May 30, 2008

そうだ 京島、行こう!『時差ボケ東京』

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と云うことで週に一度だけ都内に行く出講日を利用して、山里から川向こうは京島まで足を延ばした。東武浅草から電車に乗るのは何年ぶりだろう。記憶に残っている最後はターミナルビルの浅草松屋の食堂で「お子様ランチ」を食べた時、未だ小学校には上がってないからたぶん昭和30年くらい、遥か昔の話だ。下りる駅は東武浅草から二つ目の曳舟、隅田川を渡るとき微かに潮の匂いがした。曳舟で下りたのは初めて、足立に住んでいた頃、東武電車に乗ることがあっても東武浅草から梅島まで途中下車したことは一度もなかった。LOVEGARDENまでの道順はGoogleMapで調べておいた、途中でクリーニング店と主人の姿を横目で見て、暫く行くとカーブの向こうに店の前で働いているcenさんの姿が見えた。

ブログで公開された『時差ボケ東京』表紙を見て、海馬を刺激されたのか、何故かエリオットによる「荒地」の次の一節(福田陸太郎・訳)が脳内にイメージとして浮かび上がった。

まぼろしの都市、
冬の夜明け、茶色の霧をくぐって
大ぜいの群衆がロンドン橋の上を流れていった。
死はあんなに大ぜいの人々を滅ぼしたのか。
思い出したように短いため息をもらしながら、
みんな自分の足もとを見つめていた。
背中を丸めうつむきかげんに重そうな足取りで歩く人々、彼らにだけフォーカスが合わされ、人間だけが鮮明に写り、他の背景や前景はブレてボケている。脇道の奥から狙撃兵のようにカメラを構え流し撮りしているmasaさんの姿が目に浮かぶ。

そうした個が埋没してる群衆の写真と対照的なのが、街中を疾走する自転車、流れる背景に個が際立って美しい。う〜ん、これは広告代理店のアートデレクターの目に留まるとパクられて何かに使われそうだ。masaさんが自費出版を選択したことが理解できる。暗闇に溶ける時差ボケサビオウの写真もある。そして銀座鳩居堂の前をアビー・ロードに変えたカメラ目線の女の子に僕は秒殺されてしまったのである。
参ったなぁ...。

Posted by S.Igarashi at 10:21 AM | コメント (7)

May 28, 2008

宮本常一が歩いた日本… 昭和37年〜39年

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今日から6月10日まで銀座ニコンサロン[宮本常一が歩いた日本… 昭和37年〜39年]が開かれる。

Posted by S.Igarashi at 06:44 AM

May 27, 2008

PLAYBOY July 2008

昨年は没後40周年でNHKの「知るを楽しむ 私のこだわり人物伝」で取上げられ、今年は生誕80年周年と云うことでPLAYBOY今月号の特集も作家戸井十月・取材協力による「チェ・ゲバラ」である。彼が如何にして革命や自由のアイコンとなりえたのか...写真家アルベルト・コルダへのインタビューが興味深い。僕はアルベルト・コルダの名前を知らなかったが、彼の写真を見て映画「Buena Vista Social Club」のプロローグに出てくる写真家だと気付いた。映画の本編とは直接関係ないカットをプロローグにしたのはヴィム・ヴェンダースによる「チェ・ゲバラ」へのオマージュが含まれているのだろう。もちろんPLAYBOYの表紙にも使われているこの写真を撮影し著作権を主張しなかったアルベルト・コルダへの敬意もあったのだろう。これで何となく気になっていたものが腑に落ちて、ヴェンダースの意図が掴めた気がした。
PLAYBOY今月号は他にカート・ヴォネガットの未発表作品「阿鼻叫喚の街」や、今年のグラミー賞を独占した「エイミー・ワインハウスって何者だ?」等、興味深い記事が山盛りである。PLAYBOYと云うと金髪美女のヌードグラビアのイメージが強いが、内容的には硬派の雑誌なのである。

Posted by S.Igarashi at 06:41 PM

May 26, 2008

所謂不法投棄

前のエントリーの皐月の植込に飲みかけの飲料パックが捨てられていました。やっぱり、こーゆーこととかする人は心がささくれているか、余程想像力がないのでしょうね。そういえば一昨年は、こんな不審物が置かれていたことがありました。

Posted by S.Igarashi at 03:47 PM

May 24, 2008

寝る暇も与えられず...

気づいたら道に沿って植えた皐月の花が電柱の廻りだけ咲き始めた。もしかしてと、夜まで待って三脚を据えて写真に撮ると、この通り、皐月は寝る暇も与えられず...ということでした。

Posted by S.Igarashi at 01:45 AM | コメント (0)

May 23, 2008

時差ボケ東京

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あのとき、撮影手法に....と...色々と話に聴いていたが、うーむ、こーゆーことだったのか。Kai-Wai 散策のmasaさんこと、村田賢比古氏が写真集を上梓される。タイトルはズバリ『時差ボケ東京』である。
ハードカバー大型上製本(全62頁-写真42葉)ISBN4-9904156-0-0 価格3600円+税なのだ。これはもう、masa-fanならずとも買わねばならぬのだ。
追記
LOVEGARDENでの発売も決まったのだ。『そうだ 京島、行こう。』
神保町・ブック・ダイバー(探求者)でも発売!近くの「新世界菜館」でカツカレーと...

Posted by S.Igarashi at 07:31 AM | コメント (8)

May 22, 2008

"i"ある風呂敷

と云うことで伊東屋の包装紙をそのままデザインした"i"ある風呂敷である。最近ではビニール袋に替わってしまったが、包装紙も紙袋も同じロゴを使ったデザインだった。そう"i"が流行る、ずっと前から伊東屋の包装紙には"i"があったのだ。値段も500円+税と手頃である。

Posted by S.Igarashi at 10:53 PM | コメント (2)

May 21, 2008

901番地

"901:After 45 Years of Working"と題されたフイルムはチャールズ・イームズ(Charles and Ray Eames)の孫であるイームズ・ディミトリアス(Eames Demetrios)と娘のルシア・イームズ・ディミトリアス(Lucia Eames Demetrios)によって制作され、"EAMES FILMS"のDVDにSpecial Featureとして加えられたものだ。

1988年8月21日レイ・イームズ死去、建築家の夫チャールズ・イームズの死から10年、夫妻の45年間のデザイン工房901番地は、彼女の計画に従い売却、中身は彼女の遺志を継ぎ博物館や各施設に贈られた。工房を閉める時に夫妻の素晴らしい世界を記録に残すことにした。
以上の趣旨で制作されたフィルムはイームズ夫妻の娘・ルシアが8月21日の日付のカレンダーを壁から外し紙に包み、全ての物が搬出され空となった工房が闇に包まれたところで終っている。

「彼女の計画」と言うからには工房の創始者である"Charles and Ray Eames"の二人が亡くなったら工房を閉めるということは二人の約束事だったのであろう。二人の遺志を継ぐ者がいても、一旦リセットして再出発すれば良いのだ。それは残された者への配慮かもしれない。45年間の夢と記憶が記録された工房を閉めるのは、ちょっと哀しく淋しくも感じるが、その潔さがフィルムを見終えた後に爽やかさを伝えてくれる。

チャールズ・イームズの孫であるEames Demetriosのサイト・eamesdemetrios.comからYou Tubeにアクセスすると、イームズデザインのプライウッドによる象の素敵なアニメーションを見ることができる。チャールズ&レイ・イームズのミームはこうして生き続けているのだ。

"A Gathering of Elephants"

追記
「チャールズ・イームズ写真展 100 images × 100 words ─偉大なるデザイナーのメッセージ」:5月20日〜6月8日
チャールズ&レイ・イームズ 16mmフィルム上映会:2008/6/7

Posted by S.Igarashi at 09:04 AM | コメント (2)

May 19, 2008

Standing ovation

と云うことで私もKEITH JARRETT SOLO 2008に行ってました。演奏会は心なしか観客もKeithもナーバスになっているようにも感じられました。それも観客のスタンディングオベーションとKeithの5回に及ぶアンコールで払拭されました。最初はスタンディングオベーションする人の数は少なかったが、アンコールの度に立ち上がる人が増えてきました。私の隣に座っていた若者は演奏が始まると同時に身をくねらせリズムを取りトランス状態に陥ってましたが、そんな若者でさえもスタンディングオベーションは最後だけ、やっぱり日本人はシャイなのかも。

Posted by S.Igarashi at 09:31 AM | コメント (4)

May 18, 2008

1199

2007年は過去最も少なく1199件、映画「三丁目の夕日」で一躍昭和レトロを代表する年となった1958年は2683件、最も多かったのは1954年の3081件、さてこの数値は...。

死刑」の著者・森達也が5月13日の「大竹まこと ゴールデンラジオ」にゲスト出演した際、放送の最後で体感治安は悪化しているが、昨年認知された殺人事件の件数は過去最低の1199件で最も多かった1954年と比較すると1/3に減少している。と述べていたのでネット検索して調べたのが前頁の数値である。因みに2006年の殺人事件・認知件数は1309件でこの10年間を見ると平均1200件台を前後に数値が推移しているようである。

そこで人口統計と照らし、人口当りの殺人事件・認知件数を割り出すと以下の様になる。
1954年(総人口:88,239,000)3081件、1/28,639
1958年(総人口:91,767,000)2683件、1/34,203
2007年(総人口:127,756,000)1199件、1/106,552
(但し2007年の総人口の値は最も新しい推計値である2006年7月1日現在の数値を参照。)

数字を単純比較すると最も多い1954年と最も少ない2007年の差は2.56倍であるが、人口比を計算すると3.72倍となる。これは1954年と比較して1/4近くまで減少しているということを意味する。
そうすると体感治安の悪化とはメディアによるプロパガンダの意味合いが濃くなる。記者クラブによる官民の慣れあいと既得権の保持という構図も見え隠れする。
懐かしの昭和レトロ、50年前の東京タワーが建設された1958年は昨年の3倍の殺人事件が起きた年でもある。時代は高度成長経済の真っ只中、公害は垂れ流し、水俣病やイタイイタイ病は謎の奇病とされ、公害問題を抱える現在の中国を嗤えない状況にあったのである。

少年犯罪データベースによれば戦前の方が未成年による凶悪犯罪や異常犯罪が多いという。これを見ると、まるで横溝正史の世界のようである。
ワイドショーによる視聴率争いが猟奇的殺人事件をセンセーショナルに取り上げ、大衆の不安を煽り、凶悪犯罪が増えているかのような報道をしているが、東京大学・情報学環デジタルアーカイブの小野秀雄コレクション・新聞錦絵を見ると、昔からメディアはおどろおどろしい猟奇的事件を好むことがわかる。

警察庁:犯罪統計資料(平成19年1月〜12月分)確定版がExcelのデータとして公開。
政府統計:我が国の推計人口(大正9年〜平成12年)
政府統計:人口推計・平成17年国勢調査結果確定人口に基づく改定数値

Posted by S.Igarashi at 10:08 AM | コメント (2)

May 15, 2008

バウハウス・デッサウ展


昨日は出講日の午後を利用してバウハウス・デッサウ展に行ってきました。もちろん、その前に18日が開催期限のTizianoを観賞する為、西洋美術館に立ち寄ってからです。
と云うことで写真は只で入手できるパンフレット、右下の四つ折りにされたA4サイズのパンプレットを広げるとA2サイズ用紙の隅々に展示品が並んでいる。解説はないけど、これだけでも立派な資料。左下は同時開催されている芸大コレクション展の「東京美術学校とバウハウス」のリーフレット、これは1階の受付で申し出ると貰えます。因みにリーフレット右上の図はバウハウスに留学した山脇巌の芸大卒業制作。

展覧会の内容は次の通り
一部:デッサウ以前/バウハウスとその時代(地下展示室)
二部:デッサウのバウハウス/基礎教育と工房(三階展示室)
三部:建築(三階展示室)一画にグロピウスによる校長室をサッシュのディテールまで再現
尚、地下展示室では芸大コレクション展を同時開催

バウハウスのあるデッサウ(Dessau)は1989年のベルリンの壁崩壊まで、第二次世界大戦後は東ドイツ領であったため永い期間その実態の詳細が分からず、建築史の写真資料は戦前の写真か、戦後の荒廃した写真くらいであった。バウハウスを自由に訪れることが可能になったのは1990年代以降、ようやくこうした映像を見られるようになった。
GoogleMap:BAUHAUS( 51°50'23.04"N 12°13'39.25"E)

Posted by S.Igarashi at 09:44 AM

May 13, 2008

Koozyt

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Wi-Fi電波を利用して位置情報を検出する"PlaceEngine"を利用したiPhone/iPod touch用アプリケーション 「ロケーション・アンプ for 山手線」が開発されている。街中のWi-Fi電波があるところならばGPSに頼らずに「此処は何処?」に応えられそうだ。因みにKoozyt(クウジット株式会社)はSONY系のようである。

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May 12, 2008

生物と無生物のあいだ

発売中の週刊文春5月12日号・「阿川佐和子のこの人に会いたい」のゲストは新書で50万部を売り上げたベストセラー「生物と無生物のあいだ」の著者・福岡伸一氏である。これには伏線があって、阿川佐和子がアシスタントをつとめる『大竹まこと ゴールデンラジオ!』の3月31日放送分に福岡伸一氏がゲスト出演したことから始まる。ポッドキャストでこの放送を聴いていて理系が苦手なアシスタントの反応に... 些か...であったが、まぁ「科学と似非科学のあいだ」で視聴率稼ぎをするメディアにどっぷり身を置いている者の反応として、これがフツーなのかとも妙に納得した。伏線というのは週刊文春・誌上で次週から福岡伸一氏が連載するエッセイのパブリシティを兼ねているということ、何れそのエッセイも文藝春秋から単行本化され、時を経て新書ではなく文庫におさまるのであろう。

栗田さんのCHRONOFILEのエントリー「生物と無生物のあいだ」に「この新書の副題を「科学とゴシップのあいだ」にしても良かったかも...」と茶々をいれてしまった私であるが、それも強ち的外れでもなさそうだ。福岡氏は科学的主題を読者に如何に興味をもって読まれるかを考え、様々な研究者によって科学的発見に辿り着くプロセスを彼自身の体験を織り交ぜながらドラマ仕立てに書き表している。それはまさに「科学と文学のあいだ」を取り持つ筆さばきともいえる。しかし、彼はそうした文学的表現だけでなく科学的事象を短い言葉で的確に表現するのにも長けているのである。『エントロピーとは乱雑さを表す尺度である。』の言葉に出会った時は、何か胸のつかえが下りた気がした。昔々、ブルーバックスで読んだ、あの判り難さは何であったのだろう。これからはデスクトップがとっ散らかっている状態はエントロピーが増大していると言おう。

DNAの発見によって「生命とは自己複製するシステムである。」との認識を人類は得たが...福岡氏は更に『生命とは動的平衡にある流れである。』と再定義するのである。この言説は栄養学やら何やらの定説を再定義しざるを得ない程のマグニチュードを持っている。と云うことで詳しくは...「生物と無生物のあいだ」を読まれることを...その前に週刊文春をサラッと目を通すのも...よいかも...。
追記:御近所ブログの関連エントリー
aki's STOCKTAKING:生物と無生物のあいだ
MyPlace:「生物と無生物のあいだ」

Posted by S.Igarashi at 09:35 AM

May 11, 2008

地域雑誌「谷中・根津・千駄木」


昨日の東京新聞・こちら特報部に『季刊誌「谷中・根津・千駄木」来春に幕』の記事が、発行部数が採算ラインを割ってしまったという現実もあるが、今までモチベーションを支えてきた都市のフォークロアが壊滅してしまったということではないだろうか。編集発行人の森まゆみさんは『だんだん自分たちの町ではなくなってきた。オートロックの建物が増えたり、個人情報保護といった風潮から以前のように話をじっくり聞けなくなってしまった。』と語る。「谷根千」や「神楽坂」といった町がブームに乗り観光地化すればするほど、そこで生活する人々の心にはある種の疎外感というか虚脱感のようなニヒリズムが芽生えるような気もするのだが...。

Posted by S.Igarashi at 11:03 AM | コメント (4)

May 08, 2008

源泉の思考・谷川健一対談集

源泉の思考・谷川健一対談集
東京新聞日曜日の読書欄・新刊案内に『列島の旅と短歌、経世済民、民衆の暮らしの伝承...。民俗学の祖・柳田国男の方法と精神をもっともよく受け継ぐ在野の民俗学者の対談集。....』と紹介されていた。その谷川健一の相手を務める対談者の顔ぶれに興味を覚えAmazonに注文してしまった。連休最後の日の朝に届いた本を開き頁を捲り、最初の鼎談『いま、民俗学は可能か』に目を通すと、そのプロローグは柳田礼賛ではなく柳田国男批判である。私のような研究者でない門外漢の一般人にとって、こうした対談集は、戦後の民俗学を俯瞰的に捉えるのに最適かも知れない。

鼎談「いま、民俗学は可能か」の序文として「民俗学はなぜ衰退したか」が寄せられているが、その一部を引用すると...

...「いまの民俗学は落日のなかにある。...今日の民俗学は、厚い雲に包まれたまま姿もみせずに沈んでいこうとしているのではないか」と。...
...それはたしかに当っている面があるわけです。なぜかというと、一つは柳田が民俗学の枠組みをつくって、それからはみ出したり逸脱したりすることを許さなかったからだと思うのです。それが批判精神をなくしていった原因ではないかと思う。....
....経済成長によって農村は崩壊していくし、一方で減反政策をとらされるわけですから、やはり農民のあいだにニヒリズムみたいなものが産まれてくる。そういう農村の崩壊、農民のニヒリズムは、稲を中心とした日本民俗学の魂の衰弱と、パラレルなかたちをとっているのではないかと私は思うのです。...

戦後の農地改革による小作人の開放と1950年代の豊作による農民のつかの間の幸せは10年と続かなかった。穿った見方かも知れないが、減反政策は農家の力をこそぎ落とし、農民が団結し一揆に向かうエネルギーを奪う為の国家的政略とも...。
過疎という現実に苦しんでいる村を前にしたときに、その現実を見ないふりをして、依然として柳田国男時代のマニュアルどおりの聞き書きなり、調査項目なりを村に押しつけて、そこで掬いとれたものを牧歌的に再構成して、村の民俗誌のようなものを再生産してきたのが戦後の民俗学ではないか、そういう民俗学に携わる人々の心性もほんとうはニヒリズムなのかもしれないと思うのです。それは、明らかに、農民のニヒリズムという現在の事実にきちんと向かいあっていないわけです。...

内容と対談者
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いま、民俗学は可能か  山折 哲雄赤坂 憲雄(1997.7.31) 
柳田の経世済民の志はどこにいったのか  小熊 英二(2002.11.20)  
南の精神誌  岡谷 公二  
民俗学の可能性  網野 善彦宮田 登(1996.1.17)
網野史学をめぐって  山折 哲雄、赤坂 憲雄
精神史の古層へ  赤坂 憲雄
日本人の他界観  赤坂 憲雄
大嘗祭の成立  山折 哲雄
市町村合併の新地名に異議あり  今尾 恵介  
現代民俗学の課題  宮本 常一  
旅する民俗学者・宮本 常一  佐野 眞一(2005.2.8)  
今なぜ「サンカ」なのか  礫川 全次(2005.4.18)
瞬間の王 詩人谷川雁  齋藤 愼爾(2002.2.28)  
古代人の心と象  白川 静山中 智恵子水原 紫苑
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世代も経歴も考え方も異なる者同士の対談は時に見解の相違で不協和音を奏でる処もあり、興味深い一冊である。

Posted by S.Igarashi at 10:43 AM | コメント (6) | トラックバック

May 06, 2008

孤戀花

 風微々風微々(♪フォンビビ〜♪フォンビビ〜)の唄いだしで始まる孤戀花(コーロァンホエ)は古山くんの十八番「カスバの女」と同じ楊三郎の作曲だ。
淑樺的台湾歌(台湾盤)の陳淑樺(サラ・チェン)によって台湾語で唄われている唄を聴きながら、台湾語の歌詞カードを読む?と、かなり日本語と同じ発音の語句が見つかる。例えば水蓮花はスイレンホエ、期待はそのままキタイとか、北京語よりその度合いは高い気がする。ハングルでは取り付く島もないが、漢字はそれなりに唄を聴きながら発音を確かめることができる。嘗て「Ilha Formosa(麗しの島)」と呼ばれた時代の台湾を想像させるような、ゆったりとした時間が流れている不思議なアルバムである。
と云うことでDoc.Fumanchu から「またも台湾歌謡にダイブ中」なるメールが届き、そういえば書きかけていたテキスト(日付05.08.31)があったことを思い出したので、中途半端を承知で取敢ずアップしてみた。そうかあれから12年も経っているのだ。
Doc.Fumanchuの台湾行

Posted by S.Igarashi at 01:53 AM | コメント (5) | トラックバック

May 05, 2008

Stationery ×3

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先月、工作の時代展に行く途中で立ち寄った伊東屋で買ったスワンタッチ(左)とマウスパッドとメモパッドの両方の機能を備えた「CLiC BLOC」(右)、真ん中の無印良品・貼ったまま読める透明付箋紙は『川の地図辞典』を汚さずに書込するのに便利かなと買ったもの。スワンタッチは本の見返しや最後のページに貼るよりも、各章の最後等に貼ってその日に読む目標を決め...。「CLiC BLOC」はメモパッドに使うにはコストが...なので...忘れそうなショートカットとかメモするのに...使えるかな。

Posted by S.Igarashi at 03:53 PM | コメント (4)

May 02, 2008

道の駅 八王子滝山

michinoekihachiouji.jpg

ガソリン再値上げとなった昨日は遺品整理や何やらで生じた粗大ゴミを市の戸吹清掃工場に持込み処分した帰りに「道の駅八王子滝山」に寄って、八王子ラーメンを食べ、地元で採れた筍を買って帰った。ラーメン一杯650円は高いが、筍は安かった。しかし、野菜など地元産の直売だけと云う訳でもなく、どちらかと云えば地元産は少なく、他県から仕入れたものが多い。これも道路特定財源で建設されたものだろうが、全てが中途半端な印象を持った。まぁ、再び「道の駅八王子滝山」に行くことはないだろうな。帰りは、これまた道路特定財源で建設されたものだろう元・ひよどり山有料道路を初めて通って市内に出たが、既に料金所は撤去されカゲもカタチもなかった。

Posted by S.Igarashi at 01:52 AM | コメント (0)

May 01, 2008

死刑

死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う
僕が二十歳の誕生日を迎える略一月前、連続ピストル射殺事件犯人の永山則夫が19歳と10ヶ月で逮捕された。永山は「二十歳までは生きていたい。」と逃亡生活を続けていた。彼は僕と同い年だった。1979年・東京地方裁判所で死刑判決。1990年・最高裁判所で死刑判決確定。1997年・東京拘置所にて死刑執行(享年48)。その日の夕刊で永山の死刑執行の記事を読み、彼は「五十歳までは生きていたい。」と思っていたのだろうか、と僕は考えていた。
森達也の名を意識的に捉えるようになったのは、玉井さんに誘われて見た韓国映画「送還日記」の試写会での映画監督・金東元とのトークショーが切っ掛けであった。グレート東郷をテーマにした「悪役レスラーは笑う」は著者名を意識せずに読んでいたが、彼の名を世間に知らしめたオウム事件を素材にした「A」や「放送禁止歌」は未だ読んでいない。本書腰巻きには「死刑をめぐる三年間のロードムービー」と書いてある。「悪役レスラーは笑う」もそうだったが、紙媒体に於いても彼の手法はルポルタージュやドキュメンタリー映画のようである。そして、読了して思ったことは、民族学や文化人類学のフィールドワークにも似ていることだ。予断を持たずに相手の話を聴くこと、そのスタンスは同じかも知れない。

TBSの深夜番組「CBSドキュメント」で放送される"CBS 60 Minutes"を見ていると、時々、刑務所内部までカメラが入り込み、死刑囚等の凶悪犯罪の犯罪者へのインタビューが行われることがある。また死刑執行の現場となる刑場施設へカメラが入り込むこともある。米国では情報開示されている死刑制度であるが、日本では国民からは不可視の状況となっている。刑罰としての「死刑」を正しく理解している人は多くはない。懲役刑が懲役(強制労働)を持って刑を務める為、作業所が併設された刑務所に収監されるのに対し、死を持って刑を務める死刑囚は刑が執行されるまでは、他の未決囚と同じ拘置所に収容されたままとなる。そして刑が執行される朝を迎えるまで、死と隣り合わせに毎日を過ごすことになる。

森達也は本書執筆の動機付けを次のように語る。

少なくとも死刑を合法の制度として残すこの日本に暮らす多くの人は、視界の端にこの死刑を認めながら、(存続か廃止かはともかくとして)目を逸らし続けている。ならば僕は直視を試みる。できることなら触れて見る。さらに揺り動かす。余計なお世話と思われるかもしれないけれど。...

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目次 (内容が判るように各章・項目の後に取材先や引用元を記した。)

プロローグ
第一章:迷宮への入口
クリスマスの死刑執行(2006年12月「フォーラム90」の忘年会)
死刑事件弁護人(弁護士・安田好弘
シュレーディンガーの猫(元オウム幹部・死刑囚・岡崎一明)
暗くて深い迷宮(『モリのアサガオ』作者・漫画家・郷田マモラ)

第一章:隠される理由
拷問博物館(明治大学博物館)
不可視の領域(名古屋拘置所)
視察の考現学(衆院議員・保坂展人)

第一章:軋むシステム
死刑になりたいから人を殺す(大阪池田小事件・死刑囚・宅間守/担当弁護人・戸谷茂樹)
民意のメカニズム(死刑廃止議員連盟・亀井静香)
死刑の起源
三十分間吊るすことの意味(元大阪高検公安部長・三井環)

第一章:元死刑囚が訴えること
生還(免田栄)
冤罪執行(石井健治郎・西武雄)

第一章:最期に触れる
野蛮な刑罰(元刑務官・坂本敏夫)
処刑場のキリスト(教誨師・カトリック神父)
論理から情緒へ(刑事被告人・佐藤優)
殺しているという意識(元刑務官・現弁護士・野口善國)

第一章:償えない罪
死刑の本質(山口県光市母子殺人事件)
応報感情(「少年に奪われた人生」作家・藤井誠二)
殺された側の情緒(音羽事件・被害者祖父・松村恒夫)
終着駅(山口県光市母子殺人事件・被害者家族・木村洋)

エピローグ
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森達也が対話した人たちの多くは存続か廃止かは別として、現状制度に対し...疑問を抱いている。何故なのか...

森達也・公式サイト
冤罪を生むもの

以下、2年前の2006年5月の東京新聞の記事から引用

異端の肖像2006 「怒り」なき時代に 弁護士 安田好弘(58) 
 「弁護士としての資質、人間としてのモラルに失望した」。読者から一枚のファクスが届いた。この読者一人にとどまらない。テレビのワイドショーで、ネット上で非難があふれ返った。
 安田好弘。いま、日本で最も物議を醸している弁護士だ。かつてオウム真理教元代表・麻原彰晃被告=本名・松本智津夫=の主任弁護人を務め、先月、山口県母子殺害事件の上告審でも弁護人を務めた。
 「悪人は早く吊(つる)せ」という世間感情、タレント弁護士が登場するお茶の間のにぎわいに彼は背を向ける。
 非難のきっかけはこの上告審だった。三月十四日、最高裁の口頭弁論を安田は相方の弁護士とともに欠席した。
 最高裁、検察、遺族は憤った。最高裁は昨年導入された改正刑事訴訟法に基づき、四月十八日の弁論への出頭在廷命令を初適用。欠席すれば、解任は避けられない。彼は法廷で「被告に殺意はなく、下級審の事実認定は疑問」と弁論の続行を訴えたが打ち切られた。
 異例ずくめだった。昨年十二月上旬、二審の弁護人が最高裁へ「弁論は自分ではなく、安田さんに頼もうかと思っている」と伝えたという。開廷日は裁判所と検察、弁護人の三者で協議されるのが慣例だが、裁判所は同月下旬、一方的に開廷日を通告してきた。
 安田は二月下旬、初めて被告人と接見した。被告の話が事件記録と違い、驚いて弁護人を引き受けた。さらに自白調書と死体所見の食い違いを見つけ、被告の殺意に疑問を抱いた。
 弁論準備には数千ページに及ぶ記録の精査が必要だ。当日は日弁連の催しも重なっていた。彼は裁判所に三カ月の延期を要望。「従来は認められたケース」(安田)だったが、今回は拒まれた。弁論は通常一回で、準備なしに出廷すれば事実上、死刑を後押ししかねない。欠席の方針を固めた。
 「被害者の人権を無視した」と苛烈(かれつ)なバッシングが待っていた。オウム真理教の裁判のときよりも酷(ひど)かった。当人はどう受けとめたのか。
 「こういう仕事をしている以上、避けられない。凶悪とみられる人々の弁護をするのだから。世論は常に多数派だ。逆に被告は孤立している。弁護が少数者のためである以上、多数派から叩(たた)かれるのは定めだ」
 その使命感は、と聞こうとすると、安田は遮って「使命感じゃない。これが弁護士という職業の仕事なんです」と言い切った。
 報酬に乏しい公安事件、重大な刑事事件を背負ってきた。死刑の求刑、あるいは下級審で死刑判決が出た後に、彼が請け負った事件は十七に上る。大半が依頼だった。ある法曹関係者は「こうした事件を受ける弁護士が少なくなり、彼に集中している」と漏らす。
 「自分も(こうした事件から)できれば逃げたいと思う」と安田は話す。
 「死刑が絡む事件は不安だ。何もできないだろうと落ち込む。裁判で負けても終わらない。被告が処刑される日まで守らねばならない。毎日、冷や冷やして自分も生きていかねばならない。だから、だれもやりたがらない。でも、被告から依頼の手紙が舞い込む。接見で顔を見てしまう。そうすると断れなくなる」?? 非難の主流は「遺族感情に配慮しろ」だった。今回の事件では、被告が一審判決後に獄中から友人に宛(あ)てた「終始笑うは悪なのが、今の世だ」という手紙の一節が非難に油を注いだ。
「復讐(ふくしゅう)したいという遺族の気持ちは分かる。だが、復讐が社会の安全を維持しないという視点から近代刑事裁判は出発した。もし、復讐という考えを認めれば殺し合いしか残らない」
 裁判を死刑廃止運動に利用しているという批判もあった。「死刑廃止を法廷で考えているとしたら弁護士失格だ。法廷は事実を争う場であって、政策や思想の場ではない。だいたい判決は死刑だろう、と考えて弁護なんてできやしない」
 安田の弁護は徹底して事実にこだわる。愚直なまでに現場に行き、再現を繰り返す。「よく被告のうそをうのみにして、とか言われるが、うそで起訴事実が覆せるほど、法廷は甘くない。肝心なのは遺体や現場の状況という客観的な証拠だ。被告がどう言ってるかは参考情報にすぎない」
そんな弁護スタイルが、これまでいくつかの死刑判決を覆した。ただ、その手法も壁に突き当たりつつある。昨今の迅速化を掲げた「司法改革」の流れだ。
 例えば、被告側の防御権を損ないかねない公判前整理手続きが、昨年十一月に導入された。経験した弁護士は「時間がない。十分な検証は不可能だ」と悲鳴を上げた。安田は「迅速化の中身は結局、手抜きだ。検察、裁判所からみれば手軽に一件落着で済む。しかし、被告人には生死や自由が絡んでいる」と憤る。
「刑事裁判は死んだ」と安田は話す。「有効な反論を通じ、初めて真相は明らかにされる。検察、弁護人の客観的な主張を裁判所が冷静に判断する。そんなシステムが機能不全に陥っている。検察主導の大政翼賛化が進んでいる」
■事実に徹底的にこだわる闘い方
その理由を安田は「弁護士がしっかり反論せず、検察は地道な事実の積み重ねよりトリックにおぼれ、裁判所も監視の役割を怠っている」と指摘する。
麻原裁判の長期化に批判が集まり始めたころ、安田は顧問を務める不動産会社の事件で逮捕された。一審は無罪。裁判長は検察側の強引な公訴内容に苦言を呈した。とはいえ、十カ月もの拘置で麻原裁判の舞台からは“消された”。
この拘置中、殺人的な仕事からは解放された。でも保釈後、再び以前の日々を送る。「朝七時から会議をやって、夜九時すぎからも会議。その間に裁判資料を調べ、自宅に帰れるのは二週間に一回だけかなあ」
安田について、友人でジャーナリストの魚住昭は「徹底的に事実にこだわり、かつ人権を守ろうとする弁護士の基本に忠実な人物。逆に最高裁や検察当局からみれば、最も厄介な人物だろう。それがバッシングの根底にある」と語る。
孤立しがちな印象の一方で、彼自身の控訴審には前例のない二千百人の弁護士が弁護人に名を連ねた。
「彼は左翼系で私とは立場が大きく違う」と話しつつ、元検察官の小林英明弁護士は彼をこう評す。「私は死刑問題でも彼とは考え方が根本的に違う。だが、弁護士としての優秀さ、人間性については高く評価している。法の許す範囲内か否かを自覚し、信念を持ち一生懸命やっている」
団塊の世代のご多分に漏れず、学生活動家だった。そこで容易に人が変節するのを目の当たりにした。
「自信なんてない。しかし、できるだけ変わらない方を選ぼうと生きてきた。でも、世の中はどんどん単純化していく。一体、この先に何が待っているのか」

岡留安則の「東京-沖縄-アジア」幻視行日記:2008.05.22

Posted by S.Igarashi at 09:49 AM | コメント (3)