June 12, 2004

リートフェルトの平行定規そしてBlogを巡る冒険-3

リートフェルトの平行定規そしてBlogを巡る冒険-1
リートフェルトの平行定規そしてBlogを巡る冒険-2の続編
4月5日、MADCONNECTIONに「リートフェルトの平行定規」の目測スケッチによる3Dモデルをエントリーする。実測をするのだから今更、目測のデータで3Dモデルを作成することもないと思う向きもあろうが、目測と実測の差がどのくらい生じるのか興味があり、それをデータとして把握しておきたかった。

4月11日、aki's STOKTAKINGの「リートフェルトの平行定規」に橋本さんよりコメントの追加。

橋本@宇都宮美術館です。継続調査により、シュロイダー邸の施主であるシュロイダー夫人の次女「ハネッケ・シュロイダー」は、リートフェルト事務所で修行した後、友人と一緒に建築家として独立します。その際に、この製図板を受け継ぎました。さらに、その友人が大切に保管し、1999年に、ユトレヒト市立中央美術館に製図板を寄贈されたとのこと。決して遺品が多くないリートフェルトですが、木槌など自作の工作道具は、徒弟のファン・デ・フルーネカン(赤と青の椅子などを手がける)が受け継ぎました。製図の技術自体については、よく言われているように必ずしも「図面が描けない大工」(エル・リシツキーによる)ではなく、シュロイダー邸の詳細図は、きちんとツボを押さえています。これらは、これまで余り展覧会で紹介されたことがありませんでした。面白いのは、製図する紙に拘らなかったことで、メモ用紙、便箋、封筒のウラなどにも描いています。しかも、描いたらそれに何でもかんでもメモする、そして簡単に捨てるのも厭わず。なので、逆に施主や工務店の人たちが心配してゴミ箱から図面(スケッチ)を拾い出して、後々まで取って置いたものが、ユトレヒトの美術館に収蔵されています。それらは、どれもしわくちゃで、判読不能だったり、手垢にまみれているのがご愛嬌です。

4月13日、MADCONNECTIONに「Rietveld's Parallel-motion ruler」をエントリーし、ワイヤーの仕組みを公開する。実測調査に先がけて3Dデータから2Dの図面を取り出し、そこに実測データを書き込めるよう準備する。

4月13日、午後、東北自動車道を宇都宮に向けて車を走らせる。乗員は「リートフェルトの平行定規・調査団」秋山東一氏、私の二名である。午後三時前後に宇都宮美術館に到着、一通り会場を見学してから、橋本さんに面会を申し込む。ロビーにて、リートフェルトから美術館建築、さらにBlogにまで話が弾んだところで、実測調査にうつる。府中市美術館では正面と右側からしか製図板を見られなかったが、宇都宮美術館では四方から製図板を見ることが可能となっていた。調査方法は秋山氏が採寸、私が書記と役割分担して行った。既に閉館時間は過ぎていたにも拘わらず、学芸員の橋本さんと濱崎さんに最後まで実測にお付き合いしていただき、貴重な情報を採集することができた。

実測データに基づく3Dモデルの作成は5月の連休期間を利用して行うことにした。既に目測版は作ってあるが、それを再利用しないで全て一から作り直した。製作を始めてから、数ヶ所の寸法を採取していないことに気付いた。それはステー(支持棒)の取付位置と脚が開いている状態の前後の脚の間隔であった。脚の間隔は他に採寸したデータから推測することにして、ステーの取付位置は再調査が必要だが、後からでも位置合わせは可能なので、作業はそのまま進行することにした。目測との大きな違いは製図台の構造であった。府中市美術館では分からなかった裏側や背面も見ることができ、製図台が折り畳めるようになっていることや、脚の構造材の仕口が「ホゾ差し」ではなく「合い欠き」になっていることが分かった。その辺りのディテールにレッドアンドブルーチェアーをデザインしたリートフェルトの拘りが隠されているように思えた。3Dモデルの作成は各パーツや部材を初めに作成して、それをエレメント毎に組み立て、最終的に全てのエレメントを統合するように、リアルな世界のシュミレーションでもある。それは80年以上前のリートフェルトによる「平行定規と製図板」の製作をバーチャルな空間で追体験することである。

5月11日、MADCONNECTIONに「リートフェルトの平行定規・実測版」をエントリーし、実測に基づいた3Dモデルを公開。

5月12日、MADCONNECTIONに「リートフェルトの平行定規の秘密・ループの法則」をエントリーし、そのメカニズムを解説。3Dモデルによるシュミレーションによって「ループの法則」と大きさの異なる二段に重ねられたプーリーの意味が解き明かされた。他にも細かいディテールにもリートフェルトの創意工夫が込められている。

5月22日、秋山氏、MECCANO(メカノ)で作成した「リートフェルトの平行定規」のモデルをエントリーする。実際に動くモノはそれだけで雄弁である。これを見ると自分も「リートフェルトの平行定規」の1/2モデルを作ってみたくなる。

5月23日、「リートフェルト展」最終日のユトレヒト市立中央美術館・館長のイダ・ファン・ゼイル氏の講演を聴講する。イダ・ファン・ゼイル氏は【Gerrit Th. Rietveld The Complete Works 1888 - 1964】の著者であり、リートフェルト研究家の第一人者である。【Gerrit Th. Rietveld The Complete Works 1888 - 1964】にはリートフェルトがデザインに関わったモノ全て、レターヘッドから家具、建築に至までに年代順に番号を振って記録している。中には番号と表題だけで図版や写真がないものも少なくない。その研究態度はモォツアルト研究家のケッヘルにも匹敵すると思える。大学の図書館から借りた1992年版とAmazon.comで調べた1996年版本と比較すると四ページ増えている。「リートフェルトの平行定規」も1999年にユトレヒト市立中央美術館に寄贈され、今回の「リートフェルト展」の会期中にリートフェルトのデザインによるものであることが判明したことから、何れ改訂版が出版されるときには、「製図板と平行定規」も【Gerrit Th. Rietveld The Complete Works 1888 - 1964】に追加収録されることであろう。
因みに講演会はCASA BRUTUS 2004 March Vol.48の166頁に掲載のイダ・ファン・ゼイル氏へのインタビュー記事に幾つかのエピソードを加え、更に発展させた内容であった。

講演終了後に、ユトレヒト中央美術館館長イダ・ファン・ゼイル氏に伺ったところ、リートフェルトの製図板+平行定規が他にも作られたかどうかの記録は残っていないのと、現存するのはこの一台だけと云うことである。また、メカニズムを構成するパーツはリートフェルトの思想からみて、他の工業製品の流用(自転車・ミシン等)と考えるのが正しいだろうが、材質や何の部品を流用したのか現在のところ詳しいことは解らないとのことです。

展覧会終了後の撤収作業の中、最後の実測調査を行い、見落とした箇所の採寸をする。後から手が加えられたと思われる部分については、採寸だけの記録に留め、二次元図面には反映させていない。二次元図面の作成に関して、初めは三次元データを流用する考えでいたが、陰線処理時間に手間取る割に、曲線部分の精度が期待できないので、全て改めて描くことにした。

6月2日、MADCONNECTIONの「リートフェルトの平行定規・3Dモデル」に木製製図台の資料をさがしている人からコメントが寄せられた。西洋美術館の展示会で製図台部分を再現したいと云う希望なので、製図台の図面を先に仕上げることにする。

6月6日、MADCONNECTIONに取り敢ず製図台だけの二次元図面をエントリーする。

6月9日、MADCONNECTIONに「 G.T.Rietveld's Drawingboard & Parallel-motion ruler」をエントリー、A3で5枚分の図面をPDFにしてアップロードして、ミッションを完了。
6月10日、PDF図面に経過説明として書いた「リートフェルトの平行定規そしてBlogを巡る冒険」を加筆修正しエントリーすることにした。書き始めると、書き足らないことが多すぎて、一日では終わらず、分割して掲載することに。

これで僕らの「リートフェルトの平行定規そしてBlogを巡る冒険」は一旦終了する訳であるが、しかし、完結することもないと思うので、また再び、Blogにエントリーすることもあるだろう。

Posted by S.Igarashi at June 12, 2004 11:09 AM | トラックバック
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