド」に制作者を巻き込む事は避け、制作責任者に全てを任せている。ジョブズの役割はディズニーとの交渉にある、如何にピクサーにとって良い条件を引き出すかが彼の使命だが、ディズニー経営内部の創業者子孫を巻き込んだドロドロの生憎劇のさなか、抜け目ないジョブズの素質が遺憾なく発揮される。因みにピクサーがまだルーカス・フィルムのCG部門であった時代、Appleを辞めたばかりのジョブズに「ルーカス・フィルムで働いているクレージーな連中がカルフォルニア州サンラファエルにいる。会ってみるべきだ。」 と助言したのは、当時アップルフェローであったアラン・ケイであった。アラン・ケイが今日のピクサーの成功を予想していたのか定かではないが、やはり、ビジョナリーであるアラン・ケイはジョブズに期待するものがあったのだろう。
昨日のITmediaの記事では「なによりアーティストが曲を出したがっている」――米Apple幹部が語るiTMSとiPodとあるが、ソニー・ミュージックエンタテイメント(SME)との交渉も直接ジョブズがネゴシエーターとして「現実歪曲フィールド」オーラを発揮してあたれば、翌日にはiTMS-JapanにSMEの楽曲が勢ぞろいするのではなかろうか。
腰巻の「発禁騒動、、、」 の文字から、私生活に踏み込んだスキャンダラスな事も書かれているのかと思ったが、過去に伝えられている以上のことはなく、批判も含めて極めて客観的にジョブズ像が描かれている。エピローグの「ヒーローにも欠点があるものだ。欠点のないヒーローが成功することはまずない。しかし、最後に我々が記憶しておくべきことは、ヒーローの欠点ではなく、ヒーローが何をなしとげたかである。」の言葉は著者のスティーブ・ジョブズへの最大の賛辞であろう。
書籍の内容については秋山さんが詳しく書いているので参考にしてください。
aki's STOCKTAKING:スティーブ・ジョブズー偶像復活
アップリンク配給the CORPORATIONのブロガー試写会にブログ友達でもあるakiさん、玉井さんとfuRuさんの三人が行ってきた。試写会招待の条件は自分のブログに記事を書き配給会社にトラックバックすると云うものだが、これは一人から二人、三人へとブログの力によって情報を人伝てに広めようとする意義のある試みなのだ。
aki's STOCKTAKING:The Corporation | ザ・コーポレーション
MyPlace:「ザ・ コーポレーション」試写会
af_blog:「The Corporation」-ブロガー試写会
11月30日開催の第5回 出版UD研究会のご案内を転載します。
今回はiPodにフォーカスした内容です。
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第5回出版UD研究会
iPodで読書できるか?
〜オーディオブック普及の可能性を考える〜
udpudpudpudpudpudpudpudpudpudpudpudpudpudpudpudpudpudp欧米と比べ、日本では「耳からの読書」というスタイルがあまり育ってこなかったといわれています。しかし、最近の携帯電話やiPodの流行、音読や落語ブーム、そして病気や加齢による活字が読みにくい人の増加など、日本においてもオーディオブックの需要が高まってきていると言えるかもしれません。
今回は、3人のゲストスピーカーの方々に、それぞれのお立場からお話を伺い、参加者間で意見交換しながら、日本におけるオーディオブック普及の可能性について考えてみたいと思います。
■ゲストスピーカー岡田雅之さん(新潮社メディア室室長)
☆約20年にわたり「新潮カセットブック」「新潮CD」シリーズなど数多くのオーディオブックを出版しつづけている草分け的な出版社。境 実香さん(オフィス・コア代表)
☆10年以上にわたり、著者・出版社の許諾を得たうえで、視覚障害など活字での読書が困難な読者向けにカセットやデイジー図書を制作・発行している音訳図書の専門出版社。木村福夫さん(TBSサービス経営システム部部長)
☆過去の放送音源などを中心に、新しいネット配信型のオーディオブック出版を模索している。■日時:2005年11月30日(水)18:30〜20:30(受付開始:18:00〜)
■場所:東京しごとセンター 5F 第2セミナー室
千代田区飯田橋3-10-3
交通機関:JR中央線「飯田橋駅東口」より徒歩7分。都営地下鉄大江戸線・東京メトロ有楽町線・南北線「飯田橋駅A2出口」より徒歩7分。東京メトロ東西線「飯田橋駅A5出口」より徒歩6分。
http://www.tokyoshigoto.jp/traffic.php
■参加費:500円(資料代込み) ※当日、受付でお願いいたします。
■定員50名につき、予約制とさせていただきます。参加ご希望の方は11月25日(金)までに、下記アドレスに「お名前と所属先(勤務先、学校名など)」をお知らせください。
※定員になり次第、〆切とさせていただきますので、何卒ご了承ください。
ud-pub05@d-kobo.jp※問い合わせ先:
出版UD研究会事務局(読書工房内)担当/成松
(電話:03-5960-1662、ファックス:03-5960-1663)☆出版UD研究会について…
2004年2月開催の「出版物のアクセシビリティを考えるセミナー2004」 (主催:公共図書館で働く視覚障害職員の会)、2005年2月開催の「出版のユニバーサルデザインフォーラム」(主催:毎日新聞社)を経て、それらの実行委員だった有志メンバー(出版・印刷・デザイン・図書館などの関係者)が、2005年7月よりおよそ月1回のペースで定期開催している研究会。2006年6月まで継続させる予定。これまで取り上げたテーマは、「拡大教科書の現状と課題」「LD(学習障害)と読書」「公共図書館における読書サポートの可能性」「青空文庫からのメッセージ」。
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土曜日の夕方、TV番組表に「美の巨人たち:アメリカの夢・絶景、エコロジー住宅」の文字を見つけた。内容は不明だが取り敢ずビデオ録画を予約しておいた。夜中、録画しておいたビデオを再生するとチャールズ・ムーア他「シーランチ」(前編)だった。ナレーションは「今日紹介する建築は、あまり有名なものでも、著名な建築家のものでもありません。」と伝えていた。60年代後半から70年代の建築デザインの潮流を知っている者にとって、チャールズ・ムーアは紛れもなく時代の寵児だったが、それから40年余りを経た今日の一般的認識はそんなものだろう。番組はシーランチの実現に携った3人にスポットを当て構成され、前編を主にデベロッパーのアル・ボーキーとランドスケープ・デザイナーのローレンス・ハルプリンに、後編を主に建築家のチャールズ・ムーアに焦点をあてるようだ。アル・ボーキーから計画を依頼されたハルプリンは1962年から一年間に亘って敷地を分析調査し、この土地で行なっても良いこと、行なってはならない、イエス/ノーをレポートに纏めた。左上図のプロセス・アーキテクチャー4号(1978年2月発行)ローレンス・ハルプリン特集によれば、ハルプリンの事務所が全体のコミュニティ計画を引き受け、その建物の設計者として、ハルプリンの計画主旨に共鳴したムーア/ターンブル事務所と契約したとある。
ハルプリンの土地利用計画は生態学的理論を基にしており、自然のたたずまいをそこなうことなく、人々がそこで生活できる方法を開発している。生態学的レベルで敷地分析を行なうことで、ハルプリンのデザインは自然本来の姿を反映するものとなった。つまり結果として、人々は自然の力を重複するのと同じように、出来上がった環境も重視する。有機的な方法で、建物と環境とを関連付けるというハルプリンの設計手法は彼の生活の基本理論でもある、、、、斯くして、自然環境の一部となった"Sea Ranch Condominium"は出来上がった。 この頃、アノニマス(anonymous)やヴァナキュラー(vernacular)と云う言葉が建築を理解する一つのキーワードであった。建築デザイン的にはヴァナキュラーは土着的なとか自然発生的な土地独特の建築様式を意味するが、松岡正剛の千夜千冊『シャドウ・ワーク』 にはイヴァン・イリイチによる経済学的なヴァナキュラーの解釈があり、こちらも参考になる。 尚、テレビ東京ではチャールズ・ムーア他「シーランチ」(前編)に引き続き、次週11月19日午後10時から後編が放送される。
1980年代に一級建築士試験・設計製図受験講座の講習会講師を5年程務めたことがあった。受験講座は4月から10月の試験日直前まで毎日曜日行われ、前半を基礎練習に8月の学科試験の週に設計製図の課題が発表された後は、その課題に合わせて練習課題が出される。試験課題が集合住宅の年があった。練習問題では規模や敷地条件を想定してプランニングを行うのであるが、ある受講生は毎回、建築基準法とその関連法規を無視してプランニングをし、何度注意してもそれが直らなかった。彼は建築の質のことなど全く考えていなかった。日照や採光を無視し面積さえ確保できれば良いと云う考えであった。僕は憲法25条の生存権を引き合いに出し、建築基準法の主旨を「国民が健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を守るための最低限の基準であることを示し、この集合住宅の計画案で健康で文化的な最低限度の生活が過ごせるかよく考えなさいと諭したが、僕の言っていることが理解できないのか一向にプランが改善されることもなく、当然の結果として彼は試験に失敗した。試験直前の特訓講座で、彼が日本を代表するゼネコン大手五社の一つに勤める者であることが胸のバッチで判明したが、あのゼネコンならば、さもありなん、結局はそういう社員教育が為されているのであろうと妙に感心してしまった。近頃、サスティナブルやロハスという言葉をそうしたゼネコンやデベロッパーのサイトで見せられるにつけ片腹痛い思いをするのである。
憲法25条
1、 すべて国民は,健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2、 国は,すべての生活部面について,社会福祉,社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
憲法の理念はどこへやら、経済効率を第一優先とするような都市計画法や建築基準法の改正をみるにつけ何をか言わんや。社会性や公共性という言葉ですら死語となりつつある。
2年前にエントリーしたLouis I Khanの映画がようやく渋谷で来春公開される。楽しみだなぁ。因みに、この渋谷にできるシネコンの5つのスクリーンの2つを桜丘町から移転してくるユーロスペースが使うらしい、"MY ARCHITECT"は「Q−AXシネマ」で上映の予定。東京新聞11/10、映画館“バブル”を生き抜くに、ミニシアターの現状が語られている。
MY ARCHITECT A Son's Journey
公共料金の支払いに7.11に行ったついでiTunes Music Cardを買ってみた。7.11で売っているiTunes Music Cardは1500円と3000円の二種類で、AppleStoreの価格体系とは異なっている。Adobeのアンケートで貰った1000円のクオカードがあったので、それを使おうとしたらカード類の購入は現金のみと断られ、コンビニでは滅多に買物しないのでクオカードの使い道がなくなった。買ったのは3000円のiTunes Music CardだからCDにして2枚分というところだ。iTunes Music Cardを購入してから半年以内にアカウントにチャージしないと無効になるということらしい。つまり後生大事に仕舞っておくと唯のゴミになってしまう。オンラインによる発行記録は万引き防止と賞味期限の設定にあるのだ。それからiPod nanoは取り寄せになるということだ。そういえば今朝のイトーヨーカドーのチラシにもiPod nanoがでていた。コンビニやスーパーでiPodが買える時代だが、、、さてユーザーの掘り起こしはできるのか。
と云うことでコードを打ち込んで自分のアカウントにチャージしました。一曲買う度にチャージされている残高が表示されます。ちょっと買物ゴッコみたいで楽しいかも知れません。さっそくLPだけだった佐藤允彦トリオのパラジウムを買ってみました。改めて五体満足だった頃の富樫雅彦の非凡ぶりがわかるアルバムです。
今年の2月のエントリー彷徨える北坂を書く時に見つからなかった「江戸復原図」が出てきた。この「江戸復原図」は東京都教育庁社会教育部文化課が編集したものを元に東京人1990年10月号の付録として発行されたものである。内容は東京の地形図に江戸の町割を記したもので現代と過去を照らし合わせる上で貴重な資料である。現在、この江戸復元図は都庁舎の都民情報ルームの閲覧・貸出用資料もくろく(地図)にはあるが有償頒布は行われておらず、再版されることを期待したい。先日、日本地図センターで購入した東京時代Map・大江戸編は江戸の町割に現代の地図を印刷したトレーシングペーパー重ねられた二つのレイヤーによる地図だが、願わくば地形のレイヤーも欲しいところである。
江戸復原図よりも広域な江戸の土地利用計画図を表わしたものに地理学者・正井泰夫による「大江戸地理空間図」があるが、単独では発売されておらず「江戸・東京の地図と景観」の付図となっている。この「大江戸地理空間図」を初めて見たのは建築家・槇文彦・他著による「見えがくれする都市」(1980年発行・SD選書)の三章「微地形と場所性」(文責・若月幸敏)に引用されたものであった。この論文によって江戸東京の成り立ちに対する多くの疑問が私の中で氷解していった。江戸の町割と洪積台地を重ねた「大江戸地理空間図」(初版1973年)は、その着想において中沢新一のアースダイビングマップよりも30年以上先行していた。
本田美奈子のアメイジング・グレイスがiTMS-Japanのクラシック部門で楽曲とアルバムでトップになっている。総合では楽曲が10位、アルバムが2位である。一昨日、急性骨髄性白血病で死去した彼女への追悼の気持ちが逸早く、iTMS-Japanに表れている。アイドル歌手からミュージカル、そしてクラシックへの挑戦と自分の方向性を発見した矢先に病魔に襲われ、志し半ばであの世へ旅立つのは無念だろう。若い人が亡くなるのは悲しいことだ。
三軒茶屋のシアタートラムで中上健次原作の「オリュウノオバ物語」を観てきた。大学の空間系研究室の学外授業による観劇会である。どちらかと云えば血縁ドロドロの私小説は苦手なので中上健次の文章は雑文程度しか読んでいない。中上健次の作品にふれたのは、昔、ATG(アートシアターギルド)制作の中上健次・原作、長谷川和彦・監督、水谷豊・主演の尊属殺人の実話を元にした「青春の殺人者」を観たぐらいであるから、30年ぶりに中上作品を観たことになる。
空間系研究室の学外授業に中上作品の重いテーマが適しているかは不明だが、プロセニアムアーチのないシアタートラムの演劇空間を学生が体験するという意味では良かったのだろう。舞台は掘込み形式の3尺×6尺束立て床を自由に構成できる利点を生かしてデザインされている。舞台後陣は幕で仕切られ森に見立てられている。その森につながる道が舞台後陣中央から舞台上手に円弧を描いてスロープとなっている。その円弧のスロープによって上手と下手に分割された舞台は、それぞれが三つのレベルのステージを持っている。舞台下手はオリュウノオバの家に見立てられ、客席側から土間、居間、産室に見立てられた段差のあるステージが設けられている。舞台上手は谷地が表現され墓石や石塚が立てられている。そして舞台後方には石積みや堆積物や漂着物が表現されている。物語は和歌山県南部の架空の被差別部落「路地」を舞台に第二次世界大戦を挟み中本の血を巡る「天狗の松」と「天人五衰」の二話を岸田今日子演ずる産婆のオリュウが語り部となり展開する。
路地へ 中上健次の残したフイルム
茂木健一郎 クオリア日記のエントリー「白熱と養老孟司!」に縄文人・F森教授の設計した「バカの壁ハウス」の写真があった。壁には本当にバ・カが描かれている。ある意味で養老センセーは「バカ本のパパ」なのだ。
ジェフリー・S・ヤングの"iCon Steve Jobs"が翻訳されスティーブ・ジョブズ-偶像復活として出版される。著者の一人、ジェフリー・S・ヤングは雑誌"MacWorld"の創刊に関わった編集者でもあり、1989年に刊行された「スティーブ・ジョブズ――パーソナル・コンピュータを創った男」の著者でもある。 前作では20章の「Next ・世界を変えるマシン再び」が最終章となっており、この「スティーブ・ジョブズ-偶像復活」はその続編でもある。コンテンツを見ると第一部は前作と重複した部分もありそうだが、 iPod、iTunesを核にしたAppleの復活とジョブズの挫折からの成長がメインテーマであるようだ。今週末の発売予定であるがAmazonに予約注文しておいた。
以下、16年の歳月を隔てた前作との表紙と内容を比較。
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スティーブ・ジョブズ―パーソナル・コンピュータを創った男 (1989年・日本版発行)
〈上巻〉1〜12章〈下巻〉13〜20章
<プロローグ>
第1章 新たなる出発
<第1部 ルーツ>
第2章 エレクトロニクスの魔法の大釜
第3章 天才ウォズと"ブルーボックス"の成功
第4章 LSD、禅、そしてアタリとの出会い
第5章 インドへ 挫折と悟り
<第2部 ハッカー>
第6章 Apple1誕生 ガレージからの出発
第7章 新世代の大衆向けマシン Apple2の登場
第8章 新しい仲間たち アップル社の創業
<第3部 牧歌的時代>
第9章Apple2の大成功と"成長の苦しみ"
第10章リサ・プロジェクトの着手と解任
第11章株式公開の光と影 億万長者の誕生とブラック・ウェンズディ
<第4部 海賊になろう>
第12章:プロジェクト乗っ取り Macのスタート(ここまで上巻)
第13章:"子供たちは待てない"(ここから下巻)
第14章:パソコン界の伝道師
第15章:ジョン・スカリーの参加
<第5部 傲慢>
第16章:1984年は『1984年』のようにはならない
第17章:"ビックブルー"との戦い
第18章:荒海の中の海賊たち
第19章:崩壊か革新か 追われる創業者
<第6部: そして、旅は続く…>
第20章:NeXT 世界を変えるマシン再び
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iCon Steve Jobs「スティーブ・ジョブズ-偶像復活」(2005年・日本版発行)
<第1部 沙羅双樹の花の色>
第1章 ルーツ
第2章 ある企業の誕生
第3章 海賊になろう!
第4章 敗北を学ぶ
<第2部 一から出直す>
第5章 NeXT ステップ
第6章 ショービジネス
第7章 セレモニーの達人
第8章 偶像
<第3部 未来を編む>
第9章 大立て者
第10章 新境地を開拓する
第11章 iPod、iTunes、故に我あり
第12章 巨人の衝突
第13章 ショータイム
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ステアリングを握り首都高速道路を運転していると自動車専用の道が江戸東京の微地形を忠実にトレースしていることに気付く。それは洪積台地の周縁や河川や掘割の上空を走ったかと思う間もなく地中深くとアースダイビングし、時空を超え太古へタイムスリップするジェットコースターのようでもある。そこは、かつて江戸東京の中に存在する周縁であり、余白でもあり、帰属するものがないニュートラルゾーンであったであろう。タルコフスキーが映画「ソラリス」で何の文脈も持たない東京の首都高を場面の転換に使っていたのは映画の中の余白と考えたのではないだろうか。江戸が東京と変わり土地が私有化され利潤を生み出すものに変容して、都市から余白が消えてしまったが、その痕跡が民営化の表徴の一つである首都高に残されているのが皮肉だ。
試写会のついでに目黒区青葉台4-9-6にあるマッパーの聖地・日本地図センターに行ってきた。目黒区と云っても感覚的には渋谷圏内、アクセスは渋谷南口から「上町行き」か「大井町行き」の東急バスで玉川通りの大坂上バス停で降りるのが近いだろう。(昔、青葉台2丁目まで通っていたので、ちょっと詳しい。)玄関は国道246(玉川通り)と環6(山手通)の立体交差・大坂橋の下、環6内回り車線に面している。
先日のタモリ倶楽部のロケで使われた坂、山手通から玉川通りへ上る。
日本地図センター・売店は地図のワンダーランドだ。立ち読みしていたら、幾ら時間があっても足りない。それにしても、欲しいと思う地図は目の玉が飛び出るほど高い。200部限定の帝都地形図なんて本体価格が36万円、別に欲しくはないが伊能大図のレプリカ全図は865万円もするのだ。取り敢ず、刊行されたばかりの東京時代MAP・大江戸編と雑誌・地図中心の号外版二冊に1:25000の都市圏活断層図(八王子)を購入した。渋谷に着いてから都市圏活断層図の都内版も買えばよかったのに、と気付いた。それから、MacOSX対応の「地図画像MacDEミール」は受注商品で、見本は空箱のみ。
ロードショー公開する前に希望するブロガーに本編を見せてしまうという映画がある。今日はその試写会を見に渋谷のアップリンクまで行ってきた。試写会招待の条件は自分のブログに記事を書き配給会社にトラックバックすると云うものだ。映画の原作はジョエル・ベイカンのザ・コーポレーションである。映画は「NO LOGO」ブランドなんか、いらないのナオミ・クラインやノーム・チョムスキー、そしてマイケル・ムーア等、各界40人のインタビューによって構成されている。10月11日付けの東京新聞夕刊・マネーゲーム勝者は「怖いもの知らず」と題し、マネーゲームに勝ち抜くための条件が「サイコパス」の特性に酷似しているとのスタンフォード大学とカーネギー・メロン大学の共同研究を伝えている。映画「ザ・コーポレーション」は企業の実態を精神分析そしてサイコパス(人格障害)と診断を下した。その分析テストとは以下のようなものだ。
□他人への思いやりがない。
□人間関係を維持できない。
□他人への配慮に無関心。
□利益のために嘘を続ける。
□罪の意識がない。
□社会規範や法に従えない。
制作はカナダ、上映時間は2時間25分だが長いとは感じなかった。
映画で取り上げられている主なエピソード
○ボリビアの水道民営化を阻止した民衆運動
○ホンジュラスの労働搾取工場の実態
○インターフェース社の環境への取り組み
○ロイヤル・ダッチ・シェルの公害問題
○内部告発の値段:フォックス・テレビの事例
○ギャップ社の不当労働疑惑
○遺伝子組み換え食品に対するインドの環境保護運動家たちの取り組み
他にもIBMがナチス・ドイツの捕虜収容所の捕虜の(パンチカードによる)管理業務に加担していた疑いや、戦後日本でのDDT散布でジャップと云う差別語が飛び交う米国国内向けニュースフィルム等、差別、偏見、搾取、環境破壊等々、企業が犯す罪を事例をあげて糺している。
ノーム・チョムスキーは語る『民営化とは、公共機関を善良な人に譲ることではない。専制政治へそれを委ねることです。公共機関には利点もあった。損することも出来ます。別の利点があれば、損をしてもよかったのです。もし、国営の製鉄会社が損をしたら、他の業界へ安く鉄を売ればそれで済むのです。公営企業には後ろ盾がある。不景気でも従業員を雇え、そのために消費も伸び、景気回復につながるのです。しかし、民間企業では解雇せざるを得ません』
中南米ボリビアの米国企業・ベクテル社による水道事業の民営化では民家の屋根に降った雨も企業に権利があり市民は雨水さえも自由に飲むことが許されなかった。
民営化とはそういうものだ。いつか、道路も、川も、海も、空も、空気も、誰かの独占物となってしまうのだ。それは個人の命も自分のものではないことを意味する。既に米国では月の土地や火星の土地を売って金儲けしている輩がいる。彼らをサイコパスと言わずに何て言えばよいのだろうか。
一つの救いはケミカル系カーペット製造企業・インターフェース社CEOレイ・アンダーソンである。彼は過去において自社の製品が資源を搾取し環境を破壊していたことを認め、自らを有罪とし、資源のリサイクルを推進し、2020年までに100%持続可能(サスティナブル)な企業に生まれ変ることを宣言した。
かつて、JFKの父・ジョセフは金儲けの秘訣は法律で禁止される前に行動することだ、と嘯いていたが、JFKの暗殺は金融恐慌の時代に父・ジョセフによって煮え湯を飲まされ、無一文となった者たちの犯行と見るのは穿ち過ぎだろうか、この映画から何となくそんなことを考えてしまった。
"the CORPORATION"は資本主義社会を生き抜くためのサバイバル映画と云うことだ。
追記:民営化を英和辞典で調べると次の通りである。(Privatization:1 〈公的なものを〉私的目的に使う, 私物化する.2 〈公有[国有]の企業?財産などを〉民営[民有]化する, 私営[私有]化する.)
民営化には公有財産の市民による共有化と云う概念は含まれていない。つまり、公有財産を私的企業が独占するということである。