June 30, 2004

合歓木

nemu001.jpg

この季節、自生の合歓木が山肌の所々をピンクに彩っている。これほど合歓木が山のあちらこちらに生えているとは子供の頃はあまり気付かなかった。バカな少年だったと云うこともあろうが、里山を薪炭林として利用していた時代は、10年から20年の周期で雑木林を伐採してしまうため、合歓木があまり目立たなかったのかも知れない。

nemu002.jpg

Posted by S.Igarashi at 06:20 AM | コメント (2) | トラックバック

June 29, 2004

Safari RSS

SafariRSS.jpg

米国時間6月28日に発表されたMacOS X Tiger のSafari はRSS対応になる。
以前、紹介したRSSBrowserの作者・西村氏はSafariにRSS機能が追加されるまでの暫定版と述べていたが、RSSBrowserがお役御免となるのか。Safari RSSを確かめるのは半年くらい先になりそうだが、、

Posted by S.Igarashi at 02:24 PM | コメント (1) | トラックバック

エスカレーターの右空け

6月5日のエントリーエスカレーターの安全性で紹介した東京新聞の特集記事に引き続き、昨日と本日の二回に亙り東京新聞では「エスカレーターの右空け」の問題を取り上げている。奇しくも27日には「2歳男児のエスカレーター転落事故」があったばかりである。
都会の死角 エスカレーターの右空け<上>
都会の死角 エスカレーターの右空け<下>
私は空いたエスカレータに乗るときは右側に立ち、右手で手すり(ベルト)に手を掛けている。右利きなのでごく自然な立ち位置だと思う。
エスカレータの片側を開ける習慣は関西から伝わったと聞いているが、これも地下鉄やJR・私鉄等の駅構内のエスカレータ設置が行き渡ってからの習慣ではないだろうか。逆に言えばエスカレータ設置によって階段の一部が潰され、乗降客の流れにボトルネックが生じるようになったのも一因であろう。エスカレータは乗員が限定されたスローな乗り物であって、決してトラフィックを改善するものとはなり得ない。その矛盾が「エスカレーターの右空け」という現象となって表れているのではないだろうか。

Posted by S.Igarashi at 09:48 AM | コメント (1) | トラックバック

June 28, 2004

文芸誌系週刊誌は建築家がお嫌い

そんなことがあったことも忘れていたが先週の新聞に「黒川紀章氏の名誉棄損訴訟 文春側の敗訴確定」の記事が載った。
この週刊文春の記事は掲載されたときに読んだことがあるが、既に記事の内容は記憶には残っていないが、問題の橋の写真を見ると、、、、これは何だろうと思うが、、。
週刊文春や週刊新潮等の文芸誌系週刊誌の記事は良く言えばシニカル、悪く言えばネタミに満ち、どういう理由からか昔から建築家がお嫌いのようで、忘れた頃に建築家をバッシングする記事を書くのが好きだ。そしてバッシングの餌食は丹下健三や黒川紀章に代表される、メディアにも登場し政財界に人脈を持つ建築家がその条件である。
建築家を擁護するつもりもないし、週刊誌の肩を持つ気もないが、週刊誌側の調査と勉強不足、脇の甘さだけが目に付く、恣意的な感情論でなく論理的戦略を以て建築家を批判すべきであろう。

Posted by S.Igarashi at 02:34 PM | コメント (1) | トラックバック

June 27, 2004

ハリー・ポッター

駄洒落と言うかオヤジギャクなので蒸し暑い日には「サム〜イ」と喜ばれるハズ。
「ハリー・ポッターと賢者の石」が公開されたとき、タモリが「ハリ師・堀田と近所の医者」と駄洒落で言い換えていたのに刺激され、私は「ハリ師・堀田シリーズ」として「ハリー・ポッターと秘密の部屋」を、直ぐに「ハリ師・堀田と指圧の部屋」と言い換えた。
昨日から公開された「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」は中々妙案が思いつかなかったが、ようやく、思いついたのが「ハリ師・堀田と明日は我慢の終電」。お後が宜しいようで。

間違えていました。
「ハリ師・堀田と明日が晩は終電」と書いていたけど、最初に考えたのは「ハリ師・堀田と明日は我慢の終電」でした。訂正して入れ替えました。やっぱりメモしてないと、いけませんね。

Posted by S.Igarashi at 01:35 AM | コメント (4) | トラックバック

June 26, 2004

黄昏る建築雑誌

売れているのは相変わらず「バカの壁」だけ、「バカの壁」に続けと他の出版社もヨーロー先生を詣で、似たような類いのヨーロー本を出しているようでは、この出版界の「不況の壁」をとても崩せそうにもない。書店に平積みされている「バカの壁」を見ると、出版不況の犠牲になって裁断されてしまう新刊書を読者の目に触れないようにする「バカの壁」になっているように思えてくる。

建築ジャーナリズムが存在するかも不明だが、バブル崩壊後の建築雑誌の落ち込みは、たとえ景気が回復したとしても立ち直るとは思えない。書店から建築雑誌のコーナーが消えつつある。知らぬ間に鹿島出版会の【SD】は休刊、建築系出版社の老舗・彰国社が発行する【建築文化】は隔月刊となってしまった。やはり、これらの建築雑誌の凋落も学生が本を読まないし買わなくなったからであろう。情報収集のアイテムのなかで印刷物の優先順位が年々落ちているのは確実、キーワード検索可能なwebの即答性に敵わなくなっている。

新建築社の【新建築】は今のところ健在だが、以前に比べると広告ダイエットに成功したのか随分と薄く軽くなった。
建築系出版社としては後発の【建築知識】は社名をX-Knowledgeと変え、雑誌【X-Knowledge HOME】を出したが通巻23号で失墜、新しい建築雑誌を目指したのだろうが、贔屓目に見てもフォーカスが定まっておらず、やりたいことが伝わってこない。同じく後発の建築資料研究社の【住宅建築】は変わり映えなし。
不可思議なのは近代建築社の【近代建築】誰が買うのか知らないが継続している。特集を組まれた設計会社の販促アイテムにしかなりえないが、書店にも置いてあるのが分からない。
なんとなくエコブームに便乗したカタチで創刊された「チルチンびと」「住む」はどちらが生き残るのか、どうなんだろう。
他の建築系出版社と一線を画しているGAもバックナンバーを取りそろえている書店が減ってきている気がする。

そうした建築系出版社の悲鳴をよそに、成功しているかに見える娯楽系商業誌の平凡出版改めマガジンハウスの【カーサ ブルータス】は差し詰め建築スノッブの愛読書であろう。広告内容を見ても、相当な販売部数を確保しているのが読める。【カーサ ブルータス】の手に落ちれば巨匠といえども情報消費される対象としてブランド品と肩を並べ、建築思想もファッションと同レベルのアイテムとなるのである。
エスクァイア日本版は先月号でオランダ建築の特集を組んでいる。TBSブリタニカが阪急電鉄に売却され、社名が変わった「阪急コミュニケーションズ」から出版されている男性向情報誌Penは度々、住宅の特集を組みようである。
嘘か真か、高名な建築家が某商業誌系出版社から資金援助を受けたという噂話も伝わっている。専門家しか読まないような建築雑誌に掲載されるより、一般大衆雑誌で特集を組まれるほうがマーケティングには有利である。その意味で建築家と大衆雑誌の利害は一致するのである。

追記:(6/28)
そういえば美術出版社からは「国際建築」が月刊誌として1967年まで発行されていました。確か最後が帝国ホテルの保存問題と丸の内の東京海上ビルの美観問題。他に月刊誌で「建築」が出版社を替え休刊したり再刊したりしていたけど1970年代前半に廃刊になってました。(最初が槇書店、最後が中外出版株式会社)、昔は青土社からも建築雑誌が出ていたような気がするけれど、私の記憶違いかも知れません。そういえば米国でも90年代にPAが廃刊(休刊?)されたときにK君が嘆いていたことを思い出した。

Posted by S.Igarashi at 06:11 PM | コメント (2) | トラックバック

June 25, 2004

ROUND MIDNIGHT

月曜日のNHK教育人間講座「秋吉敏子・私のジャズ物語」第三回は「バド・パウエルとの出会い」だった。ボストンのバークリー音楽学院への留学、そのボストン到着の第一夜にジャズクラブ「ストーリーヴィル」でのバド・パウエルとの出会い、米国での初めてのピアノ演奏がバド・パウエルに促されての演奏であったとか、バド・パウエルとの思い出を語っていた。その中でバド・パウエルが一時パリに移住したときの話は映画にもなっていて興味深かった。

1986年製作の映画「ROUND MIDNIGHT」はバド・パウエルをモデルに彼の理解者・フランシスとの交流を描いた物語である。映画ではバド・パウエルの役どころはピアニストではなく、架空のテナーサックス奏者「ディル・ターナー」に替わっている。主演はDexter Gordon 、もちろん現役のテナーサックス奏者、その朴訥な演技がリアリティと共感をよんだ。映画の音楽監督はハービー・ハンコック、もちろん出演もしている。何しろ出演しているジャズメンは全て現役のトッププレイヤーである。ディルのレコーディング場面では60年代のマイルス・デイビス五重奏団からマイルスだけが抜けたメンバーがディルのサポートをしている。ハービー・ハンコックをはじめとしてロン・カーター、トニー・ウィリアムス、ウェイン・ショーターと並ぶ、他にブルーノート・レーベルのボビー・ハッチャーソン、珍しいところではマイルス・デイビスのビッチェス・ブリューやジャックジョンソンに参加したことのあるイギリス人ギタリストのジョン・マクラフリンも出演している。バド・パウエルへのオマージュとして製作されたこの映画に参加した全てのジャズメンがバド・パウエルを尊敬し彼の演奏を愛していたことが伝わってくる映画である。(廉価版DVDが1575円、昔は2枚組LDが9800円だった。その値段ならDVDを買おう。)

Posted by S.Igarashi at 10:33 AM | コメント (2) | トラックバック

June 24, 2004

Office2004

Office2004.jpg
昨日、ソフマップでM$ Office2004を買った。アップグレード版よりもアカデミックパックの方が安いので、そちらを求めた。購入は教職員のIDカードの提示だけで済み、Adobeのアカデミックパック購入よりは手続きが簡単である。サービスか知らないけれど真っ赤なTシャツが付いてきた。これを着てスティーブ・バルマー社長のようなモンキーダンスを踊れとでもいうのかな。(気の弱い方は健康のためモンキーダンスをクリックしないでください。怖いもの見たさで健康を害しても知りません。)
パッケージを開けるとDVDソフトと同サイズのパッケージが入っている。マニュアルを付けないのなら初めからDVDソフトサイズで良い。マニュアルを添付しないで資源ゴミを減らしたのならば、プラスチックの分別ゴミも減らして欲しかった。

という訳で、マニュアルの替わりにオンラインヘルプとPDFが付いている。
OfficeAcrobat.jpg
ペーパー・マニュアルがなくなると、マイクロソフトのマニュアルを一手に引き受けていた出版社は痛手だろうが、(昔は確か技術評論社が請け負っていたと思うが。)逆にマニュアル本が売れるということでしょうね。ところで、Office2004といっても使うのはExcelだけ、私にとってWordは仕方なく受け取ったWordのファイルを開くだけのものです。

Posted by S.Igarashi at 01:45 PM | コメント (0) | トラックバック

June 22, 2004

Euro2004オフィシャルサイト

TBSが地上波で主な試合を放送するのかと思っていたら、肝心な試合を放送しませんね。
uefa.comのサイトにできたEuro2004オフィシャルサイトが、日本のスポーツ紙のサイトよりも情報が早くて詳しいですね。
Euro2004.jpg
イングランドはルーニーがブレイクしてオーウェンはすっかり引き立て役になっているようです。

Posted by S.Igarashi at 10:13 AM | コメント (3) | トラックバック

June 21, 2004

クイズ・昭和は遠くなかりけり

近鉄がオリックスに吸収合併されることが決定的になったが、Jリーグの横浜フリューゲルスが横浜マリノスに吸収合併された時のようにチーム名がオリックス・B・ブルーウェーブスとでもなるんだろうか。
野球フアンでもないし、パリーグに興味がある訳でないが、近鉄がなくなるとパリーグから昭和の一時代を支えた球団名が全て消えることになる。そう考えると昭和30年代の球団名と現在の球団名とが、どう変わったのか良く分からない。
そこで、「クイズ・昭和は遠くなかりけり」
(A)の1から6の球団の昔の名称を次に示す(B)の(イ)から(ホ)より選びなさい。
(A)
1:オリックス( )、2:近鉄( )、3:西武( )、4:ダイエー( )、5:日ハム( )、6:ロッテ( )
(B)
(イ)近鉄、(ロ)大毎、(ハ)東映、(ニ)南海、(ホ)西鉄、(ヘ)阪急

全問正解する人は40〜50代でしょうね。私もロッテと日ハムの前身がどっちがどっちか良く分からない、、、たぶん、、アレだと思うけれど。

パリーグの斜陽化は巨人軍のような仮想敵国がいないからモチベーションを維持するのが難しいのかしらね。こうして見るとパリーグには電鉄系が4チーム、メディア系が2チームで、時代と共に産業構造の変化に伴い経営母体が斜陽化していくわけですね。電鉄系もニュータウンの建設とか都市化の一翼を担っていた時代は良かったのでしょうね。阪神だって貧乏みたいだけどセリーグだから救われているのでしょう。

Posted by S.Igarashi at 05:17 PM | コメント (0) | トラックバック

June 20, 2004

三菱・離れ

近くのカーディラーに12ヶ月点検に行ったとき、営業担当者から聞いた話であるが、ユーザーの三菱離れは全てのメーカーの販売店を巻き込み、思いの外、深刻のようだ。営業担当者と雑談してるとき『ところで三菱自動車のリコール問題の影響はありますか?』と尋ねたところ、『あります』の返事。このところ三菱のユーザーからの引き合いが急増しているとのこと。それだけならば競合メーカーから顧客を得ることで文句ないのだが、問題は買い替える際の三菱車の下取り価格の査定にあるという。軽自動車で前日まで16万の下取り価格が付いた車種が翌日には査定金額がゼロになる例もあるというから、下手をするとディラー側が赤字を背負い込むこともあり得る。とにかく、ディラーを訪れる三菱車のユーザーは一刻も早く、査定金額のあるうちに車を手放したがっているということで、まるで銀行の取付騒ぎと似ている。これから、沢山の三菱車が中古市場に溢れだすことになる。国土交通省はそれらの中古車問題に対しても対策を講じる必要があるだろう。
自動車工業会が三菱自動車を工業会から追放しようとする動きもある。既に三菱自動車、一社だけの問題ではなくなって、全ての自動車メーカーを巻き込んだ騒動である。

Posted by S.Igarashi at 05:17 PM | コメント (0) | トラックバック

東京未来地図

東京・首都圏未来地図 成美堂出版 ISBN4-415-10037-6 定価1050円

現在、東京及び首都圏で計画されている大規模再開発計画を地図に落とし込んで集大成としたものである。その中には、もちろん汐留地区や品川地区再開発のトーキョー・ウオールも含まれている。建設不況と云われている中、よくもこれだけの大規模再開発があるかと思う反面、再びこれらが不良債権化しないかとの疑問が沸き起こる。大手デペロッパーとゼネコンが主導する経済効率優先のこれら大規模再開発計画の未来を考えると、プライオリティの経済効率が果たせなくなったとき間違いなく21世紀の廃墟となる運命にあるということだろう。
この未来地図の中で、評価できるモノを一つ探すとならば安藤忠雄の青山同潤会アパートの再開発計画だけである。都市の文脈を読み解き、高層にしないで低層に押さえたことだけは評価に値する。

Posted by S.Igarashi at 11:48 AM | コメント (2)

June 19, 2004

トーキョー・ウオール

トーキョー・ウオーカーではない、トーキョー・ウオールである。汐留地区や品川地区の再開発による超高層ビル群が東京湾からの海風を阻む屏風岩になっているという。これによりヒートアイランド現象の悪化による経済的損失はエネルギー換算で数十億円という。更にヒートアイランド現象により派生する自然現象の都市型集中豪雨、落雷、竜巻等を加えると問題は深刻である。
東京新聞6月19日朝刊・湾岸に屏風岩『トーキョー・ウオール』

Posted by S.Igarashi at 09:26 AM | コメント (0) | トラックバック

June 18, 2004

アンケート調査と云うもの

先日、訳の分からない調査会社を自称する者から、参院選についてのアンケートをお願いしたいという電話が掛かってきたが、相手が何者かも分からないので、即座にお断りした。

昨日発売の週刊文春6月24日号が小誌2000人アンケートと称し『小泉「ホントの支持率」たったの29%』と云う記事を寄せている。その調査によれば「支持する29%」「支持しない44%」「どちらともいえない27%」である。
今朝の東京新聞に掲載された時事通信社による世論調査では「支持する47.2%」「支持しない32.3%」となっており、週刊文春6月24日号の朝日・共同の支持率54%、読売の支持率55%よりも低くなっているが、相変わらず新聞社やTVメディアによる世論調査では、支持率は未だ高い。

何れにせよ、この類いの世論調査は、どういう結論が欲しいかによって設問内容を決めれば、世論を誘導することなど容易いだろう。(つまり、文春の「どちらともいえない27%」を「支持する」に加えると読売の支持率に近い数字となってしまう。)

東京新聞朝刊に五回連続で参院選を前にニッポンの空気と云う特集が組まれている。
1. 批判の矛先 政治が演出/『加害者』に映った家族会(2004/6/13)
2. 批判許さぬ『国益』の盾/報道への圧力と自粛(2004/6/15)
3. 愛国心、教育に迫る/勢いづく『国家』(2004/6/16)
4. 摘み取られる自由/反戦活動に介入(2004/6/17)
5. 無関心が招く国民監視/街にひそむ”目”(2004/6/18)

民主主義の危機的状況だと思うが、それを許している大手メディアの責任は重い。

Posted by S.Igarashi at 10:40 AM | コメント (0) | トラックバック

June 17, 2004

吉原の大門

MAD Press 1993/7/31 より転載
(10年以上前の文章ですから、当時の世相や風俗を引用している部分や浅草寺の由来など一部認識不足による間違いがありますが、ご勘弁の程を。m(__)m)

「・・ああ、堅えの堅くねえのって、え?堅餅の焼ざましみてえな人間っ。歳が十九んなって、吉原の大門がどっち向いているかわからねえ変わり者!」 
 八代目 桂文楽の十八番「明烏」は日本橋田所町三丁目の日向屋半兵衛が伜、時次郎の身を案じて、とは言っても堅すぎる伜に女遊びの一つでも教えてもらおうと町内の札付きの源兵衛と太助に吉原で伜の筆下ろしを頼むという艶笑噺のこと。

 吉原は日本橋人形町界隈に元和三年(1617年)に公娼制度として幕府の公認を得て庄司甚右衛門によって設けられた。その後、明暦の大火の後、明暦三年(1657年)新吉原として現在の地に移転された。浅草田圃のど真ん中に不夜城が突如として出現するわけだから、さぞかし異様で壮観であったろうと想像する。

そういえば、最近似たような風景を見たことがある。あれは小諸に長老共々行ったとき施主に紹介されて泊まった温泉だった。布引観音温泉と名付けられていたけれど、田圃の真ん中に竜宮城のように健康ランドが忽然と建っていた。翌朝、車を待つあいだ、タイやヒラメのお嬢さん達が所在なげに玄関にたむろしていたっけ、たぶん観音様のお使いで来たのでしょうね。

 浅草の浅草寺は江戸城の鬼門にあたる丑寅の方角に位置する。もちろん災難が江戸市中にもたらされないようにと厄除けの為に建立された寺だ。(浅草寺の歴史は628年まで溯り、浅草湊が旧・江戸の中心であった。従って、結果として後から造られた江戸城の鬼門に位置することになった。)そして裏鬼門にあたる未申には増上寺(将軍家の菩提寺)がある。神田明神が鬼門、山王権現(日枝神社)が裏鬼門と神道の厄除けも幕府は忘れていない。どちらも江戸の鎮守様、将軍家が氏子総代でもあった。因みに神田明神は天平2年(730)に現在の大手町付近に創建、元和2年(1616)に江戸城の鬼門にあたる現在地に移設された。一方の山王権現(日枝神社)は太田道灌によって江戸城内に創建され、1657年に裏鬼門にあたる現在地に移された。

 大川から山谷堀に沿う日本堤に面して建設された新吉原は幕府の都市計画事業によるものだ。そしてその大門はまさしく鬼門とされた丑寅の方角を見据え、周囲は堀で囲われ郭となった。大正十二年の関東大震災の被害写真を見ると、火災で逃げ場を失った遊女のおはぐろドブに重なり合う山のような死体は南京大虐殺かアウシュビッツかと見紛うばかりである。などと書くとフェミニストと間違えられそうであるが断じてそのような事はない、フツーのオヤジである。フツーの人でも忌み嫌う鬼門に遊廓の大門をもってくるとは、時の権力者の恐ろしさ陰険さを感じてしまう。が、しかし女の魔性で悪霊を追い払い、江戸を守るという、深い考えがあるのかも知れない。お伊勢参りが女郎買いの売春ツアーだったように、信仰と性の深い結び付き、陰喩としての性が神代以来の○○○を象徴するものでしょう。○○○○が伊勢神宮で御祓をうけ○○○の○○と○○○う厳かな儀式を下々の者が有難く吉原辺りであやかるのも○○○に由来するもの。A山K三郎君、ジュリアナのお立ち台で身をくねらせるお嬢さん方は天岩戸の神話を再現して護国安泰を祈願しているのだよ、けっしてブタ女と罵ってはいけません。ラスト・エンペラーが出現しないかぎり、ブタ女もセクハラも皇国から無くなることはないのだよ。

 ところで、こんなことを考え付いたのも地図を見ていて吉原のあった台東区千束四丁目と横浜中華街だけは、その周囲と町が作られた曰因縁に違いがあると思ったからだ。周りとの町並に何の脈絡もなく方位のみが町づくりの基本であるかのようだ。吉原は正確に丑寅に主軸を持ち、日本堤から大門までのアクセスが軸をずらされ、クランクと言うかシケインのようになっている。家相を気にする人は多くても、吉原の大門までは気になさらないようで、江戸風俗に関する本はあっても、それについて書かれていないようだ。試しにと方位図と吉原市街図とを重ね合わせてみたのが次頁の図である。巽方が吉とされる訳だが、そちらに大門を設ける事など、絵図を見ても容易いことである。それでも敢て丑寅に大門を設ける意図は何であったのか。

Madpress930731b.jpg

吉原へ往く粋な遊客は大川より山谷堀まで猪牙舟を利用して、後は日本堤を経て吉原に至る。日本堤は大川が蛇行する千住辺りからの氾濫から江戸市中を守る目的で作られた堤であった。日本堤は昭和五年に二十年に亘る工事によって荒川放水路が完成されるまでは、重要な治水施設としての役割を担っていた。遊廓をこの地に選んだのも、遊客で堤を固めるという意図があったのではないか。(庶民の娯楽を度々禁止した幕府でも、大川端等の土手に桜を植え、花見を奨励したのは花見客で土手を固めるという意図があったからだと言われている。)絵図でみても分かる通り日本堤は相当広かったようだ。いまではその名残りとして「土手通り」と名前が残されている。日本堤から下る吉原大門までを衣紋坂、または五十間道とも呼ばれていた。クランクしてみえる道も土手の法面に作られた為、少しでも勾配を緩和する方法なのかも知れない。また「おはぐろどぶ」に囲われた郭の四隅に稲荷が設けられているのは、地霊への配慮か、花魁の願掛けの為か。

 京の町にあっては「比叡下ろし」が鬼門、江戸では水害を齎らす大川の蛇行が鬼門とすると。それから江戸を守る日本堤、その土手を一層強固にする為の遊客と郭、差し詰め花魁は身を呈して江戸の町を守ったことになる。

「女郎買い 振られた奴が 起こし番」
 朝っぱらから、他人の部屋を覗いて、騒いでいる奴に、昨夜の成績の良い吾人がいる訳ない。「明烏」とは源兵衛と太助のことである。

Posted by S.Igarashi at 09:48 AM | コメント (0) | トラックバック

June 16, 2004

AirMac Express

AirMacExpress.jpg

6月18日まで有効のApple Store の割引クーポンがあったので【AirMac Express】を注文した。予定通り順調に行けば来月中旬に商品が届くと云うことだが、、、。
僕のAirMac Expressの使い道はiTunesのインターネットラジオをオーディオ装置に飛ばして、そのスピーカーから聴くこと。仕事中のBGMに有線放送が欲しいと思ったときがあったが、インターネットラジオのチャンネル数には有線放送も叶わないだろう。

Posted by S.Igarashi at 01:40 AM | コメント (1) | トラックバック

June 15, 2004

紫陽花

Azisai.jpg

いつの間にか紫陽花の背丈が軒下位まで伸びてしまっていた。花が終わったら根元からバッサリ剪定しないといけない。物臭な住人の元にある庭木は構われないせいか、グレてしまう傾向があるようだ。庭にある落葉松は幼い頃、オヤジに頭を刈られて以来、グレはじめた。私はいまその落葉松を「無法松」とよんでいる。或いは見方によってはキュビズムの影響を受けていた頃のモンドリアンの絵にも似ているので「モンドリアンの松」ともよんでいる。「無法松」或いは「モンドリアンの松」は、とても人様に見せられるものではないので写真は掲載しません。

Posted by S.Igarashi at 09:52 AM | コメント (0) | トラックバック

June 14, 2004

乱用される土地収用・病める米国

6月11日深夜のCBSドキュメントを見た。メインテーマはカリスマ主婦のマーサ・スチュワートを巡るインサイダー疑惑だったが、二つ目のテーマに病める米国の側面、頽廃する資本主義国家を見る思いがした。
オハイオ州クリーブランド郊外のレイクウッド市の閑静な住宅街を巻き込んだ再開発計画の騒動は行政側の市が私有地を強制収用して、その土地をデベロッパーに売却、デベロッパーはその土地に高級コンドミニアムとショッピングセンターを建設するという。つまりは行政がヤクザまがいな地上げ屋の代行をするという、とんでもない計画である。市側の言い分は高級コンドミニアムとショッピングセンターが建設されることにより市の税収が増えて財政が潤う、従ってこの計画は公共の利益になると云うものである。

住宅地を強制収用するにはその土地が荒廃地区に指定されていることが条件となるが、その条件を指定するのは行政側である。レイクウッド市では次に定める基準を満たしていない住宅は荒廃地区の指定を受けるように定められた。ベットルームが3以上、バスルームが2以上、住宅内に2台のガレージ、空調システム、敷地は446平米、以上の条件を満たしていなければ住宅は荒廃していることになる。因みにこの基準ではレイクウッド市の住宅の90%以上は荒廃住宅の適用を受けることになる。この基準では再開発計画を推し進めようとしている市長が住む家もバスルームが一つだけ、ガレージは別棟、空調設備は全室完備していないから荒廃住宅になるという矛盾。
米国ではこの五年間で、行政が個人の財産を強制収用して大企業や繁盛している店舗に売り渡す例が一万件を超えると云う。
アリゾナ州のメイサ市では角地にある自動車修理工場の土地を欲した近隣の金物店が直接その自動車修理工場の所有者に交渉することをしないで、市側に働きかけ、行政の力で収用権を行使することを要求。金物店の経営者は再開発が公共の利益になることを主張する。
N.Y.市ではタイムズスクエアの数ブロック先の地区を荒廃地区に指定、強制収用した土地をニューヨーク・タイムズと大手デベロッパーに売却し、そこにニューヨーク・タイムズの本社ビルを建設するという計画。CBSの取材チームに対してニューヨーク・タイムズ側は取材を拒否している。

この番組が米国で放送されたのが2003年9月、その後、レイクウッド市の件は住民投票の結果、計画は白紙撤回、市長はリコールされ失職した。アリゾナ州のメイサ市の件は自動車修理工場の勝利。しかしN.Y.市で起こされた裁判では住民側が敗訴している。

1970年代後半から80年代の初めくらいまで我が国でも放送された米国のテレビ番組「刑事コジャック」はN.Y.市を舞台にしたドラマであったが、その時初めて耳にした言葉がマフィアによる「地上げ屋」であった。それから数年経ってバブル期の頃は「地上げ屋」の言葉を耳にしない日はなかった。
地上げの時代・昭和も遠くなかりけり
米国で起きた社会現象はその数年後、日本でも起こると言われる。そこで、気になるのが有事関連法案である。そこにある私有地の強制収用権が悪用されることがないであろうか。多国籍軍への参加は現行法でも問題なしとする内閣法制局である。憲法違反が明らかでも、平気で解釈をねじ曲げる為政者がいる限り不安はなくならない。

Posted by S.Igarashi at 09:00 AM | コメント (2) | トラックバック

June 13, 2004

ほたるぶくろ

hotarubukuro.jpg

ジャングルと化した庭に【ほたるぶくろ】が咲いていた。傍らにはドクダミの可憐な白い花も咲いている。後ろに見える大きな葉は葛、この蔦の部分を晒した繊維で織ったものが葛布、建築では和風の内装クロスとして用いられている。根っ子は葛根湯になると云うことだけど、試したことはない。

Posted by S.Igarashi at 03:59 AM | コメント (0) | トラックバック

June 12, 2004

リートフェルトの平行定規そしてBlogを巡る冒険-3

リートフェルトの平行定規そしてBlogを巡る冒険-1
リートフェルトの平行定規そしてBlogを巡る冒険-2の続編
4月5日、MADCONNECTIONに「リートフェルトの平行定規」の目測スケッチによる3Dモデルをエントリーする。実測をするのだから今更、目測のデータで3Dモデルを作成することもないと思う向きもあろうが、目測と実測の差がどのくらい生じるのか興味があり、それをデータとして把握しておきたかった。

4月11日、aki's STOKTAKINGの「リートフェルトの平行定規」に橋本さんよりコメントの追加。

橋本@宇都宮美術館です。継続調査により、シュロイダー邸の施主であるシュロイダー夫人の次女「ハネッケ・シュロイダー」は、リートフェルト事務所で修行した後、友人と一緒に建築家として独立します。その際に、この製図板を受け継ぎました。さらに、その友人が大切に保管し、1999年に、ユトレヒト市立中央美術館に製図板を寄贈されたとのこと。決して遺品が多くないリートフェルトですが、木槌など自作の工作道具は、徒弟のファン・デ・フルーネカン(赤と青の椅子などを手がける)が受け継ぎました。製図の技術自体については、よく言われているように必ずしも「図面が描けない大工」(エル・リシツキーによる)ではなく、シュロイダー邸の詳細図は、きちんとツボを押さえています。これらは、これまで余り展覧会で紹介されたことがありませんでした。面白いのは、製図する紙に拘らなかったことで、メモ用紙、便箋、封筒のウラなどにも描いています。しかも、描いたらそれに何でもかんでもメモする、そして簡単に捨てるのも厭わず。なので、逆に施主や工務店の人たちが心配してゴミ箱から図面(スケッチ)を拾い出して、後々まで取って置いたものが、ユトレヒトの美術館に収蔵されています。それらは、どれもしわくちゃで、判読不能だったり、手垢にまみれているのがご愛嬌です。

4月13日、MADCONNECTIONに「Rietveld's Parallel-motion ruler」をエントリーし、ワイヤーの仕組みを公開する。実測調査に先がけて3Dデータから2Dの図面を取り出し、そこに実測データを書き込めるよう準備する。

4月13日、午後、東北自動車道を宇都宮に向けて車を走らせる。乗員は「リートフェルトの平行定規・調査団」秋山東一氏、私の二名である。午後三時前後に宇都宮美術館に到着、一通り会場を見学してから、橋本さんに面会を申し込む。ロビーにて、リートフェルトから美術館建築、さらにBlogにまで話が弾んだところで、実測調査にうつる。府中市美術館では正面と右側からしか製図板を見られなかったが、宇都宮美術館では四方から製図板を見ることが可能となっていた。調査方法は秋山氏が採寸、私が書記と役割分担して行った。既に閉館時間は過ぎていたにも拘わらず、学芸員の橋本さんと濱崎さんに最後まで実測にお付き合いしていただき、貴重な情報を採集することができた。

実測データに基づく3Dモデルの作成は5月の連休期間を利用して行うことにした。既に目測版は作ってあるが、それを再利用しないで全て一から作り直した。製作を始めてから、数ヶ所の寸法を採取していないことに気付いた。それはステー(支持棒)の取付位置と脚が開いている状態の前後の脚の間隔であった。脚の間隔は他に採寸したデータから推測することにして、ステーの取付位置は再調査が必要だが、後からでも位置合わせは可能なので、作業はそのまま進行することにした。目測との大きな違いは製図台の構造であった。府中市美術館では分からなかった裏側や背面も見ることができ、製図台が折り畳めるようになっていることや、脚の構造材の仕口が「ホゾ差し」ではなく「合い欠き」になっていることが分かった。その辺りのディテールにレッドアンドブルーチェアーをデザインしたリートフェルトの拘りが隠されているように思えた。3Dモデルの作成は各パーツや部材を初めに作成して、それをエレメント毎に組み立て、最終的に全てのエレメントを統合するように、リアルな世界のシュミレーションでもある。それは80年以上前のリートフェルトによる「平行定規と製図板」の製作をバーチャルな空間で追体験することである。

5月11日、MADCONNECTIONに「リートフェルトの平行定規・実測版」をエントリーし、実測に基づいた3Dモデルを公開。

5月12日、MADCONNECTIONに「リートフェルトの平行定規の秘密・ループの法則」をエントリーし、そのメカニズムを解説。3Dモデルによるシュミレーションによって「ループの法則」と大きさの異なる二段に重ねられたプーリーの意味が解き明かされた。他にも細かいディテールにもリートフェルトの創意工夫が込められている。

5月22日、秋山氏、MECCANO(メカノ)で作成した「リートフェルトの平行定規」のモデルをエントリーする。実際に動くモノはそれだけで雄弁である。これを見ると自分も「リートフェルトの平行定規」の1/2モデルを作ってみたくなる。

5月23日、「リートフェルト展」最終日のユトレヒト市立中央美術館・館長のイダ・ファン・ゼイル氏の講演を聴講する。イダ・ファン・ゼイル氏は【Gerrit Th. Rietveld The Complete Works 1888 - 1964】の著者であり、リートフェルト研究家の第一人者である。【Gerrit Th. Rietveld The Complete Works 1888 - 1964】にはリートフェルトがデザインに関わったモノ全て、レターヘッドから家具、建築に至までに年代順に番号を振って記録している。中には番号と表題だけで図版や写真がないものも少なくない。その研究態度はモォツアルト研究家のケッヘルにも匹敵すると思える。大学の図書館から借りた1992年版とAmazon.comで調べた1996年版本と比較すると四ページ増えている。「リートフェルトの平行定規」も1999年にユトレヒト市立中央美術館に寄贈され、今回の「リートフェルト展」の会期中にリートフェルトのデザインによるものであることが判明したことから、何れ改訂版が出版されるときには、「製図板と平行定規」も【Gerrit Th. Rietveld The Complete Works 1888 - 1964】に追加収録されることであろう。
因みに講演会はCASA BRUTUS 2004 March Vol.48の166頁に掲載のイダ・ファン・ゼイル氏へのインタビュー記事に幾つかのエピソードを加え、更に発展させた内容であった。

講演終了後に、ユトレヒト中央美術館館長イダ・ファン・ゼイル氏に伺ったところ、リートフェルトの製図板+平行定規が他にも作られたかどうかの記録は残っていないのと、現存するのはこの一台だけと云うことである。また、メカニズムを構成するパーツはリートフェルトの思想からみて、他の工業製品の流用(自転車・ミシン等)と考えるのが正しいだろうが、材質や何の部品を流用したのか現在のところ詳しいことは解らないとのことです。

展覧会終了後の撤収作業の中、最後の実測調査を行い、見落とした箇所の採寸をする。後から手が加えられたと思われる部分については、採寸だけの記録に留め、二次元図面には反映させていない。二次元図面の作成に関して、初めは三次元データを流用する考えでいたが、陰線処理時間に手間取る割に、曲線部分の精度が期待できないので、全て改めて描くことにした。

6月2日、MADCONNECTIONの「リートフェルトの平行定規・3Dモデル」に木製製図台の資料をさがしている人からコメントが寄せられた。西洋美術館の展示会で製図台部分を再現したいと云う希望なので、製図台の図面を先に仕上げることにする。

6月6日、MADCONNECTIONに取り敢ず製図台だけの二次元図面をエントリーする。

6月9日、MADCONNECTIONに「 G.T.Rietveld's Drawingboard & Parallel-motion ruler」をエントリー、A3で5枚分の図面をPDFにしてアップロードして、ミッションを完了。
6月10日、PDF図面に経過説明として書いた「リートフェルトの平行定規そしてBlogを巡る冒険」を加筆修正しエントリーすることにした。書き始めると、書き足らないことが多すぎて、一日では終わらず、分割して掲載することに。

これで僕らの「リートフェルトの平行定規そしてBlogを巡る冒険」は一旦終了する訳であるが、しかし、完結することもないと思うので、また再び、Blogにエントリーすることもあるだろう。

Posted by S.Igarashi at 11:09 AM | コメント (0) | トラックバック

June 11, 2004

リートフェルトの平行定規そしてBlogを巡る冒険-2

リートフェルトの平行定規そしてBlogを巡る冒険-1の続編。
私の取材申し込みの応対をされた府中市美術館の学芸員N氏は『「リートフェルトの平行定規」はリートフェルトが作ったものではなく、ただリートフェルトが所有し使った道具として展示しているだけです。』と述べて、何故そのようなもの(道具)に興味を抱くのか怪訝そうであった。それについて、コンピュータによる設計製図つまりCADが全盛の今日だからこそ、先人達による、こうした設計製図の道具があったことを、いま記録する必要があるのではないでしょうかとその理由を説明をした。それに対して全ての展示物は借り受けているものであり、自分たちには取材を許可する権利がないので、ユトレヒト美術館と直接コンタクトのある宇都宮美術館の担当者に聞いてみないと回答できないとの返事。その時は府中市美術館の学芸員から宇都宮美術館に問い合わせしてその結果を、後日連絡して下さるとのことで、更に宇都宮美術館の担当者名を教えられ、できれば直接連絡交渉するようにしてくださいと言われた。一週間経っても、府中市美術館からは連絡はなく、やはり直接、宇都宮美術館に連絡するしかないだろうと考えた。

そうした矢先、自宅介護中の老母を朝食の準備をしてから起こしに行くと、前日まで歩けた母がベットから立ち上がることも出来なくなっていた。突然の出来事で、宇都宮美術館に取材申し込みするどころではなくなった。ケアマネージャー、そして主治医と連絡相談した結果、主治医の診療所に緊急入院、そしてリハビリテーション施設のある老人病院に転院と、介護老人を抱える者に共通の日常に翻弄されることになった。しかし一段落して、母の入院によって自宅介護よりは多少なりとも時間的余裕が生まれたことになった。

3月22日、MADCONNECTIONに「リートフェルトの平行定規」の目測スケッチをエントリーする。

3月31日、MADCONNECTIONの「リートフェルト展・2」に宇都宮美術館・学芸員の橋本さんより初めてコメントが書き込まれる。

4月2日、aki's STOKTAKINGの「リートフェルトの平行定規」に橋本さんからコメント。

五十嵐さんの素晴らしいスケッチには敬服の至りです。また、秋山さん、玉井さんの説明も、とても貴重で勉強になりました。ちなみにあの製図板は、リートフェルト自身が作ったものであることが、今日になってオランダの美術館の方の追跡調査で判明! しかも若い頃の製作で、シュロイダー邸の設計にまさしくこの製図板を使ったそうです。リートフェルトが家具工房を開いたのが1917年、「赤と青の椅子」の原型を作ったのが1918年、そして初めて設計事務所を設立したのは、シュロイダー邸が竣工した翌年(1925年)ですから、おそらくこの間の製作に違いありません。ちなみにこれを美術館に寄贈された方は、シュロイダー夫人の次女・ハネッケ(1950年代にはリートフェルト設計事務所の所員として活躍を始める)の友人ということですので、やはり設計に携わる人だったのでしょう。これ以外にも、リートフェルトは道具類を自分で作ることが多かったようです。修業時代は、金属工芸やジュエリーも手がけていましたので、実は木工以外のワザにも長けています。
これで「リートフェルトの平行定規」がリートフェルト自身による製作であることが判明した。

4月3日、改めて、正式に宇都宮美術館・学芸員の橋本さんにメールで取材の申し込みをする。その返事で府中市美術館から「リートフェルトの平行定規」の取材を申込まれた方がいるとの連絡があったが、その後、府中市美術館からは何もなく、私のメールで私が府中市美術館に取材申込した本人だと了解していただいた。橋本さんは「リートフェルト展」の企画者としてウェッブサイトにも目を配り、情報収集していたところ、私のMADCONNECTIONと秋山氏のaki'sSTOCKTAKINGに出会い「リートフェルトの平行定規」を話題にしていたところにコメントを寄せて戴いたのであった。切れかけていた糸がBlogによって繋がったように思えた。そして打ち合せの結果、4月13日に取材に行くことになった。(その3に続く)

Posted by S.Igarashi at 09:22 AM | コメント (0) | トラックバック

June 10, 2004

リートフェルトの平行定規そしてBlogを巡る冒険-1

きっかけは2003年夏の三岸好太郎展だった。三岸好太郎のアトリエはバウハウスから帰国したばかりの山脇巌の設計によるものだが、それとリートフェルトはまったく関係ない。たまたま三岸好太郎の蝶の絵を府中市美術館に見に行った際、パンフレットの展覧会予定表にあったリートフェルト展の文字が記憶に残った。それ以降、ときおり府中市美術館のHPにアクセスしてはリートフェルト展の情報が掲載されていないかチェックした。それは私が担当しているCADの授業を履修している学生にリートフェルト展を見に行くように薦めるための情報が欲しかったからである。三次元モデリングの初歩的な仕組みを理解する上でリートフェルトのレッドアンドブルーチェアーはあつらえむきの教材である。授業では三次元座標の理解を目的に学生の練習課題に取りあげている。であるからリートフェルト展は学生たちがバーチャルな空間で体験したレッドアンドブルーチェアーをリアルな空間で体験できる良い機会であった。しかし、会期が1月17日からと云うことは、後期授業の最終日前後でもある。既に学生の頭には授業のことはリセットされ、長い休みに向けてスタンバイされている。リートフェルト展の情報を伝えても心ここにあらずである。

府中市美術館のHPにリートフェルト展の詳細情報が掲載されたのは、確か12月に入ってからではなかっただろうか。そして、リートフェルト展の情報を私のBlogである「MADCONNECTION」にエントリーしたのが2004年1月16日、展覧会の前日である。リートフェルト展に出掛ける予定のつかないまま過しているうちに、3月1日のaki'sSTOCKTAKINGに秋山東一氏がリートフェルト展の報告をエントリーする。そして3月5日についに「リートフェルトの平行定規」がエントリーされた。この日から僕らの「リートフェルトの平行定規」とBlogを巡る冒険が始まった。
そして、私は遅ればせながら3月11日、府中市美術館を訪れ「リートフェルトの平行定規」に対面した。コンベックスを見ながら、目測によるスケッチをしていたら係員がコンベックスに異常反応して注意を受ける。展示物に触れたり万年筆やボールペン等を使ってはいけないくらいの常識はわきまえているつもりでいるが、杓子定規の係員に何を言っても無駄なので、コンベックスだけは仕舞って、係員の冷たい視線を感じながらスケッチだけは続けた。帰ってからメカニズム等を理解したつもりでいたが、製図板の裏側のディテールをチェックしていないことに気付く。翌々日、府中市美術館での講演「リートフェルトと日本をつなぐもの」を聴講するついでに再度訪れ、チェックし忘れた部分のスケッチをするが、目測では限界があるので、正式に美術館側に「リートフェルトの平行定規」の取材を申し込むことにした。その時、初めてリートフェルト展は宇都宮美術館が主導して企画されたことを知った。(その2に続く)

Posted by S.Igarashi at 02:08 PM | コメント (0) | トラックバック

June 09, 2004

G.T.Rietveld's Drawingboard & Parallel-motion ruler

Acrobat002.jpg

「リートフェルトの平行定規」を図面にまとめました。レンダリングデータを含めて一冊のPDF書類にしたものは1.6MBになります。また、図面を1枚毎にPDFファイルにしたものも用意しました。図面は上図の左側のサムネイルに対応していますので、目安にしてください。
Adobe Acrobat Files, Drawing-size A3(420×297)
G.T.Rietveld's Drawingboard & Parallel-motion ruler Drawing Book PDF 1,669KB 製本
G.T.Rietveld's Drawingboard & Parallel-motion ruler Drawing 01 PDF 756KB 解説・総合
G.T.Rietveld's Drawingboard & Parallel-motion ruler Drawing 02 PDF 728KB 解説・機構
G.T.Rietveld's Drawingboard & Parallel-motion ruler Drawing 03 PDF 64KB 製図台
G.T.Rietveld's Drawingboard & Parallel-motion ruler Drawing 04 PDF 60KB 製図板
G.T.Rietveld's Drawingboard & Parallel-motion ruler Drawing 05 PDF 68KB 金具詳細
研究目的等で図面を使用される方はご自由にご利用下さい。但し断りなく商用目的への転用及び他のメディアへの転載等は固く禁じます。

Posted by S.Igarashi at 12:50 AM | コメント (1) | トラックバック

June 08, 2004

Security Update 2004-06-07

前回の【Security Update 2004-05-24】で完全に解決できていなかった脆弱性に対するアップデートです。

Security Update 2004-06-07 により、多くのセキュリティ面の強化が行われます。すべての Macintosh ユーザの方にこのアップデートを推奨します。次の箇所のアップデートが含まれています:
DiskImages
LaunchServices
Safari
ターミナル
アップデート後の Mac OS X では、書類を開いたり、URLをクリックしたりすることによって、ある特定のアプリケーションが初めて起動する場合に、起動してよいかどうかの意思確認が行われるようになります。

New Power Mac G5の噂

Posted by S.Igarashi at 09:28 AM | コメント (1) | トラックバック

June 06, 2004

Rietveld's Drawingboard Stand

drawingpdf.jpg

Rietveld Drawingboard Stand Download file PDF 90kb

リートフェルトの平行定規・2D図面の第一段階として製図台の図面をアップしました。Macintosh とWindowsでの互換性確認済みです。図面のブラウズ及びに印刷にはAdobe Acrobat Readerが必要です。
研究目的等で復元されたり、図面を使用される方はご自由にご利用下さい。但し商用目的利用及び他のメディアへの転載は禁じます。尚、復元された場合は完成写真等を見せて戴けたら幸いです。

Posted by S.Igarashi at 05:01 PM | コメント (0) | トラックバック

June 05, 2004

エスカレーターの安全性

東京新聞に5月28日から3回に亙ってエスカレーターの安全性に対する特集が掲載されている。
2004.05.28都会の死角 エスカレーター編<上>進まぬ原因究明
2004.05.31都会の死角 エスカレーター編<中>多い転倒事故
2004.06.01都会の死角 エスカレーター編<下>利便性と安全

この特集では主に転倒事故について触れているが、当然、昇りのエスカレーターから身を乗り出して、天井や梁との間に首を挟まれたりする事故もあるだろう。こうした事故もプランにゆとりがあれば防げるのであるが経済効率が優先される現状ではそれも叶わない。それもエスカレーターと梁や天井との安全なクリアランスを確保する替わりに奇妙なアクリル棒等のぶら下がりモノでお茶を濁しているのが情けない。事故が起きれば当然の如く国土交通省はアクリル棒に気付かなかった者が悪いのだと自己責任論に転嫁するのがおちであろう。あの、天井からぶら下がっているアクリル棒を見る度に自分もエスカレーター事故の犠牲者にならないようにと気持ちを引き締めるのである。
昨年11月28日にユニバーサル・デザイン?のタイトルでオートスロープの安全性を問うエントリーを書いたことがある。この東京新聞の特集ではオートスロープは取り上げていないが、一般的に普及して乗り慣れていると思われるエスカレーターでも転倒事故が絶えない現状を考えると、オートスロープや動く歩道でも事件にはならない事故もあるのではないだろうか。

※追加更新2004.06.07都会の死角 エスカレーター編<番外>読者からの提言

Posted by S.Igarashi at 10:46 AM | コメント (1) | トラックバック

June 04, 2004

June 03, 2004

ロング・イエロー・ロード

6月7日からNHK人間講座で秋吉敏子の「私のジャズ物語」が放送される。

昨年、秋吉敏子は30年に亙って活動を続けたジャズオーケストラ「Toshiko Akiyoshi - Lew Tabackin Bic Band」を解散した。理由の一つにオーケストラの為に作曲に時間がとられ、自分がピアノ練習する時間が取れないことをあげていた。以前から機会ある毎に、毎日のピアノ練習を欠かさないこと、もっとピアノが上手くなりたい、と語っていたので、これからの人生をもっと自分のために使いたい、そう考えても自然だ。であるからNHKも意地悪である。自分のために使いたい時間を秋吉敏子から取り上げて、講師にさせてしまったのだから。しかし、これは僕らにとって朗報である。戦後のモダンジャズの最先端を生き抜いたミュージッシャンの話が聞けるのだから。

Posted by S.Igarashi at 10:29 AM | コメント (0) | トラックバック

June 02, 2004

氷河鼠の毛皮

氷河鼠の毛皮  たむらしげる著 ふゅーじょんぷろだくと ISBN4-89393-405-8(970円+税)

【たむらしげる自選作品集】とあるように1980年代に「ガロ」「コミックトム」「マンガ少年」「デュオ」に発表された作品が収録されている。その中で「コミックトム」に発表された「氷河鼠の毛皮」が宮沢賢治原作によるもので、他はすべてオリジナル作品。「氷河鼠の毛皮」はそれまでの画風より更にアーティスティックになっている。後書きには40ページの原稿に3ヶ月も掛かり、(商業的な)漫画家に向かないことを痛感したと書いてある。本書にも収録されている「銀河の魚」のアニメーション化の時も初めは原画全ての彩色まで自分の手で行うつもりでいた。しかしそれは制作側のソニーから時間的制約もありアニメーターを使うよう諭された。クライアントや編集者を納得させるよりも、自分を納得させるのが一番難しい、彼はそういう人である。

「氷河鼠の毛皮」は潮出版社より1985年に出版されたオムニバス版の「宮沢賢治・漫画館」に収録されている。

Posted by S.Igarashi at 01:41 AM | コメント (0) | トラックバック

June 01, 2004

建築はほほえむ

建築はほほえむ  松山巌・著  西田書店  ISBN4-88866-385-8 (定価1300+税)

松山巌氏の【建築はほほえむ】はこれから建築を学ぼうとしている若い人たちに向けて書かれた本だ。だからと言って教条的な押しつけがましさはない、あたり前のことをあたり前の言葉で書いている。建築に興味があったり、関心を寄せている人は何故、自分がそうなのか、著者の言葉の中に答えを発見するだろう。著者は繰り返す「気持ちの良い場所、好きだなと感じる場所」のことを、そしてそれが小さな場所であることを。

小さな場と細部について熟考したときに、
新鮮な建築がつくられるだろう。新鮮さとは、楽しく使われ、続けること。
多くの人々の手が、触れる建築の細部にこそ、
その建築を日常使う人たちの、経験の核へと、蓄えられる。

Posted by S.Igarashi at 10:11 AM | コメント (0) | トラックバック