2007年は過去最も少なく1199件、映画「三丁目の夕日」で一躍昭和レトロを代表する年となった1958年は2683件、最も多かったのは1954年の3081件、さてこの数値は...。
「死刑」の著者・森達也が5月13日の「大竹まこと ゴールデンラジオ」にゲスト出演した際、放送の最後で体感治安は悪化しているが、昨年認知された殺人事件の件数は過去最低の1199件で最も多かった1954年と比較すると1/3に減少している。と述べていたのでネット検索して調べたのが前頁の数値である。因みに2006年の殺人事件・認知件数は1309件でこの10年間を見ると平均1200件台を前後に数値が推移しているようである。
そこで人口統計と照らし、人口当りの殺人事件・認知件数を割り出すと以下の様になる。
1954年(総人口:88,239,000)3081件、1/28,639
1958年(総人口:91,767,000)2683件、1/34,203
2007年(総人口:127,756,000)1199件、1/106,552
(但し2007年の総人口の値は最も新しい推計値である2006年7月1日現在の数値を参照。)
数字を単純比較すると最も多い1954年と最も少ない2007年の差は2.56倍であるが、人口比を計算すると3.72倍となる。これは1954年と比較して1/4近くまで減少しているということを意味する。
そうすると体感治安の悪化とはメディアによるプロパガンダの意味合いが濃くなる。記者クラブによる官民の慣れあいと既得権の保持という構図も見え隠れする。
懐かしの昭和レトロ、50年前の東京タワーが建設された1958年は昨年の3倍の殺人事件が起きた年でもある。時代は高度成長経済の真っ只中、公害は垂れ流し、水俣病やイタイイタイ病は謎の奇病とされ、公害問題を抱える現在の中国を嗤えない状況にあったのである。
少年犯罪データベースによれば戦前の方が未成年による凶悪犯罪や異常犯罪が多いという。これを見ると、まるで横溝正史の世界のようである。
ワイドショーによる視聴率争いが猟奇的殺人事件をセンセーショナルに取り上げ、大衆の不安を煽り、凶悪犯罪が増えているかのような報道をしているが、東京大学・情報学環デジタルアーカイブの小野秀雄コレクション・新聞錦絵を見ると、昔からメディアはおどろおどろしい猟奇的事件を好むことがわかる。
警察庁:犯罪統計資料(平成19年1月〜12月分)確定版がExcelのデータとして公開。
政府統計:我が国の推計人口(大正9年〜平成12年)
政府統計:人口推計・平成17年国勢調査結果確定人口に基づく改定数値
そうですね。松本清張になると、背景に戦後の国家的戦略ていうか陰謀策略が通奏低音のように流れているのかな。
僕の周囲にも10万人が亡くなった東京大空襲を体験しPTSDになった人が親戚や知人にいましたね。幸いにも問題行動を起すまで重症ではありませんでしたが...家族は辛かったと思います。
三代目・金馬の与太郎噺に「精神薄弱児っていうと何だか偉そうに聴こえる。」なんて台詞がありますが、今の自主規制ばかりのテレビ・ラジヲでは放送しないだろうな。
横溝正史のグロテスク推理ものの筋書きの典型は昭和20-30年代の猟奇的事件の遠因を探ってゆくと、関東大震災から日中戦争に掛けて地方の旧家が崩壊したところにたどり着く、というものが多いようです。狂人、それも先天的な障害というのでなく発狂者というのも良く出てきます。
ヴェトナム戦争・湾岸戦争・イラク戦争でも多数のPTSDが出ているようですが、沖縄で南風原陸軍病院が地下壕へ疎開する前の配置図を見たら、2/3程が精神科病棟なっており、なるほどと思わされました。暗い時代は戦争だけでなく、それに先立つ関東大震災でも死者・不明者15万人の陰に、それを上回る重度・軽度のPTSDを生み出しているのではないかと想像します。バブル期を思わせる関東大震災前の東京から始まり、震災復興の流れに乗って拡がろうとした「モダン東京」の流れの裏側、建築史の教科書に載るのが監獄の建物といった、考えてみると不思議な時代の匂いが、横溝正史のグロテスクさのカラクリであるように思えます。「大日本精神薄弱者協会」という障害者団体が、当局に呼びつけられて「大日本精神」が「薄弱」なのは怪しからん、とお目玉を頂戴する珍事もあったそうです。
http://www.tcp-ip.or.jp/~ask/rjx/rojix18/rojix18.htm#pagetop