June 11, 2004

リートフェルトの平行定規そしてBlogを巡る冒険-2

リートフェルトの平行定規そしてBlogを巡る冒険-1の続編。
私の取材申し込みの応対をされた府中市美術館の学芸員N氏は『「リートフェルトの平行定規」はリートフェルトが作ったものではなく、ただリートフェルトが所有し使った道具として展示しているだけです。』と述べて、何故そのようなもの(道具)に興味を抱くのか怪訝そうであった。それについて、コンピュータによる設計製図つまりCADが全盛の今日だからこそ、先人達による、こうした設計製図の道具があったことを、いま記録する必要があるのではないでしょうかとその理由を説明をした。それに対して全ての展示物は借り受けているものであり、自分たちには取材を許可する権利がないので、ユトレヒト美術館と直接コンタクトのある宇都宮美術館の担当者に聞いてみないと回答できないとの返事。その時は府中市美術館の学芸員から宇都宮美術館に問い合わせしてその結果を、後日連絡して下さるとのことで、更に宇都宮美術館の担当者名を教えられ、できれば直接連絡交渉するようにしてくださいと言われた。一週間経っても、府中市美術館からは連絡はなく、やはり直接、宇都宮美術館に連絡するしかないだろうと考えた。

そうした矢先、自宅介護中の老母を朝食の準備をしてから起こしに行くと、前日まで歩けた母がベットから立ち上がることも出来なくなっていた。突然の出来事で、宇都宮美術館に取材申し込みするどころではなくなった。ケアマネージャー、そして主治医と連絡相談した結果、主治医の診療所に緊急入院、そしてリハビリテーション施設のある老人病院に転院と、介護老人を抱える者に共通の日常に翻弄されることになった。しかし一段落して、母の入院によって自宅介護よりは多少なりとも時間的余裕が生まれたことになった。

3月22日、MADCONNECTIONに「リートフェルトの平行定規」の目測スケッチをエントリーする。

3月31日、MADCONNECTIONの「リートフェルト展・2」に宇都宮美術館・学芸員の橋本さんより初めてコメントが書き込まれる。

4月2日、aki's STOKTAKINGの「リートフェルトの平行定規」に橋本さんからコメント。

五十嵐さんの素晴らしいスケッチには敬服の至りです。また、秋山さん、玉井さんの説明も、とても貴重で勉強になりました。ちなみにあの製図板は、リートフェルト自身が作ったものであることが、今日になってオランダの美術館の方の追跡調査で判明! しかも若い頃の製作で、シュロイダー邸の設計にまさしくこの製図板を使ったそうです。リートフェルトが家具工房を開いたのが1917年、「赤と青の椅子」の原型を作ったのが1918年、そして初めて設計事務所を設立したのは、シュロイダー邸が竣工した翌年(1925年)ですから、おそらくこの間の製作に違いありません。ちなみにこれを美術館に寄贈された方は、シュロイダー夫人の次女・ハネッケ(1950年代にはリートフェルト設計事務所の所員として活躍を始める)の友人ということですので、やはり設計に携わる人だったのでしょう。これ以外にも、リートフェルトは道具類を自分で作ることが多かったようです。修業時代は、金属工芸やジュエリーも手がけていましたので、実は木工以外のワザにも長けています。
これで「リートフェルトの平行定規」がリートフェルト自身による製作であることが判明した。

4月3日、改めて、正式に宇都宮美術館・学芸員の橋本さんにメールで取材の申し込みをする。その返事で府中市美術館から「リートフェルトの平行定規」の取材を申込まれた方がいるとの連絡があったが、その後、府中市美術館からは何もなく、私のメールで私が府中市美術館に取材申込した本人だと了解していただいた。橋本さんは「リートフェルト展」の企画者としてウェッブサイトにも目を配り、情報収集していたところ、私のMADCONNECTIONと秋山氏のaki'sSTOCKTAKINGに出会い「リートフェルトの平行定規」を話題にしていたところにコメントを寄せて戴いたのであった。切れかけていた糸がBlogによって繋がったように思えた。そして打ち合せの結果、4月13日に取材に行くことになった。(その3に続く)

Posted by S.Igarashi at June 11, 2004 09:22 AM | トラックバック
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