November 03, 2005

Marginal

ステアリングを握り首都高速道路を運転していると自動車専用の道が江戸東京の微地形を忠実にトレースしていることに気付く。それは洪積台地の周縁や河川や掘割の上空を走ったかと思う間もなく地中深くとアースダイビングし、時空を超え太古へタイムスリップするジェットコースターのようでもある。そこは、かつて江戸東京の中に存在する周縁であり、余白でもあり、帰属するものがないニュートラルゾーンであったであろう。タルコフスキーが映画「ソラリス」で何の文脈も持たない東京の首都高を場面の転換に使っていたのは映画の中の余白と考えたのではないだろうか。江戸が東京と変わり土地が私有化され利潤を生み出すものに変容して、都市から余白が消えてしまったが、その痕跡が民営化の表徴の一つである首都高に残されているのが皮肉だ。

Posted by S.Igarashi at November 3, 2005 01:57 PM