きっかけは2003年夏の三岸好太郎展だった。三岸好太郎のアトリエはバウハウスから帰国したばかりの山脇巌の設計によるものだが、それとリートフェルトはまったく関係ない。たまたま三岸好太郎の蝶の絵を府中市美術館に見に行った際、パンフレットの展覧会予定表にあったリートフェルト展の文字が記憶に残った。それ以降、ときおり府中市美術館のHPにアクセスしてはリートフェルト展の情報が掲載されていないかチェックした。それは私が担当しているCADの授業を履修している学生にリートフェルト展を見に行くように薦めるための情報が欲しかったからである。三次元モデリングの初歩的な仕組みを理解する上でリートフェルトのレッドアンドブルーチェアーはあつらえむきの教材である。授業では三次元座標の理解を目的に学生の練習課題に取りあげている。であるからリートフェルト展は学生たちがバーチャルな空間で体験したレッドアンドブルーチェアーをリアルな空間で体験できる良い機会であった。しかし、会期が1月17日からと云うことは、後期授業の最終日前後でもある。既に学生の頭には授業のことはリセットされ、長い休みに向けてスタンバイされている。リートフェルト展の情報を伝えても心ここにあらずである。
府中市美術館のHPにリートフェルト展の詳細情報が掲載されたのは、確か12月に入ってからではなかっただろうか。そして、リートフェルト展の情報を私のBlogである「MADCONNECTION」にエントリーしたのが2004年1月16日、展覧会の前日である。リートフェルト展に出掛ける予定のつかないまま過しているうちに、3月1日のaki'sSTOCKTAKINGに秋山東一氏がリートフェルト展の報告をエントリーする。そして3月5日についに「リートフェルトの平行定規」がエントリーされた。この日から僕らの「リートフェルトの平行定規」とBlogを巡る冒険が始まった。
そして、私は遅ればせながら3月11日、府中市美術館を訪れ「リートフェルトの平行定規」に対面した。コンベックスを見ながら、目測によるスケッチをしていたら係員がコンベックスに異常反応して注意を受ける。展示物に触れたり万年筆やボールペン等を使ってはいけないくらいの常識はわきまえているつもりでいるが、杓子定規の係員に何を言っても無駄なので、コンベックスだけは仕舞って、係員の冷たい視線を感じながらスケッチだけは続けた。帰ってからメカニズム等を理解したつもりでいたが、製図板の裏側のディテールをチェックしていないことに気付く。翌々日、府中市美術館での講演「リートフェルトと日本をつなぐもの」を聴講するついでに再度訪れ、チェックし忘れた部分のスケッチをするが、目測では限界があるので、正式に美術館側に「リートフェルトの平行定規」の取材を申し込むことにした。その時、初めてリートフェルト展は宇都宮美術館が主導して企画されたことを知った。(その2に続く)